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 中国絵画史ノート 近代 詩書画篆刻一体 趙之謙・呉昌碩

前史 詩書画印一致の歴史
元 王冕 青田石による自刻印と書画への押印の始め
明 文彭 篆刻が文人間に広まる 自刻印例が遺る
清前期 金石学の興隆 八大山人 戴本孝
清中期 揚州八怪 高鳳翰、鄭燮、李方膺、金農、羅聘など

清後半の金石学の発展
清後期:碑学前期 考証学の一環として金石学が発展 金石文を書にも応用
杭州“西泠八家”
 黄易-1802、奚岡-1803、陳鴻寿-1822、趙之琛-1852、銭松-1860
清末期:碑学後期 北碑書を発揚 金文、石鼓文、甲骨文から瓦磚など民間刻をも探索
 呉煕載-1870、周閑-1875、趙之謙-1884、呉大澂-1902
中華民国 呉昌碩-1927
篆刻芸術の展開
文化的な外圧:征服民族の清による長い支配と西洋列強の圧迫
書法史内からの衝動:金石学の粋として石材を用いた方寸の小宇宙に結晶化
中国書法史の中心が毛筆表現から刻画表現へと移動し篆刻芸術として密度濃く凝縮。そこから逆に篆刻が書画の要となり、書画の点画・構成などの造形に影響していく(金石書画)

趙之謙 1829-84
趙之謙像部分 [生涯]
会稽(浙江省紹興)人 初め字益甫、号冷君、後に字ヒ叔(ぎしゅく),号悲庵,悲盦に改める 別号憨寮,鐵三,梅庵,梅盦,孺卿,思悲翁。晩年の号は無悶
1829年宣宗道光九年7月9日紹興開元寺東大口坊の豪商の家に生
1842年14歳喘息の父をかかえ過労のため母章氏病死
1843年15歳兄張烈が訴訟に敗れ一家破産
1845年17歳頃沈復粲1779-1850から金石学を学ぶ
1847年19歳范璥と結婚
1849年21歳紹興の県試で秀才になる
1853年25歳父卒
1854年26歳杭州の浙江按察使繆梓の幕下へ、56年太平軍と戦うため清軍に參加
1859年咸豊九年31歳己未、郷試に3位で合格、挙人となる
1860年32歳太平天国軍が杭州を落とし繆梓戦死。福建へ流浪
1862年34歳避難先で妻と娘が病没したため「悲盦」と号
北京往来時代:
1862年34歳暮、会試準備のため北京に赴き3年滞在
 胡澍1825-72、沈樹1832-73、魏錫曾 ?-1882と金石の交わり
 会試は1871年まで4回受けるが全て落第
1864年36歳『補寰宇訪碑録』五卷と附編完成。『六朝別字記』完成
1865年37歳会試受験するも落第、答案に古文字が多く試験官が30余字読めなかったためと謂う
1866年38歳北京を離れ紹興に戻る 以降数年江南と北京を往来し売芸生活
1869年41歳正月『勇盧闍l』 北京に赴き杭州へ戻る
1870年42歳杭州で何紹基と会う。書画創作盛ん、時に代筆を依頼
1871年43歳北京に赴き、会試受験するも落第、これを最後に断念
江西時代:
1872年44歳10月江西へ赴任「矜此七品官,遠過萬里程」『江西通志』編纂にあたる
1873年45歳陳氏を継妻にする。翌年息子寿俔が生まれる
1877年49歳『江西通志』完成
1878年50歳鄱陽県令赴任
1879年51歳12月頃鄱陽県令を去り南昌に戻る
1881年53歳7月奉新県令となる
1881年55歳1月娘寿玉が生まれる
1884年56歳コ宗光緒十年南城に赴任。3月継妻陳氏没。10月1日病のため南城官舍にて卒
[作品]
詩文:
『悲盦居士詩賸』『悲盦居士文存』『緝雅堂詩話』
『補寰宇訪碑録』『六朝別字記』『二金蝶堂漢刻十種』『勇盧闍l』など
篆刻:
詩書画印のうち篆刻が早く大成
初め浙派を宗とし,27、8歳頃ケ石如を通し漢印、鐘銘を取り入れる
1862年同治元年34歳8月10日 「生逢尭舜君不忍便永訣」朱文方印 日本個人蔵
30代半ば1862、3年頃篆刻創作の絶頂期、最も多産。秦権量銘、漢碑篆額、銭幣、瓦磚など多様な篆書を追求
生平藝事皆天分高於人力,惟治印則天五人五,無間然矣
1863年35歳 「會稽趙之謙印信長壽」白文方印 約3.9×3.8cm
1864年同治三年36歳 「臣之謙」朱文方印 日本個人蔵
1866年同治五年38歳 「趙之謙印」朱文方印 日本個人蔵
44歳頃以降江西時代には刻印を止める
江西時代の刻印は1882年54歳「賜蘭堂」上海博物館蔵のみ
 印譜:『二金蝶堂印譜』など
書:
初め顏真卿に学び,篆隸はケ石如を師
1862年34歳頃から鄭道昭など六朝北碑に突入、包世臣から逆入平出の筆法をとり、篆隷行草書を一つにし鬱勃とした詩情をたたえて特異な「北魏書」を書く
1864年同治三年36歳《篆書鐃歌冊》 北京故宮博物院 手本 早期篆書の代表作
1865年同治四年37歳《楷書心成頌》 北京故宮博物院 早期楷書の佳品
1867年同治六年39歳《楷書符瑞志》4屏 北京故宮博物院
1868年40歳隷書《張衡霊憲》4屏 趙之謙隷書の傑作 晩翠軒の輸入
1870年42歳《楷書五言聯》 189×56.5cm 北京故宮博物院 中年時楷書の精品
《楷書五言聯》 163.5×46cm 個人蔵 晩年楷書の代表作
1883年55歳楷書《大痴百歳》4屏 東京国立博物館 雄偉な北魏書
《行書八言聯》 北京故宮博物院 
《篆書説文解字叙冊》 北京故宮博物院 手本 中年時以降篆書の代表作
《篆書急就章》 北京故宮博物院 晩年の篆書
 当時一部からは「儀態万方」「ケ派之三変」と評される
清康有為「ヒ叔學北碑,亦自成家,但氣體靡弱。今天下多言北碑,而盡為靡靡之音,則ヒ叔之罪也。」(『広芸舟双揖』 述学第二十三)
近人馬宗霍「ヒ叔書家之郷原也,其作篆、隸,皆臥豪紙上,一笑陳,援之不能起,而亦自足動人。行楷出入北碑,儀態萬方,尤取ス衆目,然登大雅之堂,則無以自容矣。」(『岳楼筆談』)
画:
篆隷の筆法を加味したェ博惇厚な花卉雜画を善くし広く日常に題材を取る
徐渭の湿潤な墨と豪快な用筆、ツ寿平の没骨色彩、李鱓の墨のにじみと混色法に倣い、華麗な清末大写意花卉画の開祖 40〜42歳頃画業の頂点
1861年咸豊十一年33歳《花卉図》4幅 133.0×31.5cm 東京国立博物館 
◎1870年同治九年42歳《花卉図》4幅 240.0×60.0cm 東京国立博物館
 春:仙桃[楷書]、夏:榴芋、秋:葫蘆[篆書]、冬:仏手柑[行書] 円熟の作
 河井荃廬、高島槐庵旧蔵 大阪市立美術館阿部コレクションに模本
1870年《桃賓牡丹図》 175.3×93.8cm 上海博物館
1872年同治十一年44歳7月《富貴図》 208.7×109.8cm 東京国立博物館 
《牡丹図》 175.6×90.8cm 北京故宮博物院 没骨双勾、上密下疎の豪放な作
1872年同治十一年44歳7月《墨松図》 176.5×96.5cm 北京故宮博物院
 題:以篆隷書法画松,古人多有之、茲更間以草法,意在郭煕、馬遠之間
 金石書法による以書入画の代表作 この年4-10月江西赴任資金のため多作
《古柏霊芝図》 140.8×37.85cm 北京故宮博物院 
 題:蓴卿仁兄屬畫。ヒ叔趙之謙。
《菊石雁来紅図》 139.6×37.5cm 北京故宮博物院 
江西時代の画は少ない
※趙之謙の代筆(捉刀)人:
王廷訓1838-1894 名廷、字子欽、子卿、号蕺子、耶溪外史。浙江紹興人、画花卉、兼工山水
1868年7月北京にて王廷訓宛代作依頼の手紙「昨失近為罪。潘星斎侍郎(潘曾瑩1808-78蘇州人)有扇一、欲求閣下一画、以速為妙、原函呈閲。初十必相見、款写「星斎司空大人」可耳、下書「王○○」三字足矣。
尚有一横批、欲求捉刀、画大筆、不論幾筆、愈塗草愈好。未知日内開作否?当奉上也。此致。子欽仁兄大人照。弟之謙頓首。

扇面二個求捉刀。前聞尊処有青花佳者、祈惠我一二為要。王大老爺。興昇店。弟趙之謙頓首。
他に巨幅の陸和九、李華甫、蒙樹培、孔宣などが趙之謙に倣った


呉昌碩 1844-1927
呉昌碩45歳像
1888年任伯年《酸寒尉図》部分 [生涯]
浙江安吉人 原名俊,後に俊卿。字は初め香補、また倉碩、蒼石、倉石、昌石、昌碩、民国元年69歳以降字昌碩を名に改める。別号に缶廬(ふろ、30代から),老缶,老蒼、苦鐵,大聾,石尊者,缶道人,郷阿姐,破荷亭長,蕪青亭長,五湖印丐など
早年は芗圃、香補、傑生、劍侯、逸光、樸巣、泛虚室主人、金鍾玉磬山房、梅花主人、金麓山樵,嘯閣、石癡山人、齊雲館など、中年以降、缶廬、老缶、缶道人、苦鐵、削觚廬、禅甓軒、去駐隨縁室、癖斯堂など、70歳以降聾、大聾などを用いる
1844年道光二四年8月1日(9月12日)安吉県彰呉村の挙人呉辛甲の長男として生
 呉昌碩の生家→「吴昌硕故居」で検索 浙江省湖州市安吉县327县道鄣吴镇
1860年17歳太平天国の乱のため、湖北・安徽を流浪
1864年21歳春帰郷するが、母妹と許婚の章氏は病死
1865年22歳父が安吉県城内桃花渡畔に移る
 呉昌碩は秀才に合格、自身の刻印室「篆雲楼」《樸巣印存》
1866年23歳施旭臣から詩法を受ける
1868年25歳父48歳で卒
1872年29歳兪樾の杭州詁経精舎で後期乾嘉学派の漢学を学ぶ
1873年30歳画を潘芝畦(郷土の画家、画梅が得意)に学び始める
蘇州時代:
1882年39歳蘇州葑門帝賜蓮橋西美巷内に移り、老母、妻子を迎える
 隣家の楊峴との交流、収蔵家の蘇州呉雲(平斎)、潘祖寅、常熟沈石友など杭州・蘇州の名士を識る
 金傑により古瓦缶を贈られ、缶廬と号す
 この頃、友人の援助により江蘇省の小官となる
1883年40歳高邕の紹介で任頤を知り画を学ぶ
 40代多く呉俊、阿倉、倉碩、昌石、昌碩、缶廬、缶、老倉、辛鉄と称す
1884年41歳削觚廬印存の楊峴の封面、題詩成り数年にわたり同好に頒布
 春、晋磚を得て堂号を禅甓軒と名づける
1887年44歳6月上海行 友人の資金援助で上海県丞の官職を買い年末上海転居
1888年45歳長男育(半倉)16歳で没、8月娘丹姮(次蟾)誕生
 任頤が呉昌碩像《酘寒尉像》浙江省博物館を描く
1889年46歳『缶廬印存初集』編、缶廬印存一集、4冊刊行
1890年47歳呉大澂を知る
1891年48歳5月日下部鳴鶴54歳を知り印を刻す(楽善堂門前払いのエピソード)
1892年49歳上海南の升吉里に住み、知県の官職を買う
 任頤が呉昌碩像《棕蔭納涼図》を描く
1893年50歳缶廬詩・坿別存の自序成り『缶廬詩』刊行
 50代多く俊卿・昌碩・滄石・缶・老缶・老蒼・苦鉄と署款
1894年51歳日清戦争、呉大徴が督師、呉昌碩も山海関へ同行
 この頃、名の俊を俊卿に改める 北京にて翁同和に詩と印譜を贈る
1895年52歳顧鶴逸(顧文彬、顧承の子)の蘇州怡園内で毎月三回の「怡園画集」(書画雅集)。呉大激、顧鶴逸の発起、呉大徽が会長,陸察夫、呉昌碩、金心蘭、顧若波、費念慈、倪墨豁、昊秋農、鄭文悼、翁授祺、沙山春、任立凡らが会員。任伯年、胡公寿、王一亭、蒲作英らが上海から雅集
1896年53歳この頃リューマチ、「病臂」やヤマイダレ「廬」字落款 楊峴卒
1897年54歳1月臂を病む、五十肩か 以降篆刻創作が減少
 河井仙郎(荃廬)日本より上海に作品を寄せ教えを求める
円熟期:
1899年56歳安東県令(江蘇省漣水県)になるが一ヶ月で辞職
1900年57歳文求堂田中慶太郎と共に30歳の河井荃廬が来訪、門下となる
1903年60歳上海商務印書館の長尾甲(雨山)と交流
 60歳代昌碩・倉碩・苦鉄・破荷・老缶・缶翁の款署
1904年61歳蘇州桂和坊に移る 斎名「癖斯堂」 西泠印社発足
1909年66歳3月3日上海豫園得月楼にて豫園書画善会(半雅集半交易型組織)発足。銭慧安、高邕、蒲作英、楊逸、黄克明、馮夢華、潘飛声、潘叔和、金恐伯、楊了公、張善子、王一亭らが発起、銭慧安、高昌、楊葆光、馬端西、沈心海、王一亭、汪仲山らが会長
1910年67歳水野疏梅が上海に渡り王一亭の紹介で呉昌碩に中国画を学ぶ
1911年68歳夏上海に移り借家住まい
上海時代:老熟期
1912年69歳中華民国元年。字の「昌碩」を行う
1913年70歳上海山西路吉慶里に移る 西泠印社社長に推される
 上海書画協会(1910年成立半雅集半交易型組織)社長になる
 70歳以降多く昌碩・缶道人・老缶・聾・大聾と款署
1914年71歳9月上海六三園(白石六三郎の日本風庭園をもつ日本料亭、現在上海市虹口区西江湾路230号翦淞閣にて中国絵画史上初の個展
 この頃書画印の依頼の増加、山水・人物等は王一亭、呉待秋、次子・呉蔵龕ら、篆刻は蔵龕はじめ徐星舟、方仰之、呉石潜などの代作が多くなる
1919年76歳8月25日蘇州の怡園琴会に参加。琴士葉璋伯、怡園主人顧鶴逸、呉浸陽、陳墨泉、勞于庭、郭誠齋、符華軒、鄭覲文、盧伯寅、呉蘭蓀など32人。呉昌碩は《怡園会琴記》を書き李子昭が《怡園会琴図巻》を描く
1922年79歳大阪高島屋で呉昌碩書画展開催 1925年にも開催
1927年民国十六年11月6日(新暦11月29日)84歳で卒
 三子東邁(とうまい)1886-1963も父の画風を継ぐ
[作品]
詩書画印に優れ、自らは「篆刻第一、書第二、画第三」という
詩文:1893年光緒十九年刊『缶廬詩』4卷、『缶廬別存』3卷
   1920年劉承幹整理『缶廬詩』3巻(1893年以降の詩作を1巻)
   1928年朱祖謀、馮君木整理『缶廬集』5卷(自選4巻、増補1巻)
篆刻:
清光緒2年1876『斉雲館印譜』 光緒9年1883『削觚廬印存』など
1913-14刊『缶廬印存』221顆(西泠印社) 『苦鐵印選』440顆(宣和印社1950刊)
詩書画に先がけ円熟
浙派、皖派の筆意の表現を学び、30代後半40代に独自の様式を打立て、50代に円熟
52,3歳頃リューマチを病む「病臂」落款(作印減少期) 「老缶」落款
70代半ばから80まで最晩年の篆刻(徐星洲、呉石潜など代作、自補刀・側款)
 1.鈍刀による表現 →書画の鈍重かつ気勢ある筆致「印書画一致」
 2.画の力学的構造を印に布地 「印画一致」
 3.筆の潤渇を印の併筆、欠画で表す 「印画一致」
 4.印の外郭も表現に取り込む
書:
蘇州時代に王鳴鸞所蔵の石鼓精拓本を見て開眼、以降生涯石鼓文を臨模
 73-7歳多作期 晩年の篆意をはらんだ右肩上がりの行草書
画:
 筆力深厚な金石書法による詩書画印の結合
 書法、篆刻の金石味のある独特な写意花卉画
梅墨生の画期:啓蒙時期30-40歳、発育時期40-55歳、成長成熟時期55-65歳、高度成熟時期65-82歳、凝滞守成時期82歳後
西欧近現代の表現主義と比べ「抽象而不主観、写意而不失形似、象徴而本乎物理」(梅墨生)であり,中国絵画の伝統の継承と大発揚がある
(以下、花卉画の画期は李周玹『故宮文物月刊』2002年第8期から)
1879年36歳《梅花冊頁》 西泠印社 最早期の作
第一期1885-7年 銭載の墨蘭、湯貽汾の墨梅の影響
 楷書、篆書の筆法を墨梅、墨蘭の筆法に、書画の初期的な融合
1887年44歳丁亥《蕪園梅》 中国美術館
第二期1887-1903年 八大山人、石涛、張孟皐(cf:東博1858年富貴図)の影響
 同時に青藤、白陽、揚州八怪の金農、鄭燮、汪士慎、李方膺,任伯年、蒲華を吸収
 題材は梅蘭菊・荷花が主、水墨に時に淡黄、淺緑を加える
 落款は北碑風楷書、時に篆書“昌石呉俊”“倉碩呉俊”“昌碩呉俊”
1889年46歳乙丑《墨筆瓶花》 中国美術館
1890年47歳庚寅《燈梅》 85×55cm 個人蔵 小椅子と破燈,梅花は書人の象徴
1890年《籬菊》《国色天香》《墨葡萄》《又一看梅詩意》《芰荷香》 中国美術館
1892年49歳《雪景山水》 天津市人民美術出版社 淡墨の空に一茅屋,一寒士
 題:袁安一臥傳千古,畫出茅堂墨沈香。我似窮悲失木,狂吟踏雪不辭僵。
   閉門飲水有余清,餓不幹人隱姓名。我若登堂拜顔色,腳皴手凍先生。
光緒壬辰歳杪,于役浦東阻風葉榭,大雪三日夜,沖寒登高阜眺龍華浮屠,擬作苦寒行,而詩思不屬,寫此自嘲亦 自砺也。畫之工拙有所不計。秋以篆籀作勾勒,昌碩仿之。
 印:“呉俊”“俊卿之印”
1894年51歳《綴珠》 中国美術館
1902年光緒二八年59歳《墨葡萄図》 東京国立博物館
 題:蒲萄釀酒碧於煙,味苦水今不値錢。悟K草書藤一束,人間何處問張顛。
第三期1903-12年 張熊、呉讓之、趙之謙などの海上派の影響
 豊富な題材、濃艶な色彩,しばしば画全体に色彩
1905年62歳《紫藤図》 金箋 163.4×47.3cm 北京故宮博物院 
 題:繁英垂紫玉,條系好春光。歳歳花長好,飄(飄)滿畫堂。
1905年62歳《錯落珊瑚珠》 中国美術館 任伯年の筆致に近い
1906年63歳《墨荷図》 上海博物館 大写意
1907年光緒三三年64歳《桃実図》 東京国立博物館
1907年64歳《蔬果》 中国美術館 白菜、南瓜、椎茸など
1908年65歳《燈下觀書》 中国美術館 溌墨
 題:日短夜更長,燈殘影相吊。獨坐憂時艱,突突心自跳。
   微吟有誰知,魍魎暗中笑。黄葉挂蛛絲,風吹作鬼叫。
石友先生示此詩,戲爲寫圖,惜拙筆不能稱均(韻)也。戊申孟冬,苦鐵呉俊卿。

1911年《富貴清高》 中国美術館
第四期1912-23年“呉昌碩”期
1912年以降“呉俊卿”を“呉昌碩”に改める
構図、筆法、設色など独特な風格,呉昌碩絵画の精髓
1912年《花卉蔬果冊》12開 各25.2×42.7cm 中国美術館 9.桂花
1914年甲寅71歳《花卉屏》6幅 日本奈良 八石斎
1914年71歳《古梅》 中国美術館
1915年乙卯72歳《歳朝清供図》 151.6×80.7cm 北京故宮博物院 
 題:歳朝清供。歳朝写案頭花,象古人所作歳時物之遷流也,茲擬其意。
1916年丙辰73歳《桃実図》 上海博物館 西洋紅の使用
 題:灼灼桃之花、頳顔如中酒。一開三千年、結実大干頭
1916年73歳《緑梅》四條通屏 紙本墨画 148.5×160cm×4 中国美術館
 “雄甲辰”印 気、勢、力皆壯厚の年
 題:卅年學畫梅,頗具吃墨量。醉來氣益粗,吐向苔紙上。
   浪貽觀者笑,酒與花同釀。法疑草聖傳,氣奪天池放。…

1916年73歳《墨梅圖》 天津市博物館
1916年73歳《五色牡丹》《五月蘆橘》 中国美術館“雄甲辰”印 花果に枯枝,赭墨、墨に赭を補い力感
1916年73歳《松樹》 152.2×81.8p 中国美術館
1917年74歳《虞山鄒巷古藤》 中国美術館 題:虞縣鄒巷古藤,明時孫某手植,盤曲一畝地,如龍如蟠,如蓋如笠,花時香溢數裏外,予曾與沈石友詩人酣醉其下。
1918年戊午75歳《墨梅圖》 西泠印社 画梅史上の傑作
 筆力は雄強、篆籀の渾厚、金石の気に富み、草書の気脈が連なる。枝幹は縦横に伸び、斜めの筆は直角、鋭角に切れ込み抽象的な構成を強調
1918年《三千年結実》 96×45cm 水墨淡彩 中国美術館
1918年《三色牡丹》 136.8×58.4cm 中国美術館
1920年庚申77歳《珠光》 139.5×69.5cm 水墨淡彩 中国美術館
 篆隸の筆法と狂草の旋回する線で描く“書法による演画法” 晩年の代表作
1920年77歳《葡萄》(花果条屏2/4) 151×40.3cm 水墨淡彩 中国美術館
 徐渭題詩:筆底明珠無賣處,閑拋閑擲野藤中。又錄青藤句補空。大聾。
1920年77歳《薔薇蘆橘図》 上海博物館 
1922年壬戌79歳《四季花卉図》四屏 130.5×65.7cm 上海博物館
 水仙牡丹 胡盧 珊瑚枝 紅梅 
1922年79歳《雪蕉書屋圖》 中国美術館 淡墨掃雲天
題:皎潔心頭佛,氤氲雪裏蕉。不堪持贈意,雲在已寥寥。
   壬戌夏仲,爲竹人大兄畫雪蕉書屋圖,幸一笑存之。

第五期1923-7年 最晩年
1923年80歳春《自写小像》 紙墨 安吉呉昌碩紀念室 夢自写小像醒而図之
1927年丁卯84歳春《花卉冊》12開 紙本水墨 浙江省博物館 最晩年の傑作
 款“丁卯春”“丁卯人日”(旧暦正月初七)、“丁卯雨水”(新暦2月19日)
1927年84歳秋9月《山水花卉冊》12開 水墨一部淡彩 31×35.1cm 中国美術館
 花卉8開、山水4開 最晩年の病中作、線はやや細く 別名《汗漫ス心冊》
 封面題:汗漫ス心。缶丈自作畫幀,裝竟索題。丁卯冬十月宗元(諸貞壯)。
 《墨鴎》 八大山人に倣う,一足で立つ鴎 題:獨立一鴎飢看天
 《草石》 題:老夫畫石類狂鬼,顛不下拜禅彌真 丁卯秋九月
 《双石》 題:獨抱秋心臥,談禅不耐聽 丁卯秋大聾
 《柳雀》 題:不行書案棲楊柳,鳥亦傷春怨別離
 《幽蘭》 白描 題:幽蘭佳種傳州…。丁卯秋
 《芍薬》 白描 題:名園芍薬叢,重墨眼稀見。風露一莖贈,艶色美人面。
           …明珠那足報,高情動留戀。大聾。時丁卯秋

 《松枝》 題:結交青枝枝。/畫竟了無大師來,讀之以爲似複堂遊戲之筆
 《墨鳥》 八大山人に倣う,睡る一鳥 題:鳥不知何名,八大山人時時寫之
 《群峰孤塔》 題:…。昨夜夢中馳鐵馬,竟馮(憑)畫手奪天山。丁卯秋九月
 《老樹高峰》 題:煙籠老樹如奇鬼,月照高峰似美人。丁卯秋杪
 《山林秋色》 寫“吾郷南門正青黄
 《臨楡山景》 墨畫淡彩 題:登臨楡縣城樓

《盆菊》 136.8×68.2p 中国美術館
《破荷》 中国美術館
その他山水画、人物画の創作(王一亭の代作が多い)


参考書
世界美術大全集 東洋編9 清 西上実他編 小学館 1998年
水墨美術大系11 八大山人・揚州八怪 米沢嘉圃・鶴田武良編 講談社 1975年
【趙之謙関係】
趙之謙書画集中国収蔵編 東方書店・浙江省人民美術出版社 1990年
趙之謙作品集 小林斗盦編 東方書店・浙江省人民美術出版社 1990年
中国篆刻叢刊 清20、21 趙之謙 小林斗盦編 二玄社 1981年
『悲盦賸墨』 西泠印社編 東京堂出版 1986年覆刻
『二金蝶堂遺墨墨』 二玄社 1979年覆刻
【呉昌碩関係】
画集:
中国美術館蔵近現代中国画大師作品精選 呉昌碩 人民教育出版社 2004年 129件194幅を収録
日本蔵呉昌碩金石書画精選 西泠印社 2004年 300数十件を収録
呉昌碩書画集:生誕一六〇周年記念 謙慎書道会編 二玄社 2004年
藝術大師呉昌碩 上海呉昌碩紀念館編 上海書畫出版社, 2004年
名家翰墨叢刊 呉昌碩法書集1,2 浙江省博物館蔵 曹錦炎編 翰墨軒出版 1999年
呉昌碩作品集 絵画,書法全2冊 上海人民美術出版社・西泠印社 1984年
中国篆刻叢刊 清26-30 呉昌碩1-5 小林斗盦編 二玄社 1981年 1374顆収録
文人画粋編第10巻 呉昌碩・齋白石 中央公論社, 1977年
呉昌碩のすべて:逝世五十年呉昌碩記念展 謙慎書道会編 二玄社, 1977年
呉昌碩の画と賛 青山杉雨編著 二玄社, 1976年
単著論文:
劉江 呉昌碩印論図釈 西泠印社 2004年
李弘偉(筆名:光一) 呉昌碩題画詩箋評 400余首の点評 浙江人民出版社 2003年
呉昌碩画論研究 中国書画名家画語図解叢書 中国人民大学出版社 2003年
丁羲元 鑑識呉昌碩 福建美術出版社 2002年
梅墨生 呉昌碩 中国名画家全集 河北教育出版社 2002年
劉江 呉昌碩篆刻及其辺款 西泠印社 2000年
劉江 呉昌碩篆刻及章法 西泠印社 1999年
劉江 呉昌碩篆刻其刀法 西泠印社 1997年
劉江 呉昌碩篆刻芸術研究 西泠印社 1995年
(以下は劉江1995年『呉昌碩篆刻芸術研究』西泠印社刊から
 画期:自発勤学時期、継承借鑑時期、変法醞釀時期、風格成熟時期
 篆刻の特徴:
 方寸之地気勢磅礡、気韻生動其味醇厚、字法多変筆墨雄渾、全印団結渾然一体
 辺格独運有助団結、善用残損霊而揄C、刀法豊富爲勢韻用、辺款継承又有発展
 その成立:善承伝統、得力書法、借鑑絵画、学養爲本、人品爲先)
林樹中 呉昌碩年譜 上海人民美術出版社 1994年
呉東邁編 呉昌碩談芸録 論画数百条を摘録 人民美術出版社 1993年
丁羲元 呉昌碩芸術論 西泠芸叢 1984年
李周玹 呉昌碩花卉画構図上的篆刻要素.海派絵画研究文集,上海書画出版社,2001年
李周玹 Die Malerei Wu Zhangshuoドイツ・ハイデルベルグ大学博士論文 1999年
蔡宜璇 古樹新花―呉昌碩的石鼓文 台北・台湾大学芸術史研究所碩士論文 1999年
陳肆明 呉昌碩花卉画的創作背景及其風格研究 台北・台北市立美術館 1989年

参考サイト
中国美術館蔵品検索 呉昌碩 館蔵の優品200点の画像付データベース
趙之謙印譜呉昌碩印譜  真微印網 台湾の篆刻デジタル資料庫から
海派絵画国際学術研討会 live放送(終了)

展覧会
特集陳列呉昌碩の書・画・印
2011年9月13日(火) 〜 2011年11月6日(日) 東京国立博物館
(展示替 A:〜10月10日 B:10月12日〜)
東京国立博物館・台東区立書道博物館 連携企画
桂花図 1幅 清光緒14年(1888) 高島菊次郎氏寄贈 TA-498 A
墨梅図 1幅 清光緒14年(1888) 個人蔵 B
籠菊図 1幅 清光緒15年(1889) 青山慶示氏寄贈 TA-680 B
篆書毛詩四屏 4幅 清光緒18年(1892) 京都国立博物館蔵 A
牡丹図 1幅 清光緒21年(1895) 青山杉雨氏寄贈 TA-682 B
墨竹図 1幅 清19C TA-246 A
集石鼓字聯 2幅 清光緒23年(1897) 京都国立博物館蔵 B
墨葡萄図 1幅 清光緒28年(1902) 高島菊次郎氏寄贈 TA-499 A
桃実図 1幅 清光緒33年(1907) 高島菊次郎氏寄贈 TA-500 B
臨石鼓文軸 1幅 清宣統2年(1910) 林宗毅氏寄贈 TB-1515
篆書「觴詠墨縁」軸 1幅 民国元年(1912) 林宗毅氏寄贈 TB-1589 B
荷花図 1幅 民国4年(1915) 青山慶示氏寄贈 TA-685 A
篆書般若心経十二屏 12幅 民国6年(1917) TB-1421 
水仙怪石図 1幅 民国7年(1918) 青山慶示氏寄贈 TA-686A
桃実図 1幅 民国8年(1919) 青山慶示氏寄贈 TA-687 B
行書七言絶句軸 1幅 民国8年(1919) 京都国立博物館蔵 B
行書寿蘇詩軸 1幅 民国8年(1919) 京都国立博物館蔵 A
杏花図 1幅 民国9年(1920) 個人蔵 B
臨石鼓文軸 1幅 民国10年(1921) 個人蔵 
行書七言律詩軸 1幅 民国10年(1921) 京都国立博物館蔵 A
墨梅自寿図 1幅 民国14年(1925) 青山杉雨氏寄贈 TA-688 A
臨石鼓文軸 2幅 民国14年(1925) 林宗毅氏寄贈 TB-1590 
行書二字軸「槐安」 1幅 民国15年(1926) 高嶋泰二氏寄贈 TB-1643
詩翰軸 1幅 民国4年(1915) 京都国立博物館蔵A
行書王維五言句横披 1面 民国16年(1927) 個人蔵 
長尾雨山宛書簡 1帖 20C 京都国立博物館蔵A
幽蘭図 1巻 清光緒18年(1892) 青山慶示氏寄贈 TA-681 B
斉雲館印譜 1冊 清光緒2年(1876) 小林斗盦氏寄贈 P-12415 
削觚廬印存 1冊 清光緒9年(1883) 小林斗盦氏寄贈 P-12419 
缶廬印存16冊 清光緒15年(1889)〜民国4年(1915) 小林斗盦氏寄贈 P-12425
呉昌碩印存 2冊 民国25年(1936) 小林斗盦氏寄贈 P-12489 
呉昌碩印存 1冊 民国25年(1936) 小林斗盦氏寄贈 P-12490 
特集陳列 趙之謙とその時代 ─趙之謙生誕180年記念展─
2009年8月4日(火)〜9月27日(日) (9月1日より一部展示替) 東京国立博物館
平成館企画展示室 書道博物館(下記)との合同企画展
特別展「趙之謙とその時代 ─趙之謙生誕180年記念展─」
8月4日(火)〜9月27日(日) 台東区立書道博物館
東京国立博物館(上記)との合同企画展
趙之謙が学んだ古典の拓本と、その臨書を並べて展示、比較することができる

合同展での趙之謙有紀年書画(作品名後の東博t、書道博aで区別)
青年期(太平天国の乱):
趙之謙 30 1858 清・咸豊8年 42: 行書五言聯(松丸東魚氏摸本) a42 個人蔵
壮年期(北京往来期):
趙之謙 34 1862 清・同治元年 「生逢尭舜君不忍便永訣」朱文方印 1顆 t25 個人蔵
趙之謙 35 1863 清・同治2年 7:紫藤図軸 a07 個人蔵
趙之謙 35 1863 清・同治2年 16:趙之謙跋 鄭羲下碑 a16 個人蔵
趙之謙 36 1864 清・同治3年 5: 「臣之謙」朱文方印 a05 個人蔵
趙之謙 36 1864 清・同治3年 17: 趙之謙題 楊量買山記 a17 台東区立書道博物館
趙之謙 36 1864 清・同治3年 18:補寰宇訪碑録(版本) a18 台東区立書道博物館
趙之謙 37 1865 清・同治4年 9:萱草花図額 a09 個人蔵
趙之謙 37 1865 清・同治4年 20:趙之謙題簽 李玄静碑 a20 台東区立書道博物館
趙之謙 37 1865 清・同治4年 30:臨樊敏碑軸 a30 個人蔵
趙之謙 37 1865 清・同治4年 45:篆書五言聯 a45 個人蔵
趙之謙 37 1865 清・同治4年 46: 楷書八言聯 a46 個人蔵
趙之謙 37 1865 清・同治4年 桂花栗子図 1幅 t07 個人蔵
趙之謙 38 1866 清・同治5年 6:「趙之謙印」朱文方印 a06 個人蔵
趙之謙 38 1866 清・同治5年 楷書「小黄香簃」横披 1面 t09 東京国立博物館蔵
趙之謙 40 1868 清・同治7年 10:繁枝密葉図額 a10 個人蔵
趙之謙 40 1868 清・同治7年 11:菊花老少年図軸 a11 個人蔵
趙之謙 40 1868 清・同治7年 12:虞美人月季図軸 a12 個人蔵
趙之謙 40 1868 清・同治7年 隷書張衡霊憲四屏 4幅 t05 個人蔵
趙之謙他 41 1869 清・同治8年 39:為文卿書四屏 a39 個人蔵
趙之謙 41 1869 清・同治8年 47:行書七言聯 a47 個人蔵
趙之謙 41 1869 清・同治8年 紫薇瓜子図 1幅 t03 個人蔵
趙之謙 41 1869 清・同治8年 楷書斉民要術八屏 8幅 t08 個人蔵
趙之謙 42 1870 清・同治9年 1:四時花卉図四屏 a01 東京国立博物館蔵
趙之謙 42 1870 清・同治9年 2:四時花卉図四屏 a02 大阪市立美術館蔵
趙之謙 42 1870 清・同治9年 25:隷書「兆双爵室」額 a25 個人蔵
趙之謙 42 1870 清・同治9年 篆書七言聯 2幅 t04 個人蔵
趙之謙 42 1870 清・同治9年 鍾馗図 1幅 t06 個人蔵
壮年期(江西初期):
趙之謙 45 1873 清・同治12年 26:趙之謙双鉤 西嶽華山廟碑―順徳本―(複製) a26 原本:香港中文大学
晩年(江西期):
趙之謙 53 1881 清・光緒7年 48:楷書四言聯 a48 個人蔵
趙之謙 54 1882 清・光緒8年 13:墨梅図軸 a13 個人蔵
趙之謙 55 1883 清・光緒9年 行書七言古詩四屏 4幅 東京国立博物館蔵
趙之謙 57 1885 清・光緒22年 観自得斎印集 4冊 t17 東京国立博物館蔵
第61回毎日書道展特別展示「篆刻家 松丸東魚の全貌−捜秦摹漢の生涯−」
2009年7月8日(水)〜8月2日(日)(火曜休館)(終了) 国立新美術館
呉昌碩最晩年1926年大倉喜七郎依頼の刻印「静勝軒」「天籟閣蔵」(以上は呉昌碩布字、呉蔵龕刻)「還讀書廬」「大倉喜七郎之印」、1927年3月「成徳堂珍蔵」、1927年4月「聴松」など10顆を展示
“與古為徒──呉昌碩逝世八十周年書畫篆刻特展”
2007年9月7日至11月11日(終了) 澳門藝術博物館
浙江省博物館、西泠印社所蔵の代表作120件を展示
9月8、9日(土、日)国際シンポジウム“與古為徒─呉昌碩書畫篆刻學術研討會”
中国美術館名品展
2007年8月7日(火)-9月2日(日)(終了)  富士美術館
1924年寿桃図など北京・中国美術館所蔵の呉昌碩の名品34件を展示


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 近代 詩書画篆刻一体 趙之謙・呉昌碩    2003.12.25作成 

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