琴詩書画巣   古琴音楽   中国絵画   詩・書   中国文人の世界   北京信息   パリ信息   リンク  
   中国絵画News | 中国絵画の流れ | 日本美術史ノート | 中国絵画ことのは   胸中の丘壑  荊浩筆法記
  林泉高致   寫山水訣
  課徒画稿  雨窓漫筆   画語録


 中国絵画史ノート 清時代5 海上派 上海という都市

上海の繁栄
1840年阿片戦争後、西洋列強への対外開放による貿易都市として繁栄
1869年租界法 時代の風雲、西洋の影響を受けた文化の坩堝としての上海
絵画での海上派の活躍
1.新興商人、商業、金融資本家層のパトロン
2.花鳥画、肖像人物画を主とした「雅俗共賞」の内容
3.伝統画法を基に、民間画法と西洋画法の融合した鮮烈明解な新画風
主な画家
前期:張熊1803-86、王礼、朱熊、胡遠1823-86 
  「四任」任熊1823-57、1835-88兄弟、任頤1840-95、任預1853-1901
  (「三熊」張熊、朱熊、任熊 「蕭山二任」任熊、任栫j
 虚谷1824-96、蒲華1832-1911、呉昌碩1844-1927→詩書画篆刻一体の項を参照
後期:中華民国時代の上海の画家たち


任熊 1823-57
任熊自画像 [生涯]
蕭山会稽(浙江省紹興)人 字渭長,号湘浦
1823年道光三年6月12日蕭山城廂堰下十字弄に生
父は任椿、詩画を嗜む文人だったが、弟任董が生まれてまもなく卒
家を支えるため村の塾師につき人物画を学ぶ
1846年杭州へ、同郷の陸次山宅「鉄園」に住み、明末の陳洪綬を学ぶ
1848年浙西の周閑を識り范湖草堂に3年間滞在、収蔵の古画を学ぶ
1850年周閑らと鎮江金山、焦山、北固山に遊ぶ
 冬、寧波の姚燮宅“大梅山館”で古画を見、宋人の筆法を研究
1853年蘇州にて劉磐女と結婚、以降上海を往来し売画
1854年長男任預生まれる
1857年10月初8日(11月23日)肺病から35歳で卒
[作品]
奇異な構図、強烈な筆墨、鮮烈な色彩をもった明解な画風
早世したが“海上派”の開祖として中国近代絵画に多大な影響

1851年《大梅山館詩意図冊》120開(10冊12開) 絹本設色 27.3×32.5cm
 北京故宮博物院故宮本) 寧波鎮海の文人姚燮1805-64のため
 (参照:姚燮肖像 費丹旭1839《姚大梅懺綺図巻》北京故宮博物院蔵)
 姚燮の詩句を、江南風物の広範な題材に取材し幻想的に絵画化
 燈下に構想を練り、朝から彩色し、二ヶ月余りで完成 海上派絵画の代表作
自跋:稿筆明州,下榻姚氏大某山館,与主人復莊訂金石交。余愛復莊詩,与復莊之愛余画,若水乳之交融也。暇時復莊自摘其句,属余為之圖。灯下構稿,晨起賦色。閲二月余,得百有二十葉。其工拙且不計,一時品辞論藝之樂,若万金莫能易也。筆墨因縁,或以斯為千古券耶。咸豊紀元上元之日,蕭山任熊自跋。
参考文献:林姝主編『故宮蔵姚大梅詩意図』2013年故宮出版社
     喻理『梅花夢影』2013年中央美術学院碩士論文
呉跋本(6冊各20葉)27.3×約31.5cm 周梓模本 個人蔵 呉昌碩1908年跋
 龐志英「任熊《姚大梅詩意図冊》初探」『中国書画』2005年7期

人物画:陳洪綬の人物画を倣う 「銀勾鉄画」の強烈な線
《麻姑献寿図》 絹本設色 北京故宮博物院 鮮やかな大紅衣 婦人の誕生祝の題材
《自画像》 北京故宮博物院 等身大の肖像に茨のような線描の衣 内心の苦悶と矛盾を造形
日本収蔵の3名画:1848年《博古図》1850年《梅花仕女図》1854年《鐘馗図》
《洛神図》《東坡先生笠屐図》《飮中八仙図》《洛女呈珠図》《十古人游樂圖》《十六應真圖册》
花鳥画;縱筆恣肆な装飾的花鳥 ツ寿平に倣う没骨花卉画
1854年《四季花卉図》四屏 絹本設色 北京故宮博物院
《花卉珍禽図》四屏
山水画;華麗精微な山水
1855年咸豊五年33歳《范湖草堂図巻》 紙本設色 35.8×705.4cm 上海博物館
 任熊の友周閑1820-75が36歳鎮江に任官してい時、その庭園、范湖草堂を描いた江南園林図
 花紅柳緑の春景,泛舟蓮池の夏景,楓紅葉黄の秋景,重彩青緑の多彩な時空
《十万図册》10開 泥金箋設色 26.3×20.5cm 北京故宮博物院1986年 青緑山水
木版画《列仙酒牌》《剣侠像伝》《於越先賢伝》《高士伝》など


任栫@1835-88
[生涯]
蕭山(浙江省紹興)人 字阜長 任熊の弟
1835年道光乙末十五年5月初8日蕭山に生
幼年兄任熊から画を学ぶ
1864年寧波にて任伯年と売画 万個亭、陳朶峯、謝廉始との交友
1868年蘇州へ移り住み、以降20年上海、杭州を往来し売画
1879年上海古香窓月山房にて唐宋画を臨模、双鈎?彩の画技が進む
1880年頃同治年間顧文彬の子、顧承の蘇州庭園「怡園」を設計
1888年両目を病み、90年失明し故郷に帰る
1893年光緒癸已十九年7月初1日蕭山に卒 同冬子の庵も卒、書画が散逸する
[作品]
初め兄任熊から画を学び、後に人物は陳洪綬を、花鳥は別に一格を出す
題材は人物、山水、花卉、花鳥走獸(馬羊等)など広汎
主従関係の練られた手堅い構図、
平淡の中に奇,寧静の中に動がある平明な画風
人物画:
つよい線描、晩年の衣文線は行草書と似る
《人物故事図》4条屏 北京故宮博物院 蘇州早期の作
《麻姑献寿図》金箋 常熟市文物管理委員会 一種の通俗化
花鳥画:
双勾重彩の画は鮮明な着色に古朴の趣、写意の放縦な画も濃淡調和し、任伯年へ影響
1874年《花鳥図》4条屏 北京故宮博物院 清淡な色彩で没骨双勾併用 


任頤 1840-95
任頤像 [生涯]
前半生:
山陰(浙江省紹興)人 初め名潤,字小楼,後に号次遠、字伯年 任伯年が通行
1840年道光十九年鴉片戦争勃発の年、農村に生まれる
 父、任声鶴は米店を営む民間の肖像画家、大伯に任熊,二伯任桙ェいる
少時から画を得意とし売画、民間版画の影響
1854,5年15,16歳頃上海で、当時人気の任熊のサインを入れた自作の扇面を売画、
 そこに任熊本人がとおりかかり、かえって認められ弟子になるというエピソード
1861年太平天国の紹興進入の混乱により父卒
太平天国の軍にあって軍旗手“戦時には軍旗をかかげ前線を走れ”と命令される
ほどなく天京(太平天国軍の首都蘇州)が陥落し、家に戻る
1864年寧波に住み売画 万個亭、陳朶峯、謝廉始、任桙知る
1867年杭州に遊ぶ
1868年28歳任桙ニ共に蘇州へ、任桙ゥら学びつつ売画、画家胡遠、沙馥を知る
後半生:上海時代
1868年冬、上海へ、以降上海に滞在し売画の生活、豫園付近の三牌楼に住む
 胡遠(字公寿、号横雲山民)1823-86の援助により「古香室」箋扇店を開く
 虚谷、張熊、高邕、朱 などの画家、収蔵家毛樹徴との交友
1875年前後張紫雲の紫砂煙管に啓発され紫砂捏像を造る 父《任淞雲像》
1883年高邕の紹介で呉昌碩を知る
1887年呉大徴題、兪?序『任伯年先生真迹画譜』出版 この頃上海での人気沸騰
1895年光緒二十一年56歳11月初4日(12月19日)紹興の資産の消失による心痛、鴉片の害もあり肺炎から卒
[作品]
伝統画法に民間画法と西洋画の速写や彩色法を取り入れ独自の画風を確立
1880年代創作の鼎盛期 題材は拡大し、深刻な社会内容を隱晦の手段で表す
1890年代大量の花鳥画 思想性からは80年代を超えないが、芸術的にはより熟練し簡単自然な作風に“爐火純青”の境地
肖像画:
早年父から家伝の習得
中国北部民間に伝わるモデルを前に写実的な塑像を作る「捏像術」を習得
後に上海天主教会劉徳斎の西洋素描の影響、街頭での鉛筆速写を行い写生技法を鍛錬
1868年2月《東津話別図》 中国美術館 万個亭、陳朶峯、謝廉始、任桙ニの送別図
1868年《沙山春三十九歳小像》 南京博物院
1877年《以誠五十一歳小像》 北京・中央美術学院 任伯年肖像画の代表作
1886年光緒甲申《三友図》 北京・故宮博物院 曾鳳奇、錦堂、任伯年の肖像
1888年《酸寒尉図》 浙江省博物館 没骨の呉昌碩の肖像 《蕉陰納涼図》は工筆
人物画:
早年は、任熊、任桙ゥらデフォルメした人物画は陳洪綬、工細仕女画は費丹旭を学ぶ
晩年は、華嵒の筆意を吸収しより簡逸靈活になる
1878年39歳《群仙祝寿図》十二幅屏 金泥地 上海美術館 工筆重彩の華麗な46仙人
1891年52歳《東山絲竹図》1894年45歳《松下聞簫図》 中国美術館 東山携伎の題材
《蘇武牧羊図》 149.5×81cm 北京故宮博物院 
《華祝三多図》 絹 212.5×106cm 銭鏡塘“任伯年之王”→中貿05拍売2860万元
花鳥画:
簡逸放縱な筆墨と鮮烈な設色で工筆写意兼美の新天地を開き、中国現代国画に大きな影響
1.早年老蓮派(陳洪綬父子)や北宋人に習う工筆重彩の鈎染花鳥画
1884年《九思図》北京故宮博物院 『論語』から 双鈎と没骨、水色と石色の結合
2.後にツ寿平に習い、筆色水の速く奔放な没骨花鳥画
1882年43歳2月《花卉冊》12開 中国美術館 自題:倣元人没骨法
1882年《把酒持螯図》 天津芸術博物館 「酒酔菊黄蟹正肥」雅俗共賞の詩句
3.陳淳、徐渭、八大山人、華嵒に影響された写意花鳥画
1889年《池畔窺魚図》 天津芸術博物館 日光の下の黒猫 晩年の精品
山水画:人物画背景に簡逸放埓な筆墨で巧みな山水 純粋な山水画は少ない
早年は藍瑛、石濤に習い、中年以降、明の沈周、丁雲鵬から元の呉鎮へ遡る
1885年《人物山水冊》から《雨打梨花深閉門》など 縱肆勁真な白描山水


虚谷 1824-96
[生涯]
安徽新安人 本姓朱,名懷仁
1824年道光四年生 家は江都にあったが清軍の参將(武官)として揚州に住む
太平天国革命運動に共感し出家、虚白と改名,字虚谷,号紫陽山民,倦鶴
 書画には“三十七峰草堂”“一粟庵”“覺非庵”等
書齋名“覺非”(清軍であった時を“非”とし、上海時代には太平天国を援助した)
出家後は、江、浙,皖三省,上海、蘇州、揚州一帯を売画の生活
 “閑中寫出三千幅,行乞人間作飯錢。”
上海では任伯年、胡公寿、高 之、顧鶴逸、呉昌碩、倪墨耕らとの交友
1896年光緒二十二年任伯年病世時の挽聯
“筆無常法,別出新机,君藝称極也!天奪斯人,誰能繼起,吾道其衰乎?”
 同年上海城西關廟にて74歳で長逝
[作品]
花卉,蔬果、禽魚(金魚、松鼠、仙鶴)、山水、人物肖像を善くする
墨のかすれや淡彩に、枯筆禿鋒の筆を使う
“戦筆”“断筆”,中鋒、側鋒、逆鋒を用い,線は頓挫しつつ気が連なる
清虚冷雋、質朴な格調
山水画は真山實景を写し“戦筆”と濃淡墨を結合し独自な風格
《雑画冊》12開 上海博物館 
1891年光緒17年《雑画冊》 紙本墨画淡彩 天津芸術博物館
呉昌碩“十指参成香色味,一拳打破去来今!辣闌華葯談風格,旧夢黄炉感不禁。”(題虚谷《佛手画》)
揚逸『海上墨林』“来滬時流連輒数月,求畫者雲集,倦即行。”


蒲華 1832-1911
[生涯]
浙江嘉興人 原名成,字作英、卓英、竹雲、竹英、号胥山野史、種竹道人
 斎号:台州時代「双琴楼」、上海時代「九琴十硯斎」
1832年浙江嘉興府秀水県学子弄(現在の嘉興市育子弄)に生まれる
 一説に“庚寅生”(没後に発見された自用印)から1930年生
家は貧しく(「堕民」の出?)、父は嘉興城内城隍廟にて餃子売り
幼年外祖父から学び数年で文を能くし、後に林雪岩から八股帖括の学を習う
初期:
1853年咸豊三年24歳結婚、妻繆県(曉花)も書画を善くし、清苦の中幸福な生活を送る
 同年秀才に合格するが、芸事に耽り仕えず
呉世晋らと鴛湖詩社を結成し,看花、飮酒、賦詩を行う
1855年、1858年、1859年と杭州の郷試に落第
1860年4月太平天国軍が嘉興に侵攻、蒲華夫妻も舟を買い風溪、胥山に逃げる
成熟期:
1863年同治二年34歳混乱の中、上海にて妻が一児を遺し病逝、以降妻帯せず
悼亡(癸亥九月廿一夕)
履霜凜九月,香草奄忽摧。美人自千古,魂夢飛不來。
白頭有吟詠,唱嘆撩p佪。稟此抱柱信,多君解憐才。
十年結知己,貧賤良可哀。空羨蓉菊好,桃李榮華衰。
藥物冷爐火,畫奩封塵埃。遺墨凈冰雪。生綃馥寒梅。
玉骨豈速朽,陰雨凄蒿萊。遐棄悲秋客,亦復忘形骸。
良縁何其短,為問孽鏡台。桃花一萬樹,仙袂飈天台。
魂兮返斗室,西風吹酒杯。

妻の死後、太平(浙江温嶺)、海門県等で幕僚になるが悪官との応酬を厭い辞職
以降台州、浙東寧波など四方に売画
1871年同治十年蘇州にて呉昌碩を知り以降40年の交友、呉昌碩に大きな影響を与える
1881年光緒七年52歳春日本に赴き夏帰国、日本画壇に知られる
 《海天長嘯図》《海天旭日図》にこの紀行を描く
1888-89年頃秋山探淵(後の白巌)が徐三庚の紹介で行書を師事する
晩年上海定住期:
1894年光緒二十年冬上海登城里(上海漢口路と西藏路の間)に住む
 左右に妓院があり"不染廬"と名づける
 近くに外人墓地があり春聯"老驥伏櫪,洋鬼比鄰"と書す
 室名を"九琴十研齋"とし古琴佳硯を所蔵する
1909年宣統元年上海書画界の同人と書画善会を創設
1911年宣統三年夏醉眠中に82歳で卒(一説に義歯が喉につまり死)
 呉昌碩、何煕伯らが喪事にあたり嘉興に葬
 呉昌碩《蒲君墓志銘》が南湖烟雨楼の鑒亭墻上にある
蒲君墓志銘
 海虞沈汝瑾撰,安吉吳俊卿書並篆蓋
浙西山水區,士多以才一藝聞四方,而蒲君猶落拓不得志,以客死。君諱華,字作英,秀水人。性簡易,無所不可。善畫及草書,尤喜畫竹。諱老不畜鬚。問其年,常以五十對。寓滬上,鄰妓館,妓多從學者。友拉之出,猶顧而囑曰:‘某臨帖,某摹畫,毋曠厥課。’諄諄如嚴師。少為諸生,無資貢成均,遇歲試,一題作二篇,不耐楷錄,顧代者分與之。其書自謂效呂洞賓、白玉蟾;狂草如龍蛇,神仙筆也。君與吳倉石、秋農及何熙伯、徐星洲,哈少孚交最密。
廿年前,君攜倉石書,歲暮來訪,遂下榻予家。風雪蕭寥,晨起游山,夜歸燃兩巨燭作畫,解衣槃礴,頃刻數十紙,后草紀游詩,強予和,漏三下不休。去,乃止滬上,約復來,卒不果。
辛亥夏,倉石書來,言君死狀。君素無疾,前一蹷幾隕,旋健如初。一夕醉歸,寢不起,群走視,鑲牙脫入喉,氣閉絕矣。蓋年老齒豁,用泰西法補之,群稱便者也,而君忽以此死。先是秋農卒,君書來,深磋悼之,不意君亦死矣,哀哉。倉石又言,幼時即聞君名,交君垂四十年,計其壽殆八十余。初有妻,化去,無子女,一族侄扶親歸葬某鄉之某吁。倉石與何君輩經紀其喪,属予為之銘,銘曰:
平生畫竹與可師,歲寒傲雪凌雲姿。
年臻耄耋心嬰兒,醉眠忽賦游仙詩。
鴛鴦湖上土一杯,魂游歇浦其來歸。
魑魅罔兩安敢窺,攆龍盤盤轟風雷。 虞山趙石刻。

[作品]
琴詩書画酒を善くする
琴:古琴の収集 台州時代「双琴楼」、上海時代「九琴十硯斎」
詩:『芙蓉庵燹余草』詩97首、1926年丁辅之刊、呉昌碩序,周斌跋,上海聚珍仿宋印書局 嘉兴市図書館蔵本
 『蒲華詩集』嘉興美術館,嘉興市図書館主編,上海 学林出版社, 2014
書:早年北碑、古篆を学び小楷に工み
 中晩年は龍蛇が走るような行草書を好み、自ら"学呂洞賓白玉蟾"という
画:山水,花卉、画竹に長じる
早年同邑周閑に、後に陳淳、徐渭、八大山人、鄭燮、李鱓に倣い水墨淋漓とした画風
山水は、早年濃密な筆墨、壮年は奔放になり湿筆を用い墨痕淋漓とした作
甲辰《倚篷人影出菰蘆山水図》 呉昌碩題
花卉は画竹が多く、葉は風雨を帯びる 死後より評価が高まる
壬申《風声雨声墨竹図》 壬申春三月倣東坡法



参考書
故宮博物院 第5巻 清の絵画 宮崎法子編 NHK出版協会 1999年
世界美術大全集 東洋編9 清 西上実他編 小学館 1998年
薛永年 任伯年 中国巨匠美術週間114 文物出版社 1994年
任伯年精品集 中国美術館編 王靖憲 人民美術出版社 1993年
水墨美術大系11 八大山人・揚州八怪 米沢嘉圃/鶴田武良編 講談社 1975年

参考サイト
China 5,000 Years - Modern Section
 北京故宮博物院などの蔵品により1998年グッゲンハイム美術館で開かれた大規模な中国近現代絵画展
任伯年 芸文走廊の下位ページ
海派絵画国際学術研討会 live放送



TOP△



 清時代5 海上派       2003.12.25作成 

琴詩書画巣 | 古琴の調べ | 中国絵画 | 詩・書 | 中国文人の世界 | 北京信息 | パリ信息 | リンク