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 中国絵画史ノート 清時代1 清初の遺民画家 八大山人と石涛

清初期 貳臣(明と征服民族である清と二朝に仕えた文人) …王鐸など
明朝遺民(征服民族である清に仕えない文人)の生き方
  →復社などの抵抗運動
  →韜晦と隠遁の生活(学者、僧侶など)
 画において、同じ異民族支配を受けた元代文人画への共感
 清代初期の4人の遺民画家 “四僧”石涛、八大山人、石谿、弘仁(漸江)

附【明末清初 禅宗曹洞宗寿昌派の系譜】
無明慧經─┬─無異元來─┬─古航道舟───漸江弘仁
1548-1618 │ 1575-1630 │ 1585-1655   1610-1663
     │      ├─雪關智閣───穎学弘敏──忍菴傳綮(八大山人)
     │      │ 1585-1637   1607-1672   1626-1705
     │      ├─嵩乳道密───南菴大依───雪荘傳悟
     │      │ 1588-1658   1617-1683   約1653-1721
     └─晦臺元鏡─┴─覺浪道盛─┬─觀涛大奇
       1577-1630   1592-1659 │(1659崇先寺住持?)
                   ├─闊堂大文───東皐心越
                   │ 1617頃-1676頃- 1639-1695
                   ├─墨歴(無何)大智(方以智
                   │ 1611-1671
                   ├─石溪大杲(髠殘
                   │ 1612-1673
                   └─半千大啟(龔賢
                     1619-1689

八大山人 1626-1705
八大山人49歳肖像 [生涯]
名中桂、統lin [林/金](とうりん)?、朱耷(しゆとう)、字雪个(せつこ)
明太祖朱元璋の第16子寧王朱権の9代目として寧藩の分家、弋陽府(江西省南昌)に生
1.家学期 名:統[金□](以下の4画期は王方宇氏による)
10代後半諸生(科挙受験生)になる 祖父朱多[火正]1541-89の影響
1644年19歳3月19日明朝滅びる
1645年20歳清軍の南侵、奉新山に逃れ燈社(南昌東南の進賢県介岡)に入る
2.逃禅期 法名:法堀伝綮
1648年23歳出家、曹洞宗青原下、穎学弘敏1607-72に師事、法堀の名
1653年28歳曹洞宗第38代伝人となる、伝綮の名
1656年31歳奉新県新興郷の耕香院の宗師、30歳代の画に刃庵の字
1671年46歳頃南昌近くの臨川県令(町長)胡亦堂(こえきどう)に招かれ滞在
 詩の応酬、号个山
1672年47歳恩師宏敏示寂、以降しばしば雲遊する
1674年49歳八大山人肖像 黄安平《个山小像》 八大山人記念館
 北蘭寺和尚澹雪(明朝遺民の庇護者、霊巖継起の高弟)との交友
1677年52歳再び胡亦堂のもとに滞在
3.還俗期 名:(ろ)、驢書、驢屋人屋
1680年55歳発狂し、南昌に戻り還俗(この頃清朝統治の政治的ェ容期)
1682年57歳売画を主とす、結婚と破局?
4.安老期 名:八大山人
1684年59歳八大山人を名のる(行楷書《内景経》冊 フリア美術館
 江西巡撫(地方長官)宋犖の招聘を拒否
1688年頃宋犖の部下劭長衡(しようちようこう)1637-1704『八大山人伝』奇行を記録
八大山人者,故前明宗室,爲諸生,世居南昌。弱冠遭變,棄家遁奉新山中,剃發爲僧。不數年,豎拂稱宗師。
住山二十年,從學者常百余人。臨川令胡君亦堂聞其名,延之官舍。年余,竟忽忽不自得,遂發狂疾,忽大笑,忽痛哭竟日。一夕,裂其浮屠服,焚之,走還會城。獨自徜徉市肆間,常戴布帽,曳長領袍,履穿踵決,拂袖翩跹行。市中兒隨觀嘩笑,人莫識也。其侄某識之,留止其家。久之疾良已。
山人工書法,行楷學大令、魯公,能自成家;狂草頗怪偉。亦喜畫水墨芭蕉、怪石、花竹及蘆雁、汀鳧,翛然無畫家町畦。人得之,爭藏弆以爲重。飲酒不能盡二升,然喜飲。貧士或市人屠沽邀山人飲,輙往;往飲,輙醉。醉後墨瀋淋漓,亦不甚愛惜。數往來城外僧舍,雛僧爭嬲之索畫;至牽袂捉衿,山人不拒也。士友或饋遺之,亦不辭。然貴顯人欲以數金易一石,不可得;或持綾絹至,直受之曰:“吾以作襪材。”以故貴顯人求山人書畫,乃反從貧士、山僧、屠沽兒購之。
一日,忽大書“啞”字署其門,自是對人不交一言,然善笑而喜飲益甚。或招之飲,則縮項撫掌,笑聲啞啞然。又喜爲藏鈎拇陣之戲,賭酒勝則笑啞啞,數負則拳勝者背,笑愈啞啞不可止,醉則往往欷歔泣下。
予客南昌,雅慕山人,屬北竺澹公期山人就寺相見,至日大風雨,予意山人必不出,頃之,澹公持寸箚曰:“山人侵早已至。”予驚喜趣乎筍輿,冒雨行相見,握手熟視大笑。夜宿寺中剪燭談,山人癢不自禁,輙作手語勢。已乃索筆書幾上相酬答,燭見跋不倦。
贊曰:世多知山人,然竟無知山人者。山人胸次汩浡郁結,別有不能自解之故,如巨石窒泉,如濕絮之遏火,無可如何,乃忽狂忽喑,隱約玩世,而或者目之曰狂士、曰高人,淺之乎知山人也!哀哉! 予與八大山人宿寺中,夜漏下,雨勢益怒,簷溜潺潺,疾風撼窗扉,四面竹樹怒號,如空山虎豹,聲淒絶,幾不成寐。假令山人遇方鳳、謝翱、呉思齊輩,又當相扶攜慟哭至失聲,愧予非其人也。
(邵長衡「八大山人傳」)
1691年康熙三十年66歳以降江西省内を雲遊、商人文士の方士琯(鹿村)と交流
 方士琯、程京萼らを通じて売書画の生活。八大山人の“名は天下に満”ちたが、画格は安く貧しかった(「河水一擔直三文」「何廉也」)
1697年72歳頃以降南昌に。
1699年康熙三十八年74歳浴仏節前夕(四月初一)揚州邗江大滌堂で石濤と会い
 《蘭竹図》軸、《為岱老年翁寫古樹苔石図》を石濤と合作したか
1701年76歳以降南昌の寤歌草堂に
1702年77歳以降、拾徳何園款を用いる
1705年80歳病のため草堂で逝く
乙之旃蒙,酉乃作噩,行年八十,守道以約。(八大山人「寤歌草堂自題八十歳画像」)
一室寤歌處,蕭蕭滿席塵。蓬蒿藏戸暗,詩畫入禪真。
遺世逃名老,殘山剩水身。青門舊業在,零落種瓜人。
(葉丹「過八大山人」)

[作品]
書:初期には欧陽詢を基礎に、董其昌の行草から黄庭堅を学ぶ角張った書
1684年59歳行楷書《内景経》冊 フリア美術館 八大山人款
後期1689,90年頃から王羲之を学び、篆書の筆法をとりいれた円やかな草書
1693年頃《臨褚遂良書雁塔聖教序》 フリア美術館
《臨河叙》のシリーズ:1693年から1700年にかけて少なくとも12本を遺す
 通行している蘭亭序ではなく『世説新語』企羨篇三梁劉孝標注からとる
釈文:永和九年,歳在癸丑,暮春之初,會于會稽山陰之蘭亭,修禊事也。羣賢畢至,少長咸集。此地迺峻嶺崇山,茂林修竹,更清流激湍,映帶左右,引以為流觴曲水,列坐其次。是日也,天朗氣清,惠風和暢,娯目騁懐,詢信可樂也。
雖無絲竹管絃之盛,一觴一詠,亦足以暢叙幽情已。
故列叙時人,録其所述。

1697年頃フリア美術館本《臨河叙》 33.0×53.5cm
  肥痩をつくらないまるく勁い禿筆・中鋒の筆致
1697年頃行楷書《臨雅宜山人書》 80.7×59.7cm フリア美術館 王寵を学ぶ
1697年頃行楷書《曽鞏山水屏詩》 フリア美術館
1697年頃行書《盤谷序》 フリア美術館
1698年《懐素聖母帖》跋 フリア美術館 懐素の狂草を学ぶ
1699年《臨興福寺断碑》 フリア美術館 王羲之を学ぶ
1690年代《行書聯》 213.5×43.4cm フリア美術館 圖書自僊室/山斗望南都
1700年3月20日《白居易三友詩》 フリア美術館 三友とは琴詩酒

画:簡略な筆に溌墨をそえた抽象的な花卉雑画で中国絵画史に画期
  三白眼、一本足の魚鳥獣に八大山人の心象世界をシンボライズ
 (以下、多く單國強「八大山人花鳥畫的分期與特色」による)
1.家学期 名:統[金□]  この時期の作品は不明

2.逃禅期:1648-80年23歳から55歳 法名:法堀伝綮
早期16:(傳綮、刃菴、雪个、个衲、法堀などの款印)
筆致は鋭いが軽く、形態の重厚さを欠く簡素な花鳥魚石松などの小幅
1659年34歳《伝綮写生冊》15開 24.6×31.5 台北故宮博物院 伝綮落款
 石榴・芭蕉・牡丹は徐渭、梅花・菊花・芋頭は陳淳、荷花は周之冕の鉤花点葉、松樹は沈周、湖石は清初《十竹齋箋譜》のような版画の影響
西瓜題詩:
和盤拓出大西瓜。眼裡無端已著沙。寄語土人休浪笑。撥開荒草事如麻。
無一無分別。無二無二號。吸盡西江來。他能為汝道。
從來瓜瓞詠綿綿,果熟香飄道自然。不似東家黄葉落,謾將心印補西天。
  己亥暢月(11月)广道人題。

芋頭題詩:
洪腰V夫煨榾柮。撥盡寒灰手加額。是誰敲破雪中門。願舉蹲鴟以奉客。
芋頭題:
己亥七月旱甚。灌園長老畫一茄一菜。寄西村居士云。
半疄茄子半鄰蘇。陌衷H風供苾芻。試問西村王大老。盤餐拾得此莖無。
西村展玩。噴飯滿案。南昌劉漪喦聞之。且欲索予花封三歗圖。余畣以詩云。
十年如水不曾疎。欲展家風事事無。唯有荒園數莖葉。拈來笑破嘴盧都。
漪喦仍索三歗不
(敢字點去)聽。十二月松門大雪。十指如槌。三兩禪和煮菜根。味頗佳。因念前事。為
京庵兄作數莖葉於祝釐上。可謂驢揀濕處尿。熟處難忘也。然京庵日侍
維摩方丈。知南方亦有此味。西方亦有此味。窮幽極渺。以至於卒地折。嚗地斷。又焉知三月不忘肉味哉。誠恐西村漪喦兩個沒孔鐵槌依樣畫葫蘆耳。
  灌園長老題。

芙蓉題詩:
三五銀箏興不窮。芙蓉江上醉秋風。於今邈抹渾無似。落草盤桓西社東。
  己亥十二月朔日。

花卉題詩:
尿天尿床無所説。又向高深闢草萊。不是霜寒春夢斷。幾乎難辨墨中煤。
白梅題詩:
碧蓮花競雪天開。又道寒巖放早梅。大抵春回;俱一致。只教迸散白雪堆。
奇石題詩:
擊碎須彌腰。折却楞伽尾。渾無斧鑿痕。不是驚神鬼。(隷書)
老松題:
畫於燈社之松海
伝綮写生題詩:
月自不受晦。澹烟蒙亦好。俯仰瞷晴軒。籬根空皎皎。
此時世上心。所習唯枯槁。誰解惜其花。長夏恣幽討。
  燈社釋傳綮書。

《花卉冊》 21×32 上海博物館 伝綮写生の姉妹編
  荷花藤月図 画枠外に続く“開合式”構図(單国強)
1665年40歳頃《花卉冊》8開 フリーア美術館
1666年丙午康熙五年41歳《花果図(墨花図)》巻 北京故宮博物院
 牡丹・芭蕉は徐渭、松樹は沈周の影響
霊芝題:當年四皓餐霞未?一帶雲山展畫眉。
《花果図》巻 北京故宮博物院
《花卉図》巻 北京故宮博物院
《松石牡丹図》軸 旅順博物館
《蔬果図》巻 王方宇旧蔵
1677年丁巳康熙十六年52歳《梅花図》冊 个山款“釋傳綮印”“掣顛”、“耕香”等印
題詩:三十年來處士家,酒旗風裡一枝斜。斷橋荒蘚無人問,顏色於今似杏花。
《芙蓉湖石図》扇 重慶市博物館
《花卉図》巻 傳綮、个山款
題詩:天下艷花王,圖中推貴客。不遇老花師,安得花頃刻?

3.還俗期:1680-84年55歳から59歳 名:(ろ)、驢書、驢屋人屋
從簡化到誇張期 “个山”“驢”を主として“驢書”“驢屋”“驢屋驢”“人屋”“夫婿殊驢”“个相如吃”“渉事”“夫閑”“ 鰕(魚且) 篇軒”等などの款印
1681年辛酉康熙二十年56歳《繩金塔遠眺図》軸 泰山殘石樓 最早期の山水画
《寒林釣艇図》軸 北京故宮博物院 最早“驢”款山水画
1682年壬戌康熙二十一年57歳《古梅図》軸 北京故宮博物院
題詩第一首:
分付梅花呉道人,幽幽翟翟莫相親。南山之南北山北,老得焚魚掃□塵。
  驢屋驢書
(□原應為“虜”?)
第二首:
得本還時末也非,曾無地痩與天肥。梅花畫裡思思肖,和尚如何如採薇?
  壬小春又題
(有天干無地支、有天無地の反清表示)
第三首“易馬吟”:
夫婿殊如昨,何為不笛床?如花語劍器,愛馬作商量。
苦涙交千點,青春事適王。曾云午橋外,更買墨花莊。
  夫婿殊驢

1683年癸亥康熙二十二年58歳《花鳥冊》 金岡酉三
《牡丹図》軸
1684年甲子康熙二十三年59歳《个山雑画》冊 陳少明等 “簡化到誇張”
《个山人屋花卉冊》11開 30×30cm プリンストン大学美術館 大胆な方形の筆
芙蓉題詩:芙蓉好顏色,老大昆明池。薄醉忘歸去,胭脂抹到眉。
《蕉竹図》軸 北京故宮博物院
《鳥石牡丹図》軸 呉子玉

4.安老期 名:八大山人 「円熟期」の画期をはさみ次の5つに区分
4-1「儿大」款期1684-89年59歳から64歳:
“白眼向天”鳥や魚の眼は方形になり大きい
1684年康熙二十三年《雑画》冊6開 北京故宮博物院
 竹、桃、蔬果、竹石雙禽、荷鷺、猫 方形怪異 “甲子一陽日”款
1686年丙寅康熙二十五年61歳《荷石図》軸 雲南省博物館
 地面の方・尖2石に、上方の弧線、中間に荷花 “丙寅一陽之日”款
 “開放式”と“封閉式結構”が巧妙に結合した“開合式”結構(單国強)
1688-89年《花卉冊》 25.5×23.0cm フリーア美術館→比較:張大千の仿作
 方筆と側筆の変化、渇筆に潤筆を重ね質感と深さを表現
60歳頃《牡丹竹石図》軸 南京博物院 一方一円の強烈な対比構成
60歳頃《雑画》冊 北京故宮博物院 1684年《雑画》冊の猫と似る
《芭蕉竹石図》軸 北京故宮博物院
《花果》巻 北京故宮博物院

4-2「><大」款期1689-93年64歳から68歳:
方形の筆致に丸み、花卉に加え魚鳥なども描く
1690年頃八哥(叭々鳥)を盛んに描く、50組ほど16種の姿勢、鵪鶉の鼓腹、窿背、翻白眼,孕婦、駝背人など豊富なポーズ
1本足で立ち、傍らには重力を無視した岩石の構成
圓渾な篆書と率意の草書の筆、溌墨淋漓とした墨法、八大山人の典型的画風
1689年己巳康熙二十八年64歳《木瓜図》軸 カナダ國家博物館
1689年閏3月《眠鴨図》軸 廣東省博物館
1689年6、7、10月《竹荷魚詩画》冊 カナダ・モントリオール市個人
1689年8月15夜《瓜月図》軸 ハーバード大學フォッグ美術館
題詩:眼光餅子一面,月圓西瓜上時。个个指月餅子,驢年瓜熟為期。
 元末反モンゴルの義軍が中秋の月餅を蜂起の合図にした隠喩
1689年重陽《魚鴨図》巻 上海博物館
 魚、鴨の眼は円形に、眯笑・瞌睡・凝視・驚恐・冷漠など“白眼向人”の様
 方円の線、勾勒染皴、乾濕濃淡が変化し技法の成熟を示す
1690年庚午康熙二十九年65歳春《孔雀竹石図》軸 劉海粟美術館
題詩:孔雀名花雨竹屏,竹梢強半墨生成。如何了得論三耳,恰是逢春坐二更。
 江西巡撫宋犖の孔雀、竹屏、蘭を諷刺した早期政治マンガ
1690年春《花卉冊》2開から《仿陸治ライラック》 フリーア美術館 濃彩
1690年庚午康熙二十九年65歳《菊石図》軸 香港芸術館 劉作籌旧蔵
1690年《快雪時晴図》軸 劉靖基
 上粗下細的扭曲樹幹與上大下小的怪状卵石,兩相支撐,岌岌可危,枯筆乾皴的畫法更使物象顯得乾枯、蕭索,視覺影像即給人以反常之感
1690年《荷塘禽鳥図》巻 シンシナティ美術館
 紛披殘敗的荷葉和縮頭翹尾的小鳥,均用率意簡逸筆墨隨手塗抹,如見瘋狂心態
1690年頃《倣元四大家山水図》4幅 絖本墨画淡彩 大幅各174.5×45.0cm
 ビクトリア国立美術館 倣呉鎮、倪瓚、王蒙、黄公望「八大山人」款
1691年辛未康熙三十年66歳《花朝渉事図》軸 陳少明等
湖石雙鳥図 1691年《湖石双鳥図》軸 136×48.7cm 上海博物館
 正中危立一塊中間碩大、兩頭尖尖的卵石,石頂一鳥俯首拱背,單足支身,張嘴鳴叫,石下凹處一鳥低頭覓食。景像令人驚心動魄,竪石岌岌可危,隨時可能傾倒,石上小鳥僅用一足支於邊縁尖峰,石下小鳥又偏偏依傍在石根凹處,一旦石傾,兩鳥必然同時殞命。其象徴性是很明顯的,即生於當世,有朝不保夕之虞。此圖在筆墨上已相當成熟,山石作中鋒用筆,圓勁含蓄,沈穩簡古,融入了篆書筆法,乾濕濃淡極富韻味;小鳥寥寥數筆,類似隸草,筆簡意賅,在率意的揮灑中蘊含著豐富變化,達到得心應手的地歩,標誌著八大山人風格的成熟
1691年《雙禽図》軸 廣州美術學院
1691年《雑画巻》 鎮江市博物館
1692年《「渉事」花卉冊》4開 54.3×35.7cm フリーア美術館 精品
  仏手柑 芙蓉
1692年《「渉事」竹石図》 フリーア美術館 張大千題
1693年《仿董源山水図》 フリーア美術館 平淡天心
1692年壬申康熙三十一年67歳《鳥石図》軸 上海博物館
1692年《蓮花小鳥図》軸 上海博物館
 一枝蓮花更是平空而出,無依無靠。小鳥單足站立花上,爪子緊扣花瓣,身上羽毛蓬起,一副欲墜而掙扎的窘態,筆墨極為簡逸,又顯濃淡有致之韻味
1692年《花鳥屏》 上海博物館
1692年《孤鳥図》軸 雲南省博物館
 小鳥,棲立孤幹斜枝之頂,境況更為險惡,有隨時墜落之危
1693年癸酉康熙三十二年68歳《魚鳥図》巻 上海博物館 「渉事」について
1693年《書画》冊 上海博物館
 魚、鳥、荷、石,更趨變形,白腹遊魚不辨品類,拱背小鳥更近鵪鶉,荷葉似傘,石塊如拳,而流動的線條和迅疾的筆觸,又使這些不知名的禽鳥極富生意
《荷石図》軸 安徽省博物館
《松石雙禽》軸 青島市博物館
《荷花雙禽図》軸 天津市藝術博物館
《葡萄大石図》軸 江西省八大山人紀念館
《柯石雙禽図》軸 煙台市博物館
《松石萓草図》軸 中国国家博物館
《仿天池墨荷図》軸 ボストン美術館
《雑花巻》 クリーブランド美術館
《猫石図》軸、《魚図》軸 王方宇旧蔵

4-3 円熟期1694年69歳:
虚実疎密など筆墨の天才的な対比と変化、バランスと生命感

1694年夏日69歳◎《安晩冊》 紙墨(一部淡) 31.8×27.9cm 泉屋博古館
 退翁先生のために画く
 (退翁:霊巖継起1604-72、汪士鉱1658-1723、程道光1653-1706など諸説)
 来歴:清初退翁…乾隆期杭州・袁春圃…蘇州・顧文彬『過雲楼書画記』巻五著録)…呉南逸…1900年代には日本へ、桑名鉄城→1927住友寛一
鑑蔵印:錢唐、袁氏春圃珍蔵、行素居易主人、武林袁春圃氏春圃珍蔵印、沂門宝秘
〔引首題〕安晩 少文凡所遊履,圖之於室,此志也。甲戌夏至,退翁先生属書。八大山人 →比較:張大千の仿作
 六朝宗炳(375-443 字は少文)の“臥遊”の逸話にならい描く
 漢晋時代に詩書画の仮想空間をおく(安晩冊全6詩は下段詩の段参照)
 1.水仙2.瓶蘭3.木蓮4.山水5.竹石6.孤魚7.叭々鳥8.荷花9.10.鳥荷
 11.12.鼠冬瓜13.双鶉菊14.小魚15.石卉16.鳥木17.18.菊花 21.
 甲戌夏五月六日以至既望,爲退翁先生抹此十六幅,笥中。翊日示之,已被人窃去荷花一幅,笥中之物,何處去也。比之晉人問旨於樂廣水鏡,廣直以塵尾柄确几曰,「至不?」客曰:「至。」若至,那得去也。書附高明一笑,八大山人。
 装以計二十二幅之。六月廿日,八大山人書。

(5月6日から16日初期16幅完成→翌日荷花図紛失し15幅
 夏至に引首「安晩」を書く
 6月20日荷花図など7幅足し22幅に表装(画20、印首・跋各1)
 9月9日鶉図描き換える(甲戌重陽,八大山人画並題
 …2幅紛失→1702年水仙・山水図2幅足す)
 形象、情思、筆墨就更顯得豐富多變,禽鳥中有鵪鶉鼓腹、拱背,白眼向天;臥猫蜷身、眯眼,不理睬凡人;遊魚瞪目張嘴,直奔水淵;老鼠探頭伸瓜,攀上瓜頂。花卉中有獨枝水仙,葉多花草;兩支荷幹,密葉遮花;一叢芙蓉,延伸殘葉;瓶中插花,瓶歪花重。奇異的形態、構圖,流露出怨憤、孤傲、激動、幽默、混亂、焦躁等不同情感和心緒,筆墨忽粗忽細,忽疾忽緩,忽乾忽濕,忽鉤忽染,變化無常,然又在情理之中,駕馭隨意而又自如

1694年閏夏《双雀図》軸 浙江省博物館
1694年甲戌康熙三十三年69歳閏5月既望《花卉山水冊》8開 上海博物館
 安晩帖と共に円熟期の作。雛雞、鵪鶉など極細の描写  叭々鳥
雛雞図:牠那毛絨絨的羽毛,前傾的身姿和膽怯的神情,好像剛從蛋殻裡出來,面對陌生的世界,正在小心翼翼地試探著走。尤其在圓圓的眼睛旁,加了三道放射性弧線,更使目光充滿著狐疑、驚恐和迷茫。畫家用細筆鉤畫,淡墨皴染,使身羽極富質感,這在八大山人衆多作品中是極少見的
鵪鶉図:兩鳥一低一昂,似作相鬥状,造型依然鼓腹拱背,但斑羽點染已見豐富層次,較好表現了體態轉折
荷花図:用對角法畫兩叢荷花,左上角用濃淡水墨渲染出荷葉,夾以雙鉤白蓮花,右下角以濃墨畫出兩支荷幹,又以線鉤蓮蓬,兩者之間穿插一支倒垂荷葉。這樣既使幹中有葉,葉中有花,K白灰相間,又打破了對角分割易造成的板滯格局,頓使畫面活躍起來。造型於簡化中見生動,筆墨於洗練中顯豐富,技藝已十分精熟
1694年6月既望《山水》軸 ギメ美術館
1694年6月21日《荷花小鳥図》軸 王季遷
1694年8月23or24日《秋山図》 上海博物館 甲戌處暑。八大山人
1694年《魚図》軸 王方宇旧蔵
1694年8月26日《昆明放魚図》軸 嘉徳04春1440
1694年重陽《瓶菊図》軸 唐雲紀念館
 鉤線的虚實粗細,頓挫轉折有序,暈染的乾濕濃淡,前後層次不亂,顯示出筆墨功力的精微。状物之真實,在八大山人作品中也是少見的
1694年重陽《魚鳥図》軸 湖北省博物館
1694年10月既望《柱石図》軸 綾本 劉作籌旧蔵 以降「い大」字に
1694年至日《墨荷図》軸 中国美術館
1694年至日《水木清華図》軸 南京博物院
1694年《書画二十開》(画十四開) 杭州西泠印社
1694年《秋山図》、《荷花図》八大山人記念館(南昌郊外の道観、青雲譜)

4-4 晩年「い大」款期1695-1701年70歳から76歳:
“三種八字形式”」「ιヽ」「′‵
粗くたくましい筆致にデフォルメした形態
墨荷や鹿鷲などの動物を描いた大作、董其昌の影響を受けた山水もてがける
重力を無視した荷花を多く描く、“炎涼高冠”風燭殘年忍辱負重の心境を寓意
1695年乙亥康熙三十四年74歳《雑画》冊 蘇州靈巖山寺
1696年丙子康熙三十五年71歳《荷鴨図》軸 上海博物館
 鳧鴨,蹲坐在溪邊危石上,縮頸瞠目,也與巖石融為一體,透出在不穩定中尋求暫時安定的心態。情状與荷花遙相呼應,形象反映出八大山人晩年企求生活安寧,卻又心緒難平的矛盾思想
1696年夏日《猫石花卉図》巻 北京故宮博物院
 荷花“炎涼高冠”象徴性。同時,相陪襯的禽鳥情態仿佛
 睡猫,蜷縮在山坡壘石之頂,閉目而眠,拱起的背寫山石渾然一體,故山石雖不穩,睡猫卻有居危而安、穩如磐石感

1697年72歳《河上花図巻》 紙本墨画:47×1292.5cm 天津博物館
 画:河上花図(7紙)+書:行書河上花歌(2紙) 1紙長約1.9m×9紙=全長約17m
 八大山人最長の書画巻、画のみでは松柏同春図巻に次ぐ大作
 生涯を集大成し仏教・道教渾然とした八大山人晩年の思想世界が展開
 来歴:清:屁ヌ…永瑆1752-1823→許乃普1787-1866→民国:徐世昌
河上花図巻絵画部分の構成:
【前段】蓮花初開(青春の志と熱情)
【中段】盛開湾屈(人生の挫折)、崖の水辺に古柳、残花残葉(人生の残喘)
【後段】荒涼とした岩石に竹蘭のみ(絶境に落ちる)
【巻末】瀑布(人生の隔閡)(単国強)
行書河上花歌の構成(Google翻訳による音声朗読を添付):
【前段】蓮花初開、隋唐の六郎・六娘に擬人化 
河上花,一千葉,六郎買醉無休歇。萬轉千迴丁六娘,直到牽牛望河北。
欲雨巫山翠蓋斜,片雲巻去昆明K。饋爾明珠フ不得,塗上心頭共團墨。

 六郎=唐武則天の男寵張昌宗、丁六娘=隋の名妓、太白=李白
【中段】蓮花盛開、唐の大詩人李白が登場して詠う 
屁ヌ先生憐余老大無一遇,萬一由拳拳太白。太白對予言:
博望侯,天般大,葉如梭,在天外,六娘劍術行方邁。
團欒八月呉兼會,河上仙人正圖畫。撐腸拄腹六十尺,炎涼盡作高冠戴。

 由拳=県名、今の浙江省嘉興 太白=李白 呉兼會=呉県と会稽つまり嘉興一帯
 撐腸拄腹=1、形容吃得太飽,腸腹有撐起的感覚。2、比喩容受之多。
【後段】私は答える、蓮花は見えなくとも世界に遍在すると 
余曰:
匡廬山,密林邇,東晉黄冠亦朋比。算來一百八顆念頭穿。
大金剛,小瓊玖,爭似畫圖中,實相無相,一顆蓮花子。吁磋世界蓮花裏。

 匡廬山=江西省廬山 黄冠=道士
【巻末】時は巡るも同じではなく過ぎた時は戻らない
還丹未?樂歌行,
泉飛疊疊花循循,東西南北怪底同,朝還並蔕難重陳,至今想見芝山人。

【落款】4ヵ月をかけ蓮が枯れる頃に完成した 
  屁ヌ先生屬畫此巻,自丁丑五月以至六七八月,荷葉荷花落成,戲作「河上花歌」,僅二百餘字呈正。八大山人。
参考:
 八大山人暮年作品中,《河上花図》巻,最稱精絶。巨幅長巻與二百餘字的《河上花歌》相配,集中概括了八大山人一生的境遇和晩年的心態。所繪河上荷花,實為人生長河的寫照,巻首展現的荷花從河上躍起,枝挺葉茂,生氣蓬勃,隠喩初渉人世時的志向和熱情。隨即就遇上了陡壁山坡,衆荷只能從夾縫中生發,雖仍顯旺盛,然已彎枝低腰,仿佛歩入喧囂塵世後即遇挫折。前面又是崎嶇的河床的枯木、亂石,荷花已見稀疏,並呈殘敗之状,猶如殘喘的人生。續後的景致更是淒涼,成片荒蕪土坡與巉巖巨石之處,已不見一枝荷葉,僅有星星點點的蘭草竹葉雜生,象徴人生已陷於絶境。巻末山石叢中急湍的高澗流瀑,也難以給荷花以浸潤,使之復蘇盛開,寓意著一生在蕭索中終結。
 八大山人在所題《河上花歌》裡,也時時發出人生的感慨,他形容荷葉“撐腸挂腹六十尺,炎涼盡作高冠戴”,比喩人間隔閡猶如高懸荷葉,炎涼高深,無法逾越。面對無數蓮花子,“吁嗟世界蓬花裡,還丹未?樂歌行,泉飛疊疊花循循。”表示嚮往姹紫嫣紅的美好生活,但又感歎:“東西南北怪底同,朝還並蒂難重陳”,悲歎美好人生不再返回。以詩釋畫,真實地傳達八大山人的心聲。
 此圖還一反慣常的簡化誇張手法,而以繁複寫實見勝。荷花情状千姿百態,荷梗直、彎、斜、臥,荷葉伸、巻、濃、淡,荷花開、合、露、藏,變化多端。荷花、山石、古木、蘭竹相互交叉、穿插、重疊、滲透,使景致流轉翻飛,光怪陸離,並形成較強的空間感和體積感,令人目不暇接。運用的筆墨也酣暢渾茂,淋漓奔放,傳達出不可遏止的激昂之情。其迥異於往常的風格,反映了七十二歳的八大山人圖變的新追求。(以上単国強「八大山人花鳥画的分期与特色」より)
八大山人の蓮花への批評“蓮龍勝,勝不在花,在葉,葉葉生動:有特出側見如フ蓋者,有萎折如蕉者,有含風一葉而正見側出各半者,有反正各全露者,在其用筆深淺皆活處辨之。”(龍科寶『八大山人伝』)

1696年頃《山水通景》六條 墨淡 各94.9×31.7 南京博物院 豪放山水画
1696年頃《仿董北苑山水図》 紙墨 179.6×93.4 ストックホルム東アジア美術館
1690年代後半《彩筆山水図》 フリーア美術館 大阪市立美術館
1697年頃《仿董其昌山水冊》6開 40.1×28.9cm フリーア美術館 張大千旧蔵
董源 趙孟頫溪山仙館 趙孟頫水村図 黄公望富陽大嶺図 董源夏木垂隠図 倪元鎮
1698年戊寅康熙三十七年73歳《鹿石図》軸 上海博物館
1699年74歳秋日《秋林亭子図》軸 160.6×78 上海博物館
1699年10月《山村暮靄図》軸 152.7×72 己卯小春日、敘老のため
1699年冬至日《松溪翠嶺図》 絹本 172×45 江西南昌八大山人紀念館
 董其昌山水の“筆墨精妙”“書画相通”の追求から“渾無斧鑿痕”の絶高境界へ(單国林)
1699年《猫図》 フリーア美術館 潤淡墨の岩、渇筆の伏猫
1699年頃《芍薬図》 フリーア美術館 恪斎先生海棠詩作此成
1699年己卯康熙三十八年74歳《蔬果図》巻 北京故宮博物院
1699年《書画合冊》 上海博物館
1699年《双鷹図》軸 上海博物館 “己卯一陽日寫”款 “同形異本”
 鷹,準確的形體結構、濃淡有序的墨色以及雄健的體魄,都十分類似明代宮廷畫家林良筆下的鷹,極少誇張成分,可見他晩年返樸歸真,重新回歸傳統的追求,技藝力求精密、嫺熟,但同時也通過沈思、抑鬱的神情表達自己獨特的個性和情感,其内涵仍有別於林良
《空谷蒼鷹図》軸 上海博物館 《双鷹図》と“同形異本”
74歳時“何園”印が現れる
1700年《柏萱草図》 フリーア美術館 柏は父、萱草は母の象徴
1700年頃《双雁図》 フリーア美術館
1700年庚辰康熙三十九年75歳《椿鹿図》軸 上海博物館
1700年《松樹双鹿図》軸 中国国家博物館
1701年辛巳康熙四十年76歳《松鹿図》軸 北京故宮博物院
1701年《松鶴図》軸 上海博物館

4-5 最晩年「八大」款期1702-5年77歳から80歳:
( ヽ形、“拾得”二字連書款“何園”草書款
“拾得”“十尋”“真賞”などの印
蒼鷹や蘆雁では、八大山人水墨写意技法の“精密”な到達点を示す
“余遊南昌,裘孝廉曰菊謂余曰:‘八大山人畫筆固以簡略勝,不知其精密者尤妙絶,時人第不能多得耳。’”(張庚『国朝画徴録』)
松鶴、桐鹿などを多く描き、返樸帰真の童心と延年益壽の祈祝を表し
三角形あるいは金字塔形の中庸な“緑色”構成をとる
1702年77歳《松柏同春図巻》 41×1310.8cm 上海博物館
 八大山人伝世最長巻、沈周82歳松柏同春図の臨模 松・柏・桐・椿・霊芝
 篆書引首:松柏同春図、跋:沈周詩「壬午八大山人臨」
1702年77歳◎《安晩帖》19.山水20.水仙 晩年の渇筆の様式
 蓬莱水清淺。 爲退翁先生寫。壬午一陽之日(冬至)。拾得
1703年78歳頃《書画合璧巻》 泉屋博古館 李白草書歌行、小鳥と黄公望山水
1702-4年頃《書画合璧軸》 フリーア美術館 姜夔続書譜から、玉簪菊竹石図
1703-5年頃《仿倪瓚山水図》 フリーア美術館 倪瓚蕭散空間の解体
1702年壬午康熙四十一年77歳《双棲図》軸 上海博物館
1703年癸未康熙四十二年78歳春日《枯槎魚鳥図》軸 北京故宮博物院
1703年冬日《楊柳浴禽図》軸 北京故宮博物院 《枯槎魚鳥図》“同形異本”
(1704年甲申康熙四十三年この年款ある作品未見)
1705年乙酉康熙四十四年80歳《花鳥》冊 上海博物館
1705年《松柏桐椿図》軸 遼寧省博物館
“同形異本”が多出。モチーフの一種の記号化、売画の需要に応えるため
 但し、背景や構図が異なり、氣氛、情致が異なる表現となる
《枯木寒鴉図》軸 北京故宮博物院
《荷花翠鳥図》軸 上海博物館
《鶴石図》軸 蘇州靈巖寺
《双鷹図》軸、《桐鶴図》軸 江西省八大山人紀念館
《芙蓉蘆雁図》軸 上海博物館 “同形異本”
 八大山人晩年所作諸多松鹿圖,尤其蘆雁圖,又創造了另一種所謂的“中斷”結構,即物象布置在上下或對角,中間空白處則伸出一杆樹枝、蘆草或荷葉,稱為“綫性”,成為地面與天空的分界綫,形成上下兩個空間。這種“中斷”結構使人産生咫尺千里之遙、可望而不可及的感覺,或忽近忽遠的幻覺。這無疑也是象徴性的表現手法,藉以傳達畫家難以團圓的惆悵情愫,雖然較之早、中期要含蓄得多
《蘆雁図》軸 上海博物館
《蘆雁図》軸 河北省博物館
《荷花蘆雁図》軸 上海博物館 “同形異本”
 飛雁也很寫實,水墨點染的身羽和下俯的姿態,都近似明代宮廷畫家呂紀《殘荷鷹鷺圖》軸,然空間的中斷結構又使物象具一定象徴性,不同於呂紀注重情節的具象刻畫,在仿學中自出新意。

篆刻:
上記各時期の款印のほか、その他、框屐形印、“个相如吃”“學學半”“黄竹園”“渉事”“藞苴”“在芙山房”“葑艾”、“忝區茲”、“遙屬”などの印
 →雅昌芸術網資料参照

詩:古代と現在が錯綜する抽象的な仮想空間、韜晦と風刺に禅宗や荘子の思想
 「間ま幽渋の語が雑じり尽くは解らない」八大山人の友、澹雪の評

題画山水 安晩帖4
山水 安晩帖4 嚮者約南登  むかし南岳に登ろうと
託復宗公子  宗炳さまと手紙で約束した
荊巫水一斛  荊山と巫山の水は一斛(こく)
已渉図画裡  すでに絵の内でわたる
 嚮者=さきに 南=南岳衡山
 宗=宗炳375-443
 荊=湖北省の山 巫=四川省の山、荊巫は東西に接する 一斛=古は十斗

題画魚 安晩帖6
魚 安晩帖4 左右此何水  左右の者よ、これは何という水か?
       と謝方は訊ねた
名之曰曲阿  これを曲阿湖と申します
更求淵注処  深く静かな淵を求めようとすれば
料得晩霞多  おもうに暮方の霞が立ちこめている
 謝方320-61の故事(『世説新語』言語篇)
 曲阿=江蘇省丹陽県、長江の南岸の風光明美の地
 淵注=深く静かに水がたたえられていること
 料得=おもうに

題画犬 安晩帖9
犬 安晩帖9 林公不二門  林公不二の門
出入王與許  王と許を出入さす
如公法華疏  公の法華疏の如く
象喩者籠虎  喩え象する者は籠の虎

題画双鶉菊 安晩帖13
双鶉菊 安晩帖13 竟作一日談  竟に一日談を作す
胸懐若雄雌  胸に懐うは雄雌の若く
黄金并白日  黄金は白日に並び
都負五坊児  都て五坊児に負ける
 甲戌重陽八大山人畫并題
 五坊=唐代の宣徽院に属する雕坊、鶻坊、鷂坊、鷹坊、狗坊の5つの役所

題画小魚 安晩帖14
小魚 安晩帖4 到此偏憐憔悴人  ここにいたって偏えに憔悴の人を憐れむ
縁何花下両三旬  彼は何の縁か花の下にしばしとどまる
定昆明在魚児放  きっと昆明池には武帝の夢の子魚がいて
等芍薬開金馬春  芍薬の花が開く金馬門の春を待つ
 定=かならず
 昆明、魚=漢の武帝が昆明池で夢に出た鉤のささった魚を助ける故事『三秦記』
 金馬=金馬門、漢の宮中の未央門の正門「詔を金馬門に待つ」『漢書』公孫弘伝、1679年明遺民の懐柔策として博学鴻詞科の試験

題画石卉 安晩帖15
石卉 安晩帖15 聞君善吹篴  桓伊殿、あなたは笛が上手と聞きます、
       と王徽之がいった
已是無蹤迹  演奏は終わりすでに二人の跡は無く
乗舟上車去  王徽之は船に乗り、桓伊は上車して去る
一聴主与客  主客の身分にとらわれずにいってしまった
 王徽之と桓伊の「梅花三弄」曲をめぐる故事(『世説新語』任誕篇)
 篴=古代の横笛の一種
 無蹤迹=禅の達者の境地「飛鳥がその飛跡を鳥道に残さぬ如く」
 聴=まかす

以上6詩は安晩帖の題画詩(入矢義高『中国文人詩選』の註を参照)



石涛 1642-1707
石涛33歳肖像 [生涯]
俗名朱若極,法名原済、済。号清湘陳人、大滌子、苦瓜和尚、小乗客、瞎尊者
桂林(広西省)の靖江王家に生
1645年4歳父朱亨嘉が監国を自称したため、南明の官憲に捕らえられ福州で獄死
石涛は靖江王府から廷臣に助けだされ湖北省武昌に逃れ僧となる
荊州、長沙、洞庭湖を旅行 書は顔真卿に学び、作画を始める
21歳松江九峯で臨済宗天童派の木陳道忞(どうびん)に禅を学ぶ
昆山(江蘇省)泗州塔院の旅菴本月(北京善果寺の開山)に松江で師事
1666年25歳宣城(安徽省)敬亭山広教寺に住持
施閏章,呉晴嵒(粛公),梅清・梅庚兄弟ら名士と詩画を通じて交友
1667年26歳徽州知府曹鼎望1618-93の招きにより黄山に登る(黄山図落款)
1669年28歳曹鼎望の次子曹賓と黄山に登る
 この頃曹鼎望のために72紙に山水を描く
1674年33歳石涛肖像《自寫種松図小照
1676年35歳黄山に登る(黄山八勝画冊落款)
1680年39歳南京長干寺一枝閣の住持になる
1684年康煕帝南巡の折に勅旨により長干寺で詩画を献上
1689年康煕帝南巡の折に揚州平山堂で詩画を献上
1690年康煕帝謁見のため北京へ 満州貴族博爾都、耿信公らの収蔵する古画を見る
1692年北京2年半滞在、謁見はかなわず揚州に戻る
1697年揚州大滌草堂に住む 「不仏不老」(仏教・道教)の間
李驎『虬峰文集』(北京図書館)大滌子伝
[作品]
詩文:『画語録』「一画」を基にした画論 『画語録』原文参照
  『臨済録』など禅学、道教の語彙も用い系統的に画の創作原理を述べる
書:10代顔真卿、後に流行の董其昌を学ぶがなじまず
  30代魏晋から秦漢の古風にふれ、董其昌の風を放棄
  楷書は倪瓚に倣う、清初に珍しく隷書も残し揚州八怪の先駆をなす
石涛5書体(以下、鄭奇・趙啓斌「石涛与揚州画派書法初論」による)
1.石涛体:楷(褚遂良等唐人楷書)行草隷(章草、隷書、鍾繇書風)、大小参差、濃淡乾湿が入り混じり変化と統一。「画家字体」。40歳以降に確立、晩年に大成
2.隷書体:晋唐の影響 1690《書画雑冊》第14冊広州市美術館
3.碑体:六朝碑刻の影響、古拙凝重 1680《書画巻》上海博物館
4.東坡体:蘇軾の肥えて滋潤な筆の影響、收筆露鋒
5.痩金体:倪瓚、徽宗の影響がみえる小楷
石涛書体発展の5画期(鄭奇・趙啓斌説)
1.1672年以前:「有我時期」
顔真卿と董其昌の影響、雑体書と隷書が混じる
1667年山水図題跋 北京故宮博物院
2.宣城時代:「無我時期」
倪瓚;、蘇軾の影響、隷意が強まり「精雄老丑」の風格が融合
《三体雑録巻》《李白詩三首》《贈翁山詩頁》など
3.1680-90年:第2「無我時期」
魏晋碑の影響、晋唐宋元書帖の吸収、石涛体の発展
1680《書画巻》上海博物館 典型的な碑体字
《十六日雨後詩》 褚遂良の影響
1690《書画雑冊》広州市美術館 智永との共通点
4.1691-96年:第2「有我時期」
強烈な個人様式の成熟、1幅に各体兼備
1693《書画合壁巻》上海博物館 第13 蘇軾を基調に徐渭、王鐸の特点
1695《巣湖図》天津市芸術博物館 
1691-96《清湘書画稿》北京故宮博物院
1695《詩翰》四川省博物館 徐渭、王鐸の筆墨が混じる
1691-96《清湘書画稿》北京故宮博物院 痩金体
5.1697以降:
石涛体大成期、清浄澄明な内在美
《致八大山人札》《致退翁尺牘》
1698《梅竹双清図》遼寧省博物館
1698《山水冊》瀋陽故宮博物院
1699《山水花卉冊》12開 上海博物館
1703《墨竹図》 中国国家博物館
画:伝統によらない「一画」「我法」による個性的な画風を展開
早期:
宣城時代
1666年- 白描の道釈画や新安派の焦墨渇筆の山水画
1667年《十六羅漢図巻》 メトロポリタン美術館
1671年《山水十二屏》 絹本 福建積翠園芸術館 曹鼎望の誕生祝いのため
《黄山図冊》 北京故宮博物院 曹鼎望のために描いた72紙山水の一部?
1674年33歳肖像《自写種松図小照》 40.3×170cm 台北故宮博物院
壮年期:
南京一枝閣時代
1680-87年 新安派や金陵派の影響、潤筆溌墨の山水花卉
1687年《細雨虮松図》羅紋紙 上海博物館 新安派の疎散なスタイルの影響
◎《黄山八勝画冊》 泉屋博古館 繊細端正な細密画風
北京時代1689-92年 古画との対峙と吸収
1690年《墨竹図》 台北故宮博物院 王原祁との合作
1691年《捜尽奇峰図巻》 北京故宮博物院 慈源寺慎菴禅師のため 郭煕画論の引用:
郭河陽論畫,山有可望者、可遊者、可居者。
余曰,
江南江北,水陸平川,新沙古岸,是可居者;
淺則赤壁蒼,湖橋斷岸,深則林巒翠滴,瀑水懸爭,是可遊者;
峰峰入雲,飛巖墮日,山無凡土,石長無根,木不妄有,是可望者。
今之遊於筆墨者,總是名山大川未覽,幽嵒獨屋何居?出郭何曾百里?入室那容半年。交汎濫之酒杯,貨簇新之古董,道眼未明,縱習氣,安可辯焉? 自之曰:‘此某家筆墨,此某家法派。’猶盲人之示盲人,醜婦之評醜婦爾。賞鑑云乎哉。
不立一法,是吾宗也,不捨一法,是吾旨也,學者知之乎?
時辛未二月,余將南還,客且憨齋,宮紙餘案,主人慎庵先生索畫并識請教。清湘枝下人石濤元濟。

晩年:
揚州大滌堂時代
1693年- 画作売画に専念 「一画」を理念とした独自の総合画風
◎《廬山図》 210×62cm 絹本 泉屋博古館 題詩:李白『廬山謡』 濃淡の書
 郭煕画について“余が生平所見の十余幅は、人中皆好むと道うものが多いが、独り余は言が無い。未だ透関の手眼が有るようには見えない”“用我法、…何用昔為”
1695年頃《書画冊》12開 メトロポリタン美術館
1699年◎《黄山図巻》 泉屋博古館 新安商人許松齢(号勁菴)のため
1700年《溪南八景図冊》 上海博物館 溌墨もまじえたみずみずしい墨法
1703年《山水図冊》 57.79×35.56 ネルソンアトキンス美術館
1703年頃《山水図冊》 ニューヨーク王季遷 禹老道兄のため 多彩に変化する画風
 《遊華陽山図》 239.6×102.3cm 上海博物館 華陽山は安徽省含山の山、王安石『游褒禅山記』がある 上記山水図冊と似た色の点描
1707年《金陵懐古冊》12開 24×19cm フリア美術館 簡疏な最晩年の画風
 一枝閣図 四壁窺山図 訪東山図 叢宵図
 朝来洗硯図 秋月浄如洗図 送春図 徐府庵古松図
 秋興図 看雲飛過図 秦淮青龍古銀杏樹図 中秋登采石図


参考書
故宮博物院 第5巻 清の絵画 宮崎法子構成執筆 NHK出版協会 1999年
世界美術大全集 東洋編9 清 西上実他編 小学館 1998年
泉屋博古 中国絵画 泉屋博古館編カタログ 1996年
入矢義高 中国文人詩選 中央公論社文庫 1992年(中国文人画粹編に初出)
八大山人:
Joseph Chang, Qianshen Bai, and Stephen D. Allee. In Pursuit of Heavenly Harmony: Paintings and Calligraphy by Bada Shanren: the Freer gallery, 2003.
八大山人全集(5巻本) 王朝聞主編 江西美術出版社 2600元(付別巻総目次) 2000年
 まず始めに参照すべき画集(第五巻は論文集)。縮印版(4巻本)(画集部分のみ)がある
白謙慎 八大山人花押〔十有三月〕考釈 故宮文物月刊 1994年4月
Richard M. Barnhart, Wang Fang-Yu. Master of the Lotus Garden. New Haven: Yale University Art Gallery, 1990.
八大山人論集 上・下 王方宇編 1984年
中国文人画粹編6 八大山人 中央公論社 1981年
水墨美術大系11 八大山人・揚州八怪 米沢嘉圃・鶴田武良編 講談社 1975年
 八大山人については、ここ数十年間に「八大山人学」と呼ばれるほどに研究が蓄積している。参考文献は以下の蕭鴻鳴のサイトなどを参照
参考サイト
フリア美術館 王方宇旧蔵八大山人コレクションなど SEARCH キーワード"Bada"で検索
澳門芸術博物館《至人無法 故宮・上博珍蔵八大石涛精品展》論文
 八大山人:楊新、單國霖、單國強、鍾銀蘭、李維琨、王亦旻、石濤:袁杰、陶喩之、凌利中
八大山人研究 研究者・画家蕭鴻鳴のサイト
故宮博物院の名蹟 二玄社 上海博物館蔵1694年《花卉山水冊》の高精密な複製
中国絵画千年巡礼 清代絵画 代表人物

おすすめ展覧会
《至人無法 故宮・上博珍蔵八大石涛精品展》
2004年9月3日〜11月21日(終了) 澳門芸術博物館
八大山人、石涛の書画の大規模な展示。北京故宮博物院と上海博物館の蔵品から各60点ずつ、合わせて120点
In Pursuit of Heavenly Harmony: Paintings and Calligraphy by Bada Shanren from the Bequest of Wang Fangyu and Sum Wai
Freer Gallery, Smithsonian Institution, Washington, DC
April 27-Oct. 12, 2003(終了)
After the Madness: The Secular Life, Art and Imitation of Bada Shanren (1626-1705)
Arthur M. Sackler Gallery, Smithsonian Institution, Washington, DC
February 16-July 27, 2003(終了)
泉屋博古館東京分館《開館記念展》
2002年10月25日〜2003年2月2日(12月11日展示替)(終了)
世界的に著名な住友コレクションから中国古銅器と中国絵画の展示
伝閻次平「秋野牧牛図」漸江「竹岸廬浦図巻」石渓「報恩寺図」八大山人「安晩帖」石濤「黄山八勝画冊」石濤「廬山観瀑図」石濤「黄山図巻」沈銓「雪中遊兎図」など
入館料:一般500円、学生300円、小学生未満無料
Master of the Lotus Garden
New Haven, Yale University Art Gallery, 1990(終了)







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 清時代1 八大山人と石涛  2002.11.3作成 

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