琴詩書画巣   古琴音楽   中国絵画   詩・書   中国文人の世界   北京信息   パリ信息   リンク  
   中国絵画News | 中国絵画の流れ | 日本美術史ノート | 中国絵画ことのは   胸中の丘壑  荊浩筆法記
  林泉高致   課徒画稿
  雨窓漫筆   畫語録

 江戸中期の絵画2 南画 大雅と蕪村

南画とは
中国の「南宗画(なんしゆうが)」の略(「南画」としないように)、「文人画」を指す
 「南宗画」は明時代末以降流行した美術史的概念→董其昌の南北二宗論参照
 「南画」という言葉は日本国内のみの概念、大正以降盛んに使われる
[日本「南宗画」「文人画」の特殊さ]
  中国   日本  
南宗画   南画  
南北二宗論 南宗画(明末董其昌らの文人画観)   北宗画と南宗画の区別があいまい  
身分 文人画   職業画と文人画の区別があいまい  
筆墨 渇筆、擦筆が主体   南画前期は潤筆も
後期に渇筆、擦筆が可能
 
文人画家   南画家  
文化 文人
儒教の教養 詩書画三絶
 
文人へのあこがれ
儒教の教養 詩は和歌俳句も
 
政治 士大夫 高級官僚(と官僚予備軍)   士大夫はない
前期は為政者(武士、儒者)も
幕末は処子、浪人
 
社会 上層階級
地主など民間有力者
 
知識人 放蕩無頼の系譜
儒者、武士、町人、地方有力者など
 

[南画の特色]
絵画の本質的な生命を心に内在する「気韻」に求める
率直な個性の表現、粗筆、簡略な描写
古典的な正統文人画風、清潔な白描画風(中国水墨画の逸品画風の歴史)
儒教的教養人に対する共感            (佐々木丞平のまとめ)

[18C南画の位置]
文人画    進取の気性に富む文化人 九州関東東北までの地方素封家
       より精神的,教養主義的 大雅の画は当時「異邦の鄙体」という評

狩野派土佐派 官画として武家公家層から町絵師まで
琳派     富裕町衆 江戸、京坂などの大都市
円山四条派  新興町衆 京坂などの大都市
浮世絵    一般庶民 江戸などの大都市
 

南画の直接のルーツ
[最先端の中国版画]
『八種画譜』:明末刊 八種の画譜をまとめたもの 左右ページに詩画対照
 日本:1672年寛文十二年以来翻刻が続く、南画家に大きな影響
『芥子園画伝』:清時代初の画譜4集 多色版画の傑作
王概・王蓍・王皋兄弟の編纂 現在まで数多くの版本がある
芥子園はパトロン李漁(笠翁) の南京の別荘名
李漁の女婿沈心友が、明の画家李流芳の山水画集をもとに、王概に増補を依頼
①1679年康熙十八年第1集山水 初版:上海図書館線善756243-47本(劉越説)
 歴代画論、画材、樹・山石・人物屋宇の描写法、画譜 優れた編集と摺り
②1701年第2集蘭竹梅菊第3集花卉翎毛 王概と兄弟2人の編
第4集人物画譜 丹陽の肖像画家丁鶴洲『写真秘訣』などの図譜を商人が集めたもの
 日本:1748年寛延元年以来模刻が続く、南画家や浮世絵版画に多大な影響
  →参照:京都河南楼版『芥子園画伝』第1集 龍谷大学学術情報センター蔵
[長崎派]
江戸時代の長崎経由の諸画派の総称
中国の福建地方絵画や版本、西洋画など、舶来の新画法を中央に伝える
(1)黄檗派:黄檗宗中国僧による詩書画三絶の文人花鳥画、黄檗僧がもたらした写実的な高僧肖像画 喜多元規らの肖像画家
(2)漢画派:1644年正保一年来朝の黄檗僧逸然1600頃-68 を祖 長崎派の主
 河村若芝 1629か38-1707、唐絵目利の渡辺秀石1639-1707 北宗画風
(3)南蘋派:1731年享保十六年雍正九年来舶の沈銓を祖 精緻な花鳥画風
 沈銓1682-1760- 字衡斎、号南蘋 浙江省呉興人(現、新市鎮南淮街26号か)
  1716年《雪梅群兎図》 橋本コレクション 現存最初期作
  1731年冬《老圃秋容図》 静嘉堂文庫美術館
  1737年小春《雪中遊兎図》 230.5×131.7 泉屋博古館
 熊代熊斐1693-1772 門下の鶴亭?-1785、 宋紫石1716-80 により近畿関東へ
 江戸後期画壇の写実主義へ
(4)南宗画 (文人画) 派:伊孚九(いふきゆう)、費漢源、江稼圃らの来舶中国画人
 来舶画人の水準はさほどでないが生きて体現する人として日本南画へ影響
(5)洋風画派:18C末ころにはじまるオランダから伝わった西洋画法の影響
 若杉五十八、荒木如元 本格的な麻布油彩の西洋風俗図
 幕末最末期の川原慶賀 日本的題材の洋風表現はあまり発達しなかった
(6)長崎版画:長崎特有の異国風物

南画展開の4期

1.江戸初期文人画 放蕩無頼の系譜(吉沢忠)
[士大夫的性格の系譜](儒教的教養をもつ)
祇園南海1676-1751:紀州藩藩校の教授 儒学の教育・指導にあたる
 25歳「放蕩無頼を以て禄をうばう」「不行跡に付き知行召し放たる」
 《山水図》 東京国立博物館、《五言律詩》 東京国立博物館
柳沢淇園1704-58:大和郡山藩の家老の地位につくべき人
 25歳「不行跡未熟之義、相重なり」謹慎
 《関羽像》 東京国立博物館
…→浦上玉堂,田能村竹田,渡辺崋山らへ連なる
[生れや環境は士大夫的でない系譜](中国文人への共感)
彭城百川さかきひやくせん 1697-1752:名古屋の薬種商の子
 明末蘇州画家盛茂燁などの影響(ケーヒル「彭城百川の絵画様式」)
 線描点描を重ねる技法と大画面をこなし江戸文人画の方向性を定める
 1741年《倣元人山水図》 紙本墨画淡彩 東京藝術大学
◎1747年《山水図屏風》 東京国立博物館 1 2
◎1751年旧慈門院書院障壁画 4室 奈良多武峯陶原家蔵 南宗・北宗画の折衷
 1751年《冬景山水図》 紙本墨画 57×21 カリフォルニア大学
 Ruth and Sherman Lee Institute for Japanese Art collection
 1752年《夏景山水図》 紙本墨画 個人蔵
 《銀地山水図屏風》 バークレー美術館 晩年の代表作 住友の助成で修復
…→池大雅(京都銀座役人中村家の手代の子),与謝蕪村(大坂毛馬村の地主の息子)へ連なる 
2.江戸中期文人画 南画の大成
池大雅、与謝蕪村        →このページ、下記参照
3.江戸後期文人画 南画の爛熟 本格的な中国文人画へ
浦上玉堂、田能村竹田、渡辺崋山 →次のページ参照
4.幕末から明治 日本近代美術草創期の問題 南画の全国化と衰退
幕末 維新の志士,詩人,書家,学者らは文人画の精神主義,教養主義に傾倒
富岡鉄斎 書の筆力に裏付けられた画の激しく粗い筆墨表現 文人画の伝統を保持
明治前半、文人画は時代の寵児
フェノロサの西洋近代「美術」観による狩野派円山派の評価、文人画の排斥
1887年明治二十年東京美術学校設立 文人画は除外され以後衰退、書も排除される
                →日本近代美術の問題参照

池大雅 1723-76
三絃で歌う大雅と筝を弾く玉瀾 [生涯]
祇園南海、柳沢淇園、彭城百川のあと日本の文人画を大成
幼名を又次郎、のちに勤、耕、無名、字は公敏,子職,貨成、号は大雅堂,待賈堂,九霞山樵,三岳道者,霞樵,玉海,竹居,子井,鳧滸釣叟など
1723年享保八 京都西陣の生か 父池野嘉左衛門は両替町の銀座役人中村氏の下役
4歳父死、母と2人で住む
6歳知恩院古門前袋町に移住 香月茅庵に漢文素読を学ぶ
7歳川端檀王寺内の清光院一井に書道を学ぶ
 黄檗山万福寺第12世杲堂師や大梅和尚の前で大字を書し“7歳の神童”と賞される
15歳待賈堂、袖亀堂と号して扇屋を構え,扇絵で生計を立てる
20代後半真景図(実景をもとに描いた画、必ずしも写生ではない)や中国絵画、西洋版画を学習 富士、白山、立山、松島、吉野、熊野を旅
 素封家のパトロン、高芙蓉、韓天寿との交流
1776年安永五年54歳4月13日真葛原の草堂に終る 浄光寺に墓
妻:池玉瀾1728-84 閨秀画家 女性特有の柔和な様式 弟子に桑山玉洲など
[作品]
詩:題画詩を中心(詩稿66首と書の3期区分は下記鄭麗芸論文参照)
書:飄々として怪奇かつ堅牢な構築性のある書
 萌芽期(3-30歳)中国顔真卿などの学書
 開花期(31-45歳)多様な学書と革新
  1764年明和元年42歳頃《徐文長詩書画》 自性寺
 晩成期(46-54歳)王羲之へ遡り省略のある韻静の書 《十便図》行書題など
画:活力ある絵画空間 実景に学ぶ 中国版本の研究、指頭画の試み
青年期:行万里路
1744年《渭城柳色図》 紙本淡彩 22歳 新潟・敦井家
1744年《箕山瀑布図》 紙本淡彩 組田家 真景図
1746年《風雨起龍図》 紙本淡彩 東京個人
◎1749年《前後赤壁図》 紙本淡彩 東京個人 寛延二年五月
◎1749年《陸奥奇勝図》 紙本淡彩 東京国立博物館 寛延二 高芙蓉題
1750頃《浅間山真景図》 紙本淡彩 真景図(長野浅間山登山の体験)空に雲
壮年期:読万巻書
1760年宝暦十《三岳紀行図》貼交ぜ屏風  京都国立博物館
 友人の高芙蓉・韓天壽とともに富士山・立山・白山に登った折の写生とメモ帖
◎《西湖春景銭塘観潮図》 紙本淡彩 六曲屏風 東京国立博物館
◎1760年頃《柳下童子図》屏風 紙本淡彩 池大雅美術館
◎1762年頃《倣王摩詰漁楽図》 紙本墨画 京都国立博物館 倣王摩詰池無名
1762年40歳《六遠山水図巻》 村山家 『芥子園画伝』六遠の研究 木村蒹葭堂に贈る
◎1763年《蘭亭曲水・龍山勝会図》屏風 紙本著色 静岡県立美術館
◎1765年頃《五百羅漢図》 紙本淡彩 襖絵(現在軸装) 万福寺 指頭画の大作
1766年44歳《六遠山水図》 東京国立博物館 六遠の自由な翻案、五岳瀟湘図
 高遠・恒山  深遠・泰山  平遠・瀟湘  闊遠・衡山  迷遠・崇山  幽遠・華山
大成期:
●《人物山水図》襖絵 紙本著色 高野山遍照光院 40代後半大雅様式の完成
  堅固な空間構築、ゆるぎない筆致、統一感ある色彩
●《楼閣山水図》屏風 紙本金地著色 東京国立博物館 岳陽楼・酔翁亭
●1771年明和八年49歳《十便図》 川端康成記念会 蕪村十宜図と合作 李漁の詩の絵画化
◎1771年《洞庭赤壁図巻》57×298cm 絹本著色 京都国立博物館 細合半斎跋

◎《十二月離合山水図》屏風 紙本淡彩 出光美術館
◎《瀟湘勝概図》屏風 紙本淡彩 東京個人 色彩の点描による明るい樹々
◎《瀟湘八景図》東山清音帖 墨画 扇面十六(絵八、対題八) 東京個人
◎《白雲紅樹図》 絹本著色 萬野美術館→承天閣美術館?


与謝蕪村 1716-83
[生涯]
  生涯 俳諧 書画
1716
享保一
摂津国東成郡毛馬村 (大阪市) に生、谷口氏  
1735
この頃、江戸に下り、俳諧を学ぶ  
1737
元文二
京から江戸に戻った夜半亭宋阿 (早野巴人)の内弟子となる 画にも親しむ 服部南郭の講義にも列席
1738 俳号宰町を使用  
1739 宰鳥と改号  
1742
寛保二
27歳
恩師宋阿に死別、同門下総結城の雁宕 (がんとう) に身を寄せる
約10年奥羽などを旅の生活

この頃、結城、下館等に画
1744
延享一
宇都宮で処女句集『歳旦帖』
初めて蕪村の号
 
1751
宝暦一
宋阿門流の多い京に上る 俳諧より画業に専心
1755
40歳
俳友晋我を追悼した俳体詩「北寿老仙をいたむ  
1754-57
39-42歳
丹後宮津(与謝郡、母の墓)に滞在 絵による生活も安定
結婚、1女をもうける
四明朝滄の号で多彩な様式を試みる 彭城百川に学ぶ 狩野派・大和絵系、中国絵画や版本類を研究し自己の画風を形成
1759
宝暦九
  沈南蘋を学ぶ 趙居の落款
1760
宝暦十
  この頃、名を長庚、字を春星、また与謝氏を称する
1763-66   山水画の屏風を講組織のために盛んに描く
1766-68 2度讃岐滞在 俳諧にも次第に熱意
嘯山編『俳諧古選』で〈春の海ひねもすのたりのたりかな〉が〈平淡而逸〉と賞される
丸亀妙法寺《蘇鉄図》
1766 太梢,召波らと句会〈三菓社〉
楠の根を静かにぬらすしぐれ哉
 
1770
明和七
夜半亭2世、宗匠に  
1771
56歳
春、歳旦帖『明和辛卯春』を出す
〈離俗論〉 詩(漢詩)・画・俳一致 俳諧の理想境に至る方法
《十便十宜図》池大雅合作 〈十宜図〉
1772 安永年間1772-81俳諧の展開
弟子几董(きとう)『其雪影』 蕪村が後見
画の大成期 京都周辺の身近な実景を描く
1773 『此ほとり』大坂の旧国 (大江丸), 二柳(じりゆう),伊勢の樗良(ちよら),尾張の暁台(きようたい) らによる連句
几董『明烏』蕉風復興宣言
 
1776 洛東金福寺に芭蕉庵を再興 道立、几董らと句会〈写経社〉 芭蕉追慕
几董『続明烏』
この頃〈俳諧物の草画〉俳画の完成 略筆淡彩
1777 春興帖『夜半楽』刊行 俳体詩「春風馬堤曲」「澱河歌」を収める
4月句日記『新花摘(はなつみ)
 
1778
63歳
  以降晩年 謝寅 (しやいん) 落款
芭蕉紀行図巻、屏風を多作
1779 蕪村を宗匠,几董を会頭,道立,百池,維駒,月居らを定連とする連句修行の〈壇林会〉 芭蕉紀行図巻、屏風を多作
1780 蕪村・几董『桃李 (ももすもも) 』二歌仙  
1783
天明三
68歳
暁台主催の芭蕉百回忌、取越追善俳諧興行
9月宇治田原にきのこ狩に行ったのち病に倒れる
12月25日没、金福寺に葬られる
しら梅に明る夜ばかりとなりにけり
 
1784 『蕪村句集』  
[作品]
句:知的な古典的美意識、浪漫性、写実性のある作風
画:池大雅と共に日本の文人画を大成
〔結城、下館 宰鳥・蕪村時代〕
臨《文徴明瀟湘八景図巻》 絹本著色 結城・中村家 中国絵画の学習
白梅図襖絵 紙本墨画 下館・弘経寺 水墨の探求
〔壮年 長庚・春星時代〕
1760年倣王蒙山水図 紙本淡彩 湾曲する空間
◎1763年山水図 絖本淡彩 宝暦十三年四月 出光美術館
●1771年十宜図 紙本淡彩 宜風図明和八年八月 川端康成記念館 大雅との合作
1774年四季山水図4幅 絹本著色 生活の情景
◎紅白梅図 紙本金地墨画淡彩 襖貼付、四曲屏風 京都・角屋保存会
◎蘇鉄図 紙本墨画 四曲屏風 香川・妙法寺
◎山野行楽図 紙本淡彩 六曲屏風 東京国立博物館 湾曲する空間
◎竹溪訪隠図 絹本著色 東京個人
方士求不死薬図屏風 与謝郡・施福寺
〔晩年 謝寅時代〕
◎1778年奥の細道図巻 紙本淡彩 安永七年十一月 京都国立博物館
◎野ざらし紀行図 紙本淡彩 六曲屏風 色紙、短冊、書簡等46 東京個人
 梅白し昨日や鶴をぬすまれし 芭蕉
◎1779年奥の細道図 紙本淡彩 六曲屏風 安永八年 山形美術館
◎1779年奥の細道図巻 紙本淡彩 安永八年十月 逸翁美術館
 1782年8月山水図屏風 紙本銀地墨画淡彩 166.9×363.7 MIHO MUSEUM
 右隻 春:『唐宋聯珠詩格』から張籍詩意・秘境にある隠逸の村の絵画化
 瘴水蠻中入洞流,人家住在竹棚頭。青山海上無城郭、只見松牌下象州。
 左隻 秋:上同書から周南峰詩意・東アジア的理想郷の絵画化 
 古駅頽垣不記春,隔離鷄犬舊此郷。東家纔過西家去,便是閩人訪浙人。
無紀年謝寅落款作:
◎新緑杜鵑図 絹本著色 平木浮世絵財団 謝寅
◎竹林茅屋・柳蔭騎路図屏風 紙本著色 兵庫・薮本家 謝寅 湾曲する空間
 江雨霏霏江草齊,六朝如夢鳥空啼。無情最是台城柳,依舊煙籠十里堤。
  唐 韋莊「台城」

◎春光晴雨図 絖本淡彩 兵庫・松下家 絖(サテン)に描いた線のにじみ
◎鳶・鴉図 紙本墨画淡彩 京都・北村美術館 謝寅
最晩年の横物三部作:
◎峨嵋露頂図 紙本著色 東京・繭山龍泉堂 謝寅
●夜色楼台図 紙本墨画淡彩 兵庫・武藤家 謝寅 湾曲する空間
 「夜色楼台雪万家」(李攀龍「懐宗子相」) 北京の雪と京都の雪を重ねる
◎富獄列松図 紙本墨画淡彩 愛知県美術館 謝寅

◎寺村家伝来与謝蕪村関係資料 京都・個人 応挙銭亀図扇面蕪村賛など



参考書
『芥子園画伝』の善本:
大東急記念文庫所蔵『芥子園画伝 初集 二集 三集』 勉​誠​出​版 2009年
 陶湘旧蔵本の原寸原色影印
國家圖書館編『芥子園畫傳/康熙本彩版系列』 浙江古籍出版社 2008年
 北京・国家図書館蔵『二集』(4巻)・『三集』(2巻)の彩色影印
概論:
佐々木丞平、佐々木正子 文人画の鑑賞基礎知識 至文堂 1998年
鄭麗芸 文人池大雅研究 中国文人詩書画「三絶」の日本的受容 白帝社 1997年
日本美術全集 江戸の絵画3大雅と応挙 小林忠/佐々木丞平等編 講談社 1993年
吉沢忠 日本南画論攷 講談社 1977年
James Cahill. Scholar painters of Japan: The Nanga school New York, Asia Society, Inc 1972
米沢嘉圃、吉沢忠 日本の美術25 文人画 平凡社 1966年

参考サイト
文豪が愛した美の世界 川端康成記念會のサイトから、大雅蕪村合作十便図十宜図
デジタル大雅堂 中津市デジタル美術館から、自性寺の書画47件を紹介 近世絵画
近世畸人伝 1790,98  大雅 日文研のデータベースから 国会図書館版
平安人物誌 江戸後期のWho's Who 画像とデータ検索
芭蕉廬ドットコム 芭蕉のデータベース、蕪村が絵画化した上記3種の奥の細道など
俳句情報探索 蕪村句などもろもろの俳句情報の検索
The Japanese Text Initiative 日本文学語句検索
蕪村論と石華舎コレクション 蕪村資料図録、俳句、画についての文章など
展覧会
「池大雅 天衣無縫の旅の画家」
2018(平成30)年4月7日(土)~ 5月20日(日) 京都国立博物館
85年ぶりの大回顧展。約150件で構成(終了)
「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」
2015年3月18日(水)~5月10日(日) サントリー美術館(終了)
「与謝蕪村-翔けめぐる創意-」
2008年3月15日(土)~6月8日(日) MIHO MUSEUM
 新出の銀地山水図屏風はじめ約150点の構成(終了)
木村定三コレクション名作展
2008年1月25日(金)-2008年3月23日(日) 愛知県美術館
 木村定三コレクション蕪村書画の展示(終了)
池大雅-洞庭赤壁図巻への道-
2004年3月13日(土)~4月11日(日) ニューオータニ美術館(終了)
川端康成 文豪が愛した美の世界展
2002年10月29日-12月8月 サントリー美術館 川端康成の個人コレクション
《十便十宜図》など(終了)
江戸の異国趣味 南蘋風大流行
2001年10月30日-12月9月 千葉市立美術館 長崎派137件の展示(終了)
蕪村 その二つの旅
2001年2月6日-3月18月 江戸東京博物館   大阪市立美術館へ巡回(終了)

常設展示
池大雅美術館(京都苔寺隣り) 2012年12月より休館、京都文化会館へ寄贈



TOP△


 日本美術史ノート 南画 大雅と蕪村   2002.12写 

琴詩書画巣 | 古琴の調べ | 中国絵画 | 詩・書 | 中国文人の世界 | 北京信息 | パリ信息 | リンク