古琴と絵画

1.古琴について

古琴と箏の違い  

「きん()のこと」と「そう()のこと」『源氏物語』

1.弦数 

7

13

2.琴柱(ことぢ)

×

3.

自分の爪

義爪

4.

×

5.大きさ

 

 

 

 

 

 

 

 

古琴の歴史

中国

中国音楽の中枢(「楽の統」後漢応劭『風俗通義』)として一貫した展開

『詩経』琴歌、六朝の琴曲《幽蘭》の写譜、明時代琴譜の出版が盛ん

2 唐琴 九霄環佩 北京故宮博物院蔵

 
 

 

 

 

 


戦国時代出土楽器、現役の唐琴(参照:呉サ(ごしょう)『中国音楽史』シンフォニア 1994年)

2003年ユネスコ世界無形文化遺産 "The Art of Guqin Music, Masterpiece of the Oral and Intangible Heritage of Humanity " に指定

日本

1.奈良、平安 貴族層に広まる「左琴右書」、正倉院金銀平紋琴、『宇津保物語』『源氏物語』「きんのこと」

2.江戸 清初渡来僧東皐心越(とうこうしんえつ)1639-95の系統が全国の知識層に流行、戦前に途絶える

古琴の構造
『琴学入門』より3.現代 戦後、中国との交流から新たな展開

 

古琴の形と美

楽器としての形の美「伏羲式」2図)「仲尼式」3図)など、漆の断紋「蛇腹紋」など

唐琴の龍のような存在感

古琴の構造 

古代の宇宙観の象徴 空間(龍=山水)―時間(年月日)

「龍」の象形:龍舌、頸中、肩、腰、焦尾、龍齦、雁足

「山水」の象形:岳山、承露、軫池、龍池、鳳沼 弦部は流水

「時」の象形:七弦(五音=四季+中心 五行思想による)、

十三徽(12月+閏月)、三尺六寸(360日)

古琴の音域と技法 4オクターブ

散音(さんおん、開放弦の音)、

泛音(はんおん、ハーモニックス)、

按音(あんおん、弦を押さえてだす音)

姿勢と「指法」の美 象徴化された様々な弾き方

古琴の楽譜「琴譜」

文字譜→減字譜3000曲(うち600曲伝承、断絶曲の「打譜」)

最古の文字譜:唐時代7C初「碣石調幽蘭」(東京国立博物館蔵)

古琴の演奏

演奏形式:1.古代の琴歌から→2.独奏へ、3.その他、琴簫合奏

むやみに大衆化させず、文化背景を理解できる者のみに伝えられてきた

3 1864『琴人門』挿図

 
老荘思想、儒教(修身養生)、文人音楽(自娯)

六朝「左琴右書」→宋「琴棋書画」→清「琴詩書画」

 

 

2.古琴と絵画の関係

外的な関係

1.描かれた古琴 世界の絵画の中で最も多く描かれている楽器

 琴=文人世界の象徴(音楽と美術の関係の中でも特殊)

2.人が共通 

文人、文人嗜好のサロン、雅会、雅集

a.共同性:琴人の雅会と文人画のサロンに集まる人物が重なる

b.個人性:琴詩書画の嗜み→一体化(全てに秀でた歴史的人物は少ないが)

中国

後漢 蔡邕(132-192 琴書文)

六朝 宗炳(374-443琴書画)嵆康(224-263琴詩)

 

 

 

 

 

 

 

 


北宋 徽宗(1082-1135 琴詩書画

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


元 趙孟頫(1254-1322 琴詩書画)

明初 冷謙(道家思想、琴『太古遺音』画)

張鶴(道士 詩書琴画 1864『琴學人門』)

民国 管平湖(1897-1967 琴画)

日本

江戸 浦上玉堂(1745-1820琴詩書画一体)菊舎尼(1753-1826女流俳人)

 (参照:岸辺成雄『江戸時代の琴士物語』 有隣堂 2000年)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


内的な関係

1.主題が共通 

思想的主題(儒教、老荘思想)、文学的主題

 琴曲     書画

《漁樵問答》―《漁樵問答》

《平沙落雁》―《平沙落雁》

《瀟湘水雲》―《瀟湘八景》《瀟湘図》

《高山流水》―《高山流水》などの山水画

《幽蘭》  ― 墨蘭画

《梅花三弄》― 墨梅画(北宋 揚無咎《四梅花図卷》など)

《鶴鳴九阜》―《鳴鶴図》など

琴歌《長相思》(『東皐琴譜』)―浦上玉堂《圜中書画》軸の隷書「長相思」

2.奏法と筆法の発想が共通

a.線(タッチ)が共通

琴の左手の入り方:注、綽(しゃく)など                 …西洋のアタック

琴の左手:(ぎん 細吟、長吟、定吟、游吟、飛吟、分開吟、往来吟など) …西洋音楽のビブラート

(じゅう 緩猱、蕩猱、急猱、撞猱、大猱など)

書の運筆:露鋒(起筆)、蔵鋒(終筆)、逆鋒、提頓、顫筆、転鋒、回鋒など …西洋のタッチやストローク

b.琴と書画と対応した歴史的展開(写実主義から抽象表現主義へ、描写のための線から表現のための線へ)

琴:唐宋「声多韵少」(右手の奏法が発達)→清「韵多声少」(左手のビブラート的奏法が発達)

書:唐「三折法」宋「多折法」      →清「無限折法」(細かく震える線 石川九楊の説)

画:唐宋リアリズム(唐着色画、宋水墨画)→清:筆墨(タッチの抽象的表現)の重視

 

 

『源氏物語』若菜下より 光源氏の琴の論

 「よろづのこと、道々につけて習ひまねばば、才といふもの、いづれも際なくおぼえつつ、わが心地に飽くべき限りなく、習ひ取らむことはいと難けれど、何かは、そのたどり深き人の、今の世にをさをさなければ、片端をなだらかにまねび得たらむ人、さるかたかどに心をやりてもありぬべきを、琴なむ、なほわづらはしく、手触れにくきものはありける。

 この琴は、まことに跡のままに尋ねとりたる昔の人は、天地をなびかし、鬼神の心をやはらげ、よろづの物の音のうちに従ひて、悲しび深き者も喜びに変はり、賤しく貧しき者も高き世に改まり、宝にあづかり、世にゆるさるるたぐひ多かりけり。

 この国に弾き伝ふる初めつ方まで、深くこの事を心得たる人は、多くの年を知らぬ国に過ぐし、身をなきになして、この琴をまねび取らむと惑ひてだに、し得るは難くなむありける。げにはた、明らかに空の月星を動かし、時ならぬ霜雪を降らせ、雲雷を騒がしたる例、上りたる世にはありけり。

 かく限りなきものにて、そのままに習ひ取る人のありがたく、世の末なればにや、いづこのそのかみの片端にかはあらむ。されど、なほ、かの鬼神の耳とどめ、かたぶきそめにけるものなればにや、なまなまにまねびて、思ひかなはぬたぐひありけるのち、これを弾く人、よからずとかいふ難をつけて、うるさきままに、今はをさをさ伝ふる人なしとか。いと口惜しきことにこそあれ。

 琴の音を離れては、何琴をか物を調へ知るしるべとはせむ。げに、よろづのこと衰ふるさまは、やすくなりゆく世の中に、一人出で離れて、心を立てて、唐土、高麗と、この世に惑ひありき、親子を離れむことは、世の中にひがめる者になりぬべし。

 などか、なのめにて、なほこの道を通はし知るばかりの端をば、知りおかざらむ。調べ一つに手を弾き尽くさむことだに、はかりもなきものななり。いはむや、多くの調べ、わづらはしき曲多かるを、心に入りし盛りには、世にありとあり、ここに伝はりたる譜といふものの限りをあまねく見合はせて、のちのちは、師とすべき人もなくてなむ、好み習ひしかど、なほ上りての人には、当たるべくもあらじをや。まして、この後といひては、伝はるべき末もなき、いとあはれになむ」

現代語訳「何事も、その道その道の稽古をすれば、才能というもの、どれも際限ないとだんだんと思われてくるもので、自分の気持ちに満足する限度はなく、習得することは実に難しいことだが、いや、どうして、その奥義を究めた人が、今の世に少しもいないので、一部分だけでも無難に習得したような人は、その一面で満足してもよいのだが、琴の琴は、やはり面倒で、手の触れにくいものである。
 この琴は、ほんとうに奏法どおりに習得した昔の人は、天地を揺るがし、鬼神の心を柔らげ、すべての楽器の音がこれに従って、悲しみの深い者も喜びに変わり、賎しく貧しい者も高貴な身となり、財宝を得て、世に認められるといった人が多かったのであった。
 わが国に弾き伝える初めまで、深くこの事を理解している人は、長年見知らぬ国で過ごし、生命を投げうって、この琴を習得しようとさまよってすら、習得し得るのは難しいことであった。なるほど確かに、明らかに空の月や星を動かしたり、時節でない霜や雪を降らせたり、雲や雷を騒がしたりした例は、遠い昔の世にはあったことだ。
 このように限りない楽器で、その伝法どおりに習得する人がめったになく、末世だからであろうか、どこにその当時の一部分が伝わっているのだろうか。けれども、やはり、あの鬼神が耳を止め、傾聴した始まりの事のある琴だからであろうか、なまじ稽古して、思いどおりにならなかったという例があってから後は、これを弾く人、禍があるとか言う難癖をつけて、面倒なままに、今ではめったに弾き伝える人がいないとか。実に残念なことである。
 琴の音以外では、どの絃楽器をもって音律を調える基準とできようか。なるほど、すべての事が衰えて行く様子は、たやすくなって行く世の中で、一人故国を離れて、志を立てて、唐土、高麗と、この世をさまよい歩き、親子と別れることは、世の中の変わり者となってしまうことだろう。
 どうして、それほどまでせずとも、やはりこの道をだいたい知る程度の一端だけでも、知らないでいられようか。一つの調べを弾きこなす事さえ、量り知れない難しいものであるという。いわんや、多くの調べ、面倒な曲目が多いので、熱中していた盛りには、この世にあらん限りの、わが国に伝わっている楽譜という楽譜のすべてを広く見比べて、しまいには、師匠とすべき人もなくなるまで、好んで習得したが、やはり昔の名人には、かないそうにない。まして、これから後というと、伝授すべき子孫がいないのが、何とも心寂しいことだ」(渋谷栄一訳)

 

 

胡笳十八拍  琴歌演奏 喬珊

 

第一拍

我生之初尚無爲,   私が生まれる前はまだ変化がなかったが、

我生之後漢祚衰。   私が生まれた後、漢の皇統は衰えていった。

天不仁兮降亂離,   天は無慈悲、人々を離散させ、

地不仁兮使我逢此時。 地は無慈悲、私をかく辛い時に逢わせた。

干戈日尋兮道路危,  戦乱は続き、道は危険。

民卒流亡兮共哀悲。  民衆はさ迷い、悲哀をわかつ。

煙塵蔽野兮胡虜盛,  戦塵が野を蔽い、匈奴は盛ん。

志意乖兮節義虧。   志と思いは離れ、節義は減少した。

對殊俗兮非我宜,   異国はわたしの好むところではない。

遭忍辱兮當告誰。   この恥忍を、一体誰に告げよう。

笳一會兮琴一拍,   もの悲しい胡笳の笛と重なり、琴が一拍弾かれる。

心憤怨兮無人知。   この心の鬱憤を誰がわかろうか。

 

蔡文姫(さい ぶんき、172- 239年)

中国・後漢代の詩人。本名は蔡琰(えん)。文姫は字。陳留圉(現在の河南省杞県)出身。蔡邕の娘。琴詩文を良くした才女のほまれ高く、数奇な運命で知られる。衛仲道の妻となるが死別。195年、董卓の残党によって乱が起こると、実家に帰っていた蔡文姫は匈奴の騎馬兵に拉致され、南匈奴の左賢王劉豹に側室として留められた。そこで左賢王との間に2子をもうけた。12年後の207年、蔡邕の後継者が居ないことを惜しんだ曹操が身代金として財宝を匈奴に支払い、帰国した。後に同郷の董祀に嫁いだ。伝世する詩として「胡笳十八拍」・「悲憤詩二首」が伝わる。胡笳十八拍は後世の仮託説がある。これを後の時代に絵画化した「文姫帰漢図」が伝わる。 →李唐《文姫帰漢(胡笳十八拍)図》 台北故宮博物院蔵

 

 

古琴大曲《広陵散》  古琴独奏 管平湖(1897-1967年、写真は1954《広陵散》定稿時のもの

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聶政(じょうせい)韓王を刺す」の物語

戦国時代、聶政の父は、韓王ために剣を鋳造したが,期限を誤り韓王に殺されてしまった。聶政は父の仇をとるため,十年の間,琴にはげみ並ぶもののない名手となった.韓王は聶政を宮廷に召し琴を演奏させた。聶政は韓王のすきをつき,琴腹の中から匕首を出し韓王を刺殺した。

(この話は、『史記』巻八十六 第二十六戦国策韓策烈侯の話と異なり、漢代蔡邕『琴操』 《聶政刺韓王曲》 に見える。→三国時代の康が得意にした古琴曲《広陵散》の物語の原型)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この物語を絵画化した例:

武梁祠 東壁 画像石から

書画同一画面の早い例