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  胸中の丘壑2

黄公望筆「富春山居図巻」の構築性について


富春山居図巻
図1 黄公望「富春山居図巻」部分 1350 台北故宮博物院

 現状では縦33cm、横636.9cm、六紙をつなぎほぽ105cmの五紙に86cmの第六紙が続く。全体の構成は、中国山水画の基本理念である主山の造型がここでも一貫している。画巻中央の要の位置に主山を配し、それに対し別に伝世している「剰山図」も含めた構成は、巻首と巻末に導入とコーダの働きをもつ副山を配し、平淡で静かな江湖の始まりから中央でクライマックスをつくり、それ以降の流れるようなやや切迫した画巻の展開の旅をしめくくる。巻末の突兀とした副山は、偉大な主山を最後に再び憶いおこす意もあろう。このような主山副山の扇型の展開の例は北宋以来の横巻形式を受けつぐものである。
 図1はそのうちの第二紙、第三紙と続く主山の部分である。但しここでは主山は、中国の多くの山がそうであるように一つの山を指すのではなく、打続く峰々の連なりとして描かれている。ここで試みに黄公望の、その背後には実はたいへんな技巧を秘めているとしても、とらわれない変幻自在な筆墨法について記述してみよう。
 第二紙は画巻中最も入念に描き込まれたところである。描法は基本的に第一紙でみられたものと同じであるが、ここではそれが一層複雑なヴァリエーションを作りだす。山の筆墨は、主山が立上る所、楼閣群あたりの皴はゆっくリとていねいだが、主山が立上った左側の側面の筆速は遠く自由に落ちている。淡墨を何層も重ねた披麻皴が、一見混乱しているようだけれど、ある距離をおけば秩序ある透明な美しさをつくる。楼閣群上の小山は淡墨で勾勒渲染され、そのすぐ上には画巻中例外的にふところを白くかき消し煙霞を表し重なリ続く渇筆の連山、さらに上にかいまみえる没骨淡墨の遠山、と美しい変化をつける。そうした山々に、淡から濃へと様々にトーンと筆使いを変えた樹葉が中央の尾根伝いを中心にアクセントをつける。主山下の丘陵には、はじめて小さく点苔がうたれるが、樹下の濃墨の点苔群にいたってもさわがしいところはなく形式化もしていない。そのような樹間の下には、さりげなく漁樵の隠逸のモチーフのうち肩に荷を担う樵夫が、これから畳々と続く主山にわけ入ろうとしている。
 立上った主山左に続く変化に富む谷あいの墨調は、潤筆が比較的大きく便われる。モチーフに応じて筆墨を変えるが、溪流を挾んで突きでた丘陵群には短い渇筆の皴をめだたせる。遠山はのったりとした淡墨のシルエットをつくる。大胆かつ自由きままにそれでいてねらいをはずさない筆墨がみえる。
 「逐旋填剳(除去したり補足したり)、閲すること三、四年」という記述を信ずるなら、画巻の後半ばかりでなく、このあたりから制作日時の隔たる筆がはいっているのかもしれない。
 それはとりわけ樹木の変化にもあらわれているようであり、前景の画巻の進行方向と逆に右方向にかしいだ側筆潤筆中濃墨のいわゆる混点の抜法で描か机た樹叢が、とりわけめだった変化をつけている。幹は他の樹と違い勾勒をせず潤筆でそのままひかれる。
 そうして挿図の終わりあたり第二の主山のピークがくるが、上から穂先を垂直におろして打ったよリ遠くの木立をあらわす三角点が新しいリズムを作りだしていく。……

 このようにこの画巻の単純な記述を試みても尽きない興味があるが、そうした記述ではこの画巻で何か大切なものが抜け落ちてしまうような気がしてならない。
 今述ぺたディテールでの濃淡潤渇筆速筆跡をとりまぜた筆墨の変化の美しさと、画巻を順次展開していく時に繰り出される描かれているものの自在で微妙な疎密と布置の変化とコントラスト、全体の構成のコーダに向けて流れる安定した美しさ、そうした筆墨・描かれているもの・構成の三者に加えて、ここで描かれているものとその筆墨法との関係という点に注目してみよう。
 その関係のあわいに注目しようとする時視えてくる美しさとは、上記の三者の美とは一段階レベルの異る美しさである。今視えるものは、比喩を使えば水晶の球の中に閉じ込められた命ある山々を、ちょうど骨格が透けてみえる深海の生物をみるように見透かしている世界。ガラスの中の立体的な世界を覗くような、現実とは一枚何かで隔てられているがもう一つ別のリアルな世界を視ている印象である。そうした印象はどうして可能なのだろうか。
 それは端的には二次元の紙面上に三次元の立体の山水を視ていることからくるだろう。その視方がこの「富春山居図巻」では、そう視えやすいように描かれている、その描き方が大切なのだ。
 例えぱ第二紙の主山と谷あいの様々な山を視てみよう。主山ではまずその大きな輪郭を淡墨で定めた後、中央手前から積み重なっていくブロックを定める。その時のジグザグに重なっていく前後関係でまず大体の奥行が計画される。次いでそこに披麻皴の淡墨線でモデリングを重ねていく。その時の線はかなり自由に重ねられるはずだが、心のイメージの中でその山の立体の姿があらかじめできており、そう描くにつれてますますはっきりとその立体の様が心にも視えてくる。そうして一つ一つの皴の筆線はランダムだが全体を視ると位置関係はしっかりと、ブロックごとに渇筆で輸郭をきめていく。礬頭や樹木は各々のプロックをつなぐ働きをし、大小濃淡の関係から立体の位置関係を読みとりやすく、立体の表面を視線が頂きまで導きやすくする。
 この過程で基本的に重要なことは二つある。

  1. 心の中に描くべき立体がよって立つ水平面が意図されること

  2. その上に実際の制作過程を見透かすことのできる重層する筆線によった皴でブロックを積重ね立体を構築すること

 1の過程では、心と手の相応ずる関係で重ねられた線と線との位置関係を論理的に読みとりかつ修正しながら進める一種知的な作業が大切になろう。その際この「冨春山居図巻」では立体を描出し積み重ね構築することが骨格となり、宋代山水画にあったような水墨のトーンによりまわりを包む大気や空間を微妙に表わすことは切り捨てられる。ガラスでできた世界のような印象は大気の表現がほとんどなく、ただちに眼は自い紙に擦り込まれたマチエールとしての渇筆を主体とした多様な筆線にむかい、その線と線との前後関係を読みとりながら立体をつかむことからくる。いいかえればそのようなマチエールとしての筆線と意図された立体との矛盾のあわいにそうした印象が生みだされるのである。
 ここで何が間題となっているのだろう。
 2については、線を主体とした二次元の平面での筆墨法が三次元の立体を生み出すことの矛盾である。特に山水画を間題としているここでは、その緊張関係を〈構築〉と呼ぴ、三次元に関わらない二次元平面のみの図形の操作である構成と区別する。
 例えばこの「富春山居図巻」の自然で自発的な構築の質に対し、通称「子明本」と呼ばれるこの図巻の忠実な写しと思われる別の一本では、淡墨線の積みあげからつくられたその緊張関係を壊してしまい、ほとんど構成の側面のみを写しているのである。
 以上元代絵画を代表する優品の一つである「富春山居図巻」をとりあげ、その豊かな特質の中から特に構築性という問題に焦点をあて述べてきた。では「富春山居図巻」にみられた構築性とは、中国山水画史の中ではどのようにとらえられるのだろう。次に構築史という点からそのアウトラインの素描を試みたい。



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 胸中の丘壑2   1990.3写  更新

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