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 北京信息

 山西省古美術旅行(北部)


鎮国寺彩塑パノラマ

鎮国寺彩塑のパノラマ






 7月14日(金) 北京 大同
 7月15日(土) 大同 雲崗石窟
 7月16日(日) 大同 華厳寺 懸空寺 木塔 岩山寺 五台山
 7月17日(月) 五台山台内 顕通寺 菩薩頂 塔院寺 万仏閣
 7月18日(火) 五台山台外 南禅寺 広済寺 仏光寺 尊勝寺
 7月19日(水) 五台山 羅[目候]寺 太原
 7月20日(木) 太原 休息 清和元
 7月21日(金) 太原 純陽宮 山西省博物館(文廟)
 7月22日(土) 太原 平遥 山西民居 県衙 城隍廟 市楼 清虚観 城壁
 7月23日(日) 平遥 双林寺 鎮国寺 喬家大院 太原
 7月24日(月) 太原 晋祠 天龍山石窟
 7月25日(火) 太原 北京




7月23日(日)  平遥 双林寺 鎮国寺 喬家大院 太原

居広居賓館をひき払い太原に移動しながら、双林寺、鎮国寺、喬家大院などを見ていきます。平遥町内会の若旦那のような経理の李鴻晋さんに手をふって車で出発しました。この日は日曜日、双林寺を見た後、昼を食べに再びよった居広居賓館の1,2階の餐庁は、結婚式の披露のため上を下へのにぎわいでした。

双林寺
双林寺千手観音

双林寺は、平遥城の西南12里の橋頭村にあります。寺内の北宋大中祥符四年(1011)の姑姑碑には「中都寺重修于北齊武平二年( 571)」とあり、もと中都寺といい創建年代はおよそ北斉のはじめに遡ることがわかります。宋以降、双林寺と改めましたが、「双林」は釈迦の“双林入滅”の説によります。
寺は、宋以降たびたび戦火にあい、現存する殿宇は多く元・明の建筑です。明時代の景泰、天順、弘治、正徳、嘉靖、万歴年間、また清時代の道光、宣統年間など、歴代の重修を幾たびも経てきています。

双林寺韋駄天

建築は南に面し、高さ3mの土台の上に建てられています。寺の周囲は城壁のようになっており、一般の寺と異なっています。これが戦火などから塑像群を守ったのでしょうか。南北の長さ124m、東西の寛さ51mの寺内は大きく東西2つに分かれ、西は廟院、東は経房・禅院・僧舍があります。
廟院は現在、大小の殿宇が10座あり、前後三進院(「日」字型の配置)よりなっています。南の券拱門(山門)から天王殿、釈迦殿、大雄宝殿、娘娘殿が中軸線上に並びます。前院の東西には羅漢殿と閻王殿があり、2つの殿のそれぞれ南に武聖殿と土地殿があります。釈迦殿の左右に鐘、鼓2楼。中院は千仏、菩薩殿が左右に対しています。院内には“唐槐”があり建築と映え、各殿には大小2052の彩塑がみちています。

双林寺の塑像群は、「東方彩塑芸術の宝庫」ともよばれるように、宋・元・明・清の歴代のおびただしい彩塑が一寺に会し壮観です。
天王殿
廊檐の下に塑像の四大金剛、内には四大天王と八大菩薩、護法神將金剛があり、みな元時代の造像です。天王殿の屋根中央の琉璃宝頂には、明の弘治十二年八月二六日の題記があります。
釈迦殿
双林寺の主殿です。殿内には仏、脇侍などの塑像と共に、壁面に釈迦の一生を表した仏伝故事の塑像群があり、四八組、文官や武將、亭台や楼閣にみちています。元から明にかけての造像です。
特に殿背後の渡海観音の渡海の様が精緻を極めています。
大雄宝殿
三身仏、二菩薩、脇侍菩薩があります。大雄は「大勇、无畏」という釈迦の尊称です。史料によればこの殿は、もと七重の楼閣でしたが戦火で消失し、明時代の景泰年間に重修されています。もとの柱の礎石が遺っています。彩色塑像の「三世仏」は、明時代のもので清時代に装飾され直しています。
武聖殿
関羽の「桃園三結義」「斬華雄」「斬蔡陽」「破黄巾」「水淹七軍」の故事が、塑像によって現わされています。
羅漢殿
観音と十八羅漢の造形や衣紋は、多様な姿をとり洗練されています。双林寺の彩塑の中で宋時代の写実の風格をそなえるものです。
閻王殿
地藏、十殿閻君と六曹判官があります。まさに天、人、阿修羅、地獄、鬼、畜牲の「六道を輪回」する塑像が一殿の中にあります。
千仏殿
千仏殿の彩塑群は、菩薩殿の千手観音、供養人および諸菩薩500余尊の塑像と共に、意匠をこらしています。明時代のものです。
特に菩薩殿の諸菩薩が双林寺の塑像群中、もっとも柔和で美しく造られているように思えました。まちがえると少女趣味の人形になってしまうような危うさがありました。

双林寺善財童子壁画

千仏殿・菩薩殿の外部には雨風にさらされながらも壁画が遺っており、かすかにわかる菩薩の姿などある水準をいくものと見えました。外壁上段には両殿にわたって連続して善財童子の物語(図)が描かれ貴重です。


鎮国寺
鎮国寺 鎮国寺
万仏殿 背後からみた万仏殿
鎮国寺菩薩側面

はじめ京城寺とよばれた鎮国寺は、平遥から東北へ13キロの平地、その一角を緑にかこまれ牛が眠るのどかな郊外にあります。太原から鉄道でくるなら、平遥から手前の駅、洪善站でおりて1キロのところにあります。
主殿の万仏殿は、五代の国の一つ、北漢の天会七年(963)に建てられました。中国に遺る木造建築のうち今回の旅では、最古の五台山の南禅寺の大殿(782)、その次に古い仏光寺の東大殿(857)と訪れてきました。鎮国寺万仏殿はその次にあたり3番めに古いのです。建築は正方形に近いプランをもち、頂きは傘状になる珍しい形をしています。
殿内には創建時の塑像11尊が、そのまま遺っています。ただし仏光寺と同じように後補の色彩がぶ厚く塗られ原形をつかみにくくしています。仏、2弟子、2菩薩、2脇侍菩薩、2供養菩薩、2天王は、南禅寺の構成と似ています(鎮国寺彩塑のパノラマ)。南禅寺のものと比べやや緊張感が欠けるのは、唐も終わり宋がすでに始まっている(北宋乾徳六年)という時代のためか、後補によりバランスを崩しているためか、あるいは山西の中でもローカルな地にあるためか。

鎮国寺壁画

殿内にはその他、万仏のいわれとなるたくさんの小ぶりな仏、百万仏を描いた壁画が殿内を埋めています。
万仏殿の背後は中庭になり、最も奥まった1段高い所に三仏殿があり、殿内左右に仏の生涯の故事を描いた明時代の壁画があります。図は釈迦が死人を見て生死の無常を想う場面です。地方の民間画家の手になるものですが、構成など興味深く見ました。


喬家大院
喬家大院

ここに着く頃には、真青な空に気温は上がりとても暑くなっていました。 喬家大院は、張芸某監督、鞏俐主演の映画《大紅灯》(大紅灯籠高高挂)の舞台になったことで有名です。映画は北京のテレビでちらっと見ましたが、喬家大院をそのまま使い審美的な撮り方をしていました。張芸某もだんだん荒っぽい生命感がなくなっていくかな。
実際の喬家大院は、北京故宮と同じ入場料30元もとられたのには最初からびっくりです。映画のためすっかり観光地化されており、南からも華僑風な広東語を話す人たち、三脚付きの重いカメラを用意した人など、団体でにぎわっていました。

喬家大院

清時代後半から民国にかけて数度にわたって増築されてきた喬家大院は、平遥で見た民居と比べても広大で、装飾もさらにこっています。北京を発つ時は楽しみにしていたのですが、観光ナイズされているのと暑さとで興がそがれていました。華美をこらした造りに加え、修復をし見せる手が行き届いているような気がし、八達嶺の長城のようになるほどと納得させられても味わいに欠けるように感じました。


太原への帰りの道には、進行方向の地平線に逃げ水が立っていました。



 7月14日(金) 北京 大同
 15日(土) 大同 雲崗石窟
 16日(日) 大同 華厳寺 懸空寺 木塔 岩山寺 五台山
 17日(月) 五台山台内の諸寺
 18日(火) 五台山台外の諸寺
 19日(水) 五台山 太原
 20日(木) 太原 休息
 21日(金) 太原 山西省博物館
 22日(土) 太原 平遥 山西民居 県衙 城隍廟 市楼 清虚観 城壁
 23日(日) 平遥 双林寺 鎮国寺 喬家大院 太原
 24日(月) NEXT→太原 晋祠 天龍山石窟
 25日(火) 太原 北京




  北京信息   2000.8.13写 2000.8.23更新

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