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5月21日(日)晴  法海寺の明代壁画

法海寺大雄宝殿 晴れて少し暑くなった日、明時代前期の壁画がほぼ完全に残る法海寺に行ってきました。

行き方は簡単です。
地下鉄の終点・苹果園で下車し、311路のバスに乗り3っつめのバス停・模式口でおります。そこから歩いて「法海寺」という標識のある方向に左におれ、承恩寺(重点文物)のある埃っぽい道をしばらく進み、やはり標識を右に折れ、翠微山南麓のなだらかな山道を上ります。しだいに人気が少なく空気も爽やかに、松の緑がましていく道を、20分ほどで山門につきます。

現在は全国重点文物保護単位の一つになっている法海禅寺は、明時代に宮廷の御用監太監、李童が、夢の中、白髪の仙人に導かれたという龍泉寺の旧跡に再建されました。正統4年(1439年)に着手し正統10年(1445年)に完成しました。英宗皇帝が「法海禅寺」の額を書き、宮廷画家の画士官:宛福清、王恕、画士:張平、王義、願行、李原、潘福、徐福林など15人によって壁画が描かれました。都のすぐ近く、宮廷に関わる人々によって作られた中央の当時の水準を知る、中国では数少ない遺構であることがわかります。 その後、何回もの修理をへ、大戦中は荒廃しましたが、1950年代徐悲鴻らの努力で保護されました。文化大革命の時は、斧や棍棒をもっておしよせた紅衛兵に対して、呉效魯という大殿の鍵をあずかるお爺さんが、薪を切るのに使っていた斧を持ち必死の形相で立ち、とうとう壁画を守ったそうです。しかし堂内中央の三世仏3体、左右側面の十八羅漢、大黒天、李童供養像などの塑像は、この時破壊されました。

境内は壁画のある大雄宝殿を中心にシンプルなつくりになっています。山門から天王殿を過ぎ、左右に古柏のある中庭からただちにうすぐらい大雄宝殿に入ります。
建築は、三世仏の頭上の天井のそれぞれに曼陀羅があるようにチベット仏教と中国仏教を折衷した珍しい形になっています。
三世仏の背後の衝立のようにしてある壁面には、それぞれ大きな「瑞雲図」が描かれています。
四菩薩 東西の巨大な壁一面には、仏説法に向う十方仏を中心に、四菩薩、六菩薩を左右に描いた「赴会図」があります。上方の空には瑞雲に乗った諸仏・菩薩、地上には松や芭蕉などの木々、蓮、牡丹などの花々が咲き、3筋の水の流れが落ちる最下方は一面に波がたち黄・緑・ピンクの瑞雲がおこり、この場所が「法(のり)の海」にかこまれ霊気に満ちた特別な空間を表していることがわかります。
水月観音図 三世仏の後ろにまわると、先ほどの瑞雲図の後ろにあたる衝立の壁面には、中央には「水月観音図」、向って右には「文殊菩薩図」、左には「普賢菩薩図」が、岩山に静かに坐っている姿で描かれています。
衝立の壁面にしきられ幅の狭い通路の北面を東西に分け、東に諸天を従えた「帝釈天図」、西に「梵天図」を、3つの菩薩図と対称的にそれぞれ中央に向ってゆるやかに歩む形で描きます。
諸仏・菩薩の顔立は全体的に、優しく女性的です。

全体の構成は、よく練られ緊密です。複雑な大画面の構成をかるがるとこなしています。近よって見ると華やかな金や宝石などの飾りには、瀝粉貼金(胡粉を盛り上げ金箔あるいは金泥をほどこす)や暈繝(うんげん、段階的なグラデーション)の彩色を使い、的確で精密、細かな衣服の装飾文様は少しの手抜きもありません。

「赴会図」の霊的な場面に咲く花々は、ほぼ同時代、すこしおくれるボッチチェルリの「春」やウッチェルロのそれを想わせるものもあります。
百合 蓮花

萱花 菊と岩

滝など山水の描写は、南の浙派の様式と共通しますが、的確にまとめています。牡丹や岩などの表現は、はるか後に日本に伝わって後の狩野派などの基になったものでしょう。
牡丹    水流

しかし法海寺の壁画の空間は遥かに緊密に構築されています。
「水月観音図」の背景は、水墨の霧がたなびく微妙な空間を造り出しています。4m以上もある描きにくい漆喰の大画面に、水墨のグラデーションを破綻なく使う技術はさすがです。さらに観音のあわい隈のグラデーションがほどこされた肉身の肩から膝にかけ、薄い紗がかかり、その透明感は、画家が空間の表現にたいして非常に繊細な意識をもっていたことを伺わせます。
「梵天・帝釈天図」の諸神は変化を尽くしています。鬼子母神、菩提樹天、功徳天などの女性的な表現はもとより、
天女 菩提樹天 善財童子
四天王などの男性的な表現は幻想の力があふれ、女性的な諸神と対照的です。 琵琶をもつ持国天
夜叉や長発鬼、牛頭などの鬼神の表現、

牛頭 金剛神、長発鬼 長発鬼

弁財天のそばにいる獅子や豹などの動物もファンタジックで興趣がつきません。
豹と子供 獅子

「梵天・帝釈天図」の諸天の説明(画像をクリックすると次のページが開きます)
帝釈天図  梵天
帝釈天図 梵天図

総じて壁画は、その時代の一流の手になった画面の充実感があり見あきることがありません。ただ元時代の永楽宮壁画と比べると、線描の力強さでは永楽宮が優り、水墨を使った微妙な空間の統一感、線描と装飾の精緻さでは法海寺が優るように思えます。ひるがえってこれは元と明初の時代の特徴、地方(山西省)と中央(北京)の違いであるかもしれません。
いずれにしても明時代の宮廷画家が、初期には一流の力量をもっていたことを、法海寺の壁画は今につたえています。

殿の外に出ると、鐘と左右に八角の供養石塔があり、建立時の正統の年号を刻んでいます。
門の締まる5時になごりを惜しみつつ寺をでました。



壁画のデータ
瑞雲図(三世仏の佛龕背壁の南面3鋪 高4.5m)
赴会図(東壁・西壁 各横11m×高3.2m)

水月観音図(三世仏の佛龕背壁の北面中央、韋駄天・善財童子・金[ケモノヘン+孔]を四隅に配置 横4.5m×高4.5m)
普賢菩薩図(同北面東 横4.5m×高4.5m)
文殊菩薩図(同北面西 横4.5m×高4.5m)

帝釈天礼仏護法図(北壁東 横7m×高3.2m)
梵天礼仏護法図(北壁西 横7m×高3.2m)
 または“三十六衆礼仏図” 諸天、侍女、力士、鬼など77の像を描く


法海寺壁画を知るための本
 『法海寺壁画』(金維諾解説 中国旅游出版社1993年刊) 最良の大判画集
 『法海寺壁画』(金維諾解説 中国民族撮影芸術出版社2001年刊) 上記画集の中型普及版、図版はおちるが文革破壊以前の白黒写真が補遺に加わる
 『北京法海寺』(楊博賢主編 北京華天旅游国際広告公司制作1994年刊) 基本史料が載る小冊子
 金維諾「法海寺壁画《帝釈梵天図》」(《美術研究》1959年3期)




  北京信息   2000.5.27写    更新

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