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 文明の3つのモデル

ヨーロッパ ヨーロッパのモデル 中国中中国 中国のモデル 日本日日本 多層化した日本のモデル

ヨーロッパ近代のモデル

理性

悟性

感性
 自我 cogito 個人
ヨーロッパのモデル
  生活 自然
構築性 建築的 立体性
幾何学 論理性
空間の統一 透視遠近法による均一空間
〔参照〕エルウィン・パノフスキー〈象徴形式〉としての遠近法 木田元,川戸れい子,上村清雄訳 哲学書房 1993年
十二音平均率による均一空間
透明感 

中国のモデル




道 tao




 天 個人を超えたもの
中国のモデル
  生活 自然
構築性 建築的 立体性
空間性
気の運動としてのバランス
超越性 動物的 龍

日本のモデル

あはれ




余白
稜威
(いつ)


をかし

多層化した近代の日本
多層化した日本のモデル
  生活 自然
ハイブリッド(雑種性)
空虚な中心(バルト)
装飾性 工芸的 平面性
asymmetry 不整形(いびつ) 不透明
植物的 秋草 花鳥風月 情緒性
自然への共感 稚拙美 単純さ 純真さ
古代的なもの 呪術性

1.印象性 2.装飾性 
3.象徴性 4.感傷性(矢代幸雄)

1.かざり 2.あそび 
3.アニミズム(辻惟雄)

中国化した日本
明治以前
漢化した日本のモデル
西欧化した日本
欧化した日本のモデル
形式化のマイナス面
政治:王の不在、成文法至上主義
教育:論理的抽象的思考の欠
社会:例外を許さない風土
サッカー:フォワードの不在


日本語の構造


漢 字
(楷書)


片仮名





平仮名
(草書)
ハイブリッド(雑体書)な日本語
ハイブリッド(雑体書)な日本語のモデル
草書(平仮名)の中に楷書(漢字)や(片仮名)が浮かんでいるのが日本語
〔外的構造〕雑体書
同一文に複数の書体が混ざる書
日本の書の美の根底にある問題


“草書(平仮名)乃中仁楷書(漢字)也(片仮名)加浮加无天以留乃加日本語。”

〔内的構造〕ハイブリッド構造
漢 字:高度な抽象性
片仮名:西洋の新概念を仮に表現
平仮名:日常の情念性



西川寧の中国・日本の書の比較

中国と日本の書の違い
(1)まず中国の書には根柢に建築的な強い骨組がありますが、日本の書はそれよりも装飾的な或いは図案的な平面の調和ということに進みやすいようです。
(2)また、中国の書には深い瞑想的なものが表れていますが、日本の書はむしろ叙情的な面に特色を出しております。
(3)また中国の書には個性的な体臭というものが強く表れていますが、日本の書では、ものやわらかい感覚的な味を求めていきます。
(4)また華やかな面をとりましても中国の書には重厚で荘重なものがありますが、日本のは軽い優美さが目立っているようです。
(5)同じ叙情的な面をとりましても、中国の書は強い骨格と重厚な精神とに根ざす複雑なものがありますが、日本のは軽妙な流れに乗った純粋さが目立ちます。料理を例にとると、中国料理は油っこいが日本料理は淡白である。日本のは淡白の裏に材料の自然を生かして鋭い感覚に訴えますが、中国の料理は手のこんだ作り方で、色々の材料を総合的にあつかって、その複雑な味は人間の味覚全体を包んでしまう。中国の藝術の特色と全く同じだと思います。
 まあこんなわけで、中国の書と日本の書道は本質的に違ったものになっています。もう一歩進めて申しますと、中国の書は広い意味での論理主義を基礎とし、日本のは直観主義に立っていると思います。中国といっても北方と南方ではすべての考え方に違ったところがありますが、日本と比較しますと、以上のことはやはり考えられるだろうと思います。これは民族性の違いであり、風土的な特色でもありますが、骨格の弱さや構成力の弱さ、或いは人間的な深い心がとかく忘れがちになって、味や情趣におぼれやすい所は大きな弱点です。(中国の書と日本 1954年NHK海外放送用原稿『西川寧著作集』第5巻)

 第一に中国の書は、どんな様式のものでも、その根柢に強い構造性があります。たとえば一本の横画にも起筆と、筆を引くところと、筆をとめるところと、この三つの骨格、すなわち「三過折」がなければならぬとします。そしてこの根本の構造は、すなわち宇宙の理法だというように考えています。ですから、こうした一点一画を基礎として構成される一字も力強くて、また重厚なのです。
 第二に中国人は人間性というものの強い自覚を持っていると思います。ですからその書には深くて複雑な精神が宿っております。この精神は、荘重なもの、高尚なもの、洒脱なものなど、色々の変化を見せますが、実に強く書に表れます。こんなわけで、この人間的自覚が、厳密な骨格に乗ってあらわれるところに、いつも悠々たる底力がたたえられております。これこそは中国書道の特色であろうと思います。これは書ばかりではない中国の一般文化の特色で、これは中国大陸のはげしく、きびしい気候や風土から当然生まれ出たものでしょう。
 ところが日本の書はこれと大変ちがいます。まず構造性という点を考えますと、日本人は中国人ほど厳密な考えを持っていないようです。もとより文字をかくときは一字を形作るための約束にしたがわなければなりません。日本人もこの限りでその約束すなわち構造にしたがって文字をかきますが、それ以上に強く建築的な構造性というものを求めようとはしない傾向にあります。たとえば前に言いました一画の「三過折」などでも、日本人はとかく第一の起筆のところをおろそかにしがちです。そして、そういう構造性を求めて深く切りこんでいくよりも、むしろ平面的な釣り合いを美しくしようと考えて、書がとかく装飾的になる傾きがあります。
 また中国人は人間性に対する強い自覚があるといいましたが、日本人にも、もとよりこれがないわけではありません。しかし日本人は日本という温和な気候と風土に養われて、自然のふところに融けこんでいく傾向が強いので、「自然」に対立する「人間」というものの自覚は希薄になりがちです。この結果深刻なものよりも軽快明朗な気分を愛し、複雑なものより、単純で情趣的なものに流れやすいようです。(「枯淡」「さび」について省略)日本人は文学や藝術の鑑賞に「枯淡」ということを重んじます。この「枯淡」もまたもともと中国の言葉ですが、中国では蘇東坡など「ほんとうの枯淡は枯れ木のようなものではなくて中心に生気を含んだものだ」といいました。ここに根強い人間主義の精神を感じないではいられません。しかし日本人にとっては、同じ枯淡という言葉も、なまなましい脂臭さを洗い落として、枯れきったものと解釈されるのです。これを「さび」ともいいます。「さび」というのはもと鉄などの銹を意味する言葉ですが、藝術鑑賞の上では、むしろ生気を超えた感覚であり、これが自然のほんとうの精神だと考えるのです
 また私は中国人の書の悠々たる底力ということを注意しましたが、日本人はそうした持続的な弾力性を求めるよりも、瞬間的な激しい気合いでかきやすいのです。中国画の「浙派」に見るような傾向に似たものがどうも日本人には多いようです。
 さてこんなわけで中国の書に力強さと複雑な内容があるとすれば、日本の書は、力強さよりも優美、流麗を求めようとし、浅いが軽快明朗であり、複雑な面白みはないが、純粋さでまさるといえましょう。好き嫌いは別として、これは本質的に違ったものと言わなければなりません。そして私は結局この対立を中国人の論理主義と日本人の直観主義の対立と考えています。 (中国と日本の書の比較 1957年NHK海外放送用原稿『西川寧著作集』第5巻1992年刊)

 旧来の中国人の書を私はブロック建築にたとえる。一画がそもそもの基礎である。一画というブロックの積み重ねによって一字は構築され、一字一字の積み重ねによって一編が成立すると彼らは主張する。これは表現構成の上からは当然の順序であるが、鑑賞の面から、ことに日本人の書道観と比較してみると大きな開きがあったのである。日本人の書は表現の効果を先にして、一画がおろそかになることもいとわないのだが、中国人はまず絶対に一画をおろそかにしない。ここに日本の叙情性と中国の構築性があらわれる。そして説明ははしょるが、やがてここに日本の書の構成力の弱さが根ざし、中国の強さが生まれる。だがまた一面、日本の書は叙情性などと思い過ごして安っぽいセンチメンタリズムに陥りやすいように、中国の書は構造性の強さを求めて、精神の躍動が抑えられると、形ばかりの、重苦しい、いわゆる館閣体に沈澱していく。(毛主席の書 1968年『西川寧著作集』第5巻1992年刊)

良寛の字は透明だが八大のは濁って目方がある
流動の詩情と骨組たくましい構成力との差異
瀟洒とか洒脱とかいう言葉が共通に使われながら、その内容には大変な隔たりがある。 (書のはなし1953)
江戸南画の空間は不透明だが、八大の空間は透明である




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 日本美術史ノート 文明の3つのモデル   1987.4作成 

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