琴士。日本で最初の琴社・東京琴社社長。坂田古典音楽研究所所長。号 痩蘭斎。
始めに
坂田進一先生の紹介として、2002年春節の中国で中央人民広播電台(中国国営ラジオ放送)から全国放送された「一个日本人的中国夢」が簡にして要を得ていますのでご視聴をおすすめします。(下記にyoutubeリンク、放送原稿日文訳と中文原文)
[youtubeがご視聴できない方]→中国動画サイトbilibili へ 中国語 約22分
【日文訳】ある日本人の東洋の夢 ―日本の古琴家・坂田進一
王箴
[《茉莉花》(注①)の音楽]
解説:リスナーの皆さん、今お聞きになっている曲は《茉莉花》です。中国の江南地方の音楽に似ていますね。しかし、これは日本の清楽《茉莉花》です。清楽とは何でしょうか?清楽とは、中国から日本に伝わった音楽のことです。
注意してお聞きください。五種類の楽器、笛子、月琴、胡琴、三弦などが合奏しているように聞こえますが、実はこれら全てが一人で演奏されたものです。演奏者が各楽器を順に録音し、それを一つに合わせたため、多少リズムが合わない部分もありますが、演奏者の多彩な音楽の才能が感じられます。彼は一体誰なのでしょうか?なぜこんなに多くの楽器を演奏できるのでしょうか?
[《流水》の音楽]
解説:リスナーの皆さん、もし音楽愛好家であれば、もうお分かりでしょう。現在お送りしているのは中国の古琴曲《流水》です。《流水》は中国で非常に有名で、その歴史は二千年以上前の春秋戦国時代にまで遡ります。《流水》は非常に高度な演奏技術を要する曲ですが、リスナーの皆さん、今お聞きいただいているこの《流水》は、日本人によって演奏されたものです。
[古琴の音楽を強調]
この演奏者は、先ほどの《茉莉花》を演奏した人物で、彼の名前は坂田進一です。
一人の日本人がなぜこれほどまでに古琴を上手に演奏できるのでしょうか。彼は誰に学んだのでしょうか。なぜ彼は古琴を学んだのでしょうか。その背後には一つの物語があり、一人の日本人の中国の夢があるのです。
坂田進一氏は、日本の雅楽の琵琶の家系に生まれました。3歳の時から日本音楽と西洋音楽の初級教育を受けてきました。
1958年、中国歌舞団が初めて日本を訪問しました。団長は中国音楽家協会の査阜西先生でした。査先生が演奏した古琴が、日本の少年・坂田の心をとりこにしました。
坂田少年はすっかり中国の古琴音楽の美しさに魅了されました。彼はそれまでヴァイオリニストか作曲家になる決心をしていました。毎日、彼は一生懸命に楽器を練習していましたが、古琴を聴いてからというもの、彼の魂は古琴に引き寄せられたかのようでした。紹介を受け、11歳の坂田は伝説の人物、劉老師と出会いました。
70歳を過ぎた劉氏は反清義士であり、日本に逃亡してから隠居し、琴を弾いていました。劉先生は古琴の大家、楊時百から琴を学び、知識が非常に豊富でした。
坂田は劉先生に琴や洞簫を学び始めました。劉先生は厳しい師匠であり、楽器だけでなく書道も弟子に練習させました。しかし残念なことに、学んでからわずか4年で劉先生は亡くなってしまいました。
成人後、坂田はまた別の名家、田辺尚雄先生の弟子となりましたが、なんと坂田が初めて公の場で古琴を演奏(注②)したのは、田辺先生の葬儀でのことでした。
[《梅枝》の音楽]
世界で最も古い文字楽譜は中国隋朝の古琴譜《幽蘭》で、現在は日本に所蔵されています。
古琴は唐代から日本に伝わり、文人や僧侶たちに高く評価されてきました。日本には古琴の流派が少なからずあり、琴家は古琴のために作曲もしました。こうした曲が『玉堂琴譜』に編纂されているのです。古琴に特有の文字譜で作曲するのは非常に難しく、そこには旋律だけでなく指法も含まれています。作曲者は中国音楽だけでなく、中国の文字についても理解していなければなりません。今や古琴の文字譜で作曲できる中国の音楽家は非常に少なくなっていますが、日本人が作った古琴曲はどのような味わいなのでしょうか。今お聞きいただいているのは、1791年に作られた《梅枝》という曲で、梅の花の「梅」、木の枝の「枝」という意味です。演奏されている楽器や指法は中国のものであり、表現されている意境は日本のものです。
古琴の最も一般的な演奏形式は独奏ですが、また琴歌もあります。演奏者が琴を弾きながら歌うもので、《関山月》や《陽関三畳》が琴歌です。日本にも琴歌があります。
[《青柳》の音楽]
坂田先生が演奏し歌っている《青柳》は、日本の琴歌です。古琴と日本の歌謡を組み合わせると、また格別の趣があります。
坂田先生は古琴や笛子、二胡、琵琶など中国の楽器だけでなく、日本の古い楽器にも精通しており、特に希少な日本の胡弓においても熟練しています。
[胡弓《蝉曲》の音楽]
1970年、坂田先生は東京で中国国外では初めての古琴の結社「東京琴社」を設立し、琴学の研究や古琴文化の普及に努めました。漢学研究の歴史が300年以上ある湯島聖堂で中国古典音楽の講座が開設され、坂田先生が初代講師を務めました。坂田先生は古琴の世界で国際的に高い知名度を持ち、「音楽の生ける化石」と呼ばれています。
坂田先生は、日本の伝統的な古典音楽は、古人が中国から伝わった音楽を消化し、同化し、活用した結果であると考えています。
彼の弟子には、日本の中国通だけでなく、中国からの留学生もいます。古琴を教えることは坂田先生の生活を質素にしましたが、そこには彼の夢と喜びがあります。
[古琴《良宵引》の音楽]
坂田先生は今回の中央人民広播電台での彼の音楽の放送を非常に重視しています。彼は「今回、中国の友人に初めて自分にまつわる事を紹介する機会を得たのを非常に光栄に感じています。日中両国の多くの先生方から教えを受けたおかげで、今日の成果があり、中国文化の奥深さと興味を身をもって体験してきました。古琴を通じて音楽を愛する友人たちと出会い、幸運と幸福を深く感じています。」と言っています。
私たち中央人民放送のリスナーは、日本人が演奏し、日本人が作曲した古琴曲を初めて聞き、坂田先生の中国の夢を知ることができました。古代の琴の奏者は、知音(理解者)が少ないと嘆いていましたが、今日、古琴の知音はますます増えています。
[《良宵引》の音楽で終了]
注①:実際放送されたのは《韻頭》
注②:公の演奏はそれまでにもあったが大規模な式典では初めて
【中文原文】一个日本人的东方梦 —日本古琴家坂田进一(中文)
王箴
[出《茉莉花》(注①)音乐]
解说:听众朋友,您现在听到的曲子是《茉莉花》(韻頭),很像中国江南丝竹音乐。不过这是日本的清乐《茉莉花》、什么是乐昵?清乐就是流传到日本的中国音乐。
请注意,这里的五种乐器合奏,像笛子、月琴、胡琴、三弦子等,全部是一个人独奏的,演者者逐项录音,然后合品,因此有些不合节拍,但我们从中欣賞了演奏者的多种音乐才能。他是谁?他为什么会演奏这么多的乐器?
[出《流水》音乐]
解说:听众朋友,如果您是音乐爱好者。您可能以已経析出来了,現在播送的是中国古琴曲《流水》。《流水》在中国非常著名,它的历史可以追溯到两千多年前春秋战国时期。《流水》也是演奏技巧很高的琴曲,听众朋友,您也许想不到,我们现在播放的《流水》是一位日本人演奏的。
[突出古琴音乐]
他就是刚才播放的《茉莉花》的演奏者,他的名字是坂田进一。
一位日本人为什么古琴弹得这么好,他是和谁学的?他为什么要学古琴?琴曲的背后有一个故事,有一个日本人的中国梦。
坂田進一先生出生在日本琵琶世家。从三岁时就受到日本音乐和西洋音乐的初級教育。
1958年,中国歌舞团首次访问日本,团长是中国音乐家协会主業査阜西先生。査先生弾奏的古琴征服了日本少年坂田的心。
坂田先生领略了中国古琴音乐之美,他当时已下决心要成为小提琴家或作曲家。每天都在刻苦练琴。自从听了古琴,他的魂魄似乎被古琴牽住了。经人介紹,十一岁的坂田結識了一位传奇人物刘老先生。
七十多岁的刘先生是位反清义士,逃亡到日本后隐居弹琴。刘先生曾向古琴大师杨時百学琴,知识淵博。
坂田开始向刘先生学琴、洞簫。刘先生是位厳师,不仅教坂田楽器,还让弟子練习书法。遺憾的是只学了四年,刘先生便病故了。
成人之后的坂田又成为名家田边尚雄先生的弟子,没想到坂田第一次表演古琴(注②)竟然是在田边先生的葬礼上。
[「出《梅枝》音乐]
世界上最古老文字乐譜是中国隋朝的古琴譜《幽蘭》,現在收藏于日本。
古琴从唐代传到日本后,在日本备受文人,僧人的推崇。日本有不少古琴流派。琴家爲古琴作曲,这些曲子被编在《玉堂琴譜》里。用古琴的文字譜创作是非常難的,因为这里不仅有旋律,还要有指法。创作者不仅要了解中国音乐,还要懂中国文字。现在能用古琴文字譜创作的中国音乐家寥寥无几,日本人作的古琴曲又是什味道呢?您现在有听到的就是作于1791年的《梅枝》,梅花的梅,树枝的枝。演奏的乐器和指法是中国的,表现的意境是日本的。
古琴最多的演奏形式是独奏,还有琴歌,演奏者辺弾辺唱。《関山月》《陽関三叠》就是琴歌,在日本也有琴歌。
[出《青柳》音乐]
坂田先生弹唱的《青柳》就是日木琴歌。古琴配上日本歌谣別有一番特点。
坂田除了会古琴、笛子、二胡、琵琶等中国乐器外,还精通多种日本古老乐器,特别是稀有的胡弓。
[出胡弓《蝉曲》音乐]
1970年,坂田在东京成立了第一个境外古琴组织“东京琴社”,研究琴学,传播古琴文化,有着三百多年汉学研究历史的汤島圣堂开設了中国古典音乐課、坂田担任了首任讲师。坂田在国际古琴界知名度頗高,被称作“音乐活化石”。
坂田认为,日本传统的古典音乐是古人消化、同化、活用从中国传来的音乐的结果,
他教的弟子不仅有日本的中国通,还有中国留学生。传播古琴虽然使坂田的生活俭朴,可这里有他的梦想和快乐。
[出古琴《良宵引》音乐]
坂田先生很重视这次中央人民广播电台播出他的音乐。他说:“这次有缘首次向中国朋友介绍我的故事,感到非常光荣。以往受到日中两国许多老师的教导,才有了今天的成绩,使我親身体验了中国文化的探奥与意趣。因为古琴,我结识了喜爱音乐的朋友,深深感到幸运与幸福。”
我们中央人民广播电台的听众是第一次听日本人演奏日本人创作的古琴曲,也了解到了坂田先生的中国梦。古代弹琴者感慨知音少,而今天古琴的知音越来越多。
[《良宵引》音乐声中結束]
坂田進一 簡歴
1.生い立ち
東京生まれ。京都で代々雅楽の免許を司った家系に育つ。
幼児期から家学継承の一環として家蔵の雅楽器はじめ
3歳からはヴァイオリンを始めるなど和・漢・洋の楽器を学ぶ。
小学生になると湯島聖堂の論語講座に通いはじめる。
1958年12歳来日した査阜西1895-1976の古琴演奏を聴き衝撃を受ける。
この頃 東京に滞在していた北京の劉老師から九嶷派系の琴の手ほどきを受ける。(注[1])
東京芸術大学作曲科入学。池内友次郎門。
1965-67年19-21歳頃在学中にオランダ駐日大使であり漢学者・古琴家のファン・フ―リック(高羅佩)1910-1967を訪問する。
2.東京琴社設立
1970年24歳東京琴社および坂田古典音楽研究所設立(信濃町、後に小石川、本郷、湯島、館林へ移転)。
以降亡くなる直前まで活動は多岐にわたる。
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【設立時の琴社活動】 |
2003年『坂田進一の世界 江戸の文人音楽ー付録・江戸の三曲合奏ー』坂田古典音楽研究所発行(上記1998年国立ベルリン音楽研究所と2001年文学座での録音)