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 パリ信息


 パリ日誌 1997.10.3 - 13      秋月                     
クラヴィコード 壷絵 ボブディラン クリュニー修道院 オペラ座模型 Hotel de L'Odeon ドラクロアアトリエ
 
コローモルトフォンテーヌの想い出 ヴェルサイユ シャルトルの光 モロー居間 ノートルダム ノートルダム鐘楼 サンシャペル



10月3日(金)

夕刻ロンドン着, Bloomsbury の Mabledon Hotel、朝食シャワー付。
情報紙 Time Out に、今夜ロイヤルオペラでイギリス人のやるラモーのオペラ Platee があるのをみつけ, Covent Garden のオペラ座を探す。行ってみると全面的に改装中。北風の吹き初めの肌寒い風をうけ、ソーホーの夜道をまわる。パブの道路に立ったままあふれ、グラスやジョッキのみで喋り続けるロンドン人。

10月4日(土)

歩いて10分ほどの大英博物館に行けば、Cartier の宝石の特別展があり、厳重警備のため?開館時間を過ぎても始まらない。
そこで徒歩15分ほどの National Gallery に向かう。終日 National Gallery。粒がそろっている。
夜、昨日場所を違えた、ロイヤルオペラを臨時に上演する Barbican Theatre で、ブリテンのオペラ The Turn of The Screw。イントロの青年 Ian Bostridge の柔らかい頭声のレシタティフ、いかにもイギリス。しかし以降の心理劇は、最後のララバイしか覚えていない。

10月5日(日)

まず V&A に行く。
中国、日本、朝鮮の展示はごたまぜの感じ。続く吹き抜けの大ホールに突然、見上げるばかりのローマの戦勝記念柱やスペイン、モンセラートの教会ファサードなどがあらわれる。Fakeの部屋。巨大な表面のみが立体となって立ち上がり、ある種異様な迫力がある。コピーについて、二玄社の複製と別な点で考えさせられた。
クラヴィコード 中2階に楽器の展示。C.P.E.Bach とは知り合いの制作者 Barthold Fritz (1697-1766)のクラヴィコード(1751)。
おそい昼を、女性ヴォーカルとサックス・ピアノのトリオを聴きながら美術館の食堂でとった後、惜しみつつ、いそぎ大英博物館へ。
壷絵ギリシャの壷絵の数々。
観光客の雑踏のほこりっぽさの中、照明を落とした図書館に開かれたリンデスファーンの福音書。
夜、郊外にあるサッカーの殿堂 Wembley Stadium の隣にできた Wembley Arena へ。ボブディランのコンサート Time Out Of Mind。
ボブディラン 8時からの二組の前座には半分ほどの客席だったが、9時ボブディランがやっと登場する頃にはびっしり超満員になる。子供から大人まで広い客層。Like a rolling stone, Don't think twice it's all right などのお馴染みのアンコールに続き Love sick, Rainy day women で閉め。11時過ぎに終わる。

10月6日(月)

パリへ。暖かい。★★★ Hotel Royal Saint-Michel。
クリュニー修道院 さっそくわざわざそのために近くに泊まった、クリュニーの修道院へ。
夜エッフェル塔近く Suffren 通り、ポンピドーセンターの客員研究員として7月から来ているT 一家の住まいを訪問、夕食。パリでは久しぶりという雷雨。

10月7日(火)

火曜はルーブルが休みなのでオルセーへ。
オペラ座模型 ガルニエ設計のオペラ座を半分に割って、天地奥行き共に深い内部の構造をみせた精巧な模型と、透明な床を踏んで俯瞰できるオペラ座周囲の街並の模型がおもしろい。
終日オルセー。
Hotel de L'Odeon 閉館後、ルネサンスの木の梁を残した風情の★★★ Hotel de L'Odeon へ宿を替える。
夜、オペラ座、ペレアスとメリザンド、11時終演。能のようなシンプルな演出。

10月8日(水)

ドラクロア アトリエ 道の途中、ドラクロアの静かなアトリエに寄った後、終日ルーブル。始めに法隆寺百済観音の特別展示を見る。ドラクロワもすごいけれど「自由の女神」と交換とは。
大規模なルーブル改装計画の最中で、展示を移動したり全面的に閉鎖している所があり、開いているはずの北方絵画、18世紀以前のフランス絵画の部屋も今日は閉まっている。 コロー モルトフォンテーヌの想い出
帰りに Saint-Germain des Pres 教会で、モーツアルトのレクイエム。80人ぐらいの合唱、大編成にしたため音を塊にしてしまい残念。始めに2曲やった弦楽付の P. Husser のパンフルートソロ、アンダンテがしみる。

10月9日(木)

モンパルナス経由Banlieuでヴェルサイユへ。
ヴェルサイユ プチトリアノン、グラントリアノン。都市の中で絵画や美術品ばかりを見ている脳に、ディズニーランドのような田舎屋が楽しい。
Hotel de L'Odeon は今日以降予約がいっぱいなので、紹介された近くの★★★ Hotel de Fleurie へ移る。
夜 Chatelet の劇場で、Semyon Bychkov の指揮するパルジファル。最後の浄化された場面を期待したが、2幕目 Waltraud Meier の Kundry の叫びがおどろおどろしい迫力、なんとも。

10月10日(金)

T 宅でおちあい、モンパルナス経由 Grandes Lignes でシャルトルへ。
列車から見えるイルドフランスの秋の田舎の中間色の緑はやわらかく、日本の自然をも思わせる。柿の実さえもなっているようにみえる。
シャルトルの光 シャルトルの教会は、まだ観光客が少ない。昼のオルガン演奏。
遅い昼食はワインと山盛りのムール貝。カレー味の下味がおつまみによい。
再び教会に戻り光線の変化を視る。
夜いったんT 邸へ戻り、シャンゼリゼ裏の Hotel Vernet の★★レストラン、Les Elysees へ。ブルゴーニュの赤1992 に貝柱の前菜、鳩とファアグラの皿。はちきれるような新鮮な素材と重厚な味わい。

10月11日(土)

モロー居間 午前中、モロー美術館へ。それから今日まで閉まっていたオランジェリー美術館へ。歩いてさらに20分ほど行列しグランパレの評判の特別展、ジョルジュ・ド・ラトゥール展。
残った時間、再びルーブルへ。今度は北方絵画を見たが、ワトーなど18世紀フランス絵画はとうとう閉まっていた。
夜再びオペラガルニエへ。ヌレエフの振り付けたバレエ、白鳥の湖。華やかな舞台は、肉体の修練を花火のように閃かせて消えていく。Wolfgang / Rothbart 役のミック・ジャガーに似た男性ダンサー Wilfried Romoli が存在感ある。王子役はなんとジャンプを連続してこけていた。歌舞伎のような中心を引き立てるシステム。オペラ座、歌舞伎座と近く感じた。

10月12日(日)

ノートルダム ホテルのチェックアウトをすませ、ノートルダム寺院へ。昼のミサが始まっており、2時間ほど参列する。合間に歌われるオルガン付女性ボーカルソロの詩篇89が、やわらかく恍惚として美しい。少年合唱を加えたウイリアム・バードのミサ曲も、天から降ってくるように中空に漂う。
ノートルダム鐘楼 教会内の売店で、ノートルダムの聖歌隊も加わり A Sei Voce が唱うジョスカン・デ・プレのミサ Hercules のCDを選ぶと、 ジョスカンは最高ね私も大好き、と店のおばさんが応えてくる。
鐘楼に昇れば、先ほどミサで隣同士握手をした、天使のようにかわいらしい女の子とまたあう。
サンシャペル ノートルダム地下のローマの遺跡。
サンシャペルヘ。夕刻発の帰国の便へ。


10月13日(月)

 成田着。

 ヨーロッパ!
 日本に戻ってすぐに、再び雑事と日本的な人間関係の中に取り込まれる日々。
 短い間だったけれど、今回感じたことは日本との違いよりむしろ、歴史の転換の中で目に見えない所で共通する何か。それを個人的には、沈黙の音楽とでも呼べるだろうか。
 行列をつくって視た、闇を照らす画家ジョルジュ・ド・ラトゥールの絵画はもちろん、通りすぎ観てきた数千の美術品にも、朝の地下鉄で聴いたアコーディオンで弾くバッハのフーガにも、音やイメージの具体的なものを通して現われださざるをえない、共通する何か。
 ウィーンにいて活躍する古楽ヴァイオリン奏者、ヒロ・クロサキは、楽器はもとより弓・弦にいたるまでオリジナルを尊重した演奏の後、次のように感想を述べる。



 録音に使った楽器は現代のピアノとヴァイオリンより音量が小さいのですが、それゆえに、本当のpp或いはpppの弾き方を学ぶことが出来たのです。そのような" Inner Dynamics "[弱音方向への表現力への広がり、或いは内向的な表現力の幅]に関しては、現代の楽器よりもオリジナルの楽器のほうが大きいように思えます。オリジナル楽器に接することで、楽器の音に更に注意深く耳傾けるようになり、音楽のフレーズをより深く感じ取るようになり、どんな細かなニュアンスも見逃さないようになり、遂には自分自身の内側にもそれらを感じ取るようになります。その体験は、モーツァルトの音楽にとてもよく似ています。楽譜に書き込まれた小さなターン等の細部が、突如として私たちの魂に触れて、心の奥底にある感情を明るみに出してしまうモーツァルトの音楽に。
(ヒロ・クロサキ「この録音について」CD『ヒロ・クロサキ モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ集』ERATOより)

 また日本在住の古楽演奏の第一人者、有田正弘はクラヴィコードにふれ次のように話す。

 クラヴィコードは、日本ではまだほとんど知られていないし、欧米でもそれに等しいんだけれど、この世の中で最も音量の小さな楽器の一つは、それにもかかわらず、その表現能力の幅にはすさまじいものがある。この前、あるところでぼくがイタリア料理を作り、クラヴィコードを弾くという、仲のいい仲間だけの集まりで、フルーティストなのにクラヴィコードを弾いたんだけれど、ぼく自信がいつも感じるのは、あのクラヴィコードの 無音に近い弱音 の中で表現していくということは、まず自分自身がその音をどれだけ深く感じることができるかという問題と、聴衆の側にまわったとき、その小さな音の中に表現を聴くという姿勢そのものが、何がなんでも聞こえてきちゃうという音量ではないから、そこに精神的に集中して入り込んでいく。そのときの、ふだんは聴き逃していたかもしれないような微妙なニュアンスを、つい全部嗅ぎとってしまう。そこで深く心の中に入り込む。そういうものが非常に面白いと思うのね。
 フルートは、クラヴィコードよりははるかに音量がでかい楽器なんだけど、ひょっとして自分が吹くフルートの中でも、それと同じような微妙な表現ができるんではないか。その可能性をぼくはすごく求めている。
 あと、このフルートとクラヴィコードという二つの楽器だけではなくて、音楽やその表現は、人間がいるからできるものなんだけれど、演奏者としての人間ではなくて、聴衆がいるかいないかということが、もう一つ問題になってくる。十七、十八世紀やそれ以前の人々が考えていた音楽というものは、そういうものをはるかに超えているところを見つめていた、という事実もぼくは最近知ったし。
 ということは、もっともっと違う、いまぼくたちが簡単に言うような表現とは違う表現があるかもしれない。それは心の中に、人間が一番最初にもっているものに触れる何かがあるんじゃないか、という気がして、いま大変な問題を自分の中につくってしまった。大げさな言い方になっていやなんだけれども、宇宙調和論というものが音楽の中で取り沙汰された時代が、かってあった。それはいったいなんなんだろうという──。

(「古楽、うち・そと 有田正弘、寺神戸亮さんにきく」『レコード芸術』 1997年5月号より)

 "Inner Dynamics"の考え、クラヴィコードの「無音に近い弱音」とそこから見えてくるもの。ヨーロッパの厚い伝統を受け止め、新しい展開を模索する二人の音楽家から出てきた体験は、ともに極めて共通しているのではないだろか。
 沈黙の音楽とでも究極に言えるこのことは、アジア圏の一員である日本人だから出てきた考えかもしれない。

 そしてガット弦のストラディバァリウスやクラヴィコードを、そのまま東アジア圏の楽器の王者である琴(中国の古琴、七弦琴)に置き換えれば、それは遥か古代から最も大切にしてきたイデアであることに気がつく。

 (これを書いた翌年、ベルギーのクラヴィコード製作家のトゥルネーさんが来日し、やはりベルギー在住の演奏家綿谷優子さんと共に講演と演奏旅行をされました。綿谷さんのホームページには、トゥルネーさんの書いたクラヴィコードと古琴の美学についての瞑想的なエッセイ「フランス年代記3」があります。このエッセイは嵇康の《琴賦》と徐上瀛の《溪山琴况》に触発され書かれています。)


クラヴィコード 壷絵 ボブディラン クリュニー修道院 オペラ座模型 Hotel de L'Odeon ドラクロアアトリエ
コローモルトフォンテーヌの想い出 ヴェルサイユ シャルトルの光 モロー居間 ノートルダム ノートルダム鐘楼 サンシャペル





2004中国書画展示案内

  • Bibliothèque nationale de France, Paris
    Chine, l'Empire du trait
    du 16 mars au 20 juin 2004

  • Galeries nationales du Grand Palais , Paris
    Montagnes celestes, tresors des musees de Chine
     中国5大美術館を中心とした山水画精品展  →参照:展示リスト
    1er avril-28 juin, 2004
    Canevas ancestral du paysage, montagnes (山) et rivieres (水) occupent dans l'art chinois une place centrale. L'exposition propose un large apercu d'un des themes les plus remarquables de l'art chinois grace aux prets exceptionnels des musees de la Republique populaire de Chine (de Beijing 北京故宮博物院, de Shanghai 上海博物館, de Tianjin 天津芸術博物館, de Nanjing 南京博物院, et du Liaoning 遼寧省博物館) et a quelques oeuvres issues des collections francaises - au total une centaine de peintures du XIIe au XIXe siecle et une cinquantaine d'objets archeologiques.

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