東京国立博物館 「中国書画精華」展 2004年後期展示リスト

東京国立博物館の特集陳列《中国書画精華》展見学
時間・場所:11月25日(木)午前10時30分 東京国立博物館正門集合(時間厳守)
 遅れた場合のチケットは各自購入(平常展料金 学生:130円)
見学場所:東京国立博物館東洋館2階 第8室中国書画陳列室
課題:書画の中の漢字2字を選び、鉛筆で線書きして提出(用紙は現地で配布)



【画】
南宋
◎金大受 《十六羅漢図》から第3尊者 軸 寧波仏画
◎伝 石恪 《二祖調心図》 軸 2幅対 五代水墨人物画の模本
◎伝 趙昌 《竹虫図》 軸 常州草虫画の最も古い例


◎無名 《維摩図》 軸 京都・東福寺蔵  白描画の仏画
●因陀羅書画家 《寒山拾得図》 軸 減筆人物画 元末楚石梵キ賛
◎伝 顔輝 《寒山捨得図》 軸 2幅対 職業人物画家になる作
◎伝 孫君沢 《高士観眺図》 軸 前浙派
◎羅稚川 《雪汀遊禽図》 軸 李郭派と江南画の融合


◎杜貫道賛 《離合山水図》 軸 2幅対 米法山水
◎李在 《山水図》 軸 浙派の宮廷画家、雪舟が北京で師事
◎呂紀 《四季花鳥図》から秋景 軸 浙派の宮廷画家
◎文伯仁1502-1575書画家 《四万山水》 軸 嘉靖30年(1551) 呉派の大作
  《万竿烟雨図》 春 学董北苑(董其昌題)
  《万壑松風図》 夏 倣倪雲林(上同)
  《万頃晴波図》 秋 倣趙文敏(上同)
  《万山飛雪図》 冬 学王右丞(上同)

徐渭書画家 《花卉雑画巻》 万暦3年(1575) 水墨大写意花卉画 高島菊次郎氏寄贈
〔引首自題〕木犀雨時書 「天池山人」印
〔1 荷花鴛鴦図〕
 鏡湖八里百何長,中有荷花分外香。胡蝶正愁飛不過,鴛鴦拍水自雙々。
 鏡湖(紹興南西の湖、鑑湖の旧名)八百里何ぞ長からん、中に荷花ありて外に香を分かつ。胡蝶は正に愁い飛びて過ぎず、鴛鴦は水を拍ち自ら雙々。
〔2 柘榴芭蕉図〕 芭蕉は衣袖、石榴は椎の喩え
 蕉葉屠埋短後衣,石榴銕鏽虎斑皮。老夫貌此堪誰比,朱亥椎臨袖口時。
 蕉葉は屠埋の短後衣、石榴は銕鏽の虎斑皮。老夫此を貌り、誰を比べるに堪えん、朱亥(戦国魏の人、袖にした四十斤の鉄椎で将軍晋鄙を殺し、趙を救う)の椎が袖口に臨む時。 金畾
〔3 浸水梅花図〕
 梅花浸水處,無影但涵痕。雖能避雪壓,恐未免魚呑。
 梅花が水に浸る處、影は無く但だ涵の痕。雪の壓するを能く避くと雖も、恐れるは、いまだ魚に呑まれるを免れず。
〔4 松花石牡丹図〕
 松花石邉垂牡丹,花石綱依來海山。十五年前二三月,董侍郎家園内看。
 松花石の邉に牡丹が垂れる。花石綱は海山より来たれり。十五年前二三月,董侍郎が家の園内にて看る。 黒三昧
〔5 山査図〕
 如聞海鳥不宜牲,亦似山査便野生。紅後満村量雀卵,秋來偏此足風聲。
 對苹犬馬傷孤抱,種豆遷談少一甥。來往細腰爭窖密,莫須移浸與東陵。
〔6 葡萄図〕
 半生落魄已成翁,獨立書齋嘯晩風。筆底明珠無處賣,間抛間擲野藤中。
 半生落魄已に翁と成り、書斎に独り立ち晩風に嘯(うそぶ)く。筆底の明珠売る処無く、間(まま)抛(なげう)ち間擲(なげう)つ野藤の中。
〔7 瓜筍魚蟹図〕
 魚蟹瓜蔬笋豆香,溪藤一斗小方々。較量總是寒風味,除却江南無此郷。
 魚、蟹、瓜、蔬、笋、豆香など、溪藤一斗(剡溪の藤で作った剡紙一塊)は小さく方形に(してそれぞれに描く)。較量(比較)すれば総て是れ寒風の味、江南を除却すれば此の郷なし。
〔自跋〕
 陳家豆酒名天下,朱家之酒又其亜。
 史甥親携八升來,如椽大巻令吾画。
 小白連浮三十杯,指尖浩氣響如雷。
 驚花蟄草開愁晩,何用三郎鞨鼓催?
 鞨鼓催,筆兎痩,蟹螯百隻,羊肉一肘。
 陳家之酒更二斗,唫伊吾,迸厥口,爲儂更作獅子吼。
  萬歴三年菊月望日 漱老謔墨

 陳家の豆酒は天下に名だかく,朱家の酒は又その亜。
 史甥親しく八升を携え來たり,椽(たるき)の如き大巻に吾をして画かしむ。
 小白連浮(立続けに)三十杯,指尖の浩氣は雷の如く響く。
 驚花は草に蟄(こも)もり愁晩に開く,何ぞ三郎(玄宗皇帝)の鞨鼓の催を用いん。
 鞨鼓の催,筆兎は痩(ほそ)く,蟹螯百隻,羊肉一肘。
 陳家の酒は更に二斗,伊吾(うなり声)をあげ,
 厥(その)口から迸(ほとばし)らせ,儂(きみ)のために更に獅子吼をなす。
  萬歴三年菊月望日(1575年9月15日) 漱老謔墨

楊文驄1597-1646書画家《山水図巻》 崇禎元年(1628) 金箋に水墨 明末の文人画 高島菊次郎氏寄贈



【書】

唐時代の写本
●無名 《碣石調幽蘭第五》 巻 世界最古の琴譜

北宋四大家 のうち二人
米芾 行書《叔晦・李太師・張季明三帖》 巻
 1091年41歳、名を黻から芾に改める以前の練達の手紙3通
〔釈文〕
(一)余始興公故爲僚宦。仆與叔晦爲代雅。以文芸同好。甚相得。于其別也。故以秘玩贈之。題以示両姓之子孫異日相値者。襄陽米黻,元章記。叔晦之子:道奴、徳奴、慶奴。仆之子:鼈児、洞陽、三雄。
(二)李太師収晉賢十四帖。武帝、王戎書若篆籕。謝安格在子敬上。真宜批帖尾也。(『寳章待訪録』参照)
(三)余収張季明帖云:秋氣(此字点去)深。不審氣力復何如也。真行相間。長史世間第一帖也。其次《賀八帖》。余非合書。(『寳章待訪録』参照)

黄庭堅1045-1105 《王史二氏墓誌銘稿》 巻
 1086年42歳《王長者墓誌銘》、1099年55歳《史詩老墓誌銘》の二つの草稿の合巻

禅の墨蹟
●圜悟克勤1063-1135 《印可状(流れ圜悟)》 軸 宣和6年(1124) 最古の墨蹟
  大徳寺大仙院→堺谷宗卓→古田織部→祥雲寺→松平不昧旧蔵

南宋
●張即之 禅院額字《東西蔵》(3幅の内、他は「栴檀林」「解空室」) 京都・東福寺蔵

元時代の文人たち
鮮于樞1256−1301 行草書《十詩五札》 巻 趙孟頫と並び称された文人

趙孟頫1254−1322書画家 楷書《玄妙観重脩三門記》 巻 1302-09頃49-56歳頃
 蘇州の有名な道観(道教建築)、玄妙観の三門を重修した記念碑の原稿
 董其昌(李北海《岳麓寺碑》に似るという評)、李日華などの跋
〔釈文〕
 天地闔闢,運也鴻柩,而乾坤為之戸,
 日月出入,経也黄道,而卯酉為之門。
 是故建設琳宮,模憲玄象。
 外則周垣之聯属,霊星之横陳,
 内則重闥之劃開,閶闔之彷彿。(以下略)

 天地の開閉は,大きな柩を運ってなされ,乾坤がその戸となり,
 日月の出入は,黄道を通じてなされ,卯酉(東西)がその門となる。
 このため道観を建設するのに,日月星辰を手本としてまねた。
 外は周垣の連属が,神秘な星座の展開にあたり,
 内では重なる門の開いているのが,天上界の門を彷彿とさせている。

◎馮子振 《保寧寺賦》 軸 泰定4年(1327)

楊維1296-1370 章草書《張氏通波阡表》 巻 至正25年(1365)  青山杉雨氏寄贈

明時代 呉派
祝允明1460-1526 楷書《前後出師(すいし)表》 巻 正徳9年(1514)
 平常の逸気を押し殺した、唐の虞世南風の謹直な作
〔釈文〕
 先帝創業未(いま)だ半ばならざるに中道に崩(ほうそ)したまう。今、天下三分して益州疲弊せり。これ誠に危急存亡の秋(とき)なり。
 然れども侍衛の臣内に懈(おこた)らず、忠志の士身を外に忘るる者は蓋(けだ)し先帝の殊遇を追いて之を陛下に報ぜんと欲するなり。誠に宜しく聖聴を開張し、以て先帝の遣コを光(かがや)かし、志士の気を恢弘(かいこう)すべし。宣しく妄りに自ら菲薄(ひはく)し、喩(たとえ)を引いて義を失い、以て忠諌の路を塞ぐべからざるなり。(以下略)
 宮中・府中倶(とも)に一体為(た)り。臧否(ぞうひ)を陟罰(ちょくばつ)するに宜(よろ)しく異同あるべからず。若(も)し奸(かん)を作(な)し、科(とが)を犯し、及び忠善を為す者有らば、宣しく有司に付して其の刑賞を論じ、以て陛下平明の理を昭(あきらか)にすべし。宜しく偏私(へんし)して内外をして法を異(こと)にせしむべからざるなり。
 侍中・侍郎の郭攸之(かくゆうし)・費(ひい)・董允(とういん)等は、これ皆な良実、志慮忠純なり。是(ここ)を以ちて先帝簡抜して以て陛下に遣(のこ)せり。愚、以為(おもえらく)、宮中の事は事大小と無く悉(ことごと)く以て之に咨(はか)り、然る後に施行せば必ず能く闕漏(けつろう)を稗補(ひほ)し広く益する所有るなり。将軍の向寵(しょうちょう)は性行淑均(しゅくきん)にして軍事に暁暢(ぎょうちょう)す。昔日に試用せられ先帝之を称して能(のう)と曰(い)えり。是(ここ)を以ちて衆議して寵を挙げて督(とく)と為す。愚、以為(おもえら)く、営中の事は悉く以って之に咨(はか)れば必ず能く行陣をして和睦し優劣をして所を得しめんと。
 賢臣に親しみ小人を遠ざけしは此れ先漢の興隆せし所以(ゆえん)なり。小人に親しみ賢臣を遠ざけしは此れ後漢の傾頽(けいたい)せし所以なり。先帝在(あ)りし時、臣と此の事を論ずる毎(たび)に未だ嘗(かつ)て桓霊に歎息痛恨せずんばあらざりき。侍中・尚書・長史・参軍、此れ悉く貞亮(ていりょう)にして節に死するの臣なり。願わくば陛下之に親しみ之を信ぜよ。則ち漢室の隆(さかん)なること日を計りて待つべきなり。

文徴明1470-1559書画家 楷書《離騒経》 巻 嘉靖31年(1552) 晩年の小楷

明末 松江派の知的な書
董其昌1555-1636書画家 行草書《豳風図詩》 巻 天啓元年(1621) 蝋箋紙にやや淡墨
〔釈文〕
 玉書金簡不足異,布帛菽栗眞文字。
 委宛驚開先代藏,詩中盡繪農桑事。
 憶昔章皇全盛時,尭水湯乾徳不如。
 千倉萬箱陳陳積,祈寒暑雨誰其咨。
 因披承旨図豳風,親灑宸章賦閔農。(以下略)

 玉書や金簡など珍とするに足りないが,布帛(きぬ)や菽栗(こくもつ)を記したものこそ真の文字。委宛(ためらい)ながら開けばびっくり、先代の収蔵,詩中に耕と織とのことが描き尽くされている。思えば昔、宣宗皇帝が全盛の時は,尭が洪水を、湯が旱ひでりを除いた徳も及ばなかった。千の倉に万の箱がうず高く積まれた中に,寒暑の折の雨乞いの図を探すのは、誰に相談したものか。そこで開いたのは翰林承旨趙孟頫の「豳風図巻」,宣宗皇帝は親しくそこに筆を加えて「閔農詩」を賦された。(福本雅一訳)

明末清初 ロマン派の長条幅連綿草
黄道周1585-1646書画家 草書《七言絶句》 軸 青山杉雨氏寄贈
〔釈文〕
 不翻邱報已經年,省得院頭爛帋錢。
 櫟葉蕉花佚徳過,歓人千句惹松烟。
  山居有作,似古愚先生 黄道周

倪元璐1593-1644書画家 草書《五言律詩》 軸 尾崎春盛氏寄贈
〔釈文〕
 橋影如長練,肥蛙侮痩駒。
 十山則一水,東佛而西屠。
 竹倩雲為客,花因蝶作俘。
 壚頭糟氣好,何処得三蚨。

 橋の影は長い練のよう,肥えた蛙が痩せた馬を馬鹿にする。
 十の山はつまり一筋の水,東には仏、そして西には浮屠。
 竹は雲をやとって客とし,花は蝶のために俘となってしまう。
 壚のそばでは糟のよい匂い,どこで三銭のお金を得たものか。

王鐸1592-1652書画家 行書《五言律詩》 軸 青山杉雨氏寄贈
 太く強い部分は顔真卿風、柔軟な部分は王羲之風。顔法で連綿するのは珍しい
〔釈文〕
 日夕來禪寺,波光動石亭。
 瀟湘一片白,震澤萬年青。
 龍沫浸坤軸,珠華湿佛経。
 踟蹰遊水府,騎馬忽春星。
  雲臺老年翁正 題柏林寺水 王鐸

 夕暮れ禅寺に来れば,波の光が石亭をゆり動かしている。
 瀟湘は一片のきれのように白く,太湖は万年青い。
 龍の沫は地軸を浸し,珠の耀きは仏経を湿す。
 ぶらぶらと馬に乗り水府に遊べば,忽ち春の星がまたたいている。
  雲台老年翁正せ 柏林寺の水に題す 王鐸

傅山1607-1684書画家 草書《五言絶句四首》四屏 4幅 青山杉雨氏寄贈
 傅山の面目躍如の作。率然として下筆し、行の曲がり、字の大小も意に介さない
〔釈文〕
 遺却珊瑚鞭,白馬驕不行。章台楊柳折,春日路傍情。
 妾有羅衣裳,李王在時作。為舞春風多,秋來不堪著。
 日夕見寒山,便為獨往客。不知松林事,但有麇麚跡。
 颯颯秋雨中,残残石榴瀉。跳波自相濺,白鷺驚復下。

清時代 筆触の多様さ
八大山人1626-1705書画家 行書《送李愿帰盤谷序》 軸
 晩年1694-1701年「い大」落款時期の書。運筆の省略(伸びる線を終わりまで引かず、弧を描く線を故意に縮小したりするテクニック)、禅林墨跡の趣
〔釈文〕
聞其言而壯之。與之酒而為之歌曰:「盤之中,維子之宮。盤之土,可以稼。盤之泉,可濯可沿。盤之阻,誰爭子所?窈而深,廓其有容;繚而曲,如往而復。嗟盤之樂兮,樂且無央;虎豹遠跡兮,蛟龍遁藏;鬼神守護兮,呵禁不祥。飲且食兮壽而康,無不足兮奚所望?膏吾車兮秣吾馬,從子於盤兮,終吾生以  。」

鄭燮1693-1765書画家 楷書《懷素自叙帖語》 軸 乾隆29年(1764)
 揚州八怪の一人。筆のさばきに画竹の勢、墨のたまりに画蘭の態「六分半書」
〔釈文〕
 其述形似,則有張礼部云:“奔蛇走虺勢入座,驟雨旋風声満堂。”
 盧員外云:“初疑輕烟澹古松,又似山開万仞峰。”
 王永州邕曰:“寒猿飲水撼枯藤,壮士拔山伸勁鐵。”
 朱處士遥云:“筆下唯看激電流,字成只畏盤龍走。”

劉墉1719-1805 行書《祝寿詩》 軸 嘉慶元年(1796) 蝋箋紙に超濃墨、すべりひねり

趙之謙1829-84書画家 楷書《七言》 聯(れん) 2幅対
 気満の充実した境地。「逆入平出」の法による北魏書、例を見ない強烈な視覚性
〔釈文〕
 駭獣逸我右,飢鷹興人前。





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 東京国立博物館「中国書画精華」展         2004.11.11写   

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