きのうは雲崗石窟からホテルに戻った後、再び今回の旅の目的の一つ、金時代の壁画のある岩山寺への行き方について、銷售部の王永剛さんと打ち合わせ。王さんの強い勧めもあり、岩山寺など数カ所のポイントを見てまわりつつ、大同から五台山まで1日で山越えをすることにしました。
夜8時すぎに1階の紅旗大酒店で火鍋の夕食。
これがなんと普段の北京では味わえない繊細なおいしさ。いろんな種類の薬味や野菜や餃子やスイカなどのサービスも加わり食べきれないほどなのに、2人で38元の安さに大満足でした。店は9時をまわってもさらに混んできて、大同の人もやるね。
翌日は8時、王さんの好意に感謝し、王さんはじめホテルの人や食事に、すっかり大同に好い印象をもって、五台山の山越えに出発しました。
移動に使う車は昨日、雲崗石窟の行きに乗った伊立剛運転手の白いフォルクスワーゲンです。
車に入ると、前の座席からいちどに後ろを振り向いた日焼けした二つの顔は、そっくりの陽気な表情です。運転席は弟、助手席の兄も運転手をしており、今日は大同までの帰りが夜になり危険なので帰りの運転をするといいます。確かにその日1日、弟は顔つきが変わったように集中して運転していました。白のワーゲンは16万元で買った自分の持物だそうです。
華厳寺
まず始めに市内の繁華街に入り、華厳寺に行きました。
金時代(1140)の上華厳寺は、修復中で拝観できません。遠くに修理の櫓に覆われた大雄宝殿の建物がみえます。
下華厳寺は、数メートル高くなった石壇の上に遼時代の1038年に建てられた薄[人加]教蔵殿(仏教の経典をおさめる殿堂)が中心です。殿内奥にはまた柵があり踏みこめませんが、周囲に蔵経のための壁をあつらえた薄暗い空間からは、永い時間を経てきた厳粛な雰囲気が伝わってきます。
塑像は、過去・現在・未来の3体の重々しい三世仏ほか31体の塑像がそのまま残っています。遼代の基準作として図版では見慣れていたもの。蓮弁の装飾画など精緻に作られています。塑像の彩色も、暗い空間に埃や変色などもあるでしょうが、褐色に緑系統の彩色を多く使った渋い特徴あるものになっています。向って左の仏の脇侍菩薩のつんのめりそうな立ち姿は鋭く、実物でも印象的でした。
大同市内には、まだ普化寺など見るべきものがありますが、先を急ぎ東南の方角、懸空寺のある北岳恒山に向いました。
一つ山を超し、平坦な道を走ると盛り上がった恒山の山塊が見えてきます。
これが中国の古代から名高い北岳。
最も険しい西岳華山にはすでに登っています。今回は北岳恒山の場所のイメージをとどめ、恒山の懸空寺以外の他の道観や元時代の壁画があるという永安寺もまた改めて来ることにします。恒山の山塊は、大小二つにぱっくりと割れ、懸空寺は向って右手の小さな山塊の岩壁にはさまれた間、金龍峡の西の岩壁にあります。
懸空寺
日本で写真を見ていた時から、こんな危険そうな所に行けたらいいと思ったりしたけれど、幸いに実際に立つことができました。
ほんものの懸空寺は、思ったよりも小さかった。
ミニチュアのような建物に少し背の小さめな人が修行していたのかな。
懸空寺は北魏の時代から続いているといいます。今ある建築は明清以降次々と修理し直してきた道仏(道教・仏教)渾然となったものです。幾つもの階段や回廊をつたって、すぐに三つの楼上まで順に上り廻ることができます。三聖殿内の1部屋はまだ人が寝泊まりしたなごりをとどめ、床から1段上げた寝所に小さな竈が付いてました。入口扉の小さな装飾には、蕪と白菜が対になって彩色されていました。牧谿のテーマを思わせ、修行者のいる処にふさわしい飾らなさがありました。
向いにせまる恒山の岩肌を毎日眺め暮らし、ここにいた人はどんなことを思ったのだろう、何かの境地を得ることができたのだろうか、それともたいていの人は、ここの厳しい暮らしもルーティンのものとして終わっていったのだろうか⋯⋯
小さいとはいっても、懸空寺は高く、最上楼から見下ろすと地上ははるか下、回廊の支えに使っている長い柱は、重い人が行き来すると揺れていました。
岩山寺をへて五台山へ抜けるには、恒山からの道よりも、いったん今来た道を戻り応県の道をとったほうがよいということなので、応県にたちより有名な木塔を見て昼をとることにしました。
木塔
夏の日ざしをまともにあびて立つ67メートルの仏宮寺の釈迦塔は、遼時代の1056年に建てられた中国で最高の木造八角塔です。あたりの応県の町は平地にありますので遠くからでもランドマークとして塔が見えます。
中に入るとすぐに周りを厚い土壁に囲まれて11mの釈迦大仏が鎮座しています。暗い壁面には如来などの壁画。
塔の中腹まで急な階段を昇って行けます。日本の天守閣のように柱の構造がむき出しになっていますが、釘は全く使っていないのが違います。大地震にも耐えて残ったという塔を、上りきった階の片側の柱の軸線は、明らかに大きく斜めに傾いていました。
昼を簡単にすませ、気持ちはすでに繁峙県にある岩山寺に向いています。地元の運転手も行ったことがない、めったに訪れる人のいない廃寺、着いたとしても実際に中に入れるかどうかもわからないのです。幸運を祈って車は、昼すぎ1時半に出発しました。
応県の平地から山間部に入り、おりおりに特有な断層をみせる一面の黄土高原の上を快調に走ります。黄土高原の上部は意外なほどよく耕されています。日本では季節はずれの菜の花畑の黄色が、畑の緑に鮮やかです。おりおりには黄土で築かれた昔の烽火台がみえます。
車は何ごともなく2時半には分岐点の繁峙県の砂河に入りました。
7月14日(金) 北京 大同
15日(土) 大同 雲崗石窟
16日(日) 大同 華厳寺 懸空寺 木塔 ★NEXT→岩山寺 五台山
17日(月) 五台山懐内の諸寺
18日(火) 五台山懐外の諸寺
19日(水) 五台山 太原
20日(木) 太原 休息
21日(金) 太原 山西省博物館
22日(土) 太原 平遥
23日(日) 平遥 太原
24日(月) 太原 天龍山石窟
25日(火) 太原 北京