顧愷之《洛神賦図巻》 と曹植『洛神賦』    右から左にご覧ください
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21.私は御者に命じて車の準備をさせ、ついに東への帰路に旅立とうと心に決めた。そこで副え馬の手綱を取り、鞭をくれようと手をあげたが、胸がふさがって思い切りがつかず、いつまでも立ち去ることが出来ずにいた。

命僕夫而就駕,吾將歸乎東路。
攬騑轡以抗策,悵盤桓而不能去。
 
20.帰ることさえ忘れてしまっていた。
恋い慕う気持ちはますます募り、夜がふけても心は休まらない。いつまでも寝付けないまま、気がつくと激しい霜に身を濡らし、とうとう朝を迎えていた。

浮長川而忘反,思緜緜而増慕。
夜耿耿而不寐,霑繁霜而至曙。
 
19.再び女神が現れてくれないかと願いながら、小舟をあやつり、流れを溯り、どこまでも漕いで行き、

冀靈體之復形,御輕舟而上遡。
 
18.かくして私は、低い水辺をあとにし、高みへ登っていく。足は進むが、心はあとに残る。募る想いは押さえ切れず、女神の姿を思い描き、何度も振り返り振り返りしては、また愁いに閉ざされる。

於是
背下陵高,足往神留。
遺情想像,顧望懐愁。
 
…文魚は飛びあがって先駈けをつとめ、車は玉の鈴を鳴らしながら、一斉に発進する。六頭の竜は厳かに首をもたげ、女神の雲の車をゆるやかに引く、鯨は躍りあがって左右を守り、水鳥は天翔けて護衛する。… 17.そう言い残すと、女神の所在は分からなくなり、悲しくも幽暗のうちに、その光芒を沈めてしまった。

忽不悟其所舎,悵神宵而蔽光。
16.「これより先は、ささやかな愛の言葉も語れません。今、江南の真珠の耳玉を献じましょう。たとえ、姿は鬼神の住む世界に隠れてしまっても、心はいつまでも君を想っています」

無微情以効愛兮,献江南之明璫。
雖潜處於太陰,長寄心於君王。
15.ついに北の中洲を越え、南の丘を過ぎると、女神は白いうなじを巡らし、すずやかな瞳を振り向け、朱い唇を動かし、静かに男女の交わりの定めを説いた。
 そして、人と神との越えることのできない隔たりを恨み、二人で楽しい時間を過ごすことはできないことを嘆くと、薄絹の袖をあげて咽(むせ)び泣き、涙ははらはらと襟にこぽれ落ちる。これから先は逢瀬の途絶えてしまうことを悲しみ、ひとたびここを去れば、住む世界を異にすることを哀しんだ。

於是
越北沚,過南岡。
紆素領,廻清陽。
動朱脣以徐言,陳交接之大綱。
恨人神之道殊兮,怨盛年之莫當。
抗羅袂以掩涕兮,涙流襟之浪浪。
悼良會之永絶兮,哀一逝而異郷。
 
14.ここにおいて、風の神は風をおさめ、川の神は波を静めた。憑夷は鼓をうち、女媧(じょか)は高くすんだ声で歌う。

 文魚は飛びあがって先駈けをつとめ、車は玉の鈴を鳴らしながら、一斉に発進する。六頭の竜は厳かに首をもたげ、女神の雲の車をゆるやかに引く、鯨は躍りあがって左右を守り、水鳥は天翔けて護衛する。

於是
屏翳収風,川后靜波。
馮夷鳴鼓,女媧清歌。

騰文魚以警乘,鳴玉鸞以偕逝。
六龍儼其斉首,載雲車之容裔。
鯨鯢踊而夾轂,水禽翔而爲衛。
 
13.だが次の瞬間、その挙措は飛びたつ鴨よりも素早く、さながら神霊にふさわしい異能を示した。波を踏んでゆるやかに歩めば、薄絹の足下より塵が立つ。動作にはまるで筋道がなく、崩れそうであり、また揺るぎ無いようでもある。いつ進み、いつ止まるとも予期できない。去って往くようでもあり、戻って来るようでもある。
 流し目すれば、強烈な光を生じ、玉のような顔は艶やかさを増し、唇はもの言いたげ、息づかいは幽蘭のように芳しい。美しくしなやかなその姿は、食事することさえ忘れさせてしまう。

體迅飛鳧,飄忽若神。
陵波微歩,羅韈生塵。
動無常則,若危若安。
進止難期,若往若還。
轉眄流精,光潤玉顔。
含辭未吐,気若幽蘭。
華容婀娜,令我忘餐。
12.そのうちに神々はつどい集まり、互いに仲間を呼びあって、滑らかな流れに戯れたり、聖なる渚に飛び翔って、真珠を採ったり翡翠の羽を拾ったりしている。
 はるか湘水より、二人の妃が馳せ参じ、漢水に遊ぶ女神と手を取り合う。
 私を天に一人かかる匏瓜星(ほうかぼし)のようだと嘆かれ、牽牛星のように孤独だと歌われる。女神は風にそよぐ軽やかな打掛けを翻し、長い袖をかざして、こちらを眺めながら、立ち去りがたく佇む。

爾迺衆靈雑遝,命儔嘯侶。
或戯清流,或翔神渚。或采明珠,或拾翠羽。
從南湘之二妃,携漢濱之游女。
歎匏瓜之無匹兮,詠牽牛之獨處。
揚輕袿之猗靡兮,翳脩袖以延佇。
11.すると洛水の女神は、私の態度に感じ入り、立ち去る様子もなく辺りをさまよう。その神神しい光は、姿が見え隠れするにつれ、時に暗く、時に明るく変化する。軽やかな体を伸ばして、鶴のように爪先立ち、まるで今にも飛びたとうとしてとどまっているかのよう。
 山椒のしげる道を歩けば、馥郁(ふくいく)たる香りが生じ、香り草の群れる草原を行けば、芳香が辺りに漂う。悲しげに長く尾を引く彼女の歌声は、永久の想いへと誘(いざな)い、哀調にみちた声はいつまでも続く。

於是
洛靈感焉,倚傍徨。
神光離合,乍陰乍陽。
竦輕躯以鶴立,若將飛而未翔。
踐椒塗之郁烈,歩衡薄而流芳。
超長吟以永慕兮,声哀而弥長。
10.私は切々たる慕情を抱いているが、一方で、この女神が欺くのではないかと不安を覚えた。鄭交甫が女神から約束を反故にされた話を思い出し、心は沈み、疑いは晴れずためらう。そこで表情を改めて、心を平静にし、礼法に従って自らを保った。

執眷眷之款實兮,
懼斯靈之我欺。
感交甫之棄言兮,
悵猶豫而狐疑。
収和顔而靜志兮,
申禮防以自持。
9.私の心は その滑らかな美しさに惹かれつつ、胸は不安に高鳴って落ち着かない。ここには私の想いを伝える適当な仲人がいないから、せめて小波(さざなみ)に託して この気持ちを届けよう。何より私の真心が彼女に伝わるように。この身におびた玉を解いて、心の証としよう。
 ああ、佳人のなんとすばらしいこと、奥ゆかしくも礼儀をたしなみ、詩の道にも明るい。美しい玉をかざして、私にこたえ、深い淵を指さして誓いをたててくれた。

余情悦其淑美兮,心振蕩而不怡。
無良媒以接懽兮,託微波而通辭。
願誠素之先達兮,解玉佩以要之。
嗟佳人之信脩兮,羌習禮而明詩。
抗瓊瑅以和予兮,指潜淵而爲期。
8.やがて突然、身も軽やかに遊びたわむれる。左に色どりある旗に寄り添ったかと思えば、右に桂の竿の旗に身を隠す。神のおわします汀(みぎわ)で白い腕を露わにし、たぎる早瀬の玄(くろ)い霊芝を摘む。

於是
忽焉縱體,以遨以嬉。
左倚采旄,右蔭桂旗。
攘晧腕於神滸兮,
采湍瀬之玄芝。
7.たぐい稀な艶(あで)やかさ、立居振舞いのもの静かでしなやかなことこの上ない。なごやかな風情、しっとりした物腰、言葉づかいは愛らしい。
 この世のものとは思われない珍しい衣服をまとい、その姿は絵の中から抜け出してきたかのよう、きらきらひかる薄絹を身にまとい、美しく彫刻きれた宝玉の耳飾りをつけ、頭上には黄金や翡翠の髪飾り、体には真珠を連ねた飾りがまばゆい光を放つ。足には「遠遊」の刺繍のある履物をはき、透き通る絹の裳裾(もすそ)を引きつつ、幽玄な香りを放つ蘭の辺りに見え隠れし、ゆるやかに山の一隅を歩んでいく。

瑰姿艶逸,儀靜體閑。
柔情綽態,媚於語言。
奇服曠世,骨像應圖。
披羅衣之璀粲兮,珥瑶碧之華琚。
戴金翠之首飾,綴明珠以耀躯。
踐遠遊之文履,曳霧綃之輕裾。
微幽蘭之芳藹兮,歩踟蹰於山隅。
6.肉付きは太からず細からず、背は高からず低からず、肩は巧みに削りとられ、白絹を束ねたような腰つき、長くほっそり伸びた項(うなじ)、その真白な肌は目映いばかり。香ぐわしい脂(あぶら)もつけず、白粉(おしろい)も塗っていない。豊かな髷はうず高く、長い眉は細く弧を描く。朱い唇は外に輝き、白い歯は内に鮮やか。明るい瞳はなまめかしく揺らめき、笑くぽが頬にくっきり浮かぶ。

襛繊得衷,脩短合度。
肩若削成,腰如約素。
延頸秀項,晧質呈露。
芳澤無加,鉛華弗御。
雲髻峨峨,脩眉聯娟。
丹脣外朗,晧歯内鮮。
明眸善睞,靨輔承權。
5.その姿かたちは、不意に飛びたつ鴻雁(かり)のように軽やかで、天翔る龍のようにたおやか。秋の菊よりも明るく輝き、春の松よりも豊かに華やぐ。うす雲が月にかかるように朧(おぼろ)で、風に舞い上げられた雪のように変幻自在。
遠くから眺めれば、その白く耀く様は、太陽が朝もやの間から昇って来たかと思うし、近付いて見れば、赤く映える蓮の花が緑の波間から現われるようにも見える。

其形也,
翩若驚鴻,婉若遊龍。
榮曜秋菊,華茂春松。
髣彿兮若輕雲之蔽月,
飄飄兮若流風之廻雪。
遠而望之,皎若太陽升朝霞;
迫而察之,灼若芙蓉出淥波。
4.そこで私は御者を引きよせ、彼に尋ねた。
「おまえにも彼女が見えるかね。一体何者だろう、あのように美しいお方は」
 御者は答えて言った。
「洛水の神で、宓妃という方がいらっしゃると聞いております。王がご覧になっているのは、その女神ではありませんか。そのご様子はいかがなものでしょう。私にもお聞かせ願いたいものです」
 私は彼にこう告げた――

迺援御者而告之曰:
「爾有覿於彼者乎?
彼何人,斯若此之艷也?」
御者對曰:
「臣聞河洛之神,名曰宓妃,
然則君王所見,無迺是乎?
其状若何?臣願聞之。」
余告之曰:
3.それとなく眺めている間は気付かなかったが、顔を上げて目を凝らせば、ひとりの麗人が巌(いわお)の傍らに立っていた。

俯則未察,
仰以殊觀。
睹一麗人,
于巌之畔。
 
2.私は都洛陽より、東のわが領土に帰ろうとしていた。伊闕をあとにし、轘轅山(かんえんさん)を越え、通谷を通り、景山に登った。日はすでに西に傾き、車は傷み、馬は疲れた。
 そこで車を香草繁る沢にとどめ、馬たちに霊芝が生えている場所で飼葉を与え、やなぎの林で休息し、洛水を眺めていた。やがて、こころは別世界に誘われ、思いは遥か彼方に飛翔していく。

余從京域,言歸東藩。
背伊闕,越轘轅。經通谷,陵景山。
日既西傾,車殆馬煩。
爾迺
税駕乎衡皋,秣駟乎芝田。
容與乎陽林,流眄乎洛川。
於是
精移神駭,忽焉思散。
1.黄初三年(西暦222年)、私は朝廷に参内し、帰途洛水を渡った。古人の言い伝えでは、この川の神の名を宓妃(ふくひ)というとのことである。
 私は、かつて宋玉が楚の襄王に神女の事を説いたことに思い起こして、この賦を作った。それは以下の通りである。

黄初三年,
余朝京師,還済洛川。
古人有言,
斯水之神,名曰宓妃。
感宋玉對楚王神女之事,遂作斯賦。
其辭曰:
 顧愷之洛神賦図巻(北京故宮博物院蔵)と曹植『洛神賦』(有坂文訳)   動く《洛神賦図巻》   中国絵画の批評基準「画の六法」に戻る       2002.5.12作成