序
黄公望筆「富春山居図巻」の構築性について
構築史の成立
構築史の素描
注
北宋末宣和二年(1120)の序のある『宣和画譜』山水門では、胸の中に丘壑をもつ者が山水画をよくなしうることをこのように強調する。〈1〉「胸中の丘壑」「一丘一壑」といった言葉は、この時期の画を述ぺた詩文にままみられ、北宋のグランドスタイルの山水画がその完成期にあったこの時期、画家自らがいだく胸中の丘壑という考えが大切であったことが知れる。〈2〉
本小論では、このような言葉を中国山水画を考えるうえでの鍵鑰となるものととらえなおしたい。北宋末以降もこの言葉は使われ、文人画の写意的表現の根拠として、ロマンティックな意味あいも加わるが、ここではその要諦が、丘壑の有様を胸中で、ちょうど曼荼羅を立体曼荼羅として観想するように、三次元の心的なイメージとして想うことにあると考える。この三次元の胸中の丘壑が、制作過程で二次元の紙絹にあらわれる時の矛盾を山水画における構築の問題として考えてみたい。
以下手順としては、元末四大家の一人、黄公望の現存する最優の作品として知られる「富春山居図巻」〈3〉に、構築の間題が自覚的に現われることを述べ、次に時代を立戻って唐宋から清初までの構築史としてその問題点を概述しよう。
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