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 中国絵画史ノート 『古画品録』訳注ダイジェスト

宇佐美文理『古畫品録』譯注(信州大学教養部紀要27号 1-28頁 1993年)から
 宇佐美先生の訳注ダイジェストです。『古畫品録』本文は青色大字で示しました。それ以外は宇佐美訳注です。より詳細な訳注はリンク先のpdf論文をご覧ください。
 (中国絵画史ノート 六朝 中国絵画の批評基準「画の六法」に戻る


南齊 謝赫 撰 古畫品錄


夫畫品者,蓋衆畫之優劣也。圖繪者,莫不明勸戒,著升沈,千載寂寥,披圖可鑒。雖畫有六法,罕能盡該。而自古及今,各善一節。六法者何。
一,氣韻。生動是也。
二,骨法。用筆是也。
三,應物。象形是也。
四,隨類。賦彩是也。
五,經營。位置是也。
六,傳移。模寫是也。
唯陸探微,衛協,備該之矣。然迹有巧拙,藝無古今,謹依遠近,随其品第,裁成序引。故此所述,不廣其源,但傳出自神仙,莫之聞見也。

夫れ畫品なる者は,蓋し衆書の優劣なり。圖繪なる者は,勸戒を明らかにし,升沈を著さざるはなく,千載の寂寥も,圖を披きて鑒みるべし。畫に六法有りと雖も,能く盡該すること罕なり。而れども古より今に及ぶまで,各おの一節を善くす。六法なる者は何ぞ。
一,氣韻。生動是れなり。
二,骨法。用筆是れなり。
三,應物。象形是れなり。
四,随類。賦彩是れなり。
五,經營。位置是れなり。
六,傳移。模寫是れなり。
唯だ陸探微,衛協のみ,之を備該す。然れども迹に巧拙有るも,藝に古今無く,謹しんで遠近に依り,其の品第に隨ひ,序引を裁成す。故に此に述ぶる所,其の源を廣くせず,但だ傳の神仙より出づるは,之を聞見する莫きなり。

画品というものは,多く存在する絵画作品に対してつけられた優劣のことである。絵画とは,勧善戒悪を明かに示し,世の興廃を著らかにするものである。千年の遠きの今では知るものもないできごとも,絵画作品をひもとくことによって鑑みることができる。絵画には六法があるが,これをすべて兼ねてよくする者はまれであり,古から今に至るまで,皆その一部分だけをよくするのみであった。六法とは何か。
一,気韻。生き生きとしていることである。
二,骨法。筆づかいのことである。
三,応物。物の形をうつしとることである。
四,随類。色彩を施すことである。
五,経営。形象の配置のことである。
六,伝移。模写をすることである。
六法は陸探微・衛協のみがこれを兼ね備えている。しかしながら,世にのこされた絵画作品には巧拙の違いがあるとはいえ,「芸」そのものには古今による違いなどというものはないはずだから,ここではしばらく時代の先後と品第の優劣によって順序づけて,そのはしがきを作ることとする。だからここに述べられるのは,その資料の出所を遠くにまでひろげない。ただ神仙を出所とするものは,わたしは実際に聞見していない(という理由でのせない)。

宇佐美注:
六法
「六法」ということばの用例としては,
『新書』六術「徳に六理有り。何をか六理と謂ふ。道德性神明命,此の六なる者,徳の理なり。六理生ぜざる無きなり。已に生ずれば,六理生ずる所の内に存す。是を以て陰陽天地人,盡く六理を以て内度と為す,内度もて業を成す,故に之を六法と謂ふ」。
また『劉子』適才「水火金木土穀,六府物を異にするも。皆施す有り。規距權衡準繩,六法形を殊にするも,各おの任有り」(発想は『淮南子』泰族訓「六藝異科而皆同道…水火金木土穀,異物而皆任。規距權衡準繩,異形而皆施」に基づき,『淮南子』時則訓ではこの規距權衡準細を「六度」と呼ぶ。これを「六法」と『劉子』が呼ぶのは,『禮記』深衣篇で,規矩繩權衡を「五法」と呼ぶ(孫希旦『禮記集解』による)ことによる)。
「六」は,文学では「六義」,書では「六書」,経学では「六藝」など,しばしば現れる。
また『文心雕龍』では「六」つの評価基準として,「六觀」「六義」が示される。
『文心雕龍』知音「是を以て將に文情を閲んとするに,先づ六觀を標す。
一に位體を觀,
二に置辭を觀,
三に通變を觀,
四に奇正を觀,
五に事義を觀,
六に宮商を観る。
斯の術既に形はるれば,則ち優劣見はる」。
『文心雕龍』宗經「故に文は能く經を宗とするは,體に六義有り。一は則ち情深くして詭ならず,二は則ち風清くして雑ならず,三は則ち事信にして誕ならず,四は則ち義直にして回ならず,五は則ち體約にして蕪ならず,六は則ち文麗にして淫ならず」

氣韻
『南齊書』文學傳論907「史臣曰く,文章なる者は,蓋し情性の風標,神明の律呂なり。思を薀し毫を含み,遊心内に運る。放言落紙し,氣韻天成す」。
『八瓊室金石補正』卷十五鎮遠將軍鄭道忠墓誌「君 氣韻は恬和,姿望は溫雅たり」。
『魏書』文苑傳序1869「高祖天を馭するに逮び,情を文學に鋭くし,蓋し漢徹に頡頏し,曹丕を跨躡し,氣韻は高豔,才藻は獨り構ふるを以て,衣冠仰止し,咸な新風を慕ふ」。
『出三藏記集』卷十三朱士行傳(大正55-97)「朱士行,穎川の人なり。業に志すこと精粹,氣韻は明烈,堅正方直にして,勸沮も移す能はず」。
また,芸術の評価考察に「気」が重視されること,『文選』卷五十二・曹丕・典論論文「文は氣を以て主となす。氣の清濁に體有り。力強して致すべからず」。
なお,六法の部分の句読については,銭鍾書氏の見解に従う。(『管錐編』第四册「全齊文卷二五」(中華書局1979年))

生動
『論衡』累害「唯だ人の行のみに非ず,凡そ物は皆な然り。生動の類,咸な累害を被る」

骨法
『史記』淮陰侯傳2623「(蒯通)曰く,僕嘗て相人の術を受く。韓信曰く,先生人を相ること何如。對へて曰く,貴賤は骨法に在り,憂喜は容色に在り,成敗は決断に在り。此を以て之を参ずれば,萬に一も失はず」。
のちこの「骨」は書において,描線を「骨―肉」と分析して,評価用語として定着する。
「晉衛夫人筆陣圖」(『法書要錄』卷一)「筆力を善くする者は骨多く,筆力を善くせざる者は肉多し。骨多く肉微かなる者は之を筋書と謂ひ,肉多く骨微かなる者は之を墨猪と謂ふ」。
画論では『歷代名畫記』卷五「顧愷之の論畫に曰く,……周本記,重疊彌綸,骨法有り。然れども人形は小列女に如かず」

應物
表現は『荘子』知北遊「其れ心を用いて勞れず,其れ物に應じて方無し」。
「各おのの物に従って」は,例えば『肇論』「經に曰く,法身は無象,物に應じて形はる」。
さらにここでの「應物象形」という発想は『文選』卷十三・謝惠運・雪賦「雲に憑りて陞降し,風に從ひて飄零たり,物に値たりて象を賦し,地に任せて形を班つ」。
また象形との組み合わせでは『晉書』索靖傳1649「又た草書狀を作り,其の辭に曰く,聖皇御世,時の宜しきに随ふ。倉頡既に生まれ,書契是に爲らる。科斗鳥篆,物に類して形を象る」

象形
『漢書』藝文志1720「古者,八歳にして小學に入る。故に周官保氏國子を養ふを掌り,之に六書を教ふ,謂ふこころは象形,象事,象意,象聲,轉注,假借,造字の本なり」。
『說文解字』許愼序「周禮八歳にして小學に入り,保氏國子を教ふるに,先づ六書を以てす……二に曰く象形。象形なる者は,其の物を畫成し,體に隨ひて詰詘す。日月是れなり」

隨類
『漢書』匡衡傳3337「事 下に作る者は,象 上に動き,陰陽の理各おの其の感に應ず。陰變すれば則ち静なる者動き,陽蔽はるれば則ち明なる者晻く,水旱の災,類に随ひて至る」

賦彩
『藝文類聚』卷八十二・潘岳・芙蓉賦「流芬 采を賦し,風靡して雲のごとく旋る」。
『文心雕龍』詮賦篇「詩に六義有り,其二を賦と日ふ。賦なる者は,鋪なり。采を鋪き文を摛べ,物を體して志を寫すなり」

經營
『詩』小雅・北山「旅力 方に剛く,四方を經營せしむ」。
『文心雕龍』麗辭篇「詩人の偶章,大夫の聯辭に至りては,奇偶變に適し,經營を勞せず」

位置
梁武帝「書評」(『墨池篇』卷二)「羊欣の書,大家の奴婢の夫人と作れるが如く,位置に堪へず,舉止 澁に差ひ,終に真に似ず」

傳移。模寫是也
『後漢書』蔡邕傳1990「熹平四年,……奏して六經文字を正定せんことを求め,靈帝之を許す。乃ち自ら碑に書し,工をして鐫刻して太學門外に立てしむ。是に於て後學晩儒,咸な正を焉に取る。碑の始めて立つに及び,其の觀視し及び摹寫する者,車乘日に千餘兩,街陌を填塞す」。
また「傳寫」には『漢書』師丹傳3507「大臣の奏事,宜しく漏泄して吏民をして傳寫し,四方に流傳せしむべからず」。
また「傳寫」には有名な用例がある。『晉書』左思傳2377「是に於て豪貴の家,競いて相い傳寫し,洛陽之が為に紙貴し」

巧拙
まず文脈にかかわりなく『老子』第四十五章「大直は屈するが若く,大巧は拙なるが若く,大弁は訥なるが若し」が連想されよう。
『文選』卷五十二・曹丕・典論論文「諸を音樂に譬ふれば,曲度は均しと雖も,節奏 検を同じくするも,引氣齊しからざるに至りては,巧拙に素有り。父兄に有りと雖も,以て子弟に移す能はず」。
『法書要錄』卷一趙一「非草書」「凡そ人各おの氣血を殊にし,筋骨を異にす。心に疏密有り,手に巧拙あり」

藝無古今
「藝」には教養としての技芸と,それ以外の雑芸とがある。
前者は『周禮』大司徒「郷の三物を以て萬民を教へ,之を賓興す。一に曰く六徳。知仁聖義忠和なり。二に曰く六行。孝友睦婣任恤なり。三に曰く六藝。禮樂射御書數なり」。つまり「六藝」である。これは身につけるべきものとして積極的な意味を持つ。
ただし,『論語』述而「子曰く,道に志し,徳に據り,仁に依り,藝に遊ぶ」集解「藝は六藝なり。據るに足らず,故に游と曰ふなり」の如く,二次的なものという意識がある。
それを端的に示すのが,『禮記』樂記篇「是の故に徳成るは上,藝成るは下」である。この考えが実は根深い。徐幹『中論』藝紀篇「藝なる者は徳の枝葉なり。徳なる者は人の根幹なり」はその一例であり,あくまでも「徳あっての芸」なのである。
「芸」が無条件に積極的な評価を受けるのは「易書詩禮樂春秋」の意での「六藝」の場合だけである。そして絵画は「雑芸」に属するわけである。
ただし,『後漢書』張衡傳1941の論の,張衡の渾天儀などの制作を絶賛した上での発言,「記に曰く,德成るは上,藝成るは下と。斯の思を量るに,豈に夫れ藝のみならんや。何の徳か之れ損なはん」や,また『宋書』雷次宗傳2293「会稽の朱膺之,穎川の庾蔚之は,並びに儒學を以て諸生を監總す。時に國子學未だ立たず。上は心を藝術に留め,丹陽尹何尚之をして玄學を立て,太子率更令何承天をして史學を立て,司徒參軍謝元をして文學を立てしめ,凡そ四學竝び建つ」にみえる「藝術」観など,時代の趨勢を考慮する必要があるが,今は暫く指摘するにとどめる。
さらに「藝無古今」という発想は,『論衡』案書篇「才に淺深有るも,古今有る無し。文に偽眞有るも,故新有る無し」の如く,いたずらに古いものを貴ぶ俗の風潮を,王充が『論衡』全編でしばしば示す如く批判するのか,「迹」と「藝」を明確に区別することを意識しての発言なのか,判然としない。下文顧愷之・宗炳の条の「跡―意」の対照を参照。また下文顧駿之の条,「變古」の注参照。

遠近
『易』繫辭上傳「遠近幽深と有る无く,遂に來物を知る」。
『文選』卷一・班固・兩都賦序「且つ夫れ道に夷隆有り,學に麤密有り。時に因りて徳を建つる者は,遠近を以て則を易へず」

品第
『後漢書』許劭傳2235「初め,劭と靖と俱に高名有りて,共に郷黨の人物を覈論するを好み,毎月輒ち其の品第を更む。故に汝南俗に月旦評有り」。
鍾嶸『詩品』序「諸英の志錄,並びに義は文に在りて,曾て品第すること無し」。
虞穌「論書表」「二王の書を科簡し,其の品題を評し,猥を除き美を録し,賞玩に供御す」。
品第と配列の関係については,鍾嶸『詩品』「一品の中,略ぼ世代を以て先後と爲し,優劣を以て詮次を為さず」。
虞穌「論書表」「又た舊,封書の紙次を以て相い隨ひ,草正混糅し,善惡一貫す。今各々其の品に隨ひ,本封に従はず」。
庾肩吾『書品』「能を推して相い越え,小例にして九,類を引きて相い附け,大等にして三。復た略論を為し,總て書品と名づく」。
さらに,陳傳席氏がつとに指摘されるように(『六朝畫論研究』・本稿稿末注釈参照),以下の南斉宮廷における絵画の品第が,この『古畫品錄』と何らかの関係を持つことに注意せねばならない。
『歷代名畫記』卷一敘畫之興廢「南齊の高帝,其の尤も精なる者を科し,古来の名手を録するに,遠近を以て次と爲さず,但だ優劣を以て差と為す。陸探微より范惟賢に至るまで,四十二人を四十二等と爲し,二十七秩,三百四十八卷,聽政の餘,旦夕披玩す」


第一品 五人

陸探微 (事五代宋明帝,呉人)
窮理盡性,事絕言象,包前孕後,古今獨立。非復激揚,所能稱贊。但價重之極乎上,上品之外,無他寄言,故屈標第一等。
理を窮め性を盡くし,事は言象を絶ち,前を包み後を孕み,古今に獨立す。復た激揚の能く稱贊する所に非ず。但だ慣の重きこと上に極まり,上品の外,他の寄言無し。故に屈して第一等に標す。
陸探微
理を窮め性を尽くし,言象の尽くさぬ所を尽くしている。過去を奄有し未来を生みだす根源であり,古今に並び立つものがない。言葉を尽くしてもその立派さを称賛し尽くすことはできない。しかしながら,評価の極点を究める位置にあり,上品の上にはもう他に寄せる言葉がないので,従ってあえて第一等におくこととする。

曹不興 (五代呉時事孫權,呉興人)
不興之迹,殆莫復傳。唯祕閣之内,一龍而已。觀其風骨,名豈虚成。
不興の迹,殆んど復た傳はる莫し。唯だ秘閣の内,一龍のみ。其の風骨を観るに,名豈に虛成ならん。
曹不興の作品はほとんど伝わっていない。ただ秘閣に一龍図があるのみである。が,その気風骨法を観てみると,その名声は実なくなったものでない事がわかる。

衛協 (五代晉時)
古畫之略,至協始精。六法之中,迨為兼善。雖不說情形妙,須得壯氣。陵跨群雄,曠代絕筆。
古道の略。協に至りて始めて精なり。六法の中,兼善と為すに迨(およ)ぶ。形妙を備ふるを説ばずと難も,頗る壯氣を得たり。群雄を陵跨し,曠代の絶筆たり。
古の絵画は粗略なものであったが,衛協に至ってはじめて精敵なものとなった。六法については,みな兼ね備えているとしてよかろう。形似の精妙をそなえるのをよろこばなかったが,やや壮健な気概をそなえている。並みいる画家たちを陵駕し,希世の絶筆である。
  古畫・毛本作占畫。今從王本。
  陵・王本作凌。

張墨・荀勗
風範氣候,極妙參神。但取精靈,遺其骨法。若拘以體物,則未見精粹,若取之象外,方厭高腴。可謂微妙也。
風範氣候は,妙を極めて神に參ず。但だ精を取るも,其の骨法を遺す。若し拘はるるに物を以てせば,則ち未だ精粹を見ざるも,若し之を象外に取れば,方めて高腴に厭く。微妙と謂ふべきなり。
風采気格は神妙を極めつくしている。ただ精妙な気韻はあるが,骨法にはいたらないところがある。もし物の形をとりこむ事にとらわれたならば,精妙粋然たるものはみえてこないが,もし形象をこえたところに妙所をもとめるならば,それではじめてみちあふれるほどの豊潤な妙がそこにみえてくるのである。これが見極め難い「微妙」というものである。
  取之象外・毛本無象字。今從王本。


第二品 三人

顧駿之
神韻氣力,不建前賢,精微詳細,有過往哲。始變古則今,賦彩製形,皆創新意,若包犠始更卦體,史籀始改書法。常結搆層樓,以為畫所。風雨炎燠之時,故不操筆。天和氣爽之日,方乃染毫。登樓去梯,妻子罕見。畫蟬雀,駿之始也。宋大明中,天下莫敢競矣。
神韻氣力は,前賢に及ばざるも。精微謹細なること,往哲に過ぐる有り。始めて古を變じ今に則り。賦彩製形に,皆な新意を創ること,包犠の始めて卦體を更め,史籀の始めて書法を改むるが若し。常(かつ)て層樓を結搆し,以て畫所と為す。風雨炎燠の時は,故より筆を操らず。天和氣爽の日にして,方めて乃ち染毫す。樓に登れば梯を去り,妻子も見(まみ)ゆること罕なり。蟬雀を畫くは,駿之の始むるなり。宋の大明中,天下敢えて競ふ莫し。
気顔の神妙格力は前賢に及ばないが,形象の精緻詳細なことは往哲にまさるところがある。はじめて古のかたちをかえ。今のやりかたにのっとり,色彩・造形に新味を創り出したこと,伏羲がはじめて卦を定め,史籀がはじめて書法をあらためたのにたとえられる。かつて層楼をつくり,画所とし,風雨の日,炎暑の時には,もとより筆をとることはなく,天気が和順爽快な日になってはじめて筆をとった。一度楼に登れば梯子をとりさり,妻子さえほとんど会うことはなかった。蟬雀を描くようになったのは駿之にはじまる。宋の大明中(孝武帝457-464),天下には敢えて競うものはなかった。
  卦・毛本作封。今從王本。
  書・毛本作盡。今從王本。
  常・王本作嘗。
  燠・陸本王本皆作奥。

宇佐美注:
變古
『論語』述而篇「述べて作らず。信にして古を好む」。同篇「古を好みて敏にして之を求む」。
宣公十五年公羊傳「上(宣公)古を變じ常を易へ。是に應じて天災有り」。
それに対し単なる復古・倣古を批判するものに,『韓非子』五蠹篇「是を以て聖人は脩古を期せず。常可に法らず,世の事を論じ,因りて之が備へを為す……・今先王の政を以て,當世の民を治めんと欲するは,皆な株を守るの類なり」。
また分別知を乗り越えようとする『莊子』は,古今についても次のような発言をする。『荘子』外物篇「故に曰く,至人は行を留めず。夫れ古を尊びて今を卑しむは,學ぶ者の流なり」郭象注「古に尊ぶ所无く。今に卑しむ所无し。而るに學ぶ者は古を尊びて今を卑しむは,其の原を失へり」。
変古を尊ぶのは,書では『南齊書』王僧虔傳597引「論書」「亡會祖領軍の書は,右軍云ふ,弟の書,遂に吾を減ぜすと。古制を變ずること,今唯だ右軍のみ。領軍は爾らず。今に至るまで猶お鍾・張に法る」(『法書要録』巻一の引く所とやや文意が異なる。しばらく『南齊書』に従う)。
文学では『南齊書』文學傳論908「文章に在りては,彌いよ凡舊を思ひ,若し新變無くんぱ,代雄たる能はず」など。

新意
杜預「春秋左氏傳序」「然れども亦た史の書せざる所にして,即きて以て義と指す者有り。此れ蓋し春秋の新意なり」。
『文心雕龍』風骨篇「情變に洞暁し,曲さに文體を昭らかにして,然る後に能く新意を孚甲し,奇辭を雕畫す」。
逆に「古意」については,鍾嶸『詩品』下品「張景雲は文體に謝すと雖も,頭る古意有り」。
絵画においては,陳の姚最『續畫品』序に「夫れ丹青の妙極,未だ易く言い盡くさず。質は古意に沿ふと雖も。而れども文は今情に變ず」

陸綏
體韻遒舉,風采飄然。一點一拂,動筆皆奇。傳世蓋少,所謂希見卷軸,故為寶也。
體韻は遒擧し,風采は飄然たり。一點一拂。筆を動かせば皆な奇。世に傳はること蓋し少なく,所謂卷軸を見ること希れなる。故に寶と為すものなり。
気力は力強く舞い上がるようで,風采は飄然としている。一点一画,筆を揮えば皆な奇特である。世に伝わっている作品が少ないようで。いわゆる「その作品を見ることがまれであるという理由で宝とされる」ものである。

袁蒨
比方陸氏,最為高逸。象人之妙,亞美前賢。但志守師法,更無新意。然和璧微玷,豈貶十城之價也。
陸氏に比方し,最も高逸爲り。人を象るの妙,美を前賢に亞(つ)ぐ。但だ師法を守らんと志し,更に新意無し。然れども和璧に微玷あるも,豈に十城の價を貶さん。
陸氏(陸探微)にならい,(弟子の中で)最も高逸であった。人物画の妙はといえばそのすばらしさは彼以前の名画家につぐものであるが,しかし師法を守ることのみに心をくだき,新奇な意趣を出すことはなかった。しかしながら,かの和璧も,少しばかりきずがあるからといって,どうして十城の価値をおとすことがあろうか。


第三品 九人

姚曇度
畫有逸方,巧變鋒出。[鬼音]魁神鬼,皆能絕妙。同流眞爲,雅鄭兼善。莫不俊拔,出人意表。天挺生知,非學所及。雖纖微長短,往往失之。而輿皁之中,莫與為匹。豈直棟梁蕭艾,可搪揬璵璠者哉。
畫に逸方有り,巧變鋒出す。[鬼音]魁神鬼,皆な能く絶妙たり。眞爲に流れを同じくし,雅鄭兼ね善くし,俊拔ならざるは莫く,人の意表に出づ。天挺生知,學びて及ぶ所に非ず。纖微の長短,往往之を失すと雖も,而れども輿皁の中,與に匹と為す莫し。豈に直だ棟梁を蕭艾とし,璵璠に搪揬すべき者ならんや。
その絵には高逸なところがあり,変化の妙がいたるところ鋒出し,怪物鬼神も皆絶妙なできである。真の「為」とともにめぐり,雅俗をともによくし,まこと俊秀抜群で,常人の考え及ばないものである。天賦の上智の才をもち,それは習学しても到達できる境地ではない。細かい点でしばしばいたらぬ所があるが,下賤な画工たちを見回したところ,匹敵するものはいない。どうして棟梁の如き傑才を,蕭艾の如き小人とみなしたうえ,璵璠の如き美玉にあてることなどできようか。
  同流・毛本作固流。今從王本。

顧愷之 (五代晉時晉陵無錫人,字長康,小字虎頭)
格體精微,筆無妄下。但跡不逮意,聲過其實。
格體は精微,筆は妄りに下す無し。但だ跡は意に逮ばず,聲は其の實に過ぐ。
気格体韻は精微で,筆をみだりに下すことはなかった。しかしながら,描かんとした意が作品に表わされきれておらず,名声がその実を越えてしまった者である。
  格體・毛本作徐體。今從王本。

毛惠遠
畫體周贍,無適弗該。出入窮奇,縱橫逸筆,力遒韻雅,超邁絕倫。其揮霍必也極妙。至於定質塊然,未盡其善。神鬼及馬,泥滯於體,頗有拙也。
畫體は周贍,適くとして該ねざるは無し。出入して奇を窮め,縦横に筆を逸し,力は遒く韻は雅なること,超邁絶倫す。其の揮霍必ずや妙を極む。定質塊然たるに至りては,善を盡くさず。神鬼及び馬は,體に泥滞し,頗る拙有り。
その画体はすべてにあまねくゆきわたり,兼ねぬ所とてない。形象が画面上で現われたり消えたり,まことに奇巧を極めており,何物にもとらわれぬ筆跡を自在にあやつり,骨力は遒勁,気韻は典雅なること,常人を超え,並ぶものとてない。彼が筆を軽やかにふるうや必ず妙絶を極める。しかし,物に本来備わった性質を描き分けることや,動きのない器物に関しては,いたらぬ所がある。鬼神や馬については,形にこだわってしまって,ややうまくないところがある。
  塊然・毛本作愧然。今從王本。
  於體・毛本作於射。今從王本。

夏瞻
雖氣力不足,而精彩有餘。擅名遠代,事非虚美。
氣力足らずと難も。而れども精彩に餘り有り。名を遠代に檀ままにするは,事 盧美に非ず。
気力には十分でないところがあるが,精妙な賦彩にはあまりあるものがある。遠き時代にいたるまで名声をはせているのはいたずらな美名ではない。

戴逵
情韻連綿,風趣巧拔。善圖賢聖,百工所範。荀衛已後,實為領袖。及乎子顒,能繼其美。
情韻は連綿とし,風趣は巧拔せり。賢聖を圖くを善くし,百工の範とする所なり。荀衛已後。實に領袖爲り。子の顒に及ぶも。能く其の美を繼げり。
情韻は連綿として途切れることなく。風趣は巧妙秀抜。賢聖を画くのを得意とし,他の画工の規範となった。荀勗・衛協以後は,まさに彼が主導的立場にあった。子の顒も,戴逵のすばらしさを受け継ぐことができている。

江僧寶
斟酌袁陸,親漸朱藍。用筆骨梗,甚有師法。像人之外,非其所長也。
袁陸を斟酌し。親しく朱藍に漸(そ)まる。用筆骨梗。甚だ師法有り。人を像るの外,其の長する所に非ざるなり。
袁蒨・陸綏を斟酌して学び,その感化を受けた。用筆は骨法をそなえ力強く,袁陸の師法をよく受け継いでいる。人物画以外はそのよくするところではない。
  袁陸・毛本作遠陸。今從陸本王本共作袁陸。

呉暕
體法雅媚,製置才巧。擅美當年,有聲京洛。
體法は雅媚,製置は才巧。美を當年に擅ままにし,京洛に聲有り。
画体は典雅秀媚で,形象布置もよくできている。当時の美名をほしいままにし,洛陽で名声があった。

張則
意思横逸,動筆新奇。師心獨見,鄙於綜採。變巧不竭,若環之無端。景多觸目。謝題徐落云,此二人後,不得預焉。
意思は横逸。動筆は新奇。師心獨見。綜採を鄙しむ。變巧竭きざること,環の端無きが若し。〈景多觸目。謝題徐落云,此二人後,不得預焉。〉
意態構思は縦横秀逸,用筆は新奇である。自己の考えのみに従い。先人の法をとりあつめたりするのを嫌った。巧妙に景物が画面で変化をみせてつきることがないこと。環の端無きが如くである。……

陸杲
體致不凡,跨邁流俗。時有合作,往往出人。點畫之閒,動流恢服。傳於後者,殆不盈握。桂枝一芳,足[忄敷]本性。流液之素,難效其功。
體致凡ならず,流俗を跨邁す。時に合作有り。往往出人す。點畫の閒,動流恢服す。後に傳はる者,殆ど盈握ならず。桂枝の一芳,本性を[忄敷(懯)](うかが)ふに足るも,流液の素は,其の功を效し難し。
体韻は凡庸でなく,流俗を超越し,会心の作ができてしばしば群を抜くものがあった。一点一画の間に(気韻が)流動しまためぐっている。後世に伝わるものはひとつかみもないほどである。しかし桂枝はそのほんの少しの香りでも,そのかぐわしい本性を想見するに足るものであるが。(実際に実がなければ)甘美な果汁をたくわえる素質があっても,其の才能を発揮しがたいものである。


第四品 五人

蘧道愍 章繼伯
竝善寺壁,兼長畫扇。人馬分數,毫釐不失。別體之妙,又為入神。
竝びに寺壁を善くし,兼ねて肩に長ず。人馬の分散,毫釐失はず。別體の妙,又た神に入ると為す。
二人とも寺壁に画くのを得意とし,また画扇もよくした。人や馬の法度は,僅かも失うことはなかった。別のスタイルについても,やはりまた神妙な域に達していると思われる。

顧寶光
全法陸家,事事宗稟。方之哀蒨,可謂小巫。
全く陸家に法り,事事宗稟す。之を哀蒨に方ぶれば,小巫と謂ふべし。
まったく陸探徴にならい,すべてにわたって直系として受け継いだ。だが(同じく陸探微を師とする)哀蒨と比べてみると,明らかに劣る“小巫”にすぎない。
  寶光・王本作寶先。
  事事・毛本作事之。今從王本。

王微 史道碩 (五代晉時)
竝師荀衛,各體善能。然王得其細。史傳其眞。細而論之,景玄為劣。
竝びに荀衛を師とし,各體善く能くす。然れども王は其の細を得。史は其の眞を傳ふ。細さに之を論ずれば,景玄劣れりと為す。
ともに荀勗・衛協を師とし,各々の作風をよくした。しかし王徴はその細密なる妙を獲得し,史道碩は形似の妙を伝えている。詳細に論じるならば,王微の方が劣る。
  其眞・毛本作似眞。今從王本。


第五品 三人

劉頊
用意綿密,畫體纖細。而筆跡困弱,形製單省。其於所長,婦人爲最。但纖細過度,翻更失眞。然觀察詳審,甚得姿態。
用意は綿密,畫體は繊細。而れども筆跡は困弱,形製は單省たり。其の長ずる所に於ては。婦人最爲り,但だ織細度を過ぎ,翻って更に眞を失ふ。然れども観察は詳審,甚だ姿態を得たり。
綿密に構想を練り。繊細ということをそのスタイルの特色とするが。その筆跡は弱々しく。その構図も粗略なものである。婦人の画を最も得意とする。が,あまりに細かく画く事のみにとらわれていて,かえってよけいに真の姿を失ってしまっている。とはいうものの,物象の観察がゆきとどいているのはたしかで,姿態をうまく画き出せている。
  纖細・毛本作簡細,陸本作筒細。今從王本。
  姿態・王本作恣態。

普明帝 (諱紹。元帝長子。師王厲)
雖略於形色,頗得神氣。筆跡超越,又有奇觀。
形色に略たりと難も,頗る神氣を得たり。筆跡は超越。又た奇觀有り。
形象色彩に関しては粗略であるが,やや神気を得ている。筆跡は超然としており,やはり観るものに秀奇さを感じさせる。

宇佐美注:
形色
『莊子』天道「故に視て見るべき者は,形と色となり。聴きて聞くべき者は,名と聲となり。悲しい夫,世人は形色名聲を以て,以て彼の情を得るに足るとす。夫れ形色名聲は果たして以て彼の情を得るに足らず」。
『孟子』盡心上「孟子曰く,形色は天性なり。惟だ聖人にして然る後に以て形を踐むべし」
神氣
『禮記』孔子閒居「地は神氣をせ,神氣は風露なり。風露形を流き。庶物露生す。教へに非ざるは無きなり」。ここでの。「形色―神気」の対照は,「気韻」とも関わる重要な点である。
神気はこの『禮記』の如く,世界に満ちる神妙なる気を指すとともに,また『淮南子』俶眞訓「古の人,混冥の中に盛り,神氣外に蕩せざる有り」。つまり人間の精神的活動を指す。
『文選』卷五十三・嵆康・養生論「外物は心を累するを以て存せず,神氣は醇白を以て獨り著らかなり」。「形―神」の対照は常見。
『史記』太史公自序3292「六家の要指を論じて曰く……凡そ人の生くる所の者は神なり。託する所の者は形たり。神大いに用るれば則ち竭き。形大いに勞すれば敞る。形神離るれば則ち死す」。
一般に我々のことばで「からだ」と「こころ」があたろう。ただし,謝赫がここで「彩色―神気」と言うのは,単にこの「形―神」の対応のみを考えているのではなかろう。
「形」に対して「気」を考えるならば,『淮南子』原道訓「夫れ形なる者は,生の舎なり。氣なる者は,生の充なり。神なる者は,生の制なり。一位を失はば,則ち三者傷る」。
また劉楨「處子國文甫碑」(『藝文類聚』卷三十七)「憂思泣血。其の哀に勝へず。形銷え氣竭き,建安十七年四月を以て卒す」。
文学では例えば『文心雕龍』風骨篇「故に辭の骨を待つは,體の骸を樹つるが如く,情の風を含むは,猶お形の氣を包むがごとし」。
『文心雕龍』には「気を寫し貌を圖す」(物色篇)の如く,ぶっつけに「気」を画くという表現もある。
また『宋書』謝靈運傳論1778「相如は巧みに形似の言を為し,班固は情理の説に長ず。子建・仲宣は氣質を以て體とし,遊びに能を標し美を擅ままにし,獨り當時に映ゆ」に,それぞれの特徴として「形似・情理・気質」を挙げているのを参照。

劉紹祖
善於傳寫,不閑其思。至於雀鼠,筆迹歷落,往往出群。時人爲之語,號曰移畫。然述而不作,非畫所先。
傳寫を善くするも。其の思に閑(な)れず。雀鼠に至りては,筆迹歷落,往往群より出づ。時人之が語を爲し,號して移畫と曰ふ。然れども述べて作らざるは,畫の先とする所に非ず。
伝移模写を得意としたが,構思に習熟していなかった。雀鼠に関しては豪放磊落で,まま群を抜くできだった。当時の人々はかれの絵画にあだなして「移画」と呼んだ。しかしながら「相述するのみで創作をしない」ということは,絵画の先務ではない。


第六品 二人

宗炳
炳明於六法,迄無適善。而含毫命素,必有損益。除非準的,意足師放。
炳は六法に明らかなるも,迄に適香無し。而れども含毫命素すれば,必ず損益有り。跡は準的に非ざるも。意は師放とするに足る。
宗柄は六法に通暁していたが,つまるところ(実作品に於いては)六法にかなっているものはない。しかしながら筆をぬらし絹素をひらいて絵を画けば,やはりかならずとるべきいいところもけずるべきところもある。彼の作品は規範となるべきものではないが,そこにもられた思致は師表とするに足るものである。

丁光
雖擅名蟬雀,而筆跡輕羸。并不精謹,乏於生氣。
名を蟬雀に推ままにすと難も。而れども筆跡は輕羸。精謹ならざるには非ざるも。生氣に乏し。
蟬雀を画いて名をほしいままにしたが,其の筆致は軽薄脆弱である。(細かいところまで画いて)非常に精謹といえるが,生気に乏しい。


テキスト:
内閣文庫本 津逮秘書 百三 古画品録
国会図書館本 津逮秘書 第95冊 古画品録
津逮秘書本(毛本)に静嘉堂所藏明刊本(陸本),王氏書畫苑本(王本)を合参
①南宋臨安書棚本…覆版=静嘉堂本…津逮秘書本
             説郛本=王氏書書苑本
②佩文齋書畫譜本=歴代名畫記本(①全文1137字のうち約150字の異同や相互に異なる部分)

謝赫について
謝赫。〈中品下。〉
姚最云:「㸃刷精研,意存形似。寫貌人物,不俟對看,所須一覽,便歸操筆。目想毫髮,皆亡遺失。麗服靚粧,隨時變改。直眉曲𩯭,與時競新。別體細微,多從赫始。遂使委巷逐末,皆類効顰。至於氣運精靈,未窮生動之致;筆路纖弱,不副雅壯之懷。然中興已來,象人爲最。」在沈標下,毛惠秀上。〈《安期先生圖》,傳於代。〉
(『歴代名画記』巻七南齊)

謝赫(しゃかく)。〈中品下。〉
姚最(ようさい)云はく、「点刷精研にして、意は形似に存す。人物を写貌するに、対看を俟(ま)たず、須(もち)ゐる所は一覧すれば、便ち帰りて筆を操(と)る。
目に毫髪(ごうはつ)を想へば、皆 遺失亡(な)し。麗服靚粧(せいしょう)、時に随ひて変改し、直眉曲鬢(きょくびん)、時と新を競ふ。別体の細微なるは、多く赫(かく)より始まる。
遂に委巷(いこう)末を逐ふものをして、皆 効顰(こうひん)に類せしむ。気運精霊に至りては、未だ生動の致を窮めず。筆路繊弱にして、雅壮の懐(おもい)に副はず。然れども中興已来(いらい)、象人(しょうじん)を最と為す」と。
沈標(しんぴょう)の下、毛恵秀(もうけいしゅう)の上に在り。〈『安期先生図』、代に伝はる。〉

謝赫。〈中品の下のランク〉
(後代の評論家)姚最はこう述べている。
「(謝赫の)描写は緻密に研ぎ澄まされており、その主眼は対象を実物そっくりに写すこと(形似)に置かれている。人物の容貌を写し取る際、モデルと対面し続ける必要はない。ただ一度見れば、そのまま帰った後でも筆を執ることができた。
目に焼き付いたイメージは産毛の先ほども細かく、何一つ失われることがない。(描かれる人物の)華麗な衣服や美しい化粧は、時代の流行に合わせて変幻自在であり、まっすぐな眉や曲がった鬢(びん)などの描き方は、当時の最新のスタイルを競うかのようであった。こうした細密な描写の別体(新しい様式)は、多くがこの謝赫から始まったものである。
その結果、巷の凡庸な絵師たちがこぞってその末節を追い求め、みな(謝赫の真似をして)無様な猿真似(効顰)をするまでになった。
(しかし厳しい目で見れば)精神性や霊的な気韻という点では、まだ生き生きとした極致(生動)を極めるまでには至っていない。筆致は細く弱々しく、高雅で力強い情趣にはそぐわない面がある。とはいえ、中興以来、人物の似姿を描くことにかけては彼が最高である」と。
(張彦遠の序列では)沈標の下、毛恵秀の上に位置づけられる。〈『安期先生図』が世に伝わっている。〉

参考書
中村茂夫『中國畫論の展開一晉唐宋元篇』中山文華堂 1965年
古原宏伸『画論』中国古典新書 明徳出版社 1973年 序「備該之矣」までの訳
福永光司『芸術論集』中国文明選 朝日新聞社 1971年 六法のみ訳
長廣敏雄訳『歴代名画記」1・2 平凡社・東洋文庫 1977年
王伯敏『古畫品錄・續畫品錄』人民美術出版社 1962年第二版
陳傳席『六朝畫論研究』上海人民美術出版社 1985年,修定版1991年台湾學生書局刊
陳傳席編『六朝画家資料』文物出版社 1990年
  (庾肩吾『書品』陸綏・宗炳など欠)


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 中国絵画史ノート 『古画品録』訳注ダイジェスト   2026.2.25作成 

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