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 中国絵画史ノート 清時代3 清初の江南都市スクール、新安派、金陵派

明朝遺民画家
明末清初の動乱
(例:父を捜して蘇州から雲南まで万里の旅をした黄向堅の数奇な山水画)
征服王朝である清に対して漢民族は服従するかしないか選択をせまられる
屈しない明朝の遺民の選択肢:
1.抵抗し殺されるか(南明政権の抗清闘争は1660年代初めには収束)
2.仕官せず市井の学者など隠者となる 傅山など
3.僧となる 石涛、八大山人、石谿、弘仁、以上“四僧”
      方以智、普荷(担当)、雪莊、一智など
4.東渡し日本に渡る 朱舜水、僧東皐心越など
 こうした歴史と主体の狭間で生死生涯を賭した選択をせまられた者の多くが主体「我」の想いを中国美術史上極めて個性的な書画に托す

附【明末清初 禅宗曹洞宗寿昌派の系譜】
無明慧經─┬─無異元來─┬─古航道舟───漸江弘仁
1548-1618 │ 1575-1630 │ 1585-1655   1610-1663
     │      ├─雪關智閣───穎学弘敏──忍菴傳綮(八大山人)
     │      │ 1585-1637   1607-1672   1626-1705
     │      ├─嵩乳道密───南菴大依───雪荘傳悟
     │      │ 1588-1658   1617-1683   約1653-1721
     └─晦臺元鏡─┴─覺浪道盛─┬─觀涛大奇
       1577-1630   1592-1659 │(1659崇先寺住持?)
                   ├─闊堂大文───東皐心越
                   │ 1617頃-1676頃- 1639-1695
                   ├─墨歴(無何)大智(方以智
                   │ 1611-1671
                   ├─石溪大杲(髠殘
                   │ 1612-1673
                   └─半千大啟(龔賢
                     1619-1689

個性派 江南都市の諸派
安徽の新安商人など江南の経済発展を背景に、都市ごとに個性的な画風が展開
[新安画派]“新安四家”弘仁査士標程邃戴本孝(朱季海説)
 歙州弘仁査士標、孫逸、汪之瑞、以上“海陽四家”
 この4人に程邃戴本孝鄭旼、江注を加え“新安八家”
 弘仁に学んだ呉定、祝昌、姚宋、黄呂、汪樸、汪家珍、謝紹烈など
 僧の雪莊、一智など 姑熟(天都)派の蕭雲従桐城方以智など
[黄山画派]現在では世界遺産に指定されている黄山に霊感を受けた画家たち
1613年明末普門和尚による文殊院建立、奥地の開発
 新安画派の他に宣城梅清、梅庚、石涛、山東の法若真など
[金陵八家]南京龔賢、樊圻、呉宏、高岑、鄒喆、葉欣、胡慥、謝蓀、張風、高城、楊文驄、陳卓、王概、柳□
[南田派]常州惲寿平の没骨花卉画
[江西派]南昌羅牧
[武林派]杭州藍孟、藍深

弘仁(こうにん) 1610-1664
[生涯]
法諱弘仁、字無智、号漸江、俗姓江、名韜(とう)、安徽省歙県桃源塢(村)に生
明の諸生(地方試験合格者) 母の死、生涯独身
1645年36歳明滅亡後、汪鴎盟と名のり抗清活動
福建武夷山に入り建陽の古航禅師につき僧となる
1656年47歳頃より新安に帰りたびたび黄山に登る 蓮花峰下に庵を結び黄山と寝食を共にする
1662年53歳?陽行 廬山に遊ぶ
1663年54歳12月22日五明寺において示寂
 従子(おい)の江注(允凝)、姚宋(野梅)、祝昌(山嘲)、呉定などが弘仁を倣った
[作品]
倪瓚の蕭散体を基調に黄公望の構築性を取り入れた、渇筆の繊細な線による玻璃(ガラス)あるいは水晶でできているような山水画
早期:入閩1645年36歳まで 落款は江韜 線主体の謹厳な画風
1634年25歳《秋山幽居図》扇面 上海・汪氏
1639年30歳《岡陵図巻》 上海博物館
 江韜(弘仁の出家前の名)、李永昌、汪度、劉上延、孫逸ら新安五家の合巻
過渡期:36歳から1656年47歳頃まで 落款は弘仁漸江 画風未成熟
《黄山六十景図冊》 21.4×18.4cm 北京故宮博物院 初期弘仁の力作
 実地の観察と内心の観想を写す黄山真景図
 蕭雲従(雲の線描、形態等)、孫逸の影響 蕭雲従作説(ケーヒル)も
 逍遥亭 覚庵  臥雲鋒 松穀庵 翠微寺 白沙嶺
 鳴弦泉 立雪亭 油潭  仙人榜 煉丹台 閻玉璧
 雲門峰 蔵雲洞 雲谷  飛光岫 小桃源 観音岩
 九龍潭 皮蓬  西海門 天都峰 掀雲牌 老人峰
 月塔  蓮花庵 小心坡 石門  斗庵  仙灯洞
 龍翻石 散花塢 饒龍松 石筍矼 大悲頂 飛来峰
 碣石居 緑簑崖 清潭峰 一綫天 朱砂泉 錫杖泉
 光明頂 醉石  逍遥溪 白龍潭 慈光寺 青蓮宇
 横坑  丹井  臥龍松 烏龍潭 獅子林 蓮花峰
 灑葯溪 趙州庵 仙橋  文殊院 蒲団松 桃花溪
 蕭雲従、程邃、唐允甲、査士標、楊自発、汪滋穗、饒瑕、汪家珍八家題跋
1651年42歳《竹岸蘆浦図巻》 25×238cm 泉屋博古館 南京白鷲洲の心景
1651年42歳《个庵山水合景図》冊 × cm
《山水冊》12開(6墨、6墨淡) 25.2×25.3cm 上海博物館 精品
晩年:1656年47歳以降示寂まで 線面対比、山塊律動、点苔変化多の謹厳画風
1656年47歳《雨餘柳色図》 84.4×45.3cm 上海博物館 画法成熟
1656年47歳《松溪石壁図》 118×50cm 天津芸術博物館
1658年49歳《沚阜図冊》十開 紙墨 22×14cm 安徽省博物院 「弓口」款
1659年50歳《林泉春暮図》 89.4×41.8cm 上海博物館 「弓口」款
1660年51歳《黄山天都峰図》 307.5×99.6cm 南京博物院 成熟期の大作
1661年52歳《江山無盡図巻》 28.5×292.8cm 泉屋博古館 豊溪の心象風景
1661年52歳《曉江風便図巻》 紙墨淡 24.5×248.5cm 安徽省博物院
1661年52歳《幽亭秀木図》 68×50.4cm 北京故宮博物院 江注題詩
1661年52歳《西岩松雪図》 紙墨 192.5×104.5cm 北京故宮博物院
1662年53歳《壬寅巨軸山水図》 293×102cm インディアナポリス美術館
1663年54歳春《始信峰図》 紙墨淡 214×84cm 広州市美術館
1663年54歳春《疏泉洗硯図》 紙墨淡 19.7×69.7cm 上海博物館
1663年54歳春《芝昜東湖図巻》 紙墨淡 21.5×101.7cm ボストン美術館 高精細画像
1663年54歳新夏《秋柳弧棹図》 紙墨 94×30cm 瀋陽故宮博物院 終年精作
《秋景山水図》 ホノルル美術館 氷れる音楽、「冷韻」の趣 弘仁の代表作
《黄海松石図》 198.7×81 上海博物館 黄山松の冷峻をクローズアップ

石谿 1612-1673
[生涯]
僧名(こんざん)、号石道人、残道者,字介邱(かいきゅう),白禿(はくとく)、俗姓は劉
幼少のとき父母を失い、1638年27歳頃僧となる 明遺民として諸地方を遍歴
1654年43歳頃金陵 (南京) 報恩寺の覚浪道盛(1592-1659)に参禅、蔵社に住み大蔵経出版に携わり10年
1657年46歳程正揆と知りあい作画を始める
1658年47歳杭州皐亭山崇先寺に赴き覚浪禅師に帰依、名を大杲にかえる
 祖堂幽栖寺の住持となる、法系は曹洞宗寿昌派、洞上正宗三十四世
1659年48歳覚浪禅師と龍人儼師が卒。黄山に登る(程正揆と同行か)
 高僧から画僧への転機
晩年は牛首山(ごしゅせん)幽棲寺大歇堂の住持
友人の程正揆(『青溪遺稿』巻19)、錢澄之や周亮工の『石谿伝』
[作品]
書は「乱頭粗服」(龔賢)というかすれの多い草書
「元人の勝概を得る」と評された乾筆擦皴に代赭、藍を染めた山水画
「奥境奇辟 緬緲幽深」 1660年49歳黄山回想の作、これから康熙初年1963年にかけ傑作が多い
1660年49歳《蒼翠凌天図》 水墨淡彩 南京博物院
1661年50歳8月《仙源図》 84×42.8 北京故宮博物院 黄山天都峰を描く
1663年52歳4月《青峰凌宵図》 上海博物館
1663年52歳9月《層岩畳壑図》 169×41.5 北京故宮博物院 成熟期の代表作
1663年52歳10月《蒼山結茅図》 上海博物館
この2点の傑作《蒼翠凌天図》と《蒼山結茅図》の形式は、同時代の山水画のように明快に指摘できないが、空間と物、実体と表面が、変容し流動するダイナミックな過程の中で影響し、絶えず融合し合っている。上に登り奥へと続く小道にそってこの画の世界を移動することは、ふだん自然を歩いて感じた印象にひたること以上に似た何かをはっきりと体験することである。つまり自然の形の豊富さと多様さ、道に迷った瞬間また横道への空間につながり続いていく、といった雲気の条件が変わっていく体験である。これは、郭煕《早春図》の霧に消えた懸崖から、中空を想像の中で移動する感じに似ているかもしれない。
実際に山を歩くように、想像の自然の小道をたどるこのやり方で髡残の画を読むことは、彼が詩の中で伝えているある種の高揚感を体験することでもある。そこでは画と詩は、感覚の刺激に反応する集中力において似ている。それはまた、人が奥まった保護されている場所を洞察するように、髡残が自然の中で達した安全さの感覚を共有している。画の構図はしばしば、この2点の作品のように、物語るかのように構造的に詩を説明している。人は前景の家を出、はっきりした道をたどり山を登っていく。この道はよりワイルドで遠い世界への予感の可能性を示している。人が上るのと並行し、溪流が下り、霧の空間から前景へと流れ下ってくる。(J.ケ−ヒル「髡残の跋」『言葉とイメージ:中国の詩書画』1991年 J.Cahill K'un-ts'an and His Inscriptions )

1663年52歳10月《報恩寺図》 泉屋博古館 やや謹厳な作風
 行草書長題 南京の名刹報恩寺復興の援助者程正揆60歳の寿のため
“石禿曰:佛不是閑漢,乃至菩薩、聖帝、明王、老莊、孔子,亦不是閑漢。世間只因閑漢太多,以至家不治,國不治,叢林不治。
易曰:「天行健,君子自強不息。」蓋因是個有用底東西,把來齷齷齪齪自送滅了,豈不自暴棄哉!
甲午(1654)、乙未間,余初過長干(報恩寺),即與宗主未公握手。公與余年相若。後余住藏社,校刻大藏,今屈指不覺十年。
而十年中事,經過幾千百回,公安然處之,不動聲色,而又所謂布施齋僧、保國裕民之佛事,未嘗少衰。
昔公居祖師殿,見倒塌,何忍自寢安居。只此不忍安居一念,廓而充之,便是安天下人之居,便是安叢林廣衆之居,必不肯將此件東西自私自利而已。
故住報恩,報恩寺亦頹而復振。歸天界見祖殿而興,思公之見好事如攫寶然。
吾幸值青溪大檀越端伯居士,拔劍相助,使諸祖鼻孔煥然一新。
冬十月,余因就榻長干,師出此佳紙索畫報恩圖,意以壽居士為領袖善果云。癸卯(1663)佛成道日,石禿殘者合爪。”
 「好夢44」朱文印、「石谿40」「電住道人35」白文印 鑑蔵印「方可之鑑藏書畫印」
1664年53歳《清江一曲図巻》 上海博物館 方文(1612-69 安徽桐城)のため
1665年54歳10月《面壁達磨図書画巻》 画:21.3×74.3 泉屋博古館
 印首「清風匝地」 石谿行草書自題 題跋:嵩霍谿、行徹、程正揆1666、洞侶玉礎、陳舒1612-1682、趙璧、龔賢、劉余謨、元度、等
1666年55歳《黄山道中図》 ニューヨークメトリポリタン美術館
松岩楼閣図 1667年56歳《松岩楼閣図》 水墨淡彩 南京博物院 石濤の先駆
“董華亭(其昌)謂:畫和禪理共旨,不然禪須悟,非工力使然,故元人論品格,宋人論氣韻,品格可力學而至,氣韻非妙悟則未能也。” 康熙六年重九前二日石谿殘道人“石”白文印
1670年59歳《山水冊》 上海博物館 晩年病中の簡逸な筆墨
1673年62歳《山水論道図書画巻》 水墨 浙江省博物館 癸丑
 書:丁未(1667)歳春日為松嘯禅隠戯作霞住道人

程正揆 1605-1677
[生涯]
字端伯居士,号青溪道人。湖北孝感人。崇禎四年(1631)進士
清では官は工部右侍郎に至る
1658年54歳弾劾にあい官を辞し南京に寓居、石谿との交友
1663年60歳の寿に未公より石谿画《報恩寺図》を贈られる
[作品]
詩文:『青溪遺稿』
画:山水画は早年董其昌の影響、禿筆に擦筆、潤筆を多用
1642年39歳《江山卧游図巻》連作を決意、卒するまで約500本を描く
 連作番号を付し、江山の変奏曲、連続演奏のような山水画創作
1652年49歳《臥遊図巻》第25 北京故宮博物院
1661年3月《臥遊図巻》第160 紙淡 20.5×394 中貿2005拍売「正揆」白文印
1661年10月《臥遊図巻》第118 紙淡 北京故宮博物院
1662年58歳《臥遊図巻》第253 25.0×429 東京国立博物館
1670年66歳《臥遊図巻》庚戌第二 26×205 北京故宮博物院
臥遊図巻 1671年67歳《山水図》 紙墨 104.8×40.6 北京故宮博物院
石谿題:“書家之折釵股,屋漏痕,錐畫沙,印印泥,飛鳥出林,驚蛇入草,銀鈎蠶尾,同是一筆,與畫家皴法同一關紐。觀者雷同賞之,是安知老斲輪有不傳之妙耶!青溪翁曰:饒舌饒舌。辛亥正月同友人觀於幽棲之大歇堂。石道人識。”
1674年春71歳《臥遊図巻》第435 23.8×210 北京故宮博物院
臥遊図巻



査士標 1615-1698
[生涯]
安徽歙寧人 字二瞻(にせん)、号梅壑、後乙卯生(董其昌と同じ干支のため)
家は古書画の収蔵に富む 明の諸生、明滅亡後は揚州に流寓、書画を楽しんだ
死後旧知の宋犖の伝 学ぶ者に何文煌など
[作品]
詩:『種書堂遺稿』題画詩と唱和詩が主
書:董其昌を好み、査昇1650-1707、査慎行と共に三査と呼ばれた
画:初め董其昌に学び、後に倪瓚による筆数の少ない瀟洒な干の画風と米法山水による湿の対照的な画風に、安徽の自然の写実が加わる
50歳以前:“清逸”な早期山水画 26歳頃学画 程嘉隧、李永昌、漸江ら新安派の影響、倪瓚、米芾に倣う
1657年順治十四年丁酉43歳《溪山客来図》 164.5×52cm 河北省博物館
50歳以降:成熟期 王翬、ツ寿平、笪重光ら正統派との交流、古画の模倣
 一方安徽を中心に江南各地を巡り写生小品を遺し丘壑のイメージを熟成
1666年康熙五年丙午52歳《仿各家山水冊》 紙本設色 21.6×17.4 遼寧省博物館
 倪瓚の他、王蒙、黄公望、呉鎮の元四大家、米芾、米友仁の米法山水、その他張僧繇、王紱、方上清、徐幼文、趙承旨、郭煕などに倣う
1672年《鶴林煙雨図》 倣米法山水の代表作
60歳以後:晩年写意山水期 “清逸”から“放逸”へ
 更に精細な山水画 最晩年の気韻荒寒、放逸な山水、花鳥
1674年康熙十三年60歳《山水冊》 紙本水墨 24.9×21.2 東京国立博物館
1677年《仿倪山水図冊》10開 26×18.5cm 孫毓汶旧蔵 中貿2005拍売
1683年癸亥69歳《空山結屋図》 紙本淡 98.7×53.3cm 北京故宮博物院
1695年81歳《桃源図巻》 35×313cm ネルソン美術館
《清溪放艇図》 紙本水墨 89.3×45.8 旅順博物館
《仿雲林山水図》 紙本水墨 86.×30.7 東京国立博物館

程邃(ていすい) 1607-1692
[生涯]
字穆倩,号垢区,垢道人、江東布衣。安徽歙県人。兵部尚書楊廷麟の幕僚の時朝政を議論し10余年白門(南京)に流寓させられ、清初揚州に移る。詩書画篆刻に精通 学ぶ者に程鳴など
[作品]
詩文:奇気あるとの評。著に『蕭然吟』『會心吟』
書:行書、隸書、篆書共に佳。篆刻は“歙派”の風格
画:黄公望を学び,中年以後枯筆を用い,乾皴中に蒼潤の趣があり黄賓虹は「乾裂秋風,潤含春雨」と評
1672年66歳《秋岩聳翠図巻》 紙墨 26.2×153.4cm 上海博物館
1687年83歳《千岩競秀図》 紙墨 29.5×22.7cm 浙江省博物館 王蒙風
《群峰図》 紙墨 87.8×47.1cm 上海博物館 代表作
《山水冊》12開 紙墨 27.5×22.4cm 上海博物館 点墨山水(李錦炎)
《秋山独往図》 紙墨 108.2×36cm 安徽省博物院
《秋山図冊》12開 紙墨 26×33.5cm 安徽省博物院

戴本孝 1621-1693
[生涯]
安徽和州人 字務旃(むせん)、号鷹阿山樵
父戴重は南京陥落の際、戦い絶食して殉じた烈士
本孝も遺民として、黄山、華山などの名山をまわり売画 
詩書画篆刻に工み 弘仁、龔賢、石濤との交友
[作品]
詩文:著に『前生詩稿』、『餘生詩稿』など
篆刻:絵画性ある篆刻
画:山水画を善くし学古、法に拘らず「以天地為真本」「我用我法」を強調した倪瓚、王蒙、黄公望らに学び新意を出す。乾筆焦墨を用い,構図は疏秀,意境は清遠枯淡
1668年48歳《華岳十二景図冊》 紙墨・淡 21.2×16.7cm 上海博物館
1675年3月55歳《黄山図冊》12開 紙墨 21.5×17cm 広東省博物館
 双谿 楊干 桃花巌 白龍潭 朱砂閣 天都峰
 文殊院 蓮花峰 煉丹台 雲谷 後海始信峰 洋湖
1677年57歳《華山毛女洞図》 紙墨淡 137.5×63.1cm 浙江省博物館
《煙波杳靄図》 紙墨淡 150.6×73.2cm 蘇州市博物館 早期清新作
《白龍譚図》 紙墨 194.9×55.4cm 安徽省博物院 晩年代表作
《山水図冊》 上海博物館 渇筆惜墨、捩じれた棒状の独特な形態感

鄭旼(ていびん) 1607-1683
[生涯]
字慕倩,号遺蘇。安徽歙県人。明朝の遺逸。理学を究め詩書画篆刻に工み
清朝では生活は困頓とするも売画で生計
[作品]
詩文:著に『拝経斎集』、『致道堂集』、『正己居集』
画:山水画は「故国之思」があり、題画詩は意境高遠
1673年《淡彩山水図》 紙墨淡 134.3×27.8cm 上海博物館 游黟山後
《扁舟読騷図》 紙墨 203×77.5cm 安徽省博物院
《黄山四景図》4屏 紙墨淡 各168.3×43cm 安徽省博物院

梅清 1623-1697
[生涯]
安徽宣城人。原名士羲、後に梅清、字渊公、号瞿山(くざん)、敬亭山農
黄山を写し「画山水入妙品,松入神品」「枝干奇古」の評(王士禎)
宣城画壇の領袖 
1623年明熹宗天啓三年生
1654年順治十一年32歳挙人
1670年48歳泰山に登る
1671年49歳友人石涛の影響から初めて黄山に登る
1690年68歳第2次黄山遊、以降画境深まる
1697年清聖祖康煕三十六年75歳卒
[作品]
詩文:著に『天延閣集』『梅氏詩略』
書:始め顔真卿に、後に米芾、徐渭を習うこと30年
《行書七言詩》 163.5×46 朶雲軒旧蔵
燈火秦淮乍杳冥,招來孤舫放還停。清尊傾倒留今夕,老友追陪盡客星。
潮氣忽浮千檻白,月光初動半溪青。遲回渡口尋桃葉,一笛難禁醉里聽。

画:石涛と密な交友、早期石涛への影響、晩年には石涛からの影響
1657年35歳《宛陵十景図冊》10開 絖・墨着 25.7×21.3 プリンストン大美術館
1679年57歳《山水冊》24開 紙墨淡 27.1×54.6 リートベルク美術館 代表作
1690年68歳《黄山図冊》8開 26×33 北京故宮博物院 晩年精心の作
1694年72歳《黄山十九景図冊》 上海博物館
1694年72歳《高山流水図》 249.5×121 北京故宮博物院 晩年の粗筆焦墨
一篙破寒玉,雨霽微波漾。蜿蜒八九灘,峰巒千萬壯。愛此良夜遊,次第歌聲放。群公逸興牽,暗克R堂覆。綺席耀華燈,拇陣分紅豆。娑羅花未開,香風已先逗。庚午初夏,綺園先生、東巖世兄招同于鼎、栗亭、仁遠、鵬遠、文璿叔、夏家培翼泛舟巖溪,晚集虯山堂,各賦短古二首並正,弟清。
《白龍潭図》 183.1×48.9 北京故宮博物院
蒼松翠壁瀑聲奇,六月來游暑不知。仙子真蹤無處覓,白龍潭上立多時。白龍潭摹松雪筆意,瞿山梅清并題。
《蓮花峰図》 183.3×49 北京故宮博物院
《黄山天都峰図》 184.2×48.8 北京故宮博物院
十年幽夢系軒轅,身歷層巖始識尊。天上雲都供吐納,江南山盡列兒孫。峰抽千仞全無土,路入重霄獨有猿。誰道丹臺靈火息,朱砂泉水至今溫。天都峰。仿荊關筆意。瞿山梅清并題。
《黄山図》 綾本 186.6×56.8 北京故宮博物院
一徑開危竇,懸崖萬丈高。是峰皆列戟,無嶺不飛濤。花疊章藤枝,雲深染布袍。海門開處幻,只覺化工勞。西海門。瞿山。

法若真 1613-1696
[生涯]
山東膠州人(現在の膠南尚莊村) 字漢儒、号黄石、黄山
父・法寰は『四書』『春秋』に通じ膠州で学館を設け講学
少年時生員、副員
1642年明崇禎十五年兵乱のため家は鉄橛山(膠南市)に隱居3年
1645年清順治二年会試、“異才”として内翰林,中書舍人に
1646年順治三年長兄の若貞と共に進士、翰林院編修
1648年順治五年3月王鐸と交友(王鐸の次子無咎とは同年進士)
福建戊子科正考試官、北京に戻り秘書院侍読、『太宗文皇帝実録』の編纂。その後浙江糧道に任命されたがは父の喪により着任せず。喪が終わり福建省布政史司參政に
1662年康熙元年康熙帝に謁見後、浙江按察使に、巡撫朱鼎祚に浙江政務の七策を提出、採用される
1667年康熙六年江南布政使として江寧に駐在、民のために“風、火、雷”三種の公文催徴法をとる
安徽省霊璧、盱眙など五県が凶作の時、租税徴収免除に働いたが戸部が拒否したため自らの家財を傾けて税を肩代わりした
石谿と交友
1673年康熙十一年山東へ、北京で魏象枢家に滞在し詩画を自娯とする
1679年康熙十八年博学鴻詞に推されたが病のために試験に応ぜず
1690年康熙二十九年「庚午冬日大雪,予(安致遠)命酒独酌,有平頭冒寒走三百里,寄我巨軸。開視,則先生(法若真)自畫青蓮登華山落雁峯圖,石勢如波,興雲捲四壁欲動。繼而又以闊幅大書司馬溫公禪偈見貽,筆勢沉著,殆神明於古人而出機軸」(安致遠「『黄山詩留』1699年序」)
1696年康熙三十五年夏膠州にて病没 墓は小珠山南麓君子峰の前
[作品]
詩:10歳で李賀を好み、晩年には杜甫を好み「不古不今」の体
『黄山詩留』1698年序16卷4103首 1646〜1696年までほぼ年代順
1丙戌1646已亥 2庚子戊申 3已酉庚戌 4辛亥 5壬子 6丙辰丁巳 7戊午已未1679 8庚申辛酉 9壬戌癸亥 10甲子乙丑 11丙寅丁卯 12戊辰已巳 13庚午辛巳 14壬申1692八十自寿 15癸酉甲戌 16乙亥丙子1696
『黄山文留』4卷、『介廬詩』1卷、『黄山集』6卷1663年刊
『黄山年略』1673年康熙十二年61歳までの自著年譜
書:王鐸に師事、行草の長条幅に大字書を好む 内向的沈鬱な書風
「以闊幅大書司馬溫公禪偈見貽,筆勢沉著,殆神明於古人而出機軸」安致遠序
《行草書杜甫七律詩》軸 絖本 東京国立博物館
釈文:月分梁漢半(米),春得水衡錢。内菜(蕊)繁於纈,宮莎軟勝綿。恩榮同拜手,出入最隨肩。晚著華堂醉,寒重繡被眠。轡齊兼秉燭,書枉滿懷箋。(『全唐詩』巻225)六吉詞壇正。北海法若真。「法若真印」白文印「黄石氏」朱文印
画:雲気の山水、江南布政使以降、最晩年に描かれる
「自畫青蓮登華山落雁峯圖,石勢如波,興雲捲四壁欲動」安致遠序
1681年69歳《天台山図卷》 32.4×1355 北京故宮博物院 子のため 煙る淡彩
1694年82歳《樹杪飛泉図》 紙本淡彩 135.7×56.8 上海博物館 最晩年基準作
《山水図》 205.8×75.2 ストックホルム・東アジア美術館 代表作
《層巒疊嶂図》 紙本墨画 306×130 山東省博物館 最大作
《山水図巻》 紙本墨画 44.2× 東京国立博物館

方以智 1611-1671
[生涯]
字密之,号曼公,鹿起,浮山愚者。安徽桐城の人。崇禎十三年1640年進士,官は大理寺少卿。清に敗れた後僧となり、法名大智,字無可,別号弘智,薬地和尚。 西洋の書に通じ哲学、自然科学に卓越した大学者。詩書画に工み。
[作品]
詩文:『通雅』、『物理小識』、『薬地炮莊』、『東西均』、『禅楽府』、『四韻定本』、『医学全通』、『稽古堂詩文集』等
画:《紅岩碧松図》 紙墨 127×47cm 安徽省博物院
《樹下騎驢図》 紙墨 127.9×40.5cm 北京故宮博物院

龔賢(きょうけん) 1618(1619?)-1689
[生涯]
江蘇昆山人 名賢,字半千,号野遺、半畝(はんぽ)、柴丈人、鐘山野老
1629年(崇禎二)10歳頃一家で南京に移る この頃母卒、継母の王氏に育てられる
1632年(崇禎五)13歳頃楊文驄の紹介により董其昌から画を学ぶ
憶余十三便能画,垂五十年而力硯田,朝耕暮獲,僅足糊口,可謂拙矣。”《溪山無盡図》跋
1639年(崇禎十二)20歳東林党の范風翼、黄明立、薛岡などと結社をつくる
20歳頃米氏《雲山図》を愛する
余弱冠時見米氏雲山図,驚魂動魄,殆是神物,几欲擬作,而抵吮筆竟不能下,何以故?小巫之気縮也。歴今四十年,而此一片雲山,常懸之意表,不意從無意中得之。”《龔半千山水精品冊》跋
遺民流寓時代
1644年(崇禎十七)25歳山東に行き泰山に登った後、揚州に住む
覓食不毛地,冰霜坏衣襟”“破産罷躬耕”,“已逃債主孑身去
1649年揚州から泰州海安鎮に行き徐逸家の私塾で教える
1655年揚州に住む 揚州収蔵家の五代宋元明の名画を広く臨模学習
1656年(順治十三)37歳 当時北京にいた周亮工のもとに赴く途中、泰山に登る
勒馬瞻東岱,嵯峨勢独尊。半空懸日觀,一竇仰天門。気接荊呉白,雲歸齊魯昏。久虚封禪事,碑碣幸長存。”《登岱》
金陵(南京)時代
1664年(康煕三)45歳揚州生活が不安定のため南京に帰る(方文「喜半千還金陵」)
1666年(康煕五)47歳金陵清涼山に半畝の土地を買い隠棲“老歸鐘阜作遺民
(枯葉を掃く僧として自画像を描き、居を「掃葉楼」と名づけたエピソードは別人)
 樊圻、呉宏、高岑、鄒喆、葉欣、胡慥、謝蓀らと交遊(後に「金陵八家」の称)
 屈大均(広東人、字翁山 反清復明の遺民僧)、方文、湯岩夫が訪れる
 屈大均を“龍章風姿,輝映南海”と往復書信『頼古堂尺牘』で賞賛
1687年孔尚任の招きにより揚州秘園での春江社の会に参加(石涛も参加)
 冬、病のため南京に帰る“ 聞前言,所嗟生最後”(10年後の『桃花扇』に影響)
1689年70歳8月半畝園に卒、昆山に帰葬 孔尚任が後事の処理、子女の世話などをす
[作品]
詩書画に秀れた明の遺民
詩文:『草香堂集』『半畝園詩』 早期は詩人として知られる
書:明末ロマン派の風を遺す行草書
画:董源、巨然が描いた江南とりわけ南京清凉山一帯の重山茂樹の自然を写す
早期:白龔”(後期にも含まれる)
白描風の山水画:簡略な披麻皴、渇筆の墨点を要所にちらす
沈周、直接には董其昌、惲向の簡略な用筆
1656年37歳《山水図》 102.7×51.5cm 北京故宮博物院 白龔のうちやや多皴
後期:黒龔”(主要作品)
積墨法による山水画:透明感のある墨色 溌墨をしない(同時代の石濤と異なる点)
淡墨の輪郭線から始め、様々な墨点を積み重ね、擦染、濃墨の輪郭・点苔で仕上げ
米父子、呉鎮、王蒙の厚い用墨、南京の宣教師が招来した西洋画の影響
1670年51歳頃《千巖万壑図》 62×100cm チューリッヒ・リートベルク美術館
 壮年期の代表作 X字構図、西洋銅版画《万国図Teatrum Orbis Terrarum》と似る
《山水画冊》8開 27×42cm 泉屋博古館 蜀の景 X字構図の多用
1671年52歳《山水図冊》10開 24×45cm ネルソン美術館 精心の作
  桃花書屋図 摹南宮縑素図 淡彩
1673年54歳《千巖万壑図巻》 28×980cm 南京博物院 墨音が交響する展開
1673年康煕十二年54歳○《山水図》 東京国立博物館
1674年55歳《墨筆山水通景大屏》 278×238cm 北京故宮博物院
1675年56歳《雲峰図巻》 17×570cm ネルソン美術館 精心の作
 《倣董源山水図巻》 26.7×941.7cm ネルソン美術館 精心の作
1676年57歳《秋山飛瀑図》淡彩 広州美術館 龔賢着色山水の始め
 自題“半畝居人年近六十,未嘗一為設色畫,蓋非素習也……。
1677年58歳以降《清凉環翠図巻》淡彩 30×144.5cm 北京故宮博物院
 《攝山栖霞図巻》北京故宮博物院と姉妹巻
1682年63歳《溪山無尽図》折巻12宋紙 27×725cm 北京故宮博物院 3年を費やす
溪山無尽図
庚申春,余偶得宋庫紙一幅,欲制卷畏其難于收放,欲制冊不能使水遠山長。因命工裝潢之,用冊式而畫如卷,前后計十二幀,毎幀各具一起止;觀畢伸之,合十二幀而具一起止,謂之折卷也可,謂之通冊也可。然中間構思位置要無背于理,必首尾相顧而疏密得宜。覺寫ェ平易而高深難,非遍游五岳,行万里路者,不知山有本支而水有源委也。是年以二月濡筆,或十日一山,五日一石,閑則拈弄,遇事而輟,風雨晦冥,門無剥啄,漸次揄チ,盛暑祁寒又且高閣,誰來逼迫,任改歳時,逮今壬戍長至而始成,命之曰:溪山無盡図。
憶余十三便能畫,垂五十年而力硯田,朝耕暮獲僅足糊口,可謂拙矣。然荐紳先生不以余之拙而高車駟馬親造蓽門,豈果以枯毫殘瀋有貴于人間耶?頃挾此冊游廣陵,先掛船迎鑾鎮。于友人座上,値許葵庵司馬邀余舊館下榻授餐。因探余笥中之秘,余出此奉教。葵庵曰:『詎有見米顛袖中石而不攫之去者乎?請月給米五石酒五斛以終其身如何?』余愧嶺上白雲堪自怡ス,何令謬加贊賞,遂有所要而与之。尤囑葵庵幸為藏拙,勿使人笑君寶燕石而美青芹也。半畝龔賢記。

1682年63歳《江村図巻》 31.8×904.1cm 上海博物館 平中の奇
1684年65歳《八景山水図巻》 24.4×491.7cm 上博 引首“風骨珊珊”淡彩を含む8幅
1685年66歳《木葉丹黄図》 上海博物館 晩年の精心の作 自題
1687年68歳《溪山無盡図巻》 56.5×903.2cm 藤井有鄰館 喬先生のため
杜老云:劉侯天機精,好畫入骨髓。唯天機精,方能好畫。吾觀目前之好畫者,惟先生足以當之。此巻,畫畢歸喬先生。先生字雲衞,八寶人。畫者龔賢,時丁卯六。” 天機精:自然のままの心の働き
1688年69歳《山水図巻》 28.8×404.1cm 北京故宮博物院
畫於衆技中最末。及讀杜老詩,有云:劉侯天機精,好畫入骨髓。世固有好畫而入骨髓者矣!餘能畫,似不好畫,非不好畫也,無可好之畫也。曾見唐、宋、元、明初諸家真迹,亦何嘗不坐臥其下,寢食其中乎?問之好畫者,曰:士生天地間,學道爲上,養氣讀書次之,即遊名山川、出交賢豪長者皆不可少,餘力則工詞賦、書畫、棋琴。夫天生萬物,惟人獨秀,人之所以異於草木瓦礫者,以有性情,有性情便有嗜好,一無嗜好,惟恣飲啖,何異馬牛而襟裾也。不能追禽而之蹤,便當居一小樓,如宗少文張図繪於四壁,撫弦動操則衆山皆響。前賢之好畫往往如是,烏能悉數!
餘此卷借從心中肇造,雲霧、丘壑、屋宇、舟船、梯凳、溪徑,要不背理,使後之玩者可登可涉、可止可安,雖曰幻境,然自道眼觀之,同一實境也。引人著勝地,豈獨酒哉! 戊辰秋杪半畝龔賢畫並題。

[画論]
『画訣』、図解入りの画法『課徒画稿』 『課徒画稿』原文参照
山水画創作の四要(『画訣』『虚斎名画続録』卷三)
 “一曰筆,二曰墨,三曰丘壑,四曰気韵。
  筆法宜老,墨気宜潤,丘壑宜穏,三者得而気韵在其中矣。

 筆墨:墨は深く厚く潤いがあるように“気宜深厚,色宜蒼秀
 筆と墨の融合し統一した效果“渾淪”“無筆法墨気之分”“筆墨互爲表里
 北宋山水画の筆墨技法からの新たな展開
 構図:穏やかな中に奇を求める
 “丘壑者,位置之總名。位置宜安,然必奇而安,不奇無貴于安,
  安而不奇,庸手也;奇而不安,生手也。

“滿”にして塞がず 雲帯、流水による空白を用いる
言近旨遠,精確不磨,初学最宜探討。”
[龔賢に対する清時代の評]
周亮工“其画掃除蹊徑,独出幽異。自謂前無古人,後無来者,信不誣也。”“半千画初從北宋筑基,一變古法,沈雄深厚,自成一家。”『読画録』
程正揆“画有繁減,乃論筆墨,非論境界也。北宋人千丘万壑,無一筆不減,元人枯枝痩石,無一筆不繁,通此解者,其半千乎!”「題半千画」
孔尚任“野遺自是古靈光,文采風流老更強。幅幅江山臨北苑,年年筆硯選中唐。
秦祖永“墨太濃重,無清疏秀逸之趣”『桐陰論画』
張庚“半千画筆得北苑法,沈雄深厚。蒼老矣,惜秀韵不足耳。”『国朝画徴録』
現在、北京中央美術学院国画系の山水画学習において、まず初めに学ぶ画家

普荷 1593-1683
[生涯]
俗姓唐名泰,字大来。雲南晋寧の人。天啓中明経に選ばれたが赴かず,明末雞足山(雲南省大理白族自治州賓川県雞足山)にて僧となる。
法名普荷,字担当、通荷。
西陵で董其昌、陳継儒とあい詩文を交わす
[作品]
詩文:『修園集』、『撅庵草』等
書:草書を得意とし、董其昌を変じ勢は瘦勁清奇、豪放さの中に韻致がある
画:山水画は黄公望、倪瓚に習うが風格は荒率縦放
《漁楽図》 紙墨 102.2×55.6cm 北京故宮博物院
 題:要起漁子樂,不在釣學頭。擔當。「普荷」白文印



参考書
世界美術大全集 東洋編9 清 西上実他編 小学館 1998年
泉屋博古 中国絵画 泉屋博古館編カタログ 1996年
金陵八家畫集 編委會編 天津人民美術出版社 1999年
中國書法全集(64)清代 朱耷.石濤.龔賢.龔晴皋 郭子緒主編 榮寶齋 1998年
龔賢精品集 蕭平著 人民美術出版社 1997年
華徳榮 龔賢研究 上海人民美術出版社 1988年
参考サイト
清代画家代表人物 中国絵画千年巡礼から
おすすめ展覧会
泉屋博古館東京分館開館10周年《中国絵画―住友コレクションの白眉―》
2012年10月13日(土)〜12月16日(日)(11月14日展示替)
泉屋博古館東京分館《開館記念展》
2002年10月25日 〜 2003年2月2日(12月11日展示替)(終了)
世界的に著名な住友コレクションから中国古銅器と中国絵画の展示
伝閻次平「秋野牧牛図」漸江「竹岸廬浦図巻」石渓「報恩寺図」八大山人「安晩帖」石濤「黄山八勝画冊」石濤「廬山観瀑図」石濤「黄山図巻」沈銓「雪中遊兎図」など
雲林宗脈——安徽省博物館蔵新安画派作品展
澳門芸術博物館 6/9/2012-18/11/2012
安徽省博物院から新安画派の書画約120件を5章に分け展示:
画苑先声(李流芳、程嘉燧、李永昌など21件)
 明 汪肇《風雨帰舟図》 絹本墨画 146×74.5
 明 朱邦《豊溪漁隠図》 絹本設色 163×101.5
海陽四家(弘仁6、孫逸3、査士標15など26件)
新安群英(程邃4、戴本孝8、呉定5、鄭旼7、江注3、祝昌2など42件)
新安余韻(雪莊など26件)
新安友軍(蕭雲従、方以智、梅清、龔賢など5件)
 清 梅清《古帝煉丹台図》 紙本墨画 133.5×52.1 など
雲林宗脈─新安画派学術研討会
9月5日
俞宏理:新安画学的淵源
章望南:新安画派審美価值取向与作品伝承之研究
蕭燕翼:《書画記》与“雲林宗脈”
丁羲元:新安画派与徽州版画的融匯
朱万章:試論新安画派対嶺南画派的影響
万新華:李流芳的絵画芸術
呉映玟:朝鮮后期画家李麟詳画風形成与新安画派的東伝
傅申:董其昌 龔賢与前新安画派
蕭平:蕭云従与新安画派
単国強:清初安徽画家的実景山水
余輝:探討最早的黄山図像
張子寧: 圖文並茂:黃山實景圖與《黃山領要錄》
劉晞儀: 寫景與自述:論鄭旼《黃山八景》冊的選景動機
薄松年:漸江筆下的黄山
9月6日
龐鴎:漸江山水画的鑒定依拠
李志剛:漸江《為中翁山水冊》分析
徐麗莎:弘仁與溪南吳氏的交遊
任軍偉:査士標的繪畫藝術及其觀念
陳継春:查士標三題
張耕:就技法論查士標伝世書画作品的真偽
薛永年:戴本孝的一画論与枯淡風
付陽華:戴本孝的北遊及其所促成的《華山圖冊》中的遺民之志
李明:程邃《山水圖》冊主題解讀──兼論其繪畫中“金石氣”的成因
任ム:呉山涛生平攷辨
呂曉:截斷紅塵石萬尋 衝開碧落松千尺──方以智其人其畫
王耀庭:方士庶倣董源《夏景煙靄圖》研究
章宏偉:丁雲鵬“供奉內廷”辨
張義勇:応酬環境与程嘉燧絵画創作間的関係
荒井雄三:梅清的書法
凌利中:石乾 比張大千更早仿作石涛的人

澳門芸術博物館裡的“雲林宗脈” 澳門芸術博物館館長インタビュー
黄秀英:《暁江風便図》的前世今生 安徽省博物院副館長インタビュー


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 清時代3 金陵派、新安派  2002.12.25作成 

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