琴詩書画巣    古琴の調べ   中国絵画   詩・書   中国文人の世界   北京信息   パリ信息   リンク 

 北京信息

 山西省古美術旅行(北部)


  五台山台懐鎮パノラマ
 

台懐鎮パノラマ  頂上に黛螺頂           街中に第五招待所 手前に顕通寺 塔院寺    


 7月14日(金) 北京 大同
 7月15日(土) 大同 雲崗石窟
 7月16日(日) 大同 華厳寺 懸空寺 木塔 岩山寺 五台山
 7月17日(月) 五台山台内 顕通寺 菩薩頂 塔院寺 万仏閣
 7月18日(火) 五台山台外 南禅寺 広済寺 仏光寺 尊勝寺
 7月19日(水) 五台山 羅[目候]寺 太原
 7月20日(木) 太原 休息 清和元
 7月21日(金) 太原 純陽宮 山西省博物館(文廟)
 7月22日(土) 太原 平遥 山西民居 県衙 城隍廟 市楼 清虚観 城壁
 7月23日(日) 平遥 双林寺 鎮国寺 喬家大院 太原
 7月24日(月) 太原 晋祠 天龍山石窟
 7月25日(火) 太原 北京




7月17日(月)  五台山台内の緒寺 顕通寺 菩薩頂 塔院寺 万仏閣


遠く台頂を望めば、円く高くして樹木を見ず
地に伏して遙かに礼し、覚えず涙を雨(あめふ)らす

円仁『入唐求法巡礼行記』から    

夢ともつかぬ寝覚めの時に、とりとめもなくおもったこと……
招待所がある台懐鎮は、四方を五台の山に囲まれた中心にあたりますが、全くの平地ではなく南に向ってゆったりと傾斜しています。台懐鎮はゆるやかな斜面の高地にあり、空海が開いた高野山が想い浮かばれます。
以前は清凉山と呼ばれていた五台山は、北斉の頃から五台の名がつけられたといわれます。空海は五台山には来ていませんが、あるいは密教が盛んになった時期、この地形を立体マンダラとしてイメージする意識からつけられたのかもしれません……
唯一インドの仏典に記される中国の仏教聖地として、五台山は敦煌石窟第61窟西壁の五代の壁画(GB shockwave-flash plugin が必要です)にもあらわれ、そのころの盛んな様子がうかがえます。
日本人として盛時の五台山に来たった人たち

 奈良時代  玄[日方](げんぼう ?-746 716入唐-35帰国)
       霊仙ら
 空海以降  円仁(えんにん 794-864 838入唐-承和七年840五台山-47帰国)
 鎌倉時代  [大/周]然(ちょうねん)
       成尋(じょうじん 1011-81 1072入宋)ら……

私にとっての五台山は、まず歌舞伎の獅子ものの出だしの「せいりょうざんの〜」というのが浮かび、江戸の人たちが見たこともない唐の地に獅子が飛び回るのを想像したのと同じ空想のレベルでした。やがて戦前の古い中国のコロタイプ写真を印刷したフォリオの中に、白塔や古びて荒れた寺院の写真などが混じり、いつかこんな山に分け入ることができるのだろうかと思っていました……
こうした山に包まれた高地の地形(あるいは招待所の高くきしんだベッド)の夜は、とりとめもない断片が浮かんでは消え、瞑想的な思考、回帰的な瞑想にふさわしい……
今、実際に立つことができた五台山は、文革で一時さらに荒廃した後、再び仏教聖地としての回復が進みつつあり、リゾート地としての開発途上にある、山あいの斜面にある涼しくものさびた観光地でした。
午前中ゆっくりと休んだ後、すぐ近くの古刹、顕通寺からまわり始めました。

顕通寺
五台山顕通寺鐘楼

顕通寺鐘楼
顕通寺は五台山で一番大きな禅寺であり、河南省の白馬寺とともに中国で最も古い寺院です。
にぎやかな明時代の鐘楼をくぐり、門を進みたどりつく直線の伽藍はさすがに堂々としたものです。しかし規模は京都の妙心寺や東福寺などの大伽藍と比べると小さいように感じました。あるいは高地の伽藍と平地のそれと比較は無用でしょうか。
「遠国の僧が、天台の教えを求め来たってここに到るを感見するは、甚だ感応(かんのう)あるかな」との高僧の言葉に円仁が感激した寺です。しかしそうした最盛期の緊張感は、現在はお供えの林檎をとってかじったりする僧もいたり薄れているようです。

五台山顕通寺金閣 五台山顕通寺金閣
五台山顕通寺以前の金閣

顕通寺金閣
直線の伽藍の最後、最も高所にある蔵経殿の手前に、明の万歴三三年(1605)に造られた銅殿があります。全体が青銅ででき、荊州(湖北省)で造ったものをはるばる五台山まで運んだそうです。前に建つ五台を模した5つの銅塔とともに珍しい建築です。ちょうど青銅の金のふき替えを終えたばかりか、晴れた日に金色がまぶしく光っていました。
すぐ右下の写真は金をふく以前の古色そうぜんとした様子です。どちらがお好きですか?

菩薩頂
五台山菩薩頂の眺め

顕通寺鐘楼からみた菩薩頂の遠景
108段の石段を登ると霊鷲峰・菩薩頂です。五台山の五大禅場の一つとして、五台山に特有な文殊菩薩の信仰に最も縁りある地と伝えられています。しかし清の順治帝以降、ラマ教に変えられ、五台山の25ある黄廟(ラマ教寺院、ラマ僧は黄色の袈裟を着る)の代表となっています。ちなみに他の99寺の青廟(ラマ教以外の中国の仏教寺院、和尚は青灰色の袈裟を着る)のうち、顕通寺はその代表です。

塔院寺
五台山塔院寺

高さ75.3m、明の万歴年簡に建てられた大白塔(仏舎利塔)は五台山台懐鎮のランドマーク。
白塔の基壇を廻って無数の回転経が取りつけられていて左回りに一周しました。塔院寺は青廟に属すそうですが、回転経は黄廟の礼拝の仕方です。五台山全体に今は黄廟の信仰が盛んのように見えました。
また基壇には、仏足石碑があり、薬師寺の奈良時代の仏足石が想いおこされ、どんなものかのぞいてみました。薬師寺のと違って彩色のあとがありましたが、かなり汚れて不明瞭でした。

万仏閣
五台山万仏閣

近くで大きな音がするので入ってみると、そこは万仏閣の広場です。古戯台では太原からやってきた京劇団の公演がちょうど始まりました。明の万歴四四年(1616)に建てられた文殊殿(中の「万仏」の名のもとになった塑像群は文革で徹底的に壊されました)を間に、龍王殿(写真)と戯台が広場を挟んで向いあっており、劇は芝居好きな龍王のために奉納するそうです。しかしアンプをいっぱいに拡大した音がわれてきたなく、暗くなりはじめてもいたので、そこそこに近くの招待所に戻りました。



五台山を知るための本
 魏国祚編著『五台山導游』(山西古籍出版社1997年刊)
   文革で破壊された寺についてもふれる
 円仁『入唐求法巡礼行記』〔平凡社東洋文庫〕
 伊井春樹著『成尋の入宋とその生涯』〔吉川弘文館〕




 7月14日(金) 北京 大同
 15日(土) 大同 雲崗石窟
 16日(日) 大同 華厳寺 懸空寺 木塔 岩山寺 五台山
 17日(月) 五台山台内の諸寺
 18日(火) NEXT→五台山台外 南禅寺 広済寺 仏光寺 尊勝寺
 19日(水) 五台山 太原
 20日(木) 太原 休息
 21日(金) 太原 山西省博物館
 22日(土) 太原 平遥
 23日(日) 平遥 太原
 24日(月) 太原 天龍山石窟
 25日(火) 太原 北京




  北京信息   2000.8.8写 

  琴詩書画巣 | 古琴の調べ | 中国絵画 | 詩・書 | 中国文人の世界 | 北京信息 | パリ信息 | リンク