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台懐鎮パノラマ 頂上に黛螺頂 街中に第五招待所 手前に顕通寺 塔院寺 |
円仁『入唐求法巡礼行記』から
夢ともつかぬ寝覚めの時に、とりとめもなくおもったこと……
招待所がある台懐鎮は、四方を五台の山に囲まれた中心にあたりますが、全くの平地ではなく南に向ってゆったりと傾斜しています。台懐鎮はゆるやかな斜面の高地にあり、空海が開いた高野山が想い浮かばれます。
以前は清凉山と呼ばれていた五台山は、北斉の頃から五台の名がつけられたといわれます。空海は五台山には来ていませんが、あるいは密教が盛んになった時期、この地形を立体マンダラとしてイメージする意識からつけられたのかもしれません……
唯一インドの仏典に記される中国の仏教聖地として、五台山は敦煌石窟第61窟西壁の五代の壁画(GB shockwave-flash plugin が必要です)にもあらわれ、そのころの盛んな様子がうかがえます。
日本人として盛時の五台山に来たった人たち
私にとっての五台山は、まず歌舞伎の獅子ものの出だしの「せいりょうざんの〜」というのが浮かび、江戸の人たちが見たこともない唐の地に獅子が飛び回るのを想像したのと同じ空想のレベルでした。やがて戦前の古い中国のコロタイプ写真を印刷したフォリオの中に、白塔や古びて荒れた寺院の写真などが混じり、いつかこんな山に分け入ることができるのだろうかと思っていました……
こうした山に包まれた高地の地形(あるいは招待所の高くきしんだベッド)の夜は、とりとめもない断片が浮かんでは消え、瞑想的な思考、回帰的な瞑想にふさわしい……
今、実際に立つことができた五台山は、文革で一時さらに荒廃した後、再び仏教聖地としての回復が進みつつあり、リゾート地としての開発途上にある、山あいの斜面にある涼しくものさびた観光地でした。
午前中ゆっくりと休んだ後、すぐ近くの古刹、顕通寺からまわり始めました。
顕通寺 |
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顕通寺鐘楼 |
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顕通寺金閣 |
菩薩頂 |
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顕通寺鐘楼からみた菩薩頂の遠景 |
塔院寺 |
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高さ75.3m、明の万歴年簡に建てられた大白塔(仏舎利塔)は五台山台懐鎮のランドマーク。 |
万仏閣 |
![]() 近くで大きな音がするので入ってみると、そこは万仏閣の広場です。古戯台では太原からやってきた京劇団の公演がちょうど始まりました。明の万歴四四年(1616)に建てられた文殊殿(中の「万仏」の名のもとになった塑像群は文革で徹底的に壊されました)を間に、龍王殿(写真)と戯台が広場を挟んで向いあっており、劇は芝居好きな龍王のために奉納するそうです。しかしアンプをいっぱいに拡大した音がわれてきたなく、暗くなりはじめてもいたので、そこそこに近くの招待所に戻りました。 |
7月14日(金) 北京 大同
15日(土) 大同 雲崗石窟
16日(日) 大同 華厳寺 懸空寺 木塔 岩山寺 五台山
17日(月) 五台山台内の諸寺
18日(火) ★NEXT→五台山台外 南禅寺 広済寺 仏光寺 尊勝寺
19日(水) 五台山 太原
20日(木) 太原 休息
21日(金) 太原 山西省博物館
22日(土) 太原 平遥
23日(日) 平遥 太原
24日(月) 太原 天龍山石窟
25日(火) 太原 北京