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 羅聘《鄧石如登岱図》について

鄧石如登岱図  羅聘《鄧石如登岱図》軸 紙本水墨 83.5×51.1cm 北京故宮博物院

 鄧琰 (1743-1805年)は、字は石如、号は完白山人、安徽懷寧の人、清中期、乾隆から嘉慶にかけて帖学の大成期に新しく興ってきた碑学派の指標となる書家、篆刻家。中でも篆書や隷書の古書体を血のかよう生きた書法として復古した功績は大きく、篆刻にもすぐれた。
 画中左下に“揚州羅聘寫”の落款、“寫真不貌尋常人”白文印
 画中右上に康有爲題詩、上辺詩堂に左宗棠、曹江、李兆落、下辺に荘受祺、潘道祁の跋

 筆者は2001年秋に北京故宮博物院の明清書画展にて実見した。



鄧石如の北京行
 乾隆五五年1790年乾隆皇帝の八十の万寿節の際、戸部尚書の曹文埴が六月に入京するにあたり、48歳になる鄧石如にも上京をすすめた。秋、山東を経、泰山を遊覧した後、“斗笠に芒鞋をはき驢に策打ち”つつ京に入ったという。この北京行は、鄧石如が書法家として北京書壇に関わる重要なエポックとなるはずであった。
 鄧石如に次のような《登岱》の詩が知られている:

鄧石如像”  岱秩巍巍秉節旄, 岱秩は巍巍として節旄を秉る
 旄嶒直上走猿猱。 峻嶒直上し猿猱を走らす
 一無所限惟天近, 一として限る所なく唯だ天に近く
 百不如人立脚高。 抜きん出て脚を高く立つ
 過眼浮雲失斉魯, 眼を過ぎる雲煙に斉魯を失い
 増封諸嶽視児曹。 増封した諸岳は児曹を視る
 尊厳莫訝風塵迹, 尊岩、訝しむ莫かれ風塵の迹
 終古乾坤幾布袍。 終古乾坤、幾の布袍か
  『完白山人詩存』(『西川寧著作集第九巻』316頁)

 画は、この詩の高い意境を受けるように、画左上部の天近くまで、西に突き出た印象的な岩のある日没を観る名所、日觀峰の一角をとり、懸崖の下には雲煙がめぐる。この仙海の景の頂きに身を置いた鄧石如は思い万千のようである。“險境造以心,孤懷自延佇”(法式善句)の深遠な意境が伺われる。
 鄧石如の姿は、簡素な布袍をまとい、手を後ろ手に斗笠をかぶり芒鞋を履き、紐が背後からの風になびく。顔は長くのびた黒い顎髭が印象的に、太めの眉の下の視線は、山下におびえることなく、はるか日の沈む西の山並の方を見るともなく、これからの北京行を思い、自らの高い矜持、傲岸不覇な様が伺われる。描写は、金農の人物画の影響があり、頭を少し大きくやや夸張が見える。筆は的確に、想い深い人物の神にも迫るようであり、背景の流動的な山水と対照的に構成されている。
 画は、肖像画というより、肖像と人物の意境を象徴する背景が一体になった山水人物画の形式をとる。泰山の日觀峰の山を描いて、細部にはさほどこだわらず、用筆は流れるように自在であり、淡墨を掃き濃墨の点苔をうつ。対照的に画の下半の羅聘の特徴ある流動的に渦巻く雲煙を左前方から右へ行くにつれ淡く、画全体の気勢をつくっている。

鄧石如が羅聘に贈った印
 鄧石如と羅聘は、早年すでに揚州で知り合っており、『衣雲印譜』(『羅両峰印存』)によると羅聘のために八方の少なからぬ印を刻している。
 乾隆五三年1788年石如46歳の印:
“山中白雲”印 “衆香之祖”印 “却將八分寫湘君”印  墨梅のために〈山中白雲〉朱文印(款:兩峰寫梅,嘱古浣子作山中白雲印 即古浣子作山中白雲印易其画梅之耶印耶,道相易耶。戊申小春。)と〈衆香之祖〉白文印(款:戊申初冬,為兩峰子仿漢,古浣子鄧琰。)があり、墨竹のためには〈却將八分寫湘君〉朱文印(款:戊申初冬,為朱草詩林主人仿宋元法,古浣鄧琰。)がある。
“鐵鈎鎖”印 “得風作笑”印 “白衣門下”印 “梅花道場”印  その他、記年のないものに〈鐵鈎鎖〉白文印(款:兩峰寫竹用此三字法,古浣子作印亦同此三字法。)、〈得風作笑〉朱文印(款:古浣(子))、〈白衣門下〉朱文印(無款)、〈梅花道場〉朱文印(無款)がある。

 乾隆五五年1790年石如48歳の登岱にちなむ印:
 羅聘の肖像画のためには〈寫真不貌尋常人〉朱文印を贈っている。
落款印“寫真不貌尋常人” “寫真不貌尋常人”印  この印の側款には“私が羅聘に北京で出会った時、羅聘は《登岱図》を描いてくれた。そこで私は印を作ってこれに報いた。”(余與兩峰遇於京師,兩峰爲作余作《登岱圖》,作此篆以報之。『完白山人詩存』にも同文)と述べている。《登岱図》にただ一つの落款印として使われ、羅聘が他の自用印を押していないのは、この時の交友の証しであろう。印は、完白白文印の豪放な趣と違い、完白朱文印の婀娜多姿の側面を伝えている。

《登岱図》の諸跋
康有爲題詩  画中には、康有爲1858-1927 の民国四年1915年の題詩がある:

 雲気蒼茫日觀峰, 雲気の蒼茫とした日觀峰
 登高望海若能從。 登高望海、若んぞ能く從わん
 精神飛揚天地外, 精神は天地の外に飛揚し
 始識畸人是赤松。 始めて畸人がまた仙人なのを識る
  完白山人登岱圖 乙卯四月 南海康有爲題

画の上辺詩堂と下辺の諸跋:
李兆洛 道光十六年1836年李兆落跋
 李兆洛1769-1841 字申耆、江蘇陽湖(常州)人。1805進士、安徽鳳台知県、最も草書を巧みにし、地理天文に精通。著書の『養一齋文集』巻十には「石如鄧君墓誌銘」がある。

 日觀峰顛置完白,境奇人奇兩難得。
 畫之又得羅兩峰,叱石驅雲致不同。
 斯游奚止四十年,我今展圖如眼前。
 先生精采固不敝,奮訣旴衡見其概。
 今我老憊復坎坷,間吟一室繭縛窩。
 宵来有夢尚磈磊,倚仗黄山看雲海。
 嗚呼完翁那可再,泰山鬼卒今安在。
 独立遠想成滄茫,情惻語悄不能長。
 會當尋君還大荒,收攬魂魄随雲將。
  完白以乾隆庚戌登岱,圖此於揚州大約在五六年後。守之以
  道光丙申三月,携此見示率爾題之 李兆落
  (詩は、やや字句を違えて李兆洛『養一齋文集』七、『李養一先生詩集』巻二にある)

 西川寧は「この図が、その五、六年後、北京ではなく揚州で画かれたことが明らかとなる。/山人があの両峰のために刻ったあの印の側款に「余與兩峰遇於京師」とあるのは、数年前の事実の追記であり、刻ったのも北京に於いてではなくて揚州においてだということもこれでわかる。」(「完白山人の肖像四種」)と述べる。
 鄧石如の墓誌銘を書いた李兆落が「およそ五、六年後」「揚州で」というのは、何か根拠があってのことだろうか。それは1795-6年のことであり、それから「四十年」後は、跋の書かれた1836年に符合する。
 しかしこの時、羅聘は1790年(陳金陵「羅両峰考実」は1780年)から98年にかけて3度めの北京滞留を続けており、二人が「揚州で」出会うことは難しい。1795年には鄧石如は、故郷にあって「鉄硯山房」を構え、1796年秋には揚州に行き南京を回り帰った。この間、北京に行った形跡はない。
 側款だけからは、1790年以降鄧石如の北京滞在中に描かれたようにとれるが、今しばらくこの羅聘《登岱図》の作画年については待考としておきたい。

李兆洛跋と同一紙に道光十七年1837年曹江跋

荘受祺 同治三年1864年荘受祺跋
 荘受祺 字衛生、江蘇常州人 1840進士、布政使に至る 兵法に詳しく書を善くする

左宗棠 同治六年1867年左宗棠跋  左宗棠1812-85 字文襄
潘道祁 同治六年1867年潘道祁跋

画の来歴:
 諸跋の他に収蔵印がなく、画はひとえに鄧家の家蔵だったようである。
 1836年から67年の諸跋により、その前後、鄧伝密の所蔵であったことがわかる。
 鄧伝密1795−1870 字は守之、号は少白、安徽懷寧の人。鄧石如の子。詩を善くし、篆隸の家法を継いだ。
 1965年鄧以蟄から北京故宮博物院に寄贈された。
  鄧以蟄1892−1973 字は叔存、安徽懷寧の人。清代の書法篆刻家鄧石如五世の孫。早年日本に留学し帰国後、清華大学、北京大学教授。家学と傳統藝術思想、藝術史に対する研究と深い造詣をもち、新中国の藝術教育に大きな貢献をした。1965年家藏の鄧石如などの文物二百余件を北京故宮博物院に寄贈した。これは鄧石如の藝術生活を研究するための重要資料であり、羅聘《鄧石如登岱図》もその一つである。

 図版は民国期『支那南畫大成』『金石家書画集』『名人人物集』に掲載され、上記、西川寧の紹介によって日本でも知られる。

羅聘の《登岱図》について
 羅聘は1773年天津にて金農の子女と『冬心先生続集』を整理した後、泰安に行き泰山に登っている。その前後にいくつか《登岱図》を描いており、花卉画や肖像画に比べ、山水画の少ない羅聘の中で重要なモチーフであったことが伺える。

“我友羅兩峰,形骸得天放。云昔游岱宗,三至屐一兩。某峰某邱壑,經營入心匠。示我一卷圖,靈怪出紙上。”(何道生《方雪齋詩集》卷六《題兩峰〈登岱圖〉》)
1.羅聘《登岱図》卷 52.2×309.8cm 水墨著彩 乾隆三八年(1773) 広東省博物館
 刑部尚書英廉のために、登岱前描く
2.羅聘《登岱図》 乾隆三八年1773年 泰安知府朱孝純(1735-1801、字子穎、漢軍正紅旗、詩人、画家)のために 羅聘は三ヶ月泰安に滞在し三度登岱(作品は現存せず)
3.この北京故宮博物院の《鄧石如登岱図》

参考書
西川寧「完白山人の肖像四種」『西川寧著作集第三巻』二玄社 1991年
 初出は「書品」第200号 1969年
穆孝天、許佳瓊『鄧石如研究資料』 人民美術出版社 1988年
劉正成編『中國書法全集67 鄧石如』 北京榮寶齋 1995年
陳金陵「羅両峰考実」 揚州八怪攷弁集 江蘇美術出版社 1992年
陳金陵「羅聘年譜」 揚州八怪年譜下 江蘇美術出版社 1993年
張郁明「《羅両峰印存》考釈」 揚州八怪攷弁集 江蘇美術出版社 1992年
肖燕翼「鄧石如登岱図」『紫禁城』1986年6期
揚州画派書画全集 羅聘 天津人民美術出版社 1998年
楊麗麗「羅聘《鄧石如登岱図》」解説 北京故宮博物院 2002年


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 羅聘《鄧石如登岱図》について   2003.6.22写 

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