多層化した日本文明のモデル(前回“文明の3つのモデル”参照)
参考サイト
弥生的なもの
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縄文的なもの
戦後の縄文的なものへの注目
縄文的なものへの注目は、明治以来の研究に加え、とりわけ第二次世界大戦前の皇国史観(弥生的なものを称揚)への反省から、戦後に考古学の分野で高まり、各地で発掘、研究が続いている。しかし未だ不明なことは多い。美術の上では、岡本太郎1950年代の写真集やエッセイなどによる西洋近代主義でも伝統主義でもないものへの先駆的な着目に始まり、最近ではようやく「日本美術史」の冒頭に記述されるようになった。
縄文美術ベストテン
【縄文中期 BC3000頃】 縄文の花
●土偶 縄文の女神 45cm 山形県舟形西ノ前遺跡出土 山形県立博物館
●土偶 縄文のビーナス 27cm 長野県茅野市米沢 棚畑遺跡出土 尖石縄文考古館
顔面把手付深鉢 57cm 山梨県 津金御所前出土 北杜市埋蔵文化財センター
有孔鍔付土器 三本指人体文 54.8cm 太鼓として祭祀で使われたか 山梨県鋳物師屋 南アルプス市教育委員会
●火焔型土器 新潟県笹山遺跡出土 深鉢形土器の一つとして 十日町市博物館
水煙文土器 85cm 火焔の洗練 山梨県安道寺出土 山梨県立考古博物館
【縄文後期 BC2000頃】 縄文の洗練
◎ハート形土偶 30.5cm 群馬県東吾妻町郷原遺跡出土 個人蔵(東博寄託)
●仮面土偶 2000年8月出土 長野県茅野市中ッ原遺跡 茅野市教育委員会
土板6cm表 裏、茸など 大湯環状列石出土 鹿角市大湯ストーンサークル館
●中空土偶 41.5cm 著保内野(ちょぼないの)遺跡出土 北海道函館市
●合掌土偶 19.8cm 風張1号遺跡出土 青森県八戸市
【縄文晩期 BC1000頃】 縄文の黄昏
◎動物(アザラシ)形土製品 31.5cm 笛 北海道美々第四遺跡出土 北海道千歳市
十腰内式土偶(ミミズク形) 19.5cm 伝青森県出土 宗左近記念縄文芸術館
遮光器型土偶 33.4cm 青森県宇鉄出土 濱田庄司記念益子参考館
◎滑車形土製耳飾 大9.2cm等 群馬千網谷戸4号住居跡 桐生市
西洋史の区分と縄文・弥生時代の比較
1.西洋の旧石器時代に土器はない 2.日本には青銅器時代がない
日本
西洋区分
先土器時代
縄文時代
弥生時代
草創期
早期
前-中-後-晩期
先土器旧石器時代
有土器旧石器
中石器時代?
森林性新石器
鉄器時代
西洋
旧石器時代
中石器時代
新石器時代
青銅器時代
鉄器時代
日本の南・北問題
[北]落葉照葉樹林 縄文→続縄文文化→擦文オホーツク文化→アイヌ文化
[中]常緑照葉樹林 縄文→弥生 →古墳文化→律令体制 →幕藩体制
[南]亜熱帯樹林 縄文→貝塚時代後期文化→グスク時代 →琉球王朝
日本の南・北に比較的縄文文化が残されている可能性が高い
縄文時代
狩猟採取 祭祀呪術 先住民族 東日本 触覚的な美 曲線 不整形(いびつ)
弥生時代
農耕稲作 神話世界 大陸渡来 西日本 視覚的な美 幾何 整形 絵画
縄文的な彫刻の例
●平安初期 神護寺 薬師如来立像 榧(かや)一木造 170.6cm 9C初
触覚的なボリューム、鋭い凹凸の彫り、道鏡一派の呪術に対抗できる強力な存在感
薬師如来信仰 和気清麻呂 仏教『七仏薬師経』
│ 神道 宇佐八幡
呪詛怨霊 呪験僧 道鏡(-772)
弥生的な彫刻の例
●平安後期 平等院鳳凰堂 阿弥陀如来坐像 定朝作 寄木造
天平の古典彫刻から和様へ 全てゆるやかな曲面、木彫の鋭さを捨てつつ完璧な形態観
縄文的な陶器の例
16C後 中世の末期に茶陶の洗練 触覚的・不整形(いびつ)な美の洗練
国宝茶碗全8点にも外来→国産の二重性と和様化
〔外来〕中国福建
曜変・玳玻・油滴という規格外で自然発生的な「逸」の美への好み
●南宋 曜変天目茶碗 静嘉堂文庫美術館
●南宋 曜変天目茶碗 大徳寺龍光院
●南宋 曜変天目茶碗 藤田美術館
●南宋 玳玻(たいひ)天目茶碗 承天閣美術館
●南宋 油滴天目茶碗 大阪市立東洋陶磁美術館(「油滴天目」で検索)
〔外来〕李朝朝鮮
いびつな形・「梅華皮」の景色など自然発生的な「逸」の美への好み
●李朝 井戸茶碗 銘「喜左衛門」 大徳寺孤篷庵
〔国産〕
◎桃山 長次郎 赤楽茶碗(無一物) 頴川美術館
●桃山 志野茶碗 銘「卯花墻」 三井記念美術館
●桃山 本阿弥光悦 楽焼白片身替茶碗 銘「不二山」 サンリツ服部美術館
弥生的な磁器の例
17C 染付色絵磁器 大陸、朝鮮の技術を摂取 視覚的・カラフルな絵画性
◎野々村仁清 色絵梅月図茶壺 東京国立博物館
信濃川火焔街道 信濃川中流域の市町村協議会による火焔土器紹介のサイト
岡本太郎1968~69年壁画 明日の神話 5.5×30m 原爆に取材、縄文的なものの噴出
展覧会
「縄文―1万年の美の鼓動」
2018年7月3日(火)~9月2日(日) 東京国立博物館
「縄文の美」を高らかに歌った展覧会、入場者数30万人
「国宝 大神社展」
2013年4月9日(火)~6月2日(日) 東京国立博物館
伊勢神宮第62回式年遷宮を機に神社本庁はじめ日本全国の神社の全面的な協力を得て神像、絵画、御神宝など200件、最大規模の神道美術の展示 →公式サイト
秋季特別展 「土偶・コスモス」
2012年9月1日~12月9日 MIHO MUSEUM
国宝4件を含む約220件の展示
文化庁海外展 大英博物館帰国記念 「国宝 土偶展」
2009年12月15日(火)~2010年2月21日(日) 東京国立博物館
国宝3件と重要文化財23件、重要美術品2件を含む全67件の展示
参考書
岡本太郎 縄文土器論 『みづえ』558号 1952年
谷川徹三 縄文的原型と弥生的原型 岩波書店 1971年
梅原猛 日本とは何か NHKブックス 1990年
梅原猛 日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る 集英社文庫 1994年
梅原猛著作集6 日本の深層 小学館 2000年
上記参考書からの引用
■谷川徹三 縄文的原型と弥生的原型 1971年
私は、その仏教と仏教芸術の受容以前に、日本がまだ歴史時代にはいらぬ遠い昔からすでに日本にあった原始土器を取り上げ、そこに示されている美の形が、後の日本の造形芸術の発展の諸相の中にも見てとれることに私の視点を定めたい。
私が縄文的原型と弥生的原型という言葉を使うのはそのゆえで、この二つを私は日本の美の原型と考えるからであります。
縄文土器は、その多様な形と自由な装飾性とともに、どこか暗い不安を秘めた怪奇な力強さを特色としています。
そこには火焔土器と呼ばれている炎のように渦巻いている幻想や、情念の焔をあげているのが見られるようなものもあり、その性質は同時代の土偶において一層際立っています。
神楽の面・踊りの衣裳・絵馬・凧の絵……
つまり縄文的美の系譜は、民衆の生活の底辺に脈々として存在し続けたので、それが時あって一時代の様式の中に、また幾多の天才の中に爆発的にあらわれることを、十分理由のあることと考えさせるのであります。
それに反して弥生土器は強烈なものや怪奇なものをいささかも持っていません。
それは器物の機能を素直に生かした安定した形の中に、明るく、優しく、親しみ深い美しさを感じさせます。
この時代にすぐ続く古墳時代の人物や動物の埴輪を、縄文の土偶に比べれば、この両者の対照は一層はっきりするでしょう。
ただしかし、これらのことは日本の美の系譜を縄文的と弥生的という二つの原型のみに帰することはできないこと、日本の美の諸相はその時代と社会によって、なおさまざまな原理の導入を必要とすることを語っています。
縄文的原型と弥生的原型とは、日本の美の系譜に対する一視点を与える作業仮説として機能するというまでであります。
この二つの原型の中で日本の美の正系は、弥生的系譜の中にあることも、ここで改めて言って置いた方がいいでしょう。
谷川徹三1895-1989
哲学者、法政大総長、著書『谷川徹三選集』全3巻、長男は詩人の谷川俊太郎
■梅原猛 日本とは何か 1990年
私は日本文化を縄文文化と弥生文化との対立をはらんだ総合とみる。
現在、日本の国土の三分の二は森である。そしてその森の五十四%は天然林である。それは日本において弥生文化が広がっても、縄文文化の母体である森はそのまま残されたことを意味している。
日本文化を俯瞰するとすれば、弥生人が縄文人を征服し、日本に統一国家ができたのは、4世紀から6世紀に掛けての古墳時代であるが、それを受け継いだ飛鳥・奈良時代は、その統一国家を中国にならって律令国家たらしめようとした時代というべきであろう。
ところが平安時代の中頃から武士が台頭する。武士というものは、もともと狩猟採集を業としていたものであり、縄文の遺民とみてまちがいないであろう。もともと関東は縄文文化の影響が強く、関東人は縄文人がそのまま農耕化したという自然人類学の学者の説もある。
中世とは、人間的にも文化的にも縄文的なものの最盛の時代なのである。
縄文文化は平等を重んじる文化である。
縄文文化の住居跡をみると、まん中の広場を囲んで、まったく同じ大きさの竪穴住居が並んでいる。これは縄文時代が、ほぼ完全な平等社会であったことを示す。
武士の台頭はこの平等化の流れをいっそう促進し、下克上が時代の潮流となるのである。江戸時代は、このような平等化の要求の強い日本社会をもう一度、身分制度に返す試みによって、人工的につくられた社会であったといえる。
日本はこのようなふたつの性質の違う文化から成り立っているが、宗教とか習俗とか言語とか、変わりにくいものは縄文文化の影響が強く、変わりやすいもの、技術とか教養としての文化と政治組織のようなものは弥生文化の影響が強い。
日本文化は、その本質において森の文化である。
この森の文化ということは、日本文化の大きな特徴であるけれども、今、人間の自然征服がその限度に達し、森林の保護育成が時代の急務になろうとするとき、
森の文化を強く保存する日本文化は、今後の世界に古くかつ新しい原理を提供するものとして大きな可能性を秘めているのである。
環境保護が二十一世紀の社会のもっとも重要な問題となり、独自の文化的創造が期待されるとき、縄文文化の伝統が想起されるべきであろう。
梅原猛1925-2019
哲学者、作家。京都市立芸大学長、国立国際日本文化研究センター所長を歴任。
1980年頃よりアイヌ世界から縄文文化の研究を深化、「縄魂弥才」(縄文の魂と弥生の技能)をキーワードに日本精神世界の重層構造を探求
梅原猛著作集 20巻 集英社 1981-83年
梅原猛著作集 20巻 小学館 2000-2003年