徽宗と画院
参考書
徽宗趙佶1082-1135 神宗の第11子、在位1100-25 金に捕まり北方五国城で没
古美術品の大コレクション『宣和書譜』『宣和画譜』『宣和博古図』
六朝唐五代の古書画に押された収蔵印:宣和御府印七璽(牛克誠論文図1)
宣和御府印7璽の押印位置(牛克誠論文から図3)
翰林書院、画院の改革
1104年書画学の開設(-1110年廃止) 御府所蔵古画を用い自ら指導にあたる
徽宗画院の特徴:厳密な写生花鳥 主要モチーフ以外の省略化 詩画一致
[作品]
書は痩金体、画は写生花鳥を得意とする 画のおびただしい伝承作
書:
初め薛稷に習う、後に黄庭堅も吸収し鶴に似た風姿の痩金体を創造
1104年崇寧三年《小楷書千字文》 素箋本 30.9×322.1cm 上海博物館
1106年大観二年《大観聖作碑》墨拓 378×140cm 原石西安碑林博物館
1110年大観六年楷書《閏中秋月詩帖》 紙本 35×44.5cm 北京故宮博物院
1112年政和二年以降《瑞鶴図卷》題詩 絹本 51×62.5cm 遼寧省博物館
1119年宣和元年《宣和御書-神霄玉清万寿宮詔》墨拓
1122年宣和四年《草書千字文》 描金雲龍箋 31.5×1172cm 遼寧省博物館
12メートル弱、継ぎ目なしの白麻紙に一気呵成に書き上げた会心の作
楷書《欲借風霜二詩帖》 紙本 33.2×63cm 台北故宮博物院
楷書《題欧陽詢張翰帖后跋》 縦25.1cm 北京故宮博物院
楷書《夏日詩帖》 紙本 33.7×44.2cm 北京故宮博物院 中年期
楷書《棣棠花、筍石詩帖》 紙本 各34.8×19.4cm 北京故宮博物院
楷書《題李白上陽台帖》 縦28.5cm 北京故宮博物院 中年期
楷書《牡丹詩帖》 紙本 34.8cm×53.3cm 台北故宮博物院 円熟期
楷書《穠芳詩帖》巻 絹本 27.2×265.9cm 台北故宮博物院 円熟期
楷書《怪石詩帖》 紙本 34.4×42.2cm 台北故宮博物院 方筆
1108年大観二年楷書《題唐十八学士図巻》絹本 台北故宮博物院 コピー
真偽待考の行書:
1117年行書《恭事方丘敕》巻 金花紋絹本五色 39.9×265.7cm 遼寧省博物館
行書《蔡行敕巻》 宝紋金箋纸 35.5×214.6cm 遼寧省博物館 黄庭堅僞跋
行書《噴香舞雪》団扇 金花紋絹本 24.4×23.2cm 哈佛大学フォッグ美術館
草書《掠水堕泥》団扇 絹本 28.4cm 上海博物館
狂草書《絳霄紫庭帖》墨拓 28×82cm 原石安徽省博物館
画:
初め花鳥画家崔白の弟子の呉元瑜に学び繊細典雅な「宣和体」を創造
水墨と着彩の二画風による花鳥山水伝承作約20件ほどのうち
少数の水墨画が徽宗自筆、着彩画が画院画家代筆(徽宗署名)の可能性
“徽宗翎毛尤註意。多以生漆点睛,隠然豆許,高出紙素,幾欲活動。”(南宋鄧椿『画継』)
●水墨花鳥
《池塘秋晩図卷》 蔓草紋粉箋紙 墨画 33×237.8cm 台北故宮博物院
卷前「宣龢」印 巻後「天下一人」偽押書+「御書」偽葫蘆印
長巻の前半(巻尾第3紙は短く切断され後人が偽押印を加える)
水辺 紅蓼 水蜡燭(がま) 荷葉 水草 白鷺 鴛鴦(鳥の眼は黒漆を点睛)
《柳鴉蘆雁図卷》2段 紙本墨画着色 34.5×224.5cm 上海博物館
柳鴉図 墨淡彩(藍) 右下「宣和中秘」印 左上「御書」葫蘆印(後人描印)
古柳一枝 3白頭鴉
蘆雁図 墨着色(岱赭) 「天下一人」偽押書 「紫宸殿御書宝」印(描印)
池塘辺 3金塘雁 蘆竹蓼花 コピー(柳鴉図とは別人の筆)
《写生珍禽図卷》12段 紙本墨画 27.5×521.5cm 龍美術館
白画 細線勾勒に水墨染を多用
戴勝(ヤツガシラ)、雀等 梅枝、竹枝等12首 偽徽宗双螭印11、「宣和」印
乾隆帝題:“杏苑春声”“薰風鳥語”“薝匐棲禽”“蕣花笑日”
“碧玉双棲”“淇園風暖”“白頭高節”“翠篠喧晴”(4図竹雀)
“疏枝喚雨”“古翠嬌紅”“原上和鳴”“楽意相関”
著録:鄧椿『画継』、夏文彦『図絵宝鑑』、『南宋館閣録続録』、『墨縁匯観』等
梁清標、安岐等→清内府→1930年上海→藤井有鄰館→2002年嘉徳春拍2530万元→ベルギー・ユーレンス→2009年保利拍売6171.2万元→龍美術館
後に黄君実が写生珍禽図の拖尾長尾甲、張大千跋を龍美術館に贈る
張珩、謝稚柳、徐邦達、啓功、傅熹年:徽宗親筆(徐:19歳継位前の作)
陳佩秋、陳伝席:偽
《四禽図巻》 紙本墨画 ネルソン美術館
宣和印押印状況:
宣龢 宣和 政和 双龍
杏花山雀 2 0 0 1
棠上蜡嘴 1 1 1 1
雀噪寒梅 1 0 1 1
竹枝山鵲 0 0 1 0 「天下一人」押書+「御書」方印
淳祐二年(1242)俞松、年羹堯、項元汴跋 乾隆題簽、題詩
清内府…香港台湾收蔵家・林百里…程琦…ネルソン美術館
著録:『石渠宝笈』初編巻十四養心殿五
張大千跋:
「此四禽圖為道君皇帝親筆,清逸之氣溢於豪素,非若院中名手徒以精麗見長,生平所見自當以此為第一。寒齋所藏蘆汀雙鴨略可隨肩,他則不可同日而語也。癸巳(1953)六月逭暑屯門,南屏道兄攜來共賞,欣然記此。張大千爰。」
秦孝儀題跋:
「宋徽宗出入二氏,雅好書畫花鳥,嘗於翰林寘書藝、畫圖二侷,又置花石綱,後者遂令天下騷然,世知徽宗書藝以瘦金體著,畫藝以蘤鳥著,此七禽圖夙為乾隆內府神品,張大千謂此圖為其生平所見道君第一,百里先生得此劇蹟,出以相,且以加題相屬,此亦宜為百里廣雅寶笈第一也。丁卯長夏秦孝儀心波仙人舊館,時年八十既四。」
秦孝儀再題〈四禽図卷〉觀後三絕句
其一:「兩兩時禽去又來,幾枝和露倚雲栽,看他劫劫塵塵外,生面依然別樣開。」
其二:「兩宋慌忙五國城,落花啼鳥自精神,人言虛負屠龍手,我自憐君畫入神(精神為天真之誤。)」
其三:「為惜人間劫火連,零縑巨幛日重編,相逢寶笈瑯嬛地,笑看三千復大千。」
跋文:「百里寶笈為天下甲觀,而大千書畫尤富擅一時,跋後又係之以三絕句,書成一笑。心波賸墨。」
《枇杷山鳥図》団扇形 絹本墨画 22.6×24.5cm 北京故宮博物院
「天下一人」押書+「御書」葫蘆印
沒骨墨画 蒼勁細膩
清乾隆題“結實圓而橢,枇杷因以名。徒傳象厥體,奚必問其聲。
鳥自託形穩,蝶還翻影輕。宣和工位置,何事失東京。”
《鴝鵒図》 紙本墨画淡(松笠) 88.2×52cm 南京博物院
3鴝鵒(くよく 八哥鳥(はっかちょう)叭叭鳥) 長針の松枝に1匹、争う2匹
崔白双喜図上部の構成→呉元瑜→徽宗…元人墨戯松田などの系譜に属する画か
左上「天下一人」押書+「御書」方印 乾隆題詩、八璽 嘉慶帝印1
「虚齋精士品」朱文印、他4収蔵印
表装左右辺題:咸豊帝、奕誴、奕訢、許乃普、沈兆霖和詩
清内府、光緒年間流出→南海銕画楼玉峰周→民国期龐萊臣
万新華説:原作の破損厳重のため龐萊臣が陸恢に臨模本2本を作らせ「原作は毁去」
→A模本:1936年原田尾山(謹次郎)が購入→デトロイト美術館
→B模本?:1950年龐家が南博に捐給 乾隆詩塘題「活潑潑地」は原作から合装
現在の南博本は民国期の陸恢模本Aとは筆が異なり原作そのものか
古代書画鑑定組1986年10月8日鑑定:真迹 労継雄:甚疲,南宋画
●水墨山水
《溪山秋色図》 紙本墨画淡彩 97×53cm 台北故宮博物院
北宋末南宋初小景画? 中央上偽「天下一人」押書+「御書」葫蘆印
主山は左半、上三分の一が余白 雲霧、煙靄、野水 人事細線輪郭
《晴麓横雲図》 紙本墨画淡彩 154.5×61.2cm 大阪市立美術館
中央上「晴麓橫雲」痩金書+「御書之宝」一辺約15㎝の大方印(偽?)
主山は中下、上三分の二が余白 雲霧、煙靄、野水 人事細線輪郭
南宋張澄『画録広遺』“(徽宗)作朝雲弄日。晚雨昬江。漁市晨煙。江村晚靄。遥山驟雨。迭嶂残霞。霧鎻松溪。雪迷山路。澄江印月。晴麓横雲。春穀氷銷。秋山雨霽。官橋雨栢。野渡風松。毎景御題其目。印以「御画之宝」。宝縦広五寸。泱泱哉天人之極趣也。”
北宋末南宋初屏風画?→溪山秋色図・晴麓横雲図の屏風としての復元(上図)
民国汪向叔(1922年『麓雲楼書画記略』)》→韻古斎韓少慈→阿部房次郎→1942年大阪市立美術館
收蔵印:「士元珍玩」印、2印不辨
●着彩花鳥
《桃鳩図》 絹本着色 28.4×26cm 日本個人
瘦金体書“大觀丁亥御筆” 「天下一人」押書+「御書」方印
足利義満「天山」印…井上家…摂津雅陶堂
黑漆点睛 瘦金書やや稚嫩、1107年徽宗26歳早年の作か
【宣和睿覧冊】
徽宗が見聞した瑞物瑞祥を描いた図
1冊15図累計千冊15000幅に及び古今の美の冠絶であった(『画継』巻一)
※宣和睿覧集:徽宗が編纂させた古画集 冊と集と間違えないように
〔第一冊〕其後(政和五年1115年以降)以太平日久,諸福之物,可致之祥,湊無虛日,史不絕書。
動物則赤烏、白鵲、天鹿、文禽之屬,擾於禁籞;
植物則檜芝、珠蓮、金柑、駢竹、瓜花、來禽之類,
連理並蒂,不可勝紀。乃取其尤異者,凡十五種,
寫之丹青,亦目曰《宣和睿覽冊》。
〔第二冊〕復有素馨、末利、天竺、娑羅,種種異產,究其方域,窮其性類,賦之於詠歌,載之於圖繪,續為第二冊。
〔第三冊〕已而,玉芝競秀於宮闥;甘露宵零於紫篁。
陽烏、丹兔、鸚鵡、雪鷹,越裳之雉,玉質皎潔,鸑鷟之雛,金色煥爛。
六日七星,巢蓮之龜;盤螭翥鳳,萬歲之石。
並幹雙葉,連理之蕉,亦十五物,作冊第三。
〔第四冊〕又凡所得純白禽獸,一一寫形,作冊第四。
〔第五冊以降第千冊まで〕增加不已,至累千冊。各命輔臣題跋其後,實亦冠絕古今之美也。(『画継』巻一)
徽宗「御書」自用印比較:右から瑞鶴図a印、祥龍石図b印、五色鸚鵡図
(「御書」印も様々ある 自用印約5.3×5.2cm、収蔵印約5.0×5.0cm)
【宣和睿覧冊から遺された三図】
①《瑞鶴図卷》 絹本着色 51×138cm 遼寧省博物館
画書の順 画:正面から見た宮殿(宣徳門?)の鴟尾に2、空中に18の丹頂鶴
空の色は汝窯の天青色に通じる
徽宗題書:痩金体の典型
政和壬辰(1112)上元之次夕,忽有祥雲拂郁低映端門,衆皆仰而視之。倐有群鶴飛鳴於空中,仍有二鶴對止於鴟尾之端,頗甚閑適。餘皆翺翔,如應奏節。往來都民無不稽首瞻望,嘆異久之。經時不散,迆邐㱕飛西北隅散。感玆祥瑞,故作詩以紀其實:
清暁觚稜拂彩霓,仙禽告瑞忽來儀。飄飄元是三山侶,兩兩還呈千歲姿。
似擬碧鸞棲寶閣,豈同赤雁集天池。徘徊嘹唳當丹闕,故使憧憧庶俗知。
御制御畫並書 「天下一人」押書+「御書」方印a
拖尾:元末明初釈来復跋 『石渠宝笈』続編著録
收藏印:「樗隠」「翠竹黄花」「沙門来復」「平生真賞」「呉彦良氏」 清内府印
②《五色鸚鵡図卷》 絹本着色 53.3×125.1cm ボストン美術館
書画の順 画:1鸚鵡(紺頭丹嘴白頸紅胸緑羽、青足) 杏枝杏花盛開
徽宗題書:痩金体の典型
五色鸚鵡來自嶺表,養之禁籞,馴服可愛,飛鳴自適,往來於苑囿間,方中春,繁杏遍開,翔翥其上,雅詫容與,自有一種態度。縱目觀之,宛勝圖畫。因賦是詩焉:
天產乾皋此異禽,遐陬來貢九重深。體全五色非凡質,惠吐多言更好音。
飛翥似怜毛羽貴,徘佪如飽稻粱心。緗膺紺趾誠端雅,為賦新篇步武吟。
(御)制(御畫)並(書) 「天下一人」押書+「御書」方印b
拖尾: 張允中五跋『石渠宝笈』初編巻二十六著録
收藏印:元文宗「天曆之寶」、清初戴明說、宋犖「商邱宋犖審定真跡」印 清乾隆、嘉慶內府印
元内府…明末戴明説→清初宋犖→乾隆内府(重裱時徽宗題詩が前に)嘉慶内府→恭親王奕訢…孫溥偉、溥儒等售予古董商→1925年張允中→山本悌二郎(1931年『澄懐堂書画目録』著録)…ボストン美術館
③《祥龍石図卷》 絹本着色 53.9×127cm 北京故宮博物院
石上部に痩金体金字「祥龍」 「宣和殿寶」偽大印
祥龍石者,立於環碧池之南,芳洲橋之西,相對則勝瀛也。其勢勝湧,若虯龍出為瑞應之狀,奇容巧態,莫能具絕妙而言之也。廼親繪縑素,聊以四韻紀之:
彼美蜿蜒勢若龍,挺然為瑞獨稱雄。雲凝好色來相借,水潤清輝更不同。
常帶瞑煙疑振鬣,毎乘宵雨恐凌空。故憑彩筆親模寫,融結功深未易窮。
御制御畫並書 「天下一人」押書+「御書」方印
拖尾:清 陳仁濤、呉栄光跋
收藏印:元內府“天曆之寶”等印 張大千旧蔵
《臘梅山禽図》 絹本着色 83.3×53.3cm 台北故宮博物院
冬日の臘梅 2白頭翁
『宋中興館閣儲藏圖畫記』徽宗八扇屏之一〈香梅山白頭〉?
痩金体書:山禽矜逸態,梅粉弄輕柔。已有丹青約,千秋指白頭。
宣和殿御制並書。 「天下一人」押書+「御書」方印
收蔵印:元文宗「天曆之寶」、「奎章閣寶」朱文大印 清朝内府印
《芙蓉錦雞図》 絹本着色 81.5×53.6cm 北京故宮博物院
痩金体書:秋勁拒霜盛,峨冠錦羽鷄。已知全五德,安逸勝鳧鷖。
宣和殿御制並書。「天下一人」押書+「御書」方印
收蔵印:元文宗「天曆之寶」、「奎章閣寶」朱文大印 清朝内府印
《花鳥図》頁 絹本着色 25.2×26.5cm ベルリン東アジア美術館
烏の眼は黒漆点睛か 優作
「天下一人」押書+「御書」葫蘆印
北京→桑名鉄城(1903年富岡鉄斎、今泉雄作等跋『唐宋元三朝名畫冊』12開の一頁)→独国
《臘梅双禽図》頁 絹本着色 25.8×26.1cm 四川省博物館
烏の眼は黒漆点睛 優作
“御筆”、「天下一人」押書+「御書」葫蘆印 収蔵印「于縢私印」
《白眉小禽図》 絹本着色 日本個人藏 無落款 烏の眼は黒漆点睛
《梅花綉眼図》頁 絹本着色 24.5×24.8cm 北京故宮博物院
烏の眼は黒漆点睛 全体に描写弱い コピー
“御筆”、「天下一人」押書+「御書」葫蘆印 収蔵印「阿蒙祕笈」
《翠竹双禽図(竹禽図)》 絹本着色 33.8×55.4cm メトロポリタン美術館
烏の眼は黒漆点睛
右辺:「天下一人」押書+「御書」印(後添?)
趙孟頫跋“此巻不用描墨,粉彩自然,宜為世宝。”
題跋: 趙孟頫、黄中、項元汴、宋犖、張大千跋 『珊瑚網』『妮古録』著録
收藏印:趙、松雪斎、趙孟頫印、趙氏子昂(以上四印趙孟頫)
晋府図書、項元汴、張大千、顧洛阜諸收藏印
《紅蓼白鵝図》 絹本着色 132.9×86.3cm 台北故宮博物院
元時代画? 「宣和殿寶」大印(一辺約9.5cm)は後添?
《水仙鶉図》 紙本墨画着色 27×42cm 淺野家長勳 長武
「御書」葫蘆大印、「政和」小印(描印)他不明2印 他にない柔和な描写
優れた南宋院体画、印は後添 江戸 竹沢養渓模本
《鴨図》頁 絹本着色 37.9×25.8cm 五島美術館
左下「紹勳」朱文葫蘆印 『宋元名畫』聚樂社所収
明 沐紹勳1504-1536…東山御物…1569年博多屋宗寿の茶会の1幅?
博多宗寿、平野宗恵の各々が鴨図を所蔵した(津田宗及『天王寺屋会期』)
やや粗野な風格は元末明初辺文進などに近い画か 南宋中期画院(板倉)
《石榴小禽図》頁 絹本着色 根津美術館 1-1 南宋画?
《枇杷小禽図》 絹本着色 根津美術館 1-3 款印 南宋画
《双禽図》団扇 絹本着色 根津美術館 1-23「御書」印 南宋院体画のコピー
《猫図》 絹本着色 22.8×27.2cm 無落款 日本個人
やや怪異な様は銭選に近い元画 2023年根津美術館展示では北宋とされる
東山御物(足利将軍家蔵品)…水戸徳川家→個人
『御物御画目録』では李公麟《草衣文殊》徽宗《犬図》と三副一組
菱田春草1901年《白き猫》春草会に影響、1910年◎《黒き猫》永青文庫に結実
岸田劉生1926年《猫図》
《猫図》 絹本着色 無落款 日本個人
左向き左足先を舐める猫 図版『宋元名畫集』聚楽社1936年所収
古典として日本画壇へ影響
江戸勝川春章模
佐久間岩琢模
菱田春草23歳模《猫図》東京藝術大学
竹内栖鳳1924年《班猫》山種美術館
《御鷹図》 絹本着色 林緝光個人 画面傷み
蔡京1114年題:萬物賦形。稟氣於八方。隨方受色。其形不同。其色亦異。莫能易也。故鵬鷃不能移其色於鴻鵠。鸞鳳不能變其文於鳧雁。鳥黑鷺白。雞丹雀黃。皆自然之理。鷹。西方之禽。其性鷙。其色蒼。未聞有色白者。皇帝陛下德動天地。仁及飛走。齊陰陽之化。同南北之氣。無彼疆此界之隔。羽毛動植。易形變色。以應盛德之感。為國嘉瑞。
臣昨得至後菀。見大鷹立架上。其色純素。心甚異之。伏懞宣示鷹圖。恍然若身再到。雄姿勁翮。高鬐短頸。望之若浮雲輕鷗。真所謂應誠而至者。非特羽物效祥。神筆之妙。無以復加。
政和四年十月五日。太師魯國公臣蔡京謹題。
《六鶴図》冊6頁 絹本着色 コピー
倣薛稷、黄荃六鶴図 第6図「宣和殿御制」痩金体書+「御制」方印
944年黄荃六鶴図:唳天、驚露、啄苔、舞風、疏翎、顧步
●着彩山水
《雪江帰棹図卷》 絹本着色 30.3×190.8cm 北京故宮博物院
江南と北方山水の融合 やや奥行を欠く 北宋後期皇室画風 王詵の風格
巻頭:瘦金体書“雪江歸棹圖” 双龍小方印
巻尾:瘦金体書“宣和殿制” 「天下一人」押書+「御書」葫蘆印
北宋宣和内府七璽の押印法は徽宗親筆を示す用印か
巻首乾隆題:勣素超神
卷後:蔡京(写四時之景の四件)、王世貞、王世懋、董其昌跋
收蔵印:梁清標諸收藏印,清内府諸璽 『石渠宝笈』續編著録
参考:《雪江帰棹図卷》模本 エール大学美術館 譚敬造?
東山御物《四季山水図》4幅
《春景山水図》 所在不明 戸田「劉松年の周辺」東文紀要86参照
●伝胡直夫《夏景山水図》 久遠寺
●伝 徽宗《秋景山水図》 128.2×55.2 金地院 金泥雲 説明的な細部
●伝 徽宗《冬景山水図》 128.2×55.2 金地院 梁楷の皴法
南宋中後期 中国「仲明珍玩」「盧氏家蔵」印…→日本足利義満「天山」印
10代将軍足利義稙(よしたね)→大内氏→妙智院→金地院崇伝
●着彩人物
《摹張萱搗練図巻》 絹本着色 37×145.3cm ボストン美術館 極精の作
宮廷仕女12人 搗練、縫紉、熨燙の三場面 極精密の描写
隔水:金 章宗完顔璟題簽“天水摹張萱搗練図”、清 高士奇題簽
拖尾:元 張紳、清 高士奇2、羅文彬跋
收蔵印:秘府、明昌、明昌宝玩、御府宝絵、内殿珍玩、群玉中秘
《摹張萱虢国夫人游春図》 絹本着色金泥 52.1×147.7cm 遼寧省博物館
八騎九人の出行 先頭「三花馬」に乗る金泥花紋の男子
隔水:金 章宗完顔璟題簽“天水摹張萱虢国夫人游春図”、清 高士奇題簽
巻尾:王鐸1649年跋
收蔵印:「明昌」「明昌宝玩」「御府宝絵」「内殿珍玩」「群玉」「台州市房務扺當庫記」「紹勛」「長」「梁清標印」「蕉林居士」「秋碧」「蒼嵒子梁清標玉立氏印章」「蕉林秘玩」「蒼嵒子」「観其大略」「蕉林鑒定」「安儀周家珍藏」「朝鮮人」「安岐之印」 清内府印
《聴琴図》 絹本着色 147.2×51.3cm 北京故宮博物院 保存状態極良
道冠玄袍の徽宗が撫琴、紅袍・緑袍の朝士が聴琴 1童子
几案に薰炉、玲瓏石上の古鼎に月季花 蔦花の青松と綠竹が背景
琴は太宗が制作させた九弦琴(太宗政治護持の象徴)
徽宗題款:聽琴圖。 「天下一人」押書+「御書」方印
題: 吟徵調商竈下桐,松間疑有入松風。仰窺低審含情客,似聽無弦一弄中。
臣京謹題
《文会図》 絹本着色 184.4x123.9cm 台北故宮博物院
宴席に8学士 周囲に点茶法で茶をたてる童子など12人 大樹、柳、青竹
題款:題文會圖。
儒林華國古今同。吟詠飛毫醒醉中。多士作新知入彀。畫圖猶喜見文雄。
「天下一人」押書+「御書」方印
蔡京和詩
水墨画の中国的リアリズムの爛熟
逸伝の宮廷画家の画巻、王希孟《千里江山図卷》と張択端《清明上河図卷》
王希孟1113年《千里江山図卷》
[王希孟の生涯]
徽宗朝の宮廷画家 宋元史料にない(この時代の画家によくあること)
11C末生 16、17歳頃画院生徒
宮中の文書庫に入り画を献じる 徽宗皇帝から親しく指導を受ける
1113年半年足らずで《千里江山図卷》を完成
北宋 蔡京跋“政和三年(1113)四月八日賜。希孟年十八歳,昔在画学爲生徒,召入禁中文書庫,数以画献,未甚工,上知其性可教,遂誨諭之,親授其法。不逾半歳,乃以此図進。上嘉之,因以賜臣。京謂天下士在作之而已。”
清 宋犖『論画絶句』附注 王希孟完成此卷後,不久便溘然離世
[作品]
絹本着色 51.5×1191.5cm 北京故宮博物院 高精細画像
色彩:岩絵具のグラデーションの問題
古代青緑山水(隋展子虔、唐李思訓、李昭道など)の復興(北宋王詵など)+最新の水墨技法
代赭(褐色)を背景に石青(群青アズライト)、石緑(緑青マラカイト) 極力グラデーションを行う「色如宝石,光彩奪目」
構成:画巻中央左の主山を中心 画面中央に安定した水平線 大観山水
南方の山水、江南の水郷のイメージ+北方山水の嶮しい山岳
南北山水の融合(王希孟は江南人?)
元 書家 李溥光跋“在古今丹青小景中,自可独歩千載,殆衆星之孤月耳。”
[来歴]
北宋 蔡京跋
南宋 内府(巻前「緝煕殿宝」印)
元 1303年李溥光跋
清 梁清標題簽 宋犖 内府へ
中国 北京故宮博物院へ
[他の宋代青緑山水]
宗室の青緑山水画家 王詵1048-1104頃、趙伯駒、趙伯驌1124?-1182?兄弟
王詵 煙江畳嶂図巻 絹本着色 45.2×166cm 上海博物館
趙伯駒 江山秋色図巻 絹本着色 55.6×323.2cm 北京故宮博物院
1375年朱標跋 youtube動画
趙伯驌 万松金闕図巻 絹本着色 27.7×135.2cm 北京故宮博物院
趙孟頫、1372年倪瓚、張紳跋 youtube動画
張択端《清明上河図卷》
[張択端の生涯]
失伝の画家の一人 徽宗朝あるいは金の宮廷画家 界画(定規などを用い描く画)が得意
金 張著跋“翰林張択端、字正道。東武(山東省諸城)人也。幼読書,遊学于京師。後習絵事。本工其界画,尤嗜於舟車、市橋、郭径別成家数也。按『向氏評論図画記』云 《西湖争標図》《清明上河図》選入神品。蔵者宜宝之。大定丙午(1186)清明後一日、燕山張著 跋”
[作品] 絹本淡彩 24.8×528cm 北京故宮博物院蔵 北京故宮高精細画像
清明節(陰暦春分の日から15日めの節句、新暦4月5日頃)の季節
北宋の都、汴京(河南省開封)汴河両岸と城門内外(内城東南の東角子門?)の都市生活風景
北宋の最も進んだリアリズムの視点
散点透視法(現代中国の説明、複数の視点が複合した透視法)など
大きく三段:(前後切れているか)
〔首段〕 郊外の風景 農村 旅人 駕篭の一行
〔中段〕 城外汴河の透視法(短縮遠近法)の船 虹橋(上土橋?)下の緊張した瞬間 群衆
〔後段〕 城門楼(東角子門?) 城内の街道 大小の店 酒店本店 寺観 車馬や駱駝
おりおりの細密な風俗描写;
紳士、官吏、仆役、販夫、走卒、車轎夫、大工、芸人、理髪、医生、易者、貴家の婦女子供、行脚の僧、乞食などの人物
轎子、駝隊、牛、馬、驢車、人力車 串車、太平車、平頭車など交通工具
跋:金 張著、元 楊準、明 呉寛など13家の題記、96方印
第一跋:金1186年張著
翰林張擇端,字正道,東武人也。幼讀書,遊學于京師,後習繪事。本工其界畫,尤嗜於舟車、市橋、郭徑,別成家數也。按:『向氏評論圖畫記』云『西湖爭標圖』、『清明上河圖』選入神品,藏者宜寶之。大定丙午,清明后一日,燕山張著跋。
第二跋:金 張公藥
通衢車馬正喧闐,祗是宣和第幾年。
當日翰林呈畫本,升平風物正堪傳。
水門東去接隋渠,井邑魚鱗比不如。
老氏從來戒盈滿,故知今日變丘墟。
楚柂吳檣萬里舡,橋南橋北好風煙。
喚回一餉繁華夢,簫鼓樓台若箇邊。
竹堂張公藥
第三跋:金 酈權
峨峨城闕舊梁都,二十通門五漕渠。
何事東南最闐溢,江淮財利走舟車。
車轂人肩困擊磨,珠簾十里沸笙歌。
而今遺老空垂涕,猶恨宣和與政和。(宋之奢靡至宣政間尤甚。)
京師得複比豐沛,根本之謀度漢高。
不念遠方民力病,都門花石日千艘。(晚宋花石之運,來自此門。)
鄴郡酈權
第四跋:金 王磵(1126-1203)
歌樓酒市滿煙花,溢郭闐城百萬家。
誰遣荒涼成野草,維垣專政是姦邪。
兩橋無日絕江舡,(東門二橋。俗謂之上橋、下橋。)十裏笙歌邑屋連。
極目如今盡禾黍,卻開圖本看風煙。
臨洺王磵
第五跋:金 張世積
畫橋虹臥浚儀渠,兩岸風煙天下無。
滿眼而今皆瓦礫,人猶時複得璣珠。
繁華夢斷兩橋空,唯有悠悠汴水東。
誰識當年圖畫日,萬家簾幕翠煙中。
博平張世積
第六跋:元1352年楊準
右故宋翰林張擇端所畫清明上河圖一卷。金大定間燕山張著跋云向氏圖
畫記所謂選入神品者是也。我
元至正之辛卯,准寓薊日久,稍訪求古今名筆以新耳目。會有以茲圖見
喻者,且云圖初留秘府,後爲官匠裝池者以似本易去,而售於貴官某氏,
某後守真定,主藏者複私之以鬻于武林陳某,陳得之且數年,坐他
事稍窘急,又聞守且歸,恐遂速禍怨,思欲密付諸賢士君子。准聞
語,即傾橐購之,蓋平生癖好在是也。卷歬有徽廟標題,後有亡金
諸老詩若干首,私印之雜誌於詩後者若干枚。其位置若城郭市橋
屋廬之遠近高下,草樹馬牛驢駝之小大出沒,以及居者行者舟車之往
還先後,皆曲盡其意態而莫可數計,蓋汴京盛峕偉觀也。汴自朱梁
來,消耗極矣,至宋列聖修養百年,始獲臻此甚盛,其君相之勤勞,
閭井之豐庶,俗尚之茂美,皆可按圖想其萬一。吾知畫者之意,蓋將以觀
當時而夸後代也,不然則厄於時而思殫其伎,以傑然自異于衆史也,
何其精能之至,而毫髮無遺恨歟!此豈一朝一夕所能就者?其用心亦良
苦矣。夫何京・攸父子以權奸柄國,使萬姓愁痛強虜桀驁而汴之受
禍,有不忍言者意。是圖脫稾曾幾何時,而向之承平故態已索然荒
烟野草之不勝其感矣。當是峕城外內之金帛珍玩根括殆盡,而是圖
獨淪落至今逾二伯年而未甚弊壞,豈有數耶。自時厥後,其地
遂終不睹漢官而困於戰爭且日甚,雖欲求卷中所圖仿佛又安可
得矣。烏乎!都邑廢興雖系運數而人謀弗臧,蓋各有自。天津
聞鵑之歎,崇宣秉鈞之虐,謂非基於熈豐大臣之謬誤可乎!其
所以之汴之陸沈而不可複振者,亦必有任其貴矣。今天下一家,歬代
故都咸沐
聖化,其生聚浩穰宜不减昔,惜吾未淂一一躬造其地以覽觀
其盛,故於是卷既嘉起筆墨之工,而又因以識予之感慨云。至
正壬辰(1352)九月望日,西昌玉崋素士楊準 跋。
第七跋:元1354年劉漢
余自幼喜畫,學業之四十年平生所見古今畫以軸計者,奚啻累千百,其精粗高下要皆各擅一絕,往往不能兼備。壬辰秋,避地來西昌,楊君公平以余之專門也,出所藏清明上河圖以示。其市橋郭徑舟車邑屋草樹馬牛以及於衣冠之出沒遠近,無一不臻其妙。余熟視再四,然后知宇宙間精藝絕倫有如此者。向氏所謂選入神品誠非虛語,而或者猶以井蛙之見妄加疵纇甚矣!其不知子都之姣而亦何足為是圖輕重哉?嗚呼!此希世玩也!為楊氏子若孫者,當珍襲之。
至正甲午(1354)正月望,新喻劉漢謹跋。
第八跋:元1365年李祁
靜山周氏文府所藏清明上河圖,乃故宋宣政年間名筆也,筆意精妙,固自宜入神品。觀者見其邑屋之繁,舟車之盛,商賈財貨之充羨盈溢,無不嗟賞歆慕,恨不得親生其時親目其事。然宋祚自建隆至宣政間,安養生息百有五六十年,太平之盛蓋已極矣。天下之勢未有極而不變者,此固君子之所宜寒心者也。然則觀是圖者,其將徙有嗟賞歆慕之意而已乎,抑將猶有憂勤惕厲之意乎!噫,後之為人君為人臣者,宜以此圖與無逸圖並觀之,庶乎其可以長守富貴也。
歲在旃蒙大荒落。雲陽李祁題。「李氏一初」「不二心老人」
第九跋:明 呉寬
金燕山張著以此圖為張擇端筆,必有所據,至後人乃以擇端作于宋宣政間。今畫譜具在,當時有如斯人斯藝而獨遺其名氏何耶?大卿朱公藏此畫已久,予始獲展閱,恍然如入汴京置身流水游龍間但少塵土撲面耳。朱公云此圖有稿本在張英公家,蓋其經營布置各極其態信非率易所能成也。吳寬。
第十跋:明 李東陽1跋
宋家汴都全盛時,萬方玉帛梯航随,清明上河俗所尚,傾城士女携童兒。
城中萬屋翬甍起,百貨千商集成蟻,花棚柳市圍春風,霧閣雲牎粲朝綺。
芳原細草飛輕塵,馳者若飈行若雲,虹橋影落浪花裏,捩舵撇篷俱有神。
笙歌在樓遊在野,亦有驅牛種田者,眼中苦樂各有情,縱使丹青未堪寫。
翰林畫史張擇端,研朱吮墨縷心肝,細窮毫發夥千萬,直與造化爭雕鐫。
圖成進入緝熈殿,御筆題籤標卷面,天津回首杜鵑啼,倏忽春光几回變。
朔風捲地天雨沙,此圖此景復誰家,家藏私印屢易主,贏得風流後代誇。
姓名不入宣和譜,翰墨流傳籍吾祖,獨從憂樂感興衰,空吊環洲一杯土。
豐亨豫大紛此徒,當時誰進流民圖,乾坤頫仰意不極,世事榮枯無代無。
宋張擇端清明上河圖今大理卿致仕鶴坡朱公所藏也。族祖希蘧先生之遺墨在焉。予三十年前見之,今其卷帙完好如故,展玩絫日,為之歎惋不能已,故題其後。弘治辛亥(1491)九月壬子,太常寺少卿兼翰林院侍講學士,雲陽李東陽 識。
第十一跋:明1515年李東陽2跋
右《清明上河図》一卷宋翰林畫史東武張擇端所作。
“上河”云者,盖其時俗所尚,若今之上塚然,故其盛如此也。
圖高不滿尺,長二丈有竒,人形不能寸小者纔一二分。他物稱是。自遠而近,自略而祥,自郊野以及城市。山則巍然而高,隤然而卑,窪然而空。水則澹然而平,濶然而深,迤然而長引,突然而湍急。樹則槎然枯,欎然秀,翹然而高聳,蓊然而莫知其所窮。
人物則官、士、農、賈、毉、卜、僧、道、胥、隷、篙師、纜夫、婦女、臧獲之行者、坐者、授者、受者、問者、答者、呼者、應者、騎而馳者、負者、戴者、抱而擕者、導而前呵者、執斧鋸者、操畚鍤者、持杯鑍者、袒而風者、困而睡者、倦而欠伸者、乘轎而搴簾以窺者,又有以板為與無輪箱而陸曳者、有牽重舟泝急流極力寸進、圜橋匝岸駐足而旁觀皆若交驩助叫而百口同聲者;驢、驘、馬、牛、橐、駞之屬則或馱、或載、或臥、或息、或飲、或秣、或就囊齕草首入囊半者。
屋宇則官府之衙,市廛之居,村野之莊,寺觀之廬;門寏、屏障、離壁之制,間而層出。店肆所鬻則若酒、若饌、若香、若藥、若雜貨百物,皆有題扁名氏,字畫纖細幾至不可辨識。
所謂人與物者其多至不可指數,而筆勢簡勁意態生動,隱見之殊形向背之相準不見其錯誤改竄之跡。殆杜少陵所謂毫髮無遺憾者,非蚤作夜思日累歲積不能到,其亦可謂難已。
此圖當作於宣政以前豐亨豫大之世,卷首有祐陵瘦筋五字籤及雙龍小印,而畫譜不載。金大定间燕山张著有跋據向氏書畫記謂與西湖爭標圖俱選入神品;既歸元秘府,至正間為裝池官匠以似本易去售于貴官某氏,某出守真定,主藏者復私之以售于武林陳彥廉氏,陳有急又聞守且歸懼不能守,西昌楊準重價購之而具述其故;云爾後又為靜山周氏所得,吾族祖雲陽先生為跋其後。又有“藍氏珍玩”、“吳氏家藏”諸印,皆無邑里名字,不知何年復入京師。
予始見于大理卿朱文徵家,為賦長句;繼為少師徐文靖公所藏,公未屬纊謂雲陽手澤所在,治命其孫中書舍人文燦以歸于予。其卷軸完整如故,蓋四十餘年凡三見而復得也。嗚呼,韓退之畫記其所繫幾何,旋復喪失,獨其文奇妙故傳之至今。今有圖如此,又於予有世澤之重,而予之文不足以發之,姑撮其要如此,且以見夫逸失之易而嗣守之難,雖一物而時代之興華家業之聚散闋焉,不亦可慨也哉?噫!不亦可鑒也哉。
正德乙亥三月二十七日,李東陽書于懷麓堂之西軒。「懷麓堂印」「大學士章」
第十二跋:明1524年陸完
圖之工妙入神,論者已備。
吳文定公訝宣和畫譜不載張擇端,而未著其說。近閱書譜乃始得之。蓋宣和書畫譜之作,專於蔡京。如東坡、山谷,譜皆不載,二公持正,京所深惡耳。擇端在當時必亦非附蔡氏者。畫譜之不載擇端,猶書譜之不載蘇、黃也。小人之忌嫉人,無所不至如此。不然則擇端之藝其著於譜成之後歟。
嘉靖甲申(1524)二月望日,長洲陸完書。
第十三跋:明1578年馮保
余侍
御之暇嘗閱圖籍。見宋時張擇端清明上
河圖。觀其人物界劃之精、樹木舟車之
玅、市橋村郭逈出神品,儼真景之在目
也!不覺心思爽然。雖隋珠和璧不足
云貴,誠希世之珍歟,宜珍藏之。時
萬歷六年(1578)歲在戊寅仲秋之吉,
欽差總督東廠管校辦事兼掌御用監事
司禮監太監鎮陽雙林馮保跋。
第十四跋:如壽(明末清初の福建厦門僧如寿か)
汴梁自古帝王都,興廢相尋何代無。
獨惜徽欽從北去,至今荒草徧長衢。
妙筆圖成意自深,當年景物對沉吟。
珍藏易主知多少,聚散春風何處尋。
鷺津如壽
[来歴]
北宋末 張択端作
金 1186年張著
元 内府→1352年以前民間へ 杭州陳彦廉→至正辛卯蜀人楊準“…卷首有徽廟標題,後有亡金諸老詩若幹首…”→静山周氏
明 宣徳年間李賢 1491前後朱奎(文徴)→宜興の徐溥(文靖)→
正德乙亥1515李東陽1447-1516“…大定間燕山張著有跋,…西昌楊準重價購之,而具述其故云,…其卷軸完整如故,…”
→1524陸完1458-1526→昆山顧鼎臣1200金で入質→
嘉靖年間厳嵩1480-1565、子厳世蕃 文嘉『鈐山堂書画記』
厳嵩失脚に伴い官に没収→隆慶年間朱希忠に払い下げ→
1578年頃宦官馮保1530?-1582→馮保失脚に伴い宮廷に没収→明末所在不明
清 乾隆年間陸費墀 畢沅1730-1797、畢→
1799年内府へ→1816『石渠宝笈三篇』著録
満州国 1931年溥儀の長春宮廷東院図書楼へ→1945年混乱により流失
1945年通化で人民解放軍の張克威により政府へ没収
中国 1950年楊仁愷が東北博物館で発見→北京故宮博物院へ
[著録]
明末 文嘉『鈐山堂書画記』、張丑『清河書画舫』、李日華『味水軒日記』
清 孫承択『庚子銷夏記』,卞永誉『式古堂書画彙考』,『石渠宝笈三篇』など
【清明上河図の他の伝承作品】
明仇英本系:
伝仇英《清明上河図巻》 絹本著色 30.5×987cm 遼寧省博物館
巻末に王宮 細部に明中期蘇州の繁栄の様
伝仇英《清明上河図巻》 台北故宮博物院 他1本
◎明1577年 四明趙浙《清明上河図巻》 絹本著色28.7×576.0cm 林原美術館
引首:桂復隷書、清人跋多数 参照:国華567
伝夏芷《清明上河図巻》 32.8×939.4cm 筑波山神社 偽款:銭塘夏芷製
狩野法眼探幽(1638年法眼-1662年法印)、林羅山1583-1657極め「大明銭塘夏芷字廷芳」 1657年以前が確実な伝来、明後期の画家による都市風俗画巻
《清明易簡図巻》 絹本著色 台北故宮博物院 仇英本系より繁瑣デフォルメ
清院本系:
清1736年 陳枚、孫祜、金昆、戴洪、程志道合作《清院本清明上河図巻》
絹本著色 35.6×1152.8cm 台北故宮博物院 乾隆元年12月15日完成
メトロポリタン美術館2本、フリア-美術館2本、大英博物館など40件以上
【その他の都市風俗図】
明
《南都繁会景物図巻》 絹本著色 44×350 中国国家博物館
永樂年間、南京の秦淮河両岸の景観
清
康熙帝、乾隆帝の命による政治的意図
1698年王翬等合作《康煕帝南巡図巻》12巻 北京と江南の諸都市
1740年金昆、陳枚、孫祜、丁觀鵬、程志道、呉桂合作《慶豊図巻》
絹本著色 約31×500cm 日本個人蔵 乾隆5年12月完成
繁栄を誇る都北京の元宵節の繁華の理想 「春爲歳首」の文字扇
『石渠宝笈』巻16養心殿蔵“畫院慶豐圖一卷 上等宙一
素絹本著色畫。款識云:
慶豐圖。乾隆五年嘉平月 臣金昆、陳枚、孫祐、丁觀鵬、程志道、吳桂奉勅恭畫。下有「臣觀鵬」「恭畫」二印。卷髙八寸八分,廣一丈六尺一寸。
前隔水梁詩正書御題詩云:
午夜月輪圓,皇都萬景攢。玉樓延漏永,火樹奪春寒。
香米䖧兒泛,銀箏趙女彈。可誇豐豫象,只合畫中看。
乾隆辛酉五月御題 臣梁詩正敬書。”
1759年乾隆24年 徐揚《姑蘇繁華図巻》(原名:《盛世滋生図巻》)
39×1241cm 遼寧省博物館
蘇州城内外の風物、人物4600余人、建物約2140棟、橋梁40余、船舶約300隻
自跋:其圖自霊厳山起、由木瀆鎮東行、過横山、渡石湖、歴上方山。従太湖北岸、介獅、和両山間入姑蘇城、自葑、盤、胥三門出閶門外、轉山塘橋、至虎丘山止。
清内府御書房→溥儀長春へ、戦後民間に流出→1945年遼寧省博物館
(徐揚は字雲亭、蘇州呉県の人。清朝の宮廷画家。もと監生、山水や梅花に優れる。1751年乾隆16年乾隆帝南巡の際、画作を乾隆帝に献上、畫院供奉に任ぜられる。1753年乾隆18年舉人を賜わり内閣中書に。1759年乾隆24年『盛世滋生図』を献上)
日本の都市風俗図(中国の都市と比較):
鎌倉1299年●円伊《一遍聖絵巻》 絹本着色 約38× cm 全12巻 京都歓喜光寺
京都をはじめ全国の社寺の景観を写した高僧伝絵巻
宋代リアリズムの影響に柔らかな色彩、しかし都市は未発達
桃山1574年以前●狩野永徳《洛中洛外図屏風》(上杉家本) 右隻 左隻
1550-60年代初の京都の景観、金雲に包まれた現世の極楽都市
江戸1805年文化二年頃 山東京伝(北尾政演)?《煕代勝覧図巻》 紙本著色
43×1230cm(引首題字126cm+画心1055cm) ベルリン東アジア美術館
江戸神田今川橋から日本橋通りの景観 「回向院文化二」の画中字
江戸時代後期の爛熟した都市、ほぼ同時代中国姑蘇繁華図の都市に相当
徐邦達 宋徽宗趙佶親筆画与代筆画的考辨 故宮博物院院刊 1979年
牛克誠 宣和御府印格式研究 故宮博物院院刊 2005年117期
[清明上河図の参考文献]
日本語:
孟元老 東京夢華録 入谷/梅原訳注 岩波書店 1983年
『清明上河図』を読む 伊原弘編 勉誠出版 2003年
アジア遊学11 『清明上河図』を読む 勉誠出版 1999年
世界大美術全集 東洋編5 五代・北宋・遼・西夏 小学館 1998年
故宮博物院 第1~5巻 小川裕光監修 NHK出版協会 図版
鈴木敬 中国絵画史 中之一 註(98) 吉川弘文館 1984年
木田知生《宋代開封と張択端『清明上河図』》 史林 1978年8月
古原宏伸 清明上河図 国華955,956 1973年
中国語など:
尚琼 《清明上河图》最后一跋者“鹭津如寿”考
<清明上河图>研究文献汇编 辽宁博物馆编 万象出版公司2007年
黄应烈、戴立强 <清明上河图>早期题跋者生平事迹考 中国文物报2005年3月
谢巍 中国画学著作考录 上海书画出版社 1998年
2005年10月北京故宮博物院“《清明上河図》及宋代風俗畫國際學術研討會”
趙廣超 筆記清明上河図 三聯書店 2005年
周宝珠 清明上河図与清明上河図学 河南大学出版社 年
楊新 千年公案・清明上河図四出五造営門 文物天地特刊 年
楊仁愷 国宝沈浮録 上海人民美術出版社 1991年
繁峙岩山寺 山西省古建築保護研究所編 文物出版社 1990年
孔憲易《張択端非宋人辨》 史学月刊 1988年1期
予嵩《<清明上河図>所絵爲 京風物説--與劉益安先生的幾点商量》 河南大学学報 1988年1期
劉銘恕《<清明上河図>中無脚橋的来歴》 中州今古 1984年3期
張光福《却開図本看風烟--張択端的<清明上河図>》 文史知識 1984年第2期
羊羽《<清明上河図>的伝説》 北京芸術 1984年1期
楊新《張択端<清明上河図>》 中国文物3 文物出版社 1984年
劉鐵華《張択端和他的<清明上河図>》 開封師院学報 1979年2期
楊新《<清明上河図>地理位置小考》 美術研究 1979年2期
張安治《清明上河図》 人民美術出版社 1979年
中国歴代絵画2 北京故宮博物院蔵画集 人民美術出版社 1978年 原寸図版
朱松發/李方玉《熟悉生活對于芸術創作是重要的--読<清明上河図>》美術学報1975年4-5期
杜連生《宋<清明上河図>虹橋建筑的研究》 《文物》 1975年4期
鄭振鐸 清明上河図研究 国華807,809 19 年
Roderick Whitfield Chang Tse-tuan's Ch'ing-min Shang-ho t'u Proceedings of the International Symposium on Chinese Painting, Taipei,1972.
劉淵臨 清明上河図総合研究 台北故宮博物院 1969年
張安治《清明上河図研究》 朝花美術出版社 1962年
辛屋《湯勤和<清明上河図>》 新民晩報 1962年9月9日
朱工《虹橋巧構図当中―談<清明上河図>中的虹橋》 新民晩報 1961年1月12日
李庵《宋張択端的金明池龍舟奪標図》 新観察 1960年7期
金維諾《張択端及其作品的時代》 美術研究 1960年1期
鄭振鐸《清明上河図》在研究 文物精華 1959年第1集
徐邦達《清明上河図的初歩研究》 故宮博物院院刊 1958年1期
薄松年《<清明上河図>的作者及時代意義》―對王叔惠先生《談張択端清明上河図》一文的両点商量 人文雜志 1957年4期
臧華雲《談清明上河図》 文物参改資料 1954年1期
李歩《談張択端的<清明上河図>》 群衆美術 1952年2期
参考サイト
台北故宮博物院(Big5,GB,Japanese,English)
2016年4月-6月清明上河図特展 清院本清明上河圖などの精細な拡大圖
2021年3月-8月古畫動漫—清院本清明上河圖 動く絵 アニメーション絵画
北京故宮博物院 蔵品精粋(GB)
書法空間 趙佶(GB)
中華珍宝館 徽宗 書画の高精細画像サイト 会員が閲覧可(GB)