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 中国絵画史ノート 清時代4 揚州八怪、山水画から花卉画へ

揚州の繁栄
清中期乾隆年間1736-95 の安定社会 揚州は安徽・山西の塩商を中心に繁栄の絶頂
塩商馬曰琯、馬曰璐兄弟の小玲瓏山館のサロン、邗江吟社
文人袁枚1716-97 1781年羅聘《袁枚像》 京都国立博物館

揚州八怪
八怪は誰かについての様々な説(薛永年編『揚州八怪攷弁集』のを整理)

汪鋆『揚州画苑録』       李鱓                   李葂
凌霞『天隠堂集』     高風翰 李鱓   金農 黄慎   鄭燮 李方膺     辺寿民 楊法
李玉棻『甌鉢羅室書画過目考』       李鱓 汪士慎 金農 黄慎 高翔 鄭燮 李方膺   羅聘    
葛嗣浵『愛日吟廬書画補録』 華嵒       金農     鄭燮          
黄質(賓虹)『古画微』       李鱓 汪士慎     高翔 鄭燮 李方膺   羅聘 辺寿民 陳撰
陳衡恪『中国絵画史』       李鱓 汪士慎 金農 黄慎   鄭燮 李方膺 閔貞 羅聘    

身分:潤筆料をとり売画で生活
布衣(無官)の文人職業画家:金農高翔汪士慎
   元官僚の文人職業画家:李鱓[魚單]鄭燮李方膺高鳳翰
    文人化した職業画家:黄慎羅聘華嵒
              辺寿民閔貞陳撰
         [指画派]高其佩
画の特徴:
1.花卉画 “金臉(肖像),銀花卉,要討飯(乞食),画山水”『揚州画苑録』
2.写意水墨 沈周→徐渭→石濤→揚州八怪→近代呉昌碩、斉白石の系譜
3.詩書画篆刻一体 画冊など小画面に顕著

華嵒 1682-1756
華嵒自画像 [生涯]
字秋岳、号新羅山人、白沙道人 福建臨汀県(新羅は古名)人
1703年22歳杭州に住む 以降しばしば揚州に滞在
1751年70歳杭州に帰り没
[作品]
詩:詩集『離垢集』
画:人物、山水、花鳥、草虫に清奇な風格
1727年46歳《自画像》 北京故宮博物院
1732年51歳《金谷園図》 上海博物館 西晋の石崇と緑珠の物語
1730-38年49-57歳頃《鵬挙図》 泉屋博古館 『荘子』逍遥篇の大鵬を描く
1738年57歳《溪山楼観図》屏風 金箋紙墨画 12幅 各227.6×55.2cm
 サンフランシスコアジア美術館
《倣米青緑山水図》 上海博物館 青緑の米点
1755年74歳春《天山積雪図》 北京故宮博物院 晩年の代表作
1755年74歳《秋声賦意図》 大阪市立美術館 欧陽脩『秋声賦』の詩意
1755年74歳冬《陶淵明図》 日本個人旧蔵 

高鳳翰 1683-1749
高鳳翰自画像 [生涯]
字西園、号南村、南阜老人、尚左生 山東省膠県人
1702年20歳秀才となる
地方官を歴任後、揚州に流寓
1737年55歳右手麻痺のためこれ以降左手を使う 怪!
[作品]
詩:詩集『南阜山人詩集』 没後、族弟高研邨(原名元真、字鶴汀)編
書:隷書を善くしたが、左手以降は独特に歪み老成した風趣が人気をよぶ
 『硯史』自刻硯を編集(二玄社復刊)
画:はじめ細筆による精緻な作、揚州客遊さらに左手以降、粗放さを増す
1719年37歳《書画帖》 泉屋博古館 長男高汝延-1731のため
1727年45歳《自画像》 北京故宮博物院
1734年52歳《指画図冊》 大阪市立美術館 
弘済江天図1734年52歳《山水書画冊》12開 紙本水墨設色 山東省博物館
1736年54歳《山水詩画冊》 ベルリン東アジア美術館
  参考 山東省の楊州八怪 高鳳翰 高鳳翰、高汝延の作品

李鱓 1686-1761(1760?)
[生涯]
江蘇興化人
1711年挙人になる
1713年9月康煕帝南巡の際、献詩口外、康煕帝の賞識があり南書房行走に入る
1714年蒋廷錫の下、内廷に供奉。詩画により公卿に知られる
1718年9月前“乞帰,給假帰裡”,宮廷を離開
1725年鄭板橋、李鱓、黄慎と揚州天寧寺に同寓
1730年再び宮廷に召され、高其佩より溌墨・指墨の法を得る 題画“梵王家異帝王家”
1734年再び宮廷を離開,臨行題句に宮廷画派と決裂の態度
1737年3月後山東臨淄県令を任
1740年滕県県令を罷免される 県志“為政清簡,士民懐之”
1741年歴下に先後一年余り住む
1742年歴下,滕県などを転々とする
1744年末、興化に帰る
1745年揚州で売画、小東門内の西雷壇に住む。この後数年、揚州と興化を往来
1755年揚州の竹西僧舎に定居、浮漚館を建て詩画に耽る
[作品]
書:小字の行草に情緒、大字は俗
画:混色を生かした花鳥に長じ、清末の海上派に大きな影響を与える
雍正年間1723-35頃《五松図》 絹本 160.2×89.0cm 東京国立博物館
自題「五松図詩」:“有客要余畫五松,五松五様都不同。
 一株勁直古臣工,晉笏垂紳立辟雍。頽如名將老龍鍾,卓筋露骨心膽雄。
 森森羽戟奮軍容,側者臥者生蛟龍。電旗雷鼓鞭雨風,爪鱗變化有無中。
 鸞鳳長嘯冷在空,傍有蒲團一老翁。是仙是佛誰與從,白雲一片青針縫。
 吁嗟!空山萬古多遺蹤,哀猿野鶴枯僧逢。不有百岳藏心胸,安能屈曲蟠蒼穹?
 兔毫九折彫癡蟲,墨汁一斗邀群公,五松五老儘呼嵩。懸之君家桂堂東,俯視百卉兒女叢。

《五松図》10本以上の異本:
  1735年雍正十三年《五松図》 南京博物院
  1747年乾隆十二年《五松図》 クリーブランド美術館
  1751年乾隆十六年《五松図》 294×137cm 2010年嘉コ春期拍売
  1755年乾隆二十年《五松図》 広州市美術館
  《五松図》 ケーヒル旧蔵 カリフォルニア大学美術館
  《五松図》 吉林省博物館 など
1734年雍正十二年十月《芭蕉竹石図》 195.8×104.7cm 北京故宮博物院
 鄭燮題:“君家焦竹浙江東,此畫還添柱石功。最草謳カ清貴客,宮袍南院四時紅。” 鄭燮との交友、仕官の志を共有
1736年51歳《花卉図冊》34開 京都国立博物館
 李方膺、彭家屏等題
1740年乾隆六年十二月(1741)《芍薬図》 東京国立博物館
 自題:
點罷熟支認不眞,人皆說是広陵春。春歸不醒烟花夢,十里笙歌聽殺人。
 禪智寺前春色賒,四枝開出爛如霞。巧逢名士簪回去,遂喚人間作相花。


汪士慎 1686-1759
[生涯]
字近人、号巣林、安徽休寧人
1686年安徽省于皖歙県黄山ふもとの富溪村に生
1733年馬氏兄弟の小玲瓏山館で《竹石図》を作、この頃邗江吟社で金農、高翔などと唱和、また呉、越に遊ぶ
1736年《粉梅図》
1739年越から帰り作画
1744年揚州城辺に茅屋を買い《移居図》を作る、金農などの詩の祝賀
1752年左目を失明、やがて全盲となる。失明後狂草を作り、金農に告げる
[作品]
詩:1752年以後『巣林集』馬曰 が刻板
書:拙いが品格と静謐さのある書、隷書を好む
画:梅花、水仙を好み、清爽な趣

金農 1687-1763
金農自画像 [生涯]
原名“金司農”、字“寿田”
字寿門、号冬心、仁和(浙江省銭塘県)人
1706年蕭山に毛西河を拜見、冬に丁敬と交わる
1707年蘇州に行き何[火卓]を師として読書二年
1714年厲鶚と交わる
1720年揚州に行き陳撰、厲鶚と相聚、程夢星の 園に出入りする
1723年山東蓬 に行く
更名期:
1725年雍正三年39歳元月、名を金農に変える
“司農 " (九卿大官)の夢の破滅、“農"夫の隱逸思想へ
 暮春揚州を離れ、4年にわたる北游の開始 先ず北京へ
1726年南下し娘子関、太原、臨汾を過ぎ,山西沢州午亭山村の陳幼安の家に3年滞在
1733年『冬心先生集』『冬心斎硯銘』を広陵般若庵で開雕
1735年江西より揚州に帰る、浙江帰安知県裘魯青荐、博学鴻詞の試に応じる
成熟期:
1736年北京で応試、不合格のため帰る途中、曲阜に逗留、年末揚州、杭州に
売書画を開始
1746年杭州で60寿辰、冬揚州に住む
1748年杭州城南の妹婿の“何氏書屋”に種竹百竿
1750年再び揚州に行き謝司空宅(天寧寺)に客
1755年金農など盧雅雨の紅橋修禊に加わり詩を唱和
1756年揚州西方寺に住む
 友人に篆刻の丁敬、製硯の朱龍善、琴の荘潤郎、歌の蘇春解など
[作品]
詩:『冬心先生集』
書:金石書法の先駆 50代以降の漆書 怪!
 (天発神讖碑の篆意を交え横画が太く縱画が細いゴシック文字のような隷楷書)
前期:右肩下がりの行草書の成熟
 “金司農"落款“金司農印"“壽田"印
 “江湖聽雨翁"、“布衣三老 "、“與林處士同色"、“紙裘老生"印等
更名期:50歳以前“金司農印 "
 隸書成熟期、“隸楷"“寫經本楷書"の出現(木板の氣)
成熟期:50歳以後《西岳華山廟碑》から“漆書"の創造(金石の氣)
画:梅竹、馬、雑画、晩年には仏画に長じた “奇古の気”(『桐陰論画』評)
1736年50歳《墨梅図》4幅 各97×52cm 在宣武門外寓楼中画
1754年68歳《墨戯冊》12開 ニューヨーク・翁万戈 古拙
1761年75歳《自画像》 北京故宮博物院
1761年75歳《月下図》 北京故宮博物院

黄慎 1687-1768?(1770?)
[生涯]
字恭寿、号癭瓢、福建寧化人
1687年端午に福建省寧化の蛟湖に生
1700年父湖南に客死
1702年母の住む家を出、仏寺に入り書画を学ぶ
1712年張氏と結婚
1719年建寧、贛州、南昌、広東、南京などで売画
1724年揚州で売画、画名を得る
1725年鄭板橋、李鱓、黄慎と揚州天寧寺に同寓
 黄慎は平山下の李氏三山の草廬に移る
1727年寧化に回り母、弟を揚州によび養う、途中、瑞金で上官周に会う
1729年邵伯艾陵湖に遊び辺寿民、李鱓などと画を合作
1730年再び金陵に游ぶ
1735年母を伴い寧化に帰る
1736年福建を転々とし売画
1745年母世を去る
1751年再び揚州に行き、楊倬雲の刻竹斎、楊開鼎(星[山婁])の双松堂に住む
1755年如皋に游ぶ
1770年頃寧化の家中にて卒、2年後寧化の北郊の茶園の背に葬られる
[作品]
詩:『蛟湖詩鈔』
書:飄逸な趣の草書(転角で筆を停滞) 清に草書を善くする人は少い 怪!
画:草書の法による人物、山水に本領、時に福建地方の「閔習」 花鳥も独自に洗練
1726年40歳《花卉巻行書詩題図冊》12開 上海博物館
1729年43歳《邗水寄情冊》巻装 リートベルク美術館 双松堂にて
1735年49歳《秋柳詩意図巻》 東京国立博物館 山水の風景化
1738年52歳《山水墨妙冊》12開 泉屋博古館 自題「坐雲看起」秦淮の景

高翔 1688-1753
[生涯]
字鳳岡、号西唐、江蘇甘泉(揚州)人 詩画に巧み
1688年揚州府甘泉県に生
1737年50初度,馬氏兄弟、汪士慎などと詩賀
1742年小玲瓏山館にて懐人詩120首を読む
1743年汪士慎、高翔合作《梅花帳》巨制
1744年《弾指閣》図
1748年留雲館にて焦五斗画梅
1753年揚州の五岳草堂に卒,享年66歳
[作品]
詩:『西唐詩鈔』散逸
書:八分を巧みにし、晩年右手を廃し左手で書し、奇古と評された
画:山水は初め弘仁、後に石濤の奔放な筆に学ぶ 簡略な筆の詩画小品に長
《揚州即景図冊》8景 北京故宮博物院 明府王晴江が平山堂で催した席にて

鄭燮 1693-1765
[生涯]
字克柔、号板橋、江蘇興化人
貧困青年期:
1693年康煕三二10月25日興化東門外古板橋に生
1706年14歳継母[赤邑]氏卒
1715年23歳徐氏と結婚
1716年24歳秀才に受かる
1718年26歳真州の江村に塾を設け教える
1722年30歳父立庵先生卒
揚州売画期:30代
1723年雍正元31歳 この頃揚州で売書画
1724年32歳 江西などに行く
1725年33歳李鱓、黄慎と揚州天寧寺に同寓、第2次北京行、慎郡王允禧(?-1758康煕帝第21子)を識る、揚州に帰り『道情十首』原型を書く
1727年35歳通州に行く
1728年36歳8月李鱓、黄慎と揚州天寧寺に同寓
1729年37歳『道情十首』初稿完成
1731年39歳妻徐氏病歿
科挙受験期:40代
1732年40歳南京郷試、挙人になる
1735年43歳饒氏を識る。鎮江の焦山にて読書、杭州へ
1736年乾隆元年44歳 北京に行き進士
1737年45歳揚州に帰り饒氏と結婚
1741年49歳入京、允禧親王などと交わる
山東県令期:50代
1742年50歳山東范県県令(知事)に赴任
1746年54歳濰県県令に、この年山東大飢饉、農民の困苦を救い善政をしく
1747年55歳済南の試院に参加し郷試の評選にあたる
1748年56歳乾隆帝の東巡にあたり書画史を任命され、泰山頂に40余日住む
揚州晩年期:60代
1753年61歳春、上役にさからい官を罷免される
1754年62歳春、杭州、湖州、会稽に游ぶ
 揚州に行き売書画の生活
1759年67歳潤例(揮毫料)を掲げる 資本主義前夜のユーモア、怪!
 大幅六両、中幅四両、小幅二両、書状・対聯壱両、扇子・斗方五銭
 凡そ礼物や食物を送っていただくのは、総べて白銀の妙に如きません
 公のお送くりなさる所、未だ必ずしも弟(鄭燮)の好む所ではありません
 現銀を送っていただけば、則ち中心喜楽し、書画皆佳くなります
 礼物は既に糾纏(煩瑣)に属し、賒欠(貸し売り)は尤も頼賑(貸し損)
 年老い神が倦いてしまい、また諸君子に陪した無益の語言はできません
  画竹多于買竹銭
  紙高六尺価三千
  任渠話旧論交接
  只当秋風辺耳過
   乾隆己卯 拙公和尚の属により「謝客」を書す

1765年73歳12月12日(新暦1766年1月22日)興化に卒、城東管阮荘に葬られる
[作品]
真気・真意・真趣の三真を備えた詩書画三絶の作
詩文:『板橋全集』 書信「家書」
白居易や陸游に似、民衆の痛苦を歌う詩「悍吏」「私刑悪」「孤児行」「逃荒行」
書:行楷に隷書の筆法と異体字をまじえた颯爽とした〈六分半書
 沈周、徐渭に習い以画入書(絵の描き方で字を書く)“吾作書,又往往取沈石田、徐文長、高其佩之畫以爲筆法,要知書畫一理也。”(1753年「墨竹図跋」南京市博物館蔵墨蹟)
「乱石鋪街」の章法(字形の大小や左右に乱れる配置、左右に傾く字)
山東県令期:50代
1752年乾隆17年60歳5月《新修城隍廟碑記》190×80 原碑:濰坊市博物館 最精の楷書
 1752年元日行楷草稿《重修城隍廟碑記》12開各22.3×18.3 南京博物院
揚州晩年期:多作期
1764年乾隆29年72歳楷書《懷素自叙帖語》軸 東京国立博物館
画:水墨写意の墨蘭・墨竹に最も長じる
徐渭、八大山人、石涛に学ぶ“石濤和尚客吾揚州數十年,見其蘭幅極多,亦極妙。學一半,撇一半,未嘗全學。非不欲全,實不能全,亦不必全也……。
科挙受験期:40代
1740年乾隆五年48歳《蘭竹石圖》127.6×57.7 北京故宮博物院 岩の中に題詩
揚州移住初期:最充実期
1753年61歳3月《墨竹図》屏風 東京国立博物館 みずみずしい墨色 
1753年61歳仲冬《遠山煙竹図》屏風 プリンストン大学美術館 画作の充実期
1753年乾隆癸酉十八年61歳12月25日《蘭花圖》96.3×48.2 北京故宮博物院
 “素心蘭與赤心蘭,總把芳心與客看。豈是春風能釀得,曾經霜雪十分寒。
揚州晩年期:多作期
《梅竹圖》 127.8×31.3cm 北京故宮博物院
画論:眼中之竹→胸中之竹→手中之竹の3段階論 胸有成竹から「胸無成竹」へ
 書画の関係“以書之關鈕透入於畫
 画蘭“蘭葉用焦墨揮毫,以草書之中豎長撇法運之”蘭花用隸書草書
多作:「一百餘家一千餘幅作品、其中書法約占三分之二」(周積寅)
 板橋派には、劉敬尹、鄭墨、木匠譚子猷などがおり、当時から偽物が多い

李方膺 1697-1756
[生涯]
字虬仲、秋池、号晴江、抑園、白衣山人、乳名龍角 江蘇南通人
1697年通州(江蘇省南通)に生(生卒経歴には1695-1755年の異説、ここでは薛永年による)
1706年10歳 父李玉メが進士に及第
1729年父が雍正帝に謁見、方膺は破格の試用により山東省楽安知県に
1730年大水の際の独断による救災策により劾せられる
1735年蘭山知県に配置、河南総督の性急な開墾策を諌めたため冤獄3月
 乾隆帝の下詔により総督が罰せられ、方膺は出獄、復職
1739年父卒のため南通の家に戻り、3年後母卒のため引続き南通に喪服
1746年50歳 安徽省潜県令ついで1749年合肥県令
1750年再び独断の救災策を密告され官を辞し、安徽省合肥五柳軒に3年客す
晩年:公然と売画の生活 怪!
1753年57歳 南京淮清橋北の項氏花園に画室“借園”を構え(前年より)移る
 南京小倉山の随園に住む袁枚や沈鳳との「三仙出洞」の親しい交友
1756年60歳 噎疾のため南通に卒、遺嘱により袁枚が墓志銘を書く
[作品]
詩:『梅花楼詩鈔』
書篆刻:自刻印も含むか →雅昌芸術網資料参照
画:墨梅に最も長じる “蟠塞夭喬、古法未だ有らず”袁枚「李晴江墓志銘」
1753年《竹石図》 139.5×54.5cm 北京故宮博物院 乾隆十八年六月 風竹
 題:有肉之家竹不知,何堪淡墨一枝枝。老天愁煞人間俗,吩咐清風托畫師。
1754年《風竹図》 紙本水墨 147.7×55.5cm 上海博物館
自題:波涛宦海幾飄蓬,種竹関門学画工。自笑一身渾是胆,揮亳依旧愛狂風。
1754年《梅花図冊》14開 京都国立博物館
《遊魚図》 123.5×60cm 北京故宮博物院

閔貞 1730-1788?
[生涯]
字正斎、江西南昌人、漢口に住み、揚州に流寓 早くに父母を亡くす
[作品]
呉偉の溌墨に学んだ人物、直筆の仕女、山水に長じる
《採桑図》 北京故宮博物院 白描の仕女、木や岩に溌墨 楽府「陌上桑」の故事

羅聘 1733-1799
羅聘自画像 蓑笠図 [生涯]
字遯夫、号両峰、花之寺僧、安徽歙県人、揚州に寓居
1733年揚州樊家園旧宅に生
1753年方婉儀と結婚、方は詩、画梅を善くする
1771年《鬼趣図》を携え北京へ上り万明寺に住む 翁方綱、銭載らとの交友
1773年天津にて金農の子女と『冬心先生続集』を整理、泰安に行き泰山に登る
1777年江西に游ぶ
1779年2度めの北京行、5月19日妻方婉儀が病のため逝く、羅聘は翌年帰郷
1781年南京で売画,袁枚、呉先之らと交流
1789年聘に応じ“瓜洲育嬰堂”董事を任
1790年幼子を携へ3度めの北京行、8年滞留する
1798年老友の資助を得、長子允紹が北京に行き、共に揚州に帰る
1799年66歳旧宅“朱草詩林”にて逝く
 11月12日甘泉西郷の小胡家廠に葬、出殯時、執[糸弗]する者は数千人という
[作品]
詩文:『香葉草堂詩存』、『我信録』(『正信録』『起信録』)
人物、花卉、山水、特に当時流行の妖怪!が得意
湿らした紙によるにじみを生かす
項均と共に金農の弟子、代筆も行う
1774年42歳《姜白石詩意図冊》12開 フリアギャラリー 華嵒野焼図の影響
1790年58歳《鄧石如登岱図》 北京故宮博物院 鄧石如1743-1805の48歳の肖像
《丁敬身先生倚杖坐石像》 西汵印社 丁敬詩、尺牘、袁枚詩と合装

辺寿民 1684-1752
[生涯]
原名維祺,字寿民,後に字頤公、号漸僧、葦間居士。
山陽(江蘇省淮安縣)人、揚州を往来
[作品]
文:『墨説』“画不可拾前人,而要得前人意”
画:花鳥、蔬果、山水、とりわけ蘆雁に優れ“辺の蘆雁”と呼ばれる
蘆雁画:瀟洒な溌墨写意、生活の感慨悲凉をいう題詩
1732年48歳《蘆雁画図》 北京故宮博物院
蔬果花卉冊:先に淡墨で細い輪廓、ついで干筆淡墨で輕く皴擦
 西洋画の素描に近い立体陰影表現、背景を作らず空白に詩文

陳撰 1686?-乾隆前期
[生涯]
字玉几、号楞山 浙江銭塘人
[作品]
詩:詩集『玉几山房吟巻』『繍鋏集』
画:混色による花卉画
《花卉図冊》13開 黒川古文化研究所 

高其佩 1660-1734
[生涯]
字韋之、号且園 遼寧鉄嶺人、漢軍旗人 裔孫の高秉による1771年『指頭画説』
[作品]
指頭画(爪や指の腹を用い描く画)に長ずる(揚州八怪ではないがの技法)
1708年49歳《指頭画冊》12開 上海博物館
1724年雍正二年65歳《指頭山水画冊》12開 京都国立博物館
1726年雍正四年67歳《円明園図》 中貿 雍正帝登高を刑部侍郎高其佩が描く
1728年雍正六年69歳《怒容鐘馗図》 遼寧省博物館
《指頭山水図冊》12開  27.2×33.2cm アムステルダム国立博物館 代表作
《乞儿図》 90.5×45.4 台北故宫博物院



参考書
故宮博物院 第5巻 清の絵画 宮崎法子編 NHK出版協会 1999年
世界美術大全集 東洋編9 清 西上実他編 小学館 1998年
中国書法全集 清代編 金農鄭燮巻 黄惇、周積寅編 榮宝斎 1997年
泉屋博古 中国絵画 泉屋博古館編カタログ 1996年
水墨美術大系11 八大山人・揚州八怪 米沢嘉圃・鶴田武良編 講談社 1975年
李斗 揚州画舫録 1795年自序 北京中華書局 1960年
揚州八怪研究資料叢書 江蘇美術出版社
 揚州八怪詩文集 葦間老人題画集、巣林集、板橋集、嘯村近体詩選 1985年
 王鳳珠、周積寅編 揚州八怪現存画目 1991年
 王鳳珠、周積寅編 揚州八怪書画年表 1992年
 薛永年編 揚州八怪攷弁集 1992年
 揚州八怪年譜上・下 1993年
揚州画派書画全集 天津人民美術出版社
 金農2巻 1996年 華嵒、高鳳翰、李鱓、羅聘 1998年
 黄慎、鄭燮 1999年 汪士慎、李方膺、辺寿民 2000年

参考サイト
揚州八怪絵画作品展 北京故宮博物院 李鱓 汪士慎 金農 黄慎 高翔 鄭燮 李方膺 羅聘
揚州八怪人物
おすすめ展覧会
 泉屋博古館東京分館《開館記念展》

2002年10月25日〜2003年2月2日(12月11日展示替)(終了)
世界的に著名な住友コレクションから中国古銅器と中国絵画の展示
伝閻次平「秋野牧牛図」漸江「竹岸廬浦図巻」石渓「報恩寺図」八大山人「安晩帖」石濤「黄山八勝画冊」石濤「廬山観瀑図」石濤「黄山図巻」沈銓「雪中遊兎図」など
入館料:一般500円、学生300円、小学生未満無料







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 清時代4 揚州八怪  2002.12.25作成 

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