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 台北信息

2003年夏、Sarsの猛威がひいた後、台北に行き墓参、
台北故宮、鴻禧美術館などを見てきました。

7月29日(火)   新北投 法蔵寺墓参 観音山

 今日は旧暦7月1日、台湾では盂蘭盆にあたり向こう1ヶ月、地獄の門が開きこの世に霊がやってきます。ふつう、この時期に中国人でお墓参りをする人は、いないということですが、今までSarsで行けず、これからまたどうなるかわかりませんので、L先生の奥様の墓参に急ぎ行ってきました。
 今回は、旅行社の格安ツアーを通しましたので、午後台北に着き、おきまりの免税店など周り西門の繁華街にあるホテルに着くと、すでに1時間も前からL先生と、奥様との仲人をされた元高校の英語教師のL老師が待っておられました。L先生は数日前から急に胃の調子を悪くされ、すっかりやつれておられました。
 とるものもとりあえず、お骨のある新北投の法蔵寺へ、L老師の車で向かいます。
 新北投温泉の坂道を上り、旧日本陸軍将校クラブだった施設の隣に法蔵寺があります。山の斜面にある建物にそい上から、お寺の本尊のある建物と遺影のある部屋と遺骨の納められた部屋、それぞれ3つの部屋に日本からもってきた線香を火傷しながら供え三拝します。
 最近は土葬(道教式)から火葬(仏教式)が多いということ。台湾では葬式には、古代日本で行われていた殯(もがり)の習慣が遺り、なるべく長く家に亡骸を置くことが供養につながるといいます。それは大学教授をつとめられたL先生の家でも例外ではないのです。
 遠くに見える稜線が眠っている観音の横顔のように見えるという、観音山を背景に記念撮影、こんどは淡水の海へ注ぐ河口にそびえるその観音山に向かいます。
 観音山中腹の禅寺凌雲寺へ。野良犬に餌を与えている僧。昔は栄えたが今はさびれている、ラグビーをやっていた頃は練習の後よく山頂まで登った、とL老師はいいます。
 5時に下り中腹の青山地鶏城という店で夕食。入口には線香がともり、地獄からやってくる餓鬼のために設えられた台に様々な食べ物の供え物がのります。
緑竹の筍  食事は、この山の旬の名物の緑竹の筍と地鶏を入れた竹筍鶏湯400元をメインに、豚の酸味排骨、炒麺線(ビーフンの炒めもの)、汁けの多い台湾式焼そば、地瓜葉(薩摩芋の葉の炒めもの)。素朴な台湾風味はどれもおいしいのですが、なかでも筍は、今まで食べた筍の中でも最もおいしいもの、ほのかな甘味に記憶のどこかが刺激されます。甘いトウモロコシの味に近いような、あるいは上品なチーズのような、独特な芳味と歯ごたえが記憶に残ります。
 L先生の健康を気づかいながらとばすL老師のブラックジョーク。御自身、耳が遠く歯もかけ、胃癌の手術、腰のヘルニアの手術から間もないのですが、「一つは……、もう一つは……」という明晰な日本語による回想が始まります。
 奥様は名家の家柄で、親はL先生との結婚に反対だったが、L先生に頼まれたL老師が奥様の家に行ってみると、昔赤ん坊の頃に抱いたことがある娘であることがわかり、L老師の仲人ならと結婚が許されたこと。
 L老師は、戦前、子供の頃、一時横浜に住んだことがあり、当時珍しいアイスクリームを一時に10個食べて帰ったこと。1942、3年の頃、駒沢大学で仏教を学ぶ若い僧と、埼玉の奥地の寺で同宿したことがあり、その僧が悟りにあるといってもいい人物であったこと。地獄はあるか、天国はあるか、といったL老師の問いに、全てわからぬと答えたこと。
 戦後、大陸の江蘇省にいたが、蒋介石たちが台湾に渡ったことを聞いて、台北に戻り、繁華街から外れた淡水河畔の人気のない通りで、夜、女性同伴の蒋介石軍の将校を路地にひっぱりこみぽかすか殴っては逃げたこと。そんな何やかやでブラックリストに載り、総統が代わり、リストが解除されるまで長く日本へは行けなかったこと。
 1970年代、当時禁じられていた道教から派生した秘密結社、一貫道の幹部が、住まいの近くにいてL老師のことを気にいり、幹部養成のセミナーに誘われたこと。自らは信仰をもたないが、とうとう断わりきれず、一回だけ台南の集会に行ったこと。夜の12時に港に着くと、迎えのバスがあり目隠しをされ山奥の建物に連れていかれる。入口には仁王のような者が立ち警備にあたる。セミナー第1日目は孝行について。孝には外的なものと内的なものがあり、親が死んでから地獄の門で道に迷わぬよう、親に一貫道を勧めるのが本当の親孝行になる。第2日目は、憑かれた者が自動筆記で参加者の姓名名簿を書く、といったパフォーマンス。第3日目最終日は、めいめいの家に戻ってから何をするか、文章を書かせられたこと。L老師はこれからは素菜をとる、と答えたことなど。……
 すでにすっかり暗くなり、郊外の道路沿いの折々に薄ものをまとった檳榔西施のいる夜の街道を過ぎ、台北のホテルまで送って頂きました。

  観音山(Big5) 観音山の自然と寺院、緑竹の筍の紹介
 


7月30日(水)   新竹 清泉温泉 張学良と三毛

 翌日は9時に、体調の悪いL先生の代りにL老師が車で迎えに来てくれました。
 今日はL先生が行きたがっていた、張学良が軟禁されていたという新竹の清泉温泉に、L老師の案内で向かいます。ここのところ台北は毎日36度の暑い日が続いています。
 東洋一の高さという建設中の貿易センタービルを回り、高速に入ります。
 今日の朝食はミルク、最近は油条に豆漿、粥といった伝統食をとる人は減り、店を捜すのも難しくなっているといいます。
 刑務所がある土城をすぎ、樹林、大溪、八徳を通過します。郊外にも折々にマンション、山の斜面にも立っています。山は国有地が多く地価が安いため、外地資本と結託し建てられているといいます。また遠くに黄色い屋根の大きな宮殿のような建築。おそらく仏教寺院だろう、仏教と道教とどちらに沢山信者がいるかを言うのは難しい、どちらも現世利益の信仰が中心であり、最近は仏教も変化し、歌や合宿などキリスト教のまねをしている、いずれにせよ人が多く集まるところにろくなことがなく、真の信仰は個人のものだろう、といいます。
 10時40分頃高速から分れ、富林休閑農場という所で休息。農場とお花畑がこぎれいに整備され、香草珈琲というコーヒーハウスまであります。
 すでに新竹県に入っています。新竹市には古琴を愛した清時代の台湾の文人、林占梅1821-64の潜園がありますが、今回は寄りません。
 120号の道から日東紅茶の工場があった竹東を経て、122号の道に入り五峰山の見える山道を蛇行しながら上ります。荒削りな削岩の痕を残す桃山隧道のトンネルを通り、教会のある山腹の村を過ぎ12時20分頃、3つの吊り橋がかかる峡谷の清泉温泉に着きました。
 女流作家、三毛の住んだ赤れんがの家や張学良の故居を外から訊ねた後、国営の温泉の建物で休息、昼食。猪の肉と土地の野菜の炒めものなど、特にニンニクでからっと揚げた川蝦が◎。温泉は、暑いのと水着の用意がないためパスしました。
 3時間ほどいた後、再び高速に入り台北へ。敦化北路にあるL老師の事務所へ。40年前の教え子が最近贈った、L老師の名を読込んだ詩の書が印象的でした。
 一服した後、近くの日本料理店、咖哩工坊で夕飯。L老師の注文した海鮮咖哩のお頭付きの大きな海老フライにびっくりしました。ここは台北でもふつうの日本の味に近い、貿易センタービルが完成した暁には、ここを閉めビルに移るといいます。なるほどこぎれいによく気のつく店、お腹がそれほど空いていなかったためたくさんは食べれませんでしたが、デザートにでた茶凍(お茶ゼリー)など洗練した味でした。
 夜、再びL老師が車でホテルまで送ってくださり、繰返しL老師に感謝を述べ、西門のにぎやかな雑踏に消える車を見送りました。

 翌日届いたL老師の手紙:温泉療養と警察療養所
1.日本統治時代の警察療養所について、私が終戦後訪れたことのある警察療養所について、お知らせいたします。今その警察療養所は温泉の為か、皆観光地に変って居ります。
2.先日一緒に訪れた、清泉は原住民の部落、昔は井上温泉と呼ばれて、警察療養所があり、曾て張学良が蒋介石の亡くなる迄、禁錮されたところ。
3.張学良は井上温泉以外に次の二つの警察療養所にも禁錮されて居りました。この二つとも50年前、私が徒歩で訪れて居ります。
 1)“明治温泉”:今は“谷 ”、台中縣にあります。長い鐵銭橋を渡って、始めて山上の昔の警察療養所に到着します。鉄銭橋の下の緑色の峡谷に温泉が湧き出して居ります。
 2)“上山温泉”:苗栗縣にあります。ここから清泉に昔は行かれたのです。今は虎頭温泉と呼ばれて居ります。ここから竹が日本に輸出されて居ります。ここの原住民は清泉の原住民と同じく賽夏族に属します。

 清泉温泉(Big5) 台北ナビの清泉温泉の紹介
 張学良・三毛故居(Big5) 小白鯨啦さんのページ 
 三毛全集(GB) 三毛1943-91の主要な作品が読めますが、清泉を扱った翻訳 Barry Martinson作『清泉故事』はありません。日本語訳には『サハラ物語』(妹尾加代訳、筑摩書房1991)があります

7月31日(木)   台北故宮博物院

 ドイツで来年にかけ『天子之宝』と題した比較的大規模な故宮文物の展覧会があり、オープニングに出席され戻られたばかりのO先生と故宮餐庁で昼食、ここでも旬の陽明山の筍、アスパラガスと牛肉の炒めもの、金針(萱花の蕾)湯(スープ)、蛤仔(アサリ)湯、魚丸湯などをご馳走になり、お忙しい中、旧交を暖めました。
 終日故宮参観(書画のおよその展示リストは中国絵画Newsに)、久しぶりの故宮でうれしい感じ。
 繊細で華やかな茶器の小特展が、いかにも宮廷コレクションらしく印象に残りました。
 夜は昨日の疲れもあり、近くの北平餃子館の老北京風の厚皮餃子と阿宗麺銭で軽食のみ。

  Schatze der Himmelssohne(German) 『天子之宝』展の紹介
 


8月 1日(金)   故宮 鴻禧美術館

 書画の展示を中心に半日、故宮参観。
 国賓飯店に立寄り飲茶で簡単に昼食、亀苓膏(亀ゼリー)など。
 急ぎ鴻禧美術館へ、「古今鳥集」という鳥をテーマに工芸品のデザイン、画を集めた特展を見ました。画は民国期のものが主体でそれほど良いものがなくがっかり。
 夕食までは時間があるので近くの汗牛書店へ、大陸美術書を中心に良く揃えてあるが、台北で割高な大陸出版物を買うことはなく、鼎泰豊へ。いつもの入口の人だかりがありません。ここにはまだSarsの影響があるようです。紹興酒のボトルに小龍包、今回は蟹味噌入りのものもたのんでみましたが、ふつうのものが一番という感じ。
 帰り道、台北站近くの勝大荘へ、兼豪長流筆「大観書画」900元。室内に伊秉綬書《周百鹿/漢雙魚》聯、張大千《溌墨山水図》があり見事。CDの大衆唱片や重慶南路の69書店などディスカウント店を覗きながらホテルへ。

8月 2日(土)   故宮 成化窯と花の画の特展

 東京へ戻る日、今日から始まる新展覧を見に故宮へ。展示替えにまたがるように日程を1日伸ばしてあります。
 花の水墨画の展示は点数は少ないが沈周、文徴明など良いものを見たという充実した印象。惲壽平《模古冊》から3図、一昨日いただいた金針湯のスープに入っていた橙色の萱の花を描いたものなど、紫藤、紅、オレンジなどの没骨の透明感のある色彩が美しい。
成化窯鬥彩四季團花果盃  さらに成化名瓷特展では、1点あるだけでもすごい成化鬪彩の小椀がずらりと並び真にぜいたく。それらをおさめた日本の漆箱と袋なども中央に展示され、宮廷で大切にされてきた様子がわかります。夔龍紋鬪彩の夔龍(きりゅう)が、他の時代のものに代えがたく可愛。

 折技與瓶花特展 夏秋向けの展示、一部展示替えあり
 成化名瓷特展 成化官窯関連の瓷器210件、なかでも愛らしい鬪彩の粋



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 台北信息        2003.8.4作成 

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