活動案内
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重陽琴会 雅集
重陽の節句を祝い古琴(七弦琴)の響きに耳を傾けるひとときを共にしませんか。
日時:2024年10月5日(土) 13:15 受付開始 13:30 開会 曲目は下段の GALLERY をご覧ください 15:30 終了予定 場所:茶室 彩翔亭 (所沢市並木1-13 所沢航空記念公園内) 航空公園駅から徒歩10分 会費:1000円 茶室使用料、茶果代込み(当日支払い) 要申し込み(締切りました) 申込 mail:yutangqinshe@gmail.com |
古雅な琴の音色に包まれ、滝の音が和す庭園と共に秋の訪れを感じるひとときをお過ごしいただきます。
(東屋から彩翔亭遠望 7月撮影)
参加ご希望の方は準備の都合上上記メールアドレスへ8月中にご一報ください。
なお彈琴ご希望の方は曲名を併せてお知らせください(当日変更可)。
どうぞよろしくご参集くださるようご案内申し上げます。
主催 玉堂琴社
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重阳琴会 雅集(中文)
重阳节将至,让我们一起聆听古琴(七弦琴)的悠扬之音,度过一段美好的时光吧。
日期:2024年10月5日(星期六) 13:15 开始接待 13:30 开会 節目単請看下段 GALLERY 15:30 结束予定 地点:茶室 彩翔亭 (埼玉县所沢市並木1-13 所沢航空記念公园内) 步行从航空公园站约10分钟 参加费用:1000円 1000日元,包括茶室使用费和茶点费(当日支付) 要预订(定員已满 敬请期待下一次机会) 预订 e-mail:yutangqinshe@gmail.com |
在古雅的琴声中,伴随着潺潺流水声,感受秋天的到来,度过一段美好的时光。
(从东屋远眺彩翔亭 7月份拍照)
希望参加的朋友请在8月之前通知用 e-mail我们您可以参加的日期。
如果希望弹琴,请一并告知曲目(当天可更改)。
期待您的光临。
主催 玉堂琴社
琴社 GALLERY
2024年10月5日 令和甲辰重陽琴会 ショート動画 令和甲辰重陽琴会 秋月 彈吟 琴歌《紀之州》 令和甲辰重陽琴会 朱以維 彈《白雪》 令和甲辰重陽琴会 秋月 彈《漢宮秋》 秋月 彈 現代曲《水月》YOUTUBE 玉堂琴社 Channel
東京玉堂琴社成立縁起
**縁起**
東京玉堂琴社の設立のきっかけは、古琴愛好者数人の共通の願いにあります。古琴を愛する者として東京で出会い、琴曲の交流を通じて、現代社会における古琴芸術の重要性を深く感じました。私たちは琴社の設立を通じて、より多くの人々に古琴芸術を学び、交流し、感じる場を提供したいと考えています。
**発起人**
琴社の主要な発起人は秋月先生であり、古琴において深い造詣を持ち、技芸に堪能しているだけでなく、古琴文化の普及と伝承にも継続的な努力を払ってきました。彼の提唱の下、当琴社は設立され堅実な琴友たちを惹きつけることができました。
**命名の由来**
議論を重ねた末、私たちは琴社の名称を「玉堂琴社」とすることと決定いたしました。「玉堂」は日本の代表的な文人芸術家・浦上玉堂の号です。同時にこの名称には高雅さと純潔さを意味するだけでなく、古琴芸術への敬意と愛情が込められています。
また中国語では「琦玉」( qíyù ) admirable jade と「埼玉」( qíyù )は同じ発音であり、初期の雅集の場を埼玉県で開催するにふさわしく、今後の地域文化との繋がりも示唆しています。
**展望**
玉堂琴社の設立は始まりに過ぎません。今後は少しずつ琴会や雅集を積み重ね、古琴名家の講演など招致し、古琴愛好者同士の交流と学びの場を提供していければと考えています。これらの活動を通じて、古琴文化のさらなる普及を図り、より多くの人々にこの古の芸術の魅力を伝えたいと願います。将来的には玉堂琴社が古琴愛好者の精神的な拠り所の一つとなり、古琴芸術の伝承と発展を共に見守る場となることを期待しています。
东京玉堂琴社成立缘起(中文)
古琴作为中华文化的瑰宝,不仅是一种乐器,更是一种修身养性的方式。
为了弘扬这一古老的艺术,我们决定成立东京玉堂琴社。
**缘起**
东京玉堂琴社的成立缘起于几位古琴爱好者的共同愿望。
作为古琴的爱好者,我们在东京相识,并在琴曲的交流中,深感古琴艺术在现代社会中的重要性。
我们希望通过成立琴社,为更多人提供一个学习、交流、和感受古琴艺术的平台。
**发起人**
琴社的主要发起人是秋月老师,
他在古琴方面有着深厚的造诣、不仅技艺精湛,更在弘扬和传播古琴文化方面做出了诸多努力。
在他的带领下,我们的琴社得以成立,并吸引了越来越多的琴友加入。
**命名**
经过多次讨论,我们最终决定将琴社命名为“玉堂琴社”。
“玉堂”是日本代表性的文人艺术家和琴士・浦上玉堂的号。
而且“玉堂”一词不仅寓意高雅、纯洁,更体现了我们对古琴艺术的尊重和热爱。
琦玉( qíyù ) admirable jade 、埼玉发音相同。
在埼玉县使用“玉堂”二字尤为适合,体现了琴社与地方文化的联系。
**展望**
东京玉堂琴社的成立只是一个开始。
未来,我们计划举办更多的琴会、雅集,邀请古琴名家讲座,组织古琴爱好者交流学习。
我们希望通过这些活动,进一步弘扬古琴文化,让更多人了解和喜爱这一古老的艺术。
期待未来的日子里,东京玉堂琴社能够成为古琴爱好者的精神家园,共同见证古琴艺术的传承与发展。
玉堂琴社 社員紹介
美術史家。玉堂琴社創始者の一人。
略歴
東京多摩地区育ち。都立国立高校卒
東京芸術大学 大学院美術研究科日本東洋美術史専攻
北京・中央美術学院 美術史班、賈又福山水工作室碩士研究生班 修了
筑波大学 大学院人間総合科学研究科芸術学博士課程(書コース)専攻
1991-1999年株式会社二玄社にて台北故宮博物院国宝書画複製事業を担当
当時の紹介記事(『日経アート』1998年5月号掲載)
日本大学芸術学部、東洋大学文学部大学院で美術史を教える。
主要研究テーマは琴詩書画を要とした日本中国の文人文化研究。
例えば徐渭の基礎研究に「關於徐渭書畫自用印與書畫編年」(中国語pdf)
(『乾坤清氣─青藤白陽書畫學術研討會論文集』北京, 故宮出版社2015年刊所載)
琴歴
東京芸大大学院入学時に東京琴社入社。坂田進一先生より古琴(七弦琴)を学ぶ。
北京留学中に管平湖嫡伝弟子の王迪先生1926-2005に古琴を学ぶ。
その他中国では北京の呉文光1946- 、李璠1914-2007、南京の成公亮1940-2015、呂建福(老桐)、上海の林友仁1938-2013、杭州の徐暁英1937-2016、香港の謝俊仁1949- など「文人琴」の系統の琴家各先生方に親しく指教を受ける。
1995年7月成都 古琴国際交流会 《欸乃》、琴歌《長相思》打譜発表
2000年11月杭州 中日琴学研討会 琴歌《長相思》打譜発表
2001年8月常熟 第四回古琴打譜会 《神品姑洗意》《飛鳴吟》《秋鴻》、《漢宮秋》打譜発表
2002年11月秋月古琴独奏会「ケージと古琴と山水画」東京・WINDS GALLERY( WINDS CAFE 71 )
2009年9月澳門芸術博物館「豪素深心─明末清初遺民金石書画学術研討会」 琴歌《長相思》演奏と研究発表
「東皐心越與浦上玉堂的圜中書畫―以其琴詩書畫為例」(中国語pdf)
2012年10月13日東洋大学伝統文化講座「源氏物語楽器尽くし」井上円了ホール 《昭君怨》、伶楽舎有志との雅楽合奏《越天楽》
以降2014年「古典の中の「琴」を聴く」、2015年「王朝文学に描かれた管絃と舞」に出演
2014年11月3日松本市美術館 生誕150年記念「秋山白巖展」開幕式「白巖が憧れた中国文人の清雅な世界」鼎談会 《平沙落雁》《楚歌》演奏と鼎談 その他
現在のテーマは『東皐琴譜正本』と『玉堂琴譜』の打譜復元。
例えば東皐琴譜正本版《釈談章(普庵咒)》を校訂、打譜録音、次いで《釈談章》に歌を交え本来の宗教曲琴歌としての復元を行う。(→復元例 youtube:歌付き釈談章(普庵咒))
WEB
秋月 qiuyue's website 琴詩書画巣
東皐心越の扁額のある寺 Googleマップによる史蹟案内
朱以维
玉堂琴社創始者の一人。
朱子(朱熹)28代目の孫として少時から伝統文化に対し広く研鑽を積む。
琴歴
中国民族管弦楽学会古琴専門委員会会員、上海大風堂琴社(社長:故葉名佩先生)社員。
少年時代に川派古琴の巨匠、顧沢長先生1939-2018に師事し、
その後、葉名佩先生1929-2022、李孔元先生、茅毅先生などの名家の指導を受ける。
琴風は安らかで落ち着いており、静かで高雅。
陳雅
玉堂琴社創始者の一人。
蘇州呉門琴社理事。
琴歴
2009年管派(管平湖派)の古琴芸術家、喬珊先生から手ほどきを受け、
2014年呉門琴派の第三代伝承者、呉光同先生に師事。
呉門派の「簡、勁、清、和」の琴風を継承。
劉宗翰
玉堂琴社創始者の一人。
2017年に来日。大阪大学、関西学院大学を経て、現在は東京大学大学院総合文化研究科にて助教として勤めている。
琴歴
台湾・台北出身。幼少の頃から音楽に触れ、柳琴や阮咸などの中国民族楽器を習ってきた。
大学・大学院の専攻は自然科学だったが、台湾の大学にて古琴の授業をきっかけに陳雯先生の指導を受けた。
先師顕彰
坂田進一 さかた しんいち 1947-2022
日本で最初の琴社・東京琴社社長。琴士。号 痩蘭斎、寒斎。
始めに
2002年春節の中国で中央人民広播電台(中国国営ラジオ放送)から全国放送された「一个日本人的中国夢」が坂田先生の紹介として要を得ていますのでお聴きください。(bilibili サイトへリンク 中国語 約22分 下記に放送原稿日訳と中文原文)
ある日本人の東洋の夢 ―日本の古琴家・坂田進一
王箴
[《茉莉花》(注①)の音楽]
解説:リスナーの皆さん、今お聞きになっている曲は《茉莉花》です。中国の江南地方の音楽に似ていますね。しかし、これは日本の清楽《茉莉花》です。清楽とは何でしょうか?清楽とは、中国から日本に伝わった音楽のことです。
注意してお聞きください。五種類の楽器、笛子、月琴、胡琴、三弦などが合奏しているように聞こえますが、実はこれら全てが一人で演奏されたものです。演奏者が各楽器を順に録音し、それを一つに合わせたため、多少リズムが合わない部分もありますが、演奏者の多彩な音楽の才能が感じられます。彼は一体誰なのでしょうか?なぜこんなに多くの楽器を演奏できるのでしょうか?
[《流水》の音楽]
解説:リスナーの皆さん、もし音楽愛好家であれば、もうお分かりでしょう。現在お送りしているのは中国の古琴曲《流水》です。《流水》は中国で非常に有名で、その歴史は二千年以上前の春秋戦国時代にまで遡ります。《流水》は非常に高度な演奏技術を要する曲ですが、リスナーの皆さん、今お聞きいただいているこの《流水》は、日本人によって演奏されたものです。
[古琴の音楽を強調]
この演奏者は、先ほどの《茉莉花》を演奏した人物で、彼の名前は坂田進一です。
一人の日本人がなぜこれほどまでに古琴を上手に演奏できるのでしょうか。彼は誰に学んだのでしょうか。なぜ彼は古琴を学んだのでしょうか。その背後には一つの物語があり、一人の日本人の中国の夢があるのです。
坂田進一氏は、日本の雅楽の琵琶の家系に生まれました。3歳の時から日本音楽と西洋音楽の初級教育を受けてきました。
1958年、中国歌舞団が初めて日本を訪問しました。団長は中国音楽家協会の査阜西先生でした。査先生が演奏した古琴が、日本の少年・坂田の心をとりこにしました。
坂田少年はすっかり中国の古琴音楽の美しさに魅了されました。彼はそれまでヴァイオリニストか作曲家になる決心をしていました。毎日、彼は一生懸命に楽器を練習していましたが、古琴を聴いてからというもの、彼の魂は古琴に引き寄せられたかのようでした。紹介を受け、11歳の坂田は伝説の人物、劉老師と出会いました。
70歳を過ぎた劉氏は反清義士であり、日本に逃亡してから隠居し、琴を弾いていました。劉先生は古琴の大家、楊時百から琴を学び、知識が非常に豊富でした。
坂田は劉先生に琴や洞簫を学び始めました。劉先生は厳しい師匠であり、楽器だけでなく書道も弟子に練習させました。しかし残念なことに、学んでからわずか4年で劉先生は亡くなってしまいました。
成人後、坂田はまた別の名家、田辺尚雄先生の弟子となりましたが、なんと坂田が初めて公の場で古琴を演奏(注②)したのは、田辺先生の葬儀でのことでした。
[《梅枝》の音楽]
世界で最も古い文字楽譜は中国隋朝の古琴譜《幽蘭》で、現在は日本に所蔵されています。
古琴は唐代から日本に伝わり、文人や僧侶たちに高く評価されてきました。日本には古琴の流派が少なからずあり、琴家は古琴のために作曲もしました。こうした曲が『玉堂琴譜』に編纂されているのです。古琴に特有の文字譜で作曲するのは非常に難しく、そこには旋律だけでなく指法も含まれています。作曲者は中国音楽だけでなく、中国の文字についても理解していなければなりません。今や古琴の文字譜で作曲できる中国の音楽家は非常に少なくなっていますが、日本人が作った古琴曲はどのような味わいなのでしょうか。今お聞きいただいているのは、1791年に作られた《梅枝》という曲で、梅の花の「梅」、木の枝の「枝」という意味です。演奏されている楽器や指法は中国のものであり、表現されている意境は日本のものです。
古琴の最も一般的な演奏形式は独奏ですが、また琴歌もあります。演奏者が琴を弾きながら歌うもので、《関山月》や《陽関三畳》が琴歌です。日本にも琴歌があります。
[《青柳》の音楽]
坂田先生が演奏し歌っている《青柳》は、日本の琴歌です。古琴と日本の歌謡を組み合わせると、また格別の趣があります。
坂田先生は古琴や笛子、二胡、琵琶など中国の楽器だけでなく、日本の古い楽器にも精通しており、特に希少な日本の胡弓においても熟練しています。
[胡弓《蝉曲》の音楽]
1971年、坂田先生は東京で中国国外では初めての古琴の結社「東京琴社」を設立し、琴学の研究や古琴文化の普及に努めました。漢学研究の歴史が300年以上ある湯島聖堂で中国古典音楽の講座が開設され、坂田先生が初代講師を務めました。坂田先生は古琴の世界で国際的に高い知名度を持ち、「音楽の生ける化石」と呼ばれています。
坂田先生は、日本の伝統的な古典音楽は、古人が中国から伝わった音楽を消化し、同化し、活用した結果であると考えています。
彼の弟子には、日本の中国通だけでなく、中国からの留学生もいます。古琴を教えることは坂田先生の生活を質素にしましたが、そこには彼の夢と喜びがあります。
[古琴《良宵引》の音楽]
坂田先生は今回の中央人民広播電台での彼の音楽の放送を非常に重視しています。彼は「今回、中国の友人に初めて自分にまつわる事を紹介する機会を得たのを非常に光栄に感じています。日中両国の多くの先生方から教えを受けたおかげで、今日の成果があり、中国文化の奥深さと興味を身をもって体験してきました。古琴を通じて音楽を愛する友人たちと出会い、幸運と幸福を深く感じています。」と言っています。
私たち中央人民放送のリスナーは、日本人が演奏し、日本人が作曲した古琴曲を初めて聞き、坂田先生の中国の夢を知ることができました。古代の琴の奏者は、知音(理解者)が少ないと嘆いていましたが、今日、古琴の知音はますます増えています。
[《良宵引》の音楽で終了]
一个日本人的东方梦 —日本古琴家坂田进一(中文)
王箴
[出《茉莉花》(注①)音乐]
解说:听众朋友,您现在听到的曲子是《茉莉花》(韻頭緩),很像中国江南丝竹音乐。不过这是日本的清乐《茉莉花》、什么是乐昵?清乐就是流传到日本的中国音乐。
请注意,这里的五种乐器合奏,像笛子、月琴、胡琴、三弦子等,全部是一个人独奏的,演者者逐项录音,然后合品,因此有些不合节拍,但我们从中欣賞了演奏者的多种音乐才能。他是谁?他为什么会演奏这么多的乐器?
[出《流水》音乐]
解说:听众朋友,如果您是音乐爱好者。您可能以已経析出来了,現在播送的是中国古琴曲《流水》。《流水》在中国非常著名,它的历史可以追溯到两千多年前春秋战国时期。《流水》也是演奏技巧很高的琴曲,听众朋友,您也许想不到,我们现在播放的《流水》是一位日本人演奏的。
[突出古琴音乐]
他就是刚才播放的《茉莉花》的演奏者,他的名字是坂田进一。
一位日本人为什么古琴弹得这么好,他是和谁学的?他为什么要学古琴?琴曲的背后有一个故事,有一个日本人的中国梦。
坂田進一先生出生在日本琵琶世家。从三岁时就受到日本音乐和西洋音乐的初級教育。
1958年,中国歌舞团首次访问日本,团长是中国音乐家协会主業査阜西先生。査先生弾奏的古琴征服了日本少年坂田的心。
坂田先生领略了中国古琴音乐之美,他当时已下决心要成为小提琴家或作曲家。每天都在刻苦练琴。自从听了古琴,他的魂魄似乎被古琴牽住了。经人介紹,十一岁的坂田結識了一位传奇人物刘老先生。
七十多岁的刘先生是位反清义士,逃亡到日本后隐居弹琴。刘先生曾向古琴大师杨時百学琴,知识淵博。
坂田开始向刘先生学琴、洞簫。刘先生是位厳师,不仅教坂田楽器,还让弟子練习书法。遺憾的是只学了四年,刘先生便病故了。
成人之后的坂田又成为名家田边尚雄先生的弟子,没想到坂田第一次表演古琴(注②)竟然是在田边先生的葬礼上。
[「出《梅枝》音乐]
世界上最古老文字乐譜是中国隋朝的古琴譜《幽蘭》,現在收藏于日本。
古琴从唐代传到日本后,在日本备受文人,僧人的推崇。日本有不少古琴流派。琴家爲古琴作曲,这些曲子被编在《玉堂琴譜》里。用古琴的文字譜创作是非常難的,因为这里不仅有旋律,还要有指法。创作者不仅要了解中国音乐,还要懂中国文字。现在能用古琴文字譜创作的中国音乐家寥寥无几,日本人作的古琴曲又是什味道呢?您现在有听到的就是作于1791年的《梅枝》,梅花的梅,树枝的枝。演奏的乐器和指法是中国的,表现的意境是日本的。
古琴最多的演奏形式是独奏,还有琴歌,演奏者辺弾辺唱。《関山月》《陽関三叠》就是琴歌,在日本也有琴歌。
[出《青柳》音乐]
坂田先生弹唱的《青柳》就是日木琴歌。古琴配上日本歌谣別有一番特点。
坂田除了会古琴、笛子、二胡、琵琶等中国乐器外,还精通多种日本古老乐器,特别是稀有的胡弓。
[出胡弓《蝉曲》音乐]
1971年,坂田在东京成立了第一个境外古琴组织“东京琴社”,研究琴学,传播古琴文化,有着三百多年汉学研究历史的汤島圣堂开設了中国古典音乐課、坂田担任了首任讲师。坂田在国际古琴界知名度頗高,被称作“音乐活化石”。
坂田认为,日本传统的古典音乐是古人消化、同化、活用从中国传来的音乐的结果,
他教的弟子不仅有日本的中国通,还有中国留学生。传播古琴虽然使坂田的生活俭朴,可这里有他的梦想和快乐。
[出古琴《良宵引》音乐]
坂田先生很重视这次中央人民广播电台播出他的音乐。他说:“这次有缘首次向中国朋友介绍我的故事,感到非常光荣。以往受到日中两国许多老师的教导,才有了今天的成绩,使我親身体验了中国文化的探奥与意趣。因为古琴,我结识了喜爱音乐的朋友,深深感到幸运与幸福。”
我们中央人民广播电台的听众是第一次听日本人演奏日本人创作的古琴曲,也了解到了坂田先生的中国梦。古代弹琴者感慨知音少,而今天古琴的知音越来越多。
[《良宵引》音乐声中結束]
注①:実際放送されたのは《韻頭緩》
注②:公の演奏はそれまでにもあったが大規模な式典では初めて
坂田進一 簡歴
1.生い立ち
東京生まれ。京都で代々雅楽の免許を司った家系に育つ。
幼児期から家学継承の一環として家蔵の雅楽器はじめ
3歳からはヴァイオリンを始めるなど和・漢・洋の楽器を学ぶ。
小学生になると湯島聖堂の論語講座に通いはじめる。
1958年12歳来日した査阜西1895-1976の古琴演奏を聴き衝撃を受ける。
この頃 東京に滞在していた北京の劉老師から九嶷派系の琴の手ほどきを受ける。(注[1])
東京芸術大学作曲科入学。池内友次郎門。
1965-67年19-21歳頃在学中にオランダ駐日大使であり漢学者・古琴家のファン・フ―リック(高羅佩)1910-1967を訪問する。
2.東京琴社設立
1970年24歳東京琴社および坂田古典音楽研究所設立(信濃町、後に小石川、本郷、湯島、館林へ移転)。
以降亡くなる直前まで活動は多岐にわたる。
【設立時の琴社活動】 A. 古琴を柱に B. 門戸をやや広げた絲竹班 (日本の筝曲・地歌・胡弓などの三曲、現在の二胡につながる中国江南の「南胡」や江南絲竹) C. 洋楽班(弦楽、金管合奏など)を組織し 社員間の相互扶助を旨とし毎週の稽古、毎年の重陽琴会、折にふれての雅集を行う。 【研究演奏活動】 東西古典音楽、欧州の民族音楽、および墺・独・英の吹奏楽研究など幅広く、時に数校の大学で教鞭をとった。 ①邦楽では 三曲とりわけ生田流胡弓の正統的継承者として評価高く、日本音楽集団の客演演奏家として活躍した。 ②作曲では 2000年劇団民藝創立50周年記念公演「炎の人(ゴッホ小伝)」や文学座など一連の戯曲音楽の作曲を手がける。 ③洋楽では 金管吹奏楽の他に、長年の薀蓄を傾けたウィーンの小粋(こいき)な下町音楽「シュランメル」の日本における提唱者として楽団「法螺吹き楽団」(アウフシュナイダーカペレ)を率い自らヴァイオリンやアコーディオンを奏で銀座、神楽坂界隈に出没した。 ➃主力となる東洋古典音楽では 古琴は初学の九嶷派の風格をベースに中国各琴家(特に広陵派大家・張子謙1899-1991からは《龍翔操》を直伝)の長を吸収し天衣無縫で繊細豪胆な独自の風格を作り上げた。「琴(きん)のこと」を最も重んじるゆえ無暗には弾かなかったが卓越した技術と霊感あふれる演奏は、東皐心越や浦上玉堂はじめ日本中国の各地を巡った調査と原史料収集による長年の地道な琴学研究に裏付けられたものであった。 古琴の他、二胡や洞簫、笛子など多種の古典楽器を操り、江南絲竹や明清楽の研究と活(い)き活きとした演奏復元を行う。 活きた演奏例として「法界節」など月琴の弾き語りはシュランメルと同様、江戸の小粋を体現して隠れファンも多い。 以上多岐にわたる活動を通して日本を代表する琴家、中国古典音楽研究家として国内外に知られていた。 |
20**年以降、上海音楽学院に招かれ毎月半ばを学院に滞在しつつ江戸時代に中国から伝来した明清楽を活きた音楽として再び中国の地で復元教授した。
3.最晩年
2020年74歳コロナ禍と病態進行のため東京琴社を閉社し研究に専念。
2021年75歳50年来積日の研究成果である演奏CD付き300頁の論稿を『「玉堂琴譜」論攷』として上梓。
2022年4月研究所を館林へ移転。東皐、玉堂両琴譜に続く大きな仕事として明楽、清楽、日本胡弓、シュランメル音楽の研究整理、出版に意欲を見せつつも6月病のため館林にて卒、享年76歳。
上海今虞琴社名誉理事、湯島聖堂古典音楽講師、日本二胡振興会初代会長、首里城御座楽(うざがく)楽曲復元委員会委員。
4.没後
坂田進一の活動は多方面にわたっておりその評価継承は今後様々になされていくであろう。
特に生涯にわたって力を注いだ琴の方面からは日本琴楽史との関連で次のように評されるであろう。
日本琴楽の歴史は三つに分けられる。
第一期 奈良 平安前期 皇族・貴族中心の時期
「左琴右書」として尊ばれ、高橋文室麻呂(ふんやまろ)や本康親王などの名手が排出した。
(『宇津保物語』や『源氏物語』の文学、正倉院の《金銀平紋琴》と国宝《法隆寺伝来雷琴》と国宝《幽蘭譜》の音楽遺産)
第二期 江戸 文人、知識層に広まった時期
東皐心越禪師が明末清初の「琴詩書画篆刻」一体となった中国文人文化を伝え、その粋(すい)としての琴が江戸文化人に愛好された。
(各種簡易版『東皐琴譜』の刊行、江戸後期には琴楽を和様化した浦上玉堂『玉堂琴譜』の音楽遺産)
第三期 現代 大戦後、中国との交流から新たな展開
(『東皐琴譜正本』と『玉堂琴譜論攷』の音楽遺産)
東皐琴譜正本と玉堂琴譜の校訂録音の二つの遺産は過去の日本の琴楽・琴学史を見渡し、中国のたんなる受容に止まることのない日本の琴の展開として日本琴楽の礎(いしずえ)となり未来の方向性を示す長い射程を見据えたものであった。
このような視野をもちつつ演奏・継承していくことができる具体的な遺産を遺した琴家は稀であり、坂田進一が「第三期日本琴楽中興の祖」とも称せられるゆえんであろう。
坂田進一 著作
主著
『重陽零餘集』 (絶版)
『日本琴学叢書』6巻 (絶版)
『東皐琴譜』各種 (絶版)
『東皐琴譜正本』5巻 (限定50部 絶版), 2001年
中文版『東皐琴譜正本』 上海音楽出版社, 2016年
『「玉堂琴譜」論攷ー浦上玉堂 琴の世界ー』 附録『玉堂先生琴譜』所収全二十三曲録音CD 学藝書院刊, 2021年
(浦上家史編纂委員会編『浦上玉堂関係叢書2浦上玉堂父子の藝術』 学藝書院, 2021年刊に所収)
『魏氏明楽総譜抄』(上海音楽学院内部版)
『清楽必携譜』(私家版未刊稿本)
『日本胡弓名曲集』 (私家版)
論文
「聖堂の琴」上・下 斯文会編『斯文』第106号 45-63頁, 第107号43-62頁,1998年
「柴野栗山琴学略系譜」上・下 斯文会編『斯文』 斯文会編第113号, 第114号, 2005年
「信州の琴略系譜」 長野県立歴史館『文人墨客がつどうー一九世紀北信濃の文芸ネットワーク』展図録 74-75頁, 2001年
「江戸北信琴略系譜」 真田宝物館紀要『松代』第15号 6-23頁, 2002年
「ある明治人の琴癖」
「市野迷庵手抄『東皐琴譜』」 宋詞研究会編『風絮』第4号 45-63頁, 2008年
「市野迷庵手抄『東皐琴譜』補筆(上)」 同上編『風絮』第5号 95-137頁, 2009年
「片山賢の筆記癖と『曲楽小令』中の唱曲(上)」 同上編『風絮』第6号, 2010年
「江文也の礼楽作品」 平凡社『東洋文庫』77 江文也「上代支那正楽考: 孔子の音楽論」解説 361-389頁, 2008年
など
雑誌連載
・月刊『書道界』(1990-2022年)藤樹社に「痩蘭斎楽事異聞」192回に及ぶ長期連載
・2002年『文人の眼』里文出版に「江戸の文人音楽」6回連載
「琴、内なる対話の世界」『文人の眼』第1号 68-77頁, 2002年2月
「伝来の文人音楽と江戸期における展開」『文人の眼』第2~6号, 同年4~12月
「青蓮居士の楽句余談-李白・杜甫にまつわる音楽の話」『文人の眼』第3号 42-45頁, 2002年6月
など諸雑誌に掲載した随筆多々
作・編曲
1964年レハール「メリーウィドウ・ワルツ」吹奏楽編曲版処女出版
など多数
戯曲音楽
劇団民藝1998年「壊れたガラス」、「るつぼ」、2000年同劇団創立50周年記念公演「炎の人」 その他
文学座「双蝶の別れ」、「阿蘭陀影絵」 その他
演奏会歴
1991年11月台北国家演奏庁古琴節に参加、痩蘭斎打譜《楚歌》(注[2])演奏
曲が終わるや国楽大家・莊本立1924-2001が感激のあまり壇上に駆け登り坂田に握手を求めるという一齣があった。
1998年8月国立ベルリン音楽研究所クルト・ザックスホール坂田進一独奏音楽会
など多数
CD等音源
2003年『坂田進一の世界 江戸の文人音楽ー付録・江戸の三曲合奏ー』坂田古典音楽研究所発行(上記1998年国立ベルリン音楽研究所と2001年文学座での録音)
2021年『痩蘭斎刪定「玉堂先生琴譜」所収全二十三曲録音』坂田古典音楽研究所発行(上記『「玉堂琴譜」論攷』付録CDと同内容)
晩年 上海音楽学院での活動は bilibili に羅菩萨Lopsha がupした「坂田進一」の項で18本ほどまとめて視聴できる。
青・壮年期の霊感あふれる演奏の録音など今後の録音の発掘が期待される。
講演会
1996年11月4日「心越自刻印にみる琴人」東皐心越展記念講演・七絃琴演奏会@篆刻美術館
2015年10月14日駒澤大学第34回禅博セミナー 講演と演奏「東皐心越禅師の琴系と『東皐琴譜』の成立」@駒澤大学禅文化歴史博物館秋季企画展「東皐心越と水戸光圀―黄門様が招いた異国の禅僧」
2019年4月18日上海音楽学院学術講座「古楽復原的困惑与現状」
など多数
テレビ出演
1989年NHK国宝への旅「浦上玉堂・東雲篩雪図」(同番組ムック本第18巻に坂田進一エッセイ「琴と玉堂」がある)
2016年10月9日放送NHK日曜美術館「響き合う琴と詩と絵~浦上玉堂の山水画~」
ラジオ坂田進一特集
2002年春節 中央人民広播電台 全国放送「一个日本人的中国夢」(前出 bilibili 羅菩萨Lopsha より)
坂田進一の琴の初学については上記「一个日本人的中国夢」(ある日本人の東洋の夢)の劉老師の項に明解に述べられている。
従って新倉涼子先生(1935- 島田系一弦琴の横須賀市指定重要無形文化財保持者、七絃琴は香港琴家・張世彬1939-1978 より伝)から初学を習ったという一部で言われる説は誤り。
注[2]^:
坂田打譜《楚歌》が張世彬打譜《楚歌》と同じという説はこれも誤り。
例えば張世彬版打譜は凄凉調第2弦ファと第7弦ミの不協和音程を回避する傾向がみえる(五音音階に馴染んだ前輩琴家によく見られる解釈)。
一方坂田版は凄凉調の肝とも言うべき原曲の不協和音程を尊重し凄絶さを生かす打譜を行っている。
その他の点(張打譜が原譜から離れ創作的な面もみせることなど)も含め両者には根本的な解釈の相違がありとても同じとはみなせない。
張世彬の遺音《楚歌》(bilibili より19:10から第4段「八千兵散」以降後半部の録音)を聴いても違いが際立つばかりである。
ちなみに拙い演奏であるが比較のため坂田打譜《楚歌》演奏例。
張世彬打譜も優れた打譜なので、琴家としては猛断を避けそれぞれを尊重すべきと思われる。
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