日本でも世界遺産の一つとして紹介され知られるようになった、明時代の城と町並みが遺る平遥城へ泊りがけで行ってきます。
前日場所を調べておいたホテルの近く、平遥行きの小公共が出る太原駅前広場の南に行きました。平遥へ出発直前なのでたまたま乗った小公共12元が、くせものでした。
小公共の質が悪いという評判は北京でもよくききます。人が集まらないと動かないし、無免許運転や死亡事故が北京晩報にのるなど、他に便利な手段が少ないので必要悪のように利用している面もあります。
この平遥行きの小公共は、ふてぶてしい面の切符売りが、ぎゅうぎゅうに客を詰め込め、出発するとしばらく行ったところで荷物はつむは、公安に訊問されるはで、4,50分停まったままです。途中の高速の出口あたりでは突然、農道に入り別の道を突進しふたたび高速に合流する不可解な道をとります。その間には笑ったり泣いたりする情緒不安定なおばさんが乗ってきて、離れて立っているおばさんと大声で口論をはじめたり、などなど。
ふつう2時間ほど着くところ、昼頃に3時間かけてやれやれ平遥駅前に着きました。
まず今日泊まるところを確保します。2軒めに入って感じがよかった、2階まで餐庁も兼ねた居広居賓館に決めました。遠くに少し城壁が見える部屋です。
午後おもむろに城内の散策に出かけました。最初歩いてまわろうとしたのですが、城門に入る前まで観光用の人力三輪車の誘いがしつこく離れません。何かいろいろとぶつぶつ言ってくっついてきます。最後5元でいいという声をきいて、そんなに悪そうな人でもなし乗ることにしました。後で聞くと普通城内の規定料金は1日32元ですが、午後なので特別サービスとのこと。コースは、解放軍あがりのような素朴な兄さんにおまかせです。
明清の山西民居
まず明と清のそれぞれの平遥の民間住宅の典型として渾漆斎大院と雷履泰故居に行きました。
明末清初に建てられた渾漆斎大院は、通りから奥まった所にあり知っていなければ入りにくい場所にあります。もと外貿部長の雷任民の住まい、今は平遥漆器の有名な作家の耿保国が住んでいるとのこと。実際、案内してくれた女性は漆絵を描いており、室内は漆絵の道具、寝泊まりできる用意など自然に置かれていました。
建物は、典型的な前後三進院の建築です。四合院を2つ併せ「日」の字型に細長したようなつくり。後院は、南向き2階建て5間の正窰を中心に、東西に3間の廊窰があり、単純なシンメトリーのラインをつくります。「窰」とつけられているように、建物の1階は、黄土地帯に特有な窰洞(ヤオトン)のつくりを木造建築と合わせています。正窰・廊窰それぞれに前廊の軒をだした上部の梁などには、さまざまな故事をテーマにしたレリーフや装飾が彫られています。木造の2階に上がるには、正窰の左右にある階段を回って外から行かなければなりません。寒い冬には不便だと思うのですが、これも窰洞に倣っているのでしょうか。
清時代の典型として雷履泰故居も基本的に似たつくりをしています。こちらは清時代末に銀行の為替の前身にあたる「票号」を扱う金融業で栄えた雷履泰の住まい(西大街にある有名な「日昇昌」は雷履泰の票号の店)であり、装飾などさらに華美になっています。
県衙
県の役所。明時代の規模を伝え南北にそうとう広い。平遥の町自体が明清の時代のタイムカプセルのようです。こうした役所も残っており、中国の時代劇の中にいるよう、昔をイメージする助けになります。
城隍廟
城隍廟は、城の中央の南大街を挟んで県衙とシンメトリーに位置するのが特徴あります。城隍と財神廟の2つの道教の廟が並び、互いに行き来できます。財神廟の中庭、前院の2階に財神に向って奉納するようなかたちで、8角の天井をもつ舞台状のものがはり出し独特な趣きがありました。
市楼
城の中央、南大街に明清街という土産物などを売る店が集まる通りがあります。平遥の漆器や漆絵を扱う店もあります。ただし漆は西安から運んでいるそうです。
明清街にまたがるようにして市楼が立ち平遥の街のランドマークとなっています。関羽を祀る階上まで登って行けます。その壁には関羽の故事を描いた民間画工の壁画が、朽ちそうにしてありました。
ここで三輪車の兄さんに礼をいい別れ、徒歩にしました。
東大街のある家は、パソコンを2台おきインターネットができ1時間4元、夜12時までやっています。実際に使う時間はありませんでした。
清虚観
元、清時代に栄えた道観で平遥県博物館も兼ねています。民間芸人の許立延が、清時代の光緒三二年(1906)に作った「紗閣戯人」という紙と泥でできた舞台人形の展示があります。同時代の天津泥人形を思い起しますが、天津は精緻な写実がまさるのに対し、こちらは素朴です。平遥の元宵節のために作られたそうです。
平遥城壁
清虚観からすぐの親翰門(下東門)より城壁に登りました。
城壁は街をそっくり囲んでいます。明時代の洪武三年(1370)に建造されたものが、幾たびの修理をへ今に遺っています。全長6.4㎞。敵楼とよばれる四角い小さな望楼が72(孔子の72人の弟子を象徴しているという)。東南角にはより高く美しい奎星楼が立っています。
奎星楼を見た後、迎薫門(南門)まで城壁の上を歩き、南門からは下れないので、7時頃閉めるという下東門の人の言葉に急ぎ戻ることにしました。
ちょうど夕日の落ちる美しい城の街並みを見遥かしながら歩くことができました。
ところが下東門に着くと誰もいず、門の鎖は堅くかかったままです。城壁の上からやっと門下の電話を使いにきた人をよびとめ、北門か西門まで行けば出られるということを聞きました。
次第に暗くなってくる城壁の上を、結局、洪極門(北門)まで歩き、門下にいた人が鍵を開けてくれました。
8時頃、居広居賓館に戻り、途中買ってきた冠雲牌の平遥牛肉(コンビーフのような味の牛肉の塊)をおつまみにビールを飲みました。ビールは店の人がお薦めの河南省の京華干麦酒と地元山西省の迎沢(インズ)麦酒です。どちらもおいしかったのですが、特に山西省にこんなおいしいビールがあるとは思いもよりませんでした。今はなくなってしまった青島(チンタオ)麦酒の昔のおいしさがあるような感じでした。
7月14日(金) 北京 大同
15日(土) 大同 雲崗石窟
16日(日) 大同 華厳寺 懸空寺 木塔 岩山寺 五台山
17日(月) 五台山台内の諸寺
18日(火) 五台山台外の諸寺
19日(水) 五台山 太原
20日(木) 太原 休息
21日(金) 太原 山西省博物館
22日(土) 太原 平遥
23日(日) ★NEXT→平遥 双林寺 鎮国寺 喬家大院 太原
24日(月) 太原 天龍山石窟
25日(火) 太原 北京