北京中央美術学院、賈又福山水画室の
2001年秋の写生旅行として
9月の太行山の写生に続き
11月の山東省の名山、沂蒙山の写生に参加しました
山東省沂蒙地区の蒙山は、泰山に次ぐ山東第二の高峰です。東蒙、東山また“養生長寿の山”とも言われ、空気の清浄なこと、空気中の陰イオンの含有量が通常の一千倍を超えるそうです。
古く孔子はいくたびか蒙山に登り、李白、杜甫は共に蒙山に遊び、杜甫に「余亦東蒙客,怜君如弟兄。醉眠秋共被,携手同日行」の詩があります。蘇軾も蒙山に登り「不驚渤海桑田變,来看龜蒙漏澤春」の句を残しました。
参加したのは姚鳴京老師(老師は先生の意)以下、22名の同学たち(太行山写生旅行参照 今回は前回のメンバーから2人が抜け、新たに今年中央美術学院を卒業した日本人留学生、中島元春が加わりました)。
平邑のローカル駅からほどなくバスは、卞橋鎮の蒙山入口の芸校賓館に着きました。ここは山東省臨沂芸術学校の写生基地として、日本では高校2年にあたる生徒たちが油画の写生をしていました。宿舎を他の写生を目的にした団体にも提供しており、この時も上海からの高校生たちと美院の私達など200名余りが宿泊しました。
2段ベッドが4っつある部屋にテレビ、電話、暖房、シャワーの設備はなく、北京に戻るまでシャワーなしの日々が続きます。もっともこんどの予定は2週間ほどですが、通常の美院の山水画室の写生旅行は1ヶ月シャワーなしもあたりまえとか。
乗り物の中では意気揚々としていた皆が少し消沈です。高校生の騒がしいのはおいても、冒頭にあげた宿舎附近を遠望した写真でも見てとれるように、あたりはあまり変哲のない石だらけの荒涼とした山が続くばかりで、画趣をそそるモチーフが見あたりません。
それでも宿舎の裏山に登りひととおり描くモチーフを決めて戻り、食堂で質素な昼を食べていると、遅れてきた何人かがひそひそして動きが違います。10人ほどがさらに奥の民間の写生宿舎に移るといいます。私も引越の一行のトラックの荷台に乗り見学に行きました。
車でしばらく行くと、洼[水圭]山森林公園の検問所があり10元の門票が入りますが、写生に行く者は無料になります。あたりは私達の宿舎附近の荒れはてた感じとは違い、なるほど樹や岩などの景観が豊富です。やはり写生用の宿舎が幾つもあり高校生たちが乱雑にしています。
しかし一行のトラックは、ここでも止まらずさらに奥に入っていきます。道を折れたところに芸林写生基地の看板のあるアパート状の民家。宿舎からは歩いて1時間ほどでしょうか。高校生グループが少し宿泊していますが、奥まっているため静か、裏山に入り辺りを散策してみました。この地方独特の石を積み上げて造った民家、側にある円錐形の屋根をした物置きのような小屋も風情があります。
ここはベッド数が限られるため引越した者以上は泊められません。着いた最初に姚老師が場合によっては外に宿泊してもよいと許可したのですが、老師の意図は夜の講評にはすぐ戻って来れる範囲の近さだったらしく、これから老師が引越組を引き戻す9日まで、今回の写生旅行のメンバーが半分に分裂する事態が続きます。
最初に決めておいた宿舎裏の岩のモチーフの写生。
引越分裂事件はやむを得ないこと。デッサンや写生では、モチーフ探しと良い場所の確保はまず第1に大切なこと。これから私は冒頭の写真に黄色の円で図にしたように、宿舎の裏山を順に遠くに上り詰めながら描いていきます。
夜の姚老の評:3個の石頭(岩)の構図良い。中国人の構図は乱になりがちなので参考にすべき。
岩のモチーフに加筆した後、宿舎の裏山の斜面に石を積み上げ、見張り台のようになっている所に移動し、そこから遠望した対面する山の写生。
『蒙山一片』と名付けました。
ある夜、20年前の偽の私の報道記録が現われる夢。書いたこともない文章が、当時の私の写真入りで載っている新聞や雑誌。これは偽物です!
私になりすましているおまえは誰だ?
しかしほんとうの私はどこに?
……
皆の描く絵のできの悪いのに業を煮やした姚老が、朝皆を引き連れ宿舎の裏山の老民家へ。
せっかくなので私もそこで少し写生をしましたが、今回の写生は、中国人学生が繰返し題材にしている風景画のような民家やどこにでもあるような樹を描くのが目的で無いので、早々に切り上げ、この地方独特な石積みの段々畑のある急斜面を登り、松のモチーフを求めました。
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しかし道の無い石の段々畑や石ころや雑草だらけの急斜面を画材をもって登るのは容易でないので、明日からあらかじめ決めておいた宿舎裏山頂上にはえる松のモチーフを描くことにしました。
概念と実体のはなし |
この松は若い松。車輪葉の形をしており描くのが難しい。
始めモミジの葉のようになり、練習の結果デージーのように。
翌日さらに苦心をしスギのようにはなったと思うのですが、等伯の『松林図』の松ははるか遠く。
11月12日(月) 晴
今日の晩は北京に戻る日。
午前、『蒙山一片』に少し加筆。葉書に簡単な水墨のスケッチ。
午後荷造りを済ませ、バスが来るあいだ持参した洞簫を吹きました。今日の午前に高校生たちは全て引き上げたので、宿舎の中は閑散とし、簫の音がよく響きます。
「沂蒙山小調」というこの地方の民歌を吹いていると、笛とこの曲の楽譜を持参した先生が現われ吹きます。やがて数人の同学も現われ「沂蒙山小調」の笛伴奏の合唱で盛り上がりました。
「沂蒙山小調」MIDIファイル(演奏時間:50秒 6k)
天津では雨だったのに北京に近づくにつれ雪に。
11月のこの時期の初雪。去年の南京からの帰りを思いおこしました。あれは16日の初雪。